第十二話 楽しいと思えた日

 あの後ハクアは落ち着きを取り戻し、死にそうな顔で帰っていった。


 そして数日後、違法薬物撲滅のためにやってきたハクアは相変わらず姫騎士であった。

 王国兵団を引き連れて、完璧な姿で指揮を執る。その感情の読み取れぬ表情からは、頼もしさすら感じていた。


 ハクアは皆が想像する姫騎士の姿であり続け、まるで先日の出来事が夢物語かのようだった。


「ハクア様。恐らく残党は北地区の方に逃げ込んだかと思われます」

「……追います。王都を混乱に陥れた者は、全員捕らえる」

「はっ!」


 それは悪を許さず正義を貫く、皆が望む姫騎士の姿だ。

 何も知らなかったら、そのハクアの姿に憧れの念を抱いていたのは間違いない。


 しかし彼女が本当は何を思っているかを知れば、その姿は痛々しく見えてくる。

 グレイだけが、悲しげな表情でハクアを見つめていた。


「あの。協力、してくれる?」

「えっ。あ、ああ。もちろんだ。北地区にも顔は利く」


 急に話しかけてきたハクアに慌てて返事をしつつ、グレイは意識を切り替える。

 ギャング達の残党が逃げ込んだ北地区にもグレイは顔が利く故、ハクア達を連れて行かねばならない。


 基本的にグレイの仕事は貧民街の住人との交渉だ。

 勝手を知らぬハクア達がトラブルを起こさぬよう、グレイが間に入って話をする。

 だからこそハクアのことを一番近くで見ることができた。


「標的を発見しました!」

「私が行く」


 彼女は姫騎士であろうとする。

 どれだけ辛くても、それがハクアの生き方だ。

 その強さは尊敬するが、果てにあるのは潰れる未来だ。


 だからグレイも、その背を追う。


「手伝おう」

「ありがとう」


 自分が少し手伝った程度で、何かが変わるとは思わない。しかし何もせず、見ているだけというのは嫌だった。


「おら。待て!」

「ぐうっ!!」


 二人の最強が協力すれば、貧民街のギャングなど小物でしかない。

 王都を混乱に陥れたギャング共は、その恐ろしさを感じさせることなく次々捕まっていった。


「この糞グレイが! クリスタ人に寝返りやがって」

「汚い口を閉じろ。お前みたいなのがいるからまだまだ人種の問題が根強く残るんだよ!」


 グレイに捕まり暴言をまき散らすギャングを、黙らせようとぶん殴る。

 クリスタ人に差別主義者がいるように、マヌル人にも存在する。

 こういう者が居るかぎり、人種の垣根というのはなかなか超えられないものだ。


「さて。こいつらで全員か?」

「多分。協力してくれて、ありがとう」

「俺達の問題でもある。こちらこそ助かった」


 そう言ってグレイも礼を告げる。

 ハクア達のおかげで貧民街の治安はずいぶんとよくなった。国家が干渉するだけでここまで変わるなら、もっと早く治安維持をして欲しかったものだ。


「ではハクア様。全員連行していきます!」

「うん。お願い」

「……グレイ殿も、協力感謝する」


 そうして兵士達は流れるような連携で罪人達を連行していく。

 兵士の言葉を聞けばわかる通り、この数日でグレイは王国兵団の者達とも仲良くなっていた。


 共に戦い、その強さや性格が伝わったことで、当初あった軋轢なども解消された。

 一部は複雑な感情を抱いている者もいるが、兵団とも繋がりができたと言えるだろう。


「今日もありがとう。また明日、来ると思う」

「ああ……お疲れ」


 今日の任務を終えたハクアは、そう言って去って行こうとする。

 結局最後までハクアは姫騎士だった。

 その内にある思いを一切見せず、仮面を被って演じ続ける。それは彼女の醜態を見たグレイですら、先日のは見間違いかと思うほどだ。


 しかしその背はとても寂しそうで、思わずグレイは手を伸ばした。


「……大丈夫か?」

「…………」


 呟くように言ったグレイの言葉に、ハクアはふと足を止めた。


「……ううん。大丈夫じゃないよ」


 ハクアは取り繕ろわなかった。


「ああ。だろうな」


 グレイだから、ハクアは正直に告げていた。

 振り向いたその顔は、先ほどまでの姫騎士のものではない。ハクアのものだ。


「……俺にできることがあったら言ってくれ」

「……あなたは、優しいね」

「別に。そうでもねえよ。見てられなかっただけだ」

「……じゃあ、ちょっとだけ、愚痴とか、言って良い?」


 ハクアは自分の弱い部分を見せていた。

 先ほどまで被っていた姫騎士の仮面を外し、本当の己をさらけ出す。


 ハクアは普段徹底的に隠しているそれをグレイにのみ見せて、楽になろうとしていたのだ。


「ああ。それぐらいならいくらでも」


 だからグレイは、笑ってそれに応えていた。



 ◇



 貧民街の住宅地。非常に入り組んだ路地裏の奥に、グレイの家はあった。

 ハクアは姫騎士ではないその姿を誰にも見せたがらず、故に二人きりになれるグレイの自宅を訪れる。


 ハクアにとって異性と一つ屋根の下で二人きりなど初めてのことで、緊張した面持ちでグレイの家に入っていた。


 中はとても綺麗に整頓されていて、物が少ない。

 グレイのイメージとは合わない家だ。


「一人暮らし?」

「ああ。親は死んだし。兄弟もいないし。ずっと一人だ」

「そうなんだ」


 勧められた椅子に座り、部屋をキョロキョロと見渡す。とても物珍しそうな顔だ。

 そんなハクアに、グレイは茶を出し対面に座る。


「調子はどうだ?」

「……あんま、良くない。今日は、怖かったから」

「戦うのがか?」

「うん……」


 先ほどの暴れ回った姿と一変するように、ハクアはコクリと頷いた。

 あれほどの強さでギャング達を蹴散らしていたハクアも、その内側は非常に弱い。

 簡単に倒せる相手であっても、戦いというのは怖いものだ。


「確かに、あいつら悪意の塊みたいな奴らだからな。わかるぜ」

「うん。とても、怖い人達」


 ブルリとハクアは震えた。


「あんな怖い人達と戦うのは、嫌」


 それは姫騎士が決して言ってはいけない台詞だ。だからこそずっと心の奥底に封じ込めて、言わないようにしてきた。

 それをハクアは、グレイだから言うのだ。

 彼はそんな姿を見たとしても、幻滅することはないから。


「グレイは、怖くないの?」

「……昔は、怖かったな。まあ慣れたよ。いちいち怖がってたら、誰かが死んじまうからな」

「そっか。凄いね。私は慣れない。最初からずっと怖い。怖くて怖くて、たまらない」


 顔を青くして、うつむきながらハクアは言う。


「私も、早く慣れたいな。そしたら、この苦しみも、なくなるかな」

「……そうだな。慣れたら、それが良いかもしれない」

「うん」

「でも、こんなの慣れない方が良いんだ」


 ハクアの言葉を肯定しつつも、グレイは首を振った。

 戦いの恐怖に慣れることは、確かに戦士にとって大切だろう。しかしグレイは、慣れた今だからこそそれを言う。


「戦いなんてくそったれだよ。どうしても誰かが傷ついて、死ぬんだ」


 グレイは戦いを恐れないし、逃げることはない。だが戦いが素晴らしいものなんて思ったことはなかった。

 戦闘なんて起こらない方が良いし、みんな笑顔で平和なのが一番良い。

 しかし世界はそうなっていないから、守るために戦うしかなかった。それがグレイの戦う理由だ。


「あなたは、そう言うんだね」

「ああ。そうだな」

「とても、良いね」


 グレイの言葉に、ハクアはほっと息をついていた。

 やはりそう言いつつハクアも慣れたくなかったのだろう。ハクアの思いに、グレイの言葉が刺さるのだ。

 本来出会うはずがなく、住む世界も違うのに、なぜかこの時間がハクアは一番安心できた。


 張り詰めていた心が解けていくようで、お茶を飲むたびにすっと力が抜けていく。


「グレイ……」

「んっ!?」


 そしてポツリとハクアは名を呟き、グレイはビクっと反応して目を見開いた。


「ん。どうしたの?」

「あ、いや。それはこっちの台詞だろ」

「……別に、何でもないよ」

「そ、そうか」


 今までずっと、あなたと言っていたのに急に名前を呼ばれると驚く。そしてただ名前を呼んだだけ、というのもグレイの心をからかうようだ。

 別に他人から名を呼ばれることなんて普通のことなのに、ハクアだけはどうも違う。


 白くて綺麗な瞳がじっとグレイを見つめていて、そんな彼女にだけはあまり平常心でいられなかった。


「私のことも、姫騎士は、止めて」


 ふと、ハクアはそんなことをグレイに言う。それにドキっとするのはグレイだ。

 つまり彼女は呼び名を改めろと言うのだ。


「それは、えっと……ハクア?」

「ん。そう」


 グレイがそう呼べば、ハクアは満足そうに頷いた。


「良いのかな……。ハクア様とかの方が良いか?」

「だめ。ハクア。様はいらない」


 ハクアは敬称をつけることに、断固拒否の姿勢を示した。


「グレイに礼儀とか、求めてない。すでに打ち首ぐらいの、態度取ってる」

「そ、そうか。それは、何か。すまん。もっと勉強しとくわ」

「良い。それが、私にとって心地よいから」


 グレイにしてみればただ学がないだけだが、ハクアにとってはそれが心地よかった。

 何も気負う必要がなく、姫騎士でなくても良い。その時間はグレイという存在の様々な要素によって生み出されたものだ。

 ここで態度を改められると、全てが狂ってしまう。


「……はあ。ここ、良いね」

「ああ。なら良かった」


 穏やかな時間が流れていた。

 適当な会話をしたり、愚痴を吐いたり。傍から見れば何ともない普通の時間だが、ハクアにとっては特別だ。

 ずっと張り詰めて生きてきたから、息が抜けるこの時間がとても良かった。


「また、来て良い?」

「ああ。いつでも来い。歓迎するよ」

「ふふ……ありがとう、グレイ」


 グレイのその言葉に、ハクアは嬉しそうに微笑んでいた。

 ずっと無表情だったハクアの顔に、喜の感情が浮かんでいる。

 それはとても可愛らしくて、誰しもを魅了する笑顔だった。


「……ハクア」


 その笑顔に魅了されるのは、グレイとて例外ではない。

 ふと口をつくように、ハクアの名前を呼んでいた。


「ん。どうしたの?」

「っ、何でもない」

 

 グレイは慌てて訂正し、首を振る。しかし彼女への視線だけは逸れなかった。

 姫騎士ではなく、ハクアという少女の微笑みに、グレイの視線は釘付けだった。

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