第六話 姫騎士の仮面

 会議というのは得てして退屈なものである。

 姫騎士ハクア・G・クリスタであっても、それは変わらないものだ。


 周囲が白熱した議論をしている中で、ハクアは黙って椅子に座っていた。


「…………」


 ハクアは会議の内容を情報として頭にいれながら、考え続ける。

 その脳裏を巡るのは、先日の一件だった。


 貧民街東地区の主、グレイによって捕縛された大量のギャング達。

 王都を混乱させた犯罪者はその多くが檻の中に入り、違法薬物もグレイの協力があって大凡押収することができた。


 故にハクアもグレイとした約束を果たさねばならないだろう。

 罪なき人を殺してしまった、騎士としての償いをしなければならない。

 一つ息を吐き、そろそろかと覚悟を決めていた。


「――ということで憎きアザール帝国に現在動きは見られず、国境の警備は変わらず厚くしますが、過度な心配はいらないかと存じます」

「うむ」


 国境付近の警備を担当する第三騎士団の団長が、会議で報告を終える。

 ここにいるのは各騎士団の団長クラスに、大臣、そして国王。要人達しか参加できぬ会議である。


 その中でずっと黙っていたハクアは、雰囲気が変わったのを察知し、国王へ視線を向けた。


「時に、ハクアよ。貧民街の件だが――」


 会議が終わりにさしかかった頃、ハクアに向かって静かに問いかけたのは国王だ。

 最高級品で全身を固め、鋭い目をした初老の王は、その目に僅かな怒気を宿している。

 長い髭を触りながら、問い詰めるよう口を開いた。


「全て消せと命じたはずだが……変わらず貧民街はあるではないか」

「……陛下。その件について。進言したい、ことが、ございます」

「ほお……まさか、貴様に対処できぬ問題でも起こったとでも?」

「…………」


 下手な言葉は王の逆鱗に触れるだろう。

 一瞬躊躇したハクアであるが、脳裏を過った先日の約束に突き動かされるよう言葉を紡いだ。


「あそこに住むのは、大半、罪なき人です。私の任務は、違法薬物の撲滅。貧民街の掃討はやり過ぎかと」

「…………」

「大本の犯罪者は、全員捕らえました。これからも、違法薬物の根絶に勤めます。……貧民街の全てを消すのは、考え直して、いただきたいです」


 ハクアの言葉をじっくりと味わうように聞き、国王は目を細める。

 周囲の者達も両者を視界に入れながら、事態を静観していた。


「なるほど。それが貴様の進言か」

「はい。あそこで出会った者は……決して……悪い人ではなかったです」


 貧民街を守るために立ち塞がった青年は、殺すべき悪には見えなかった。

 その背の向こうには人々の生活があり、焼き尽くして良いものではない。


 悪を滅する騎士として、貧民街の全てを消すなどあってはならないことだろう。


「……あそこに住むのは、大半が劣等種たるマヌル人だ」

「陛下……?」


 王の言葉はどこまでも平坦だった。


「汚い黒の瞳を貴様も見ただろう。魔術も使えぬ劣等種が、死んだとして何の問題があるというのだ」

「っ……」


 どれだけ言葉を尽くそうと、それが王の耳に届くことはない。

 王は貧民街の住人など、民として見ていないのだ。


「時代の流れで解放したとはいえ、マヌル人は元々奴隷だ。ゴミと変わらぬ」

「陛下! それは、言い過ぎかと……!」

「否。控えろハクア!」

「……!」


 怒気をはらんだ王の言葉に、ハクアはそれ以上何も言えなくなる。

 場は王が完全に支配していた。


「貴様が思考をする必要はない。我の命令に粛々と従っていれば良い」

「……っ、はい」

「うむ、良い子だ。そうして王の剣としてあり続けろ」


 目を伏せて、その言葉にハクアは従う。

 体を硬直させ、恐怖を抱くように思考を停止させていた。


 グレイによって呼び起こされたものが、静かに消えていくように、ハクアは無になっていく。

 

「ではマヌル人を消せ。国家を乱した劣等種を殺すことは罪にならぬ。あちらが先に罪を犯した以上、正義はこちらにある。更地にしろ。貴様ならできるはずだ」

「…………」


 王は貧民街を住人もろとも消し去れと宣言し、最後に残った良心でハクアは沈黙する。


 ハクアは己の手を見つめた。

 内に秘める歴代最強と謳われた魔術があれば、一夜にして貧民街を焼き払えるだろう。

 誰一人として逃さず、皆殺しにすることも可能だ。


 しかし、それをすればハクアは――


「お待ち下さい陛下! 此度の件、もう少し熟考すべきかと存じます」


 突如立ち上がり、そう言って場の空気を一変させたのは一人の男だった。


 恐らく三十歳ほどであり、その立ち振る舞いには隙がない。年齢を感じさせない端正な美貌に、一目で実力者とわかる男は、ハクアに味方するよう進言していた。


「レインクルトよ。我に意見するのか」

「ええ。陛下の言葉は疑いようなき真実でございますが、皆殺しするとなれば国民や他国からも厳しい視線が飛んでくるかと」

「ふむ……」

「ここは決断を急ぐべきではないかと存じます」


 レインクルトと呼ばれた男は、国王を諭すように言葉を尽くす。

 ハクアの言葉は一蹴した王も、彼の言葉には耳を傾けた。


「……まだ足りぬか・・・・・・。ではハクアよ、此度の任務は一時的に取り下げよう。今後は違法薬物の撲滅に力を入れよ」

「仰せの、ままに」


 礼をする中でほっと息をつき、ハクアは最悪の事態は回避できたと胸をなで下ろしていた。



 ◇



 会議が終わり、会議室からは続々と人が退出していく。

 その中で最後まで残ったハクアは、全員いなくなってから立ち上がった。


「やあハクア。大丈夫だったかい?」

「……!」


 会議室から出たハクアに声をかけるのは、先ほど味方してくれた男レインクルトだ。


「殿下……」

「その呼び方は寂しいな、ハクア」

「……兄様」


 ハクアがそう呼べば、レインクルトは満足そうに頷いた。

 彼こそがクリスタ王国第一王子にして、ハクアの兄。故に先ほど味方をしてくれたのだろう。


「父上も困ったものだな。マヌルの民をどうにも毛嫌いしている節がある」

「そうですね」

「元々はマヌル人も父上の協力者だったはずなんだが……まあ父上が暴走しそうになれば僕が止めよう」

「お願いします」


 尽力を約束してくれたレインクルトに対し、ハクアは頭を下げて礼をする。

 貧民街の全てを消すという最悪な展開は、彼がいれば回避できるだろう。


「それで、大丈夫かなハクア?」


 そしてレインクルトは話を変え、ハクアを心配そうに見つめていた。


「は、はい。何の問題も、ありません」

「そうかい? 何だか苦しそうだったから」

「っ……」


 レインクルトの言葉に対し、ハクアは息を呑んだ。

 そして己の頬を触り、返答する。


「大丈夫です。少し、疲れているの、かもしれません」

「なら休みなさい。君が倒れたら多くの人が困ってしまう」

「……そうですね」

「しっかり休んで、姫騎士として頑張ってくれ。僕も協力しよう」

「はい……ありがとうございます」


 ちゃんと取り繕えているだろうか。

 無表情の裏側で、ハクアはそんなことを考える。


「今日は、休ませて、いただきます」

「ああ。何か困ったことがあれば、言ってくれ」


 レインクルトの気遣いに再度頭を下げ、ハクアはその場を後にする。

 そしてすぐさま自室へと向かい、鍵をかけた。


「…………」


 フラフラとした足取りで、大きな鏡の前に座る。

 そこに映る少女は、人形のように美しく空っぽだ。

 息を止めて黙っていれば、人であるとわからないかもしれない。


「ちゃんと、姫騎士であれ」


 鏡の中の己を見つめ、ハクアは呟く。


「国を守護する、最強。それが私。正義の、騎士。王国の、剣。であり盾」


 それは言い聞かせるような、たどたどしい言葉だった。

 己の中の何かを殺して、ちゃんと姫騎士であろうと望むような言葉だ。


「ちゃんと、やれ」


 最後にハクアはそう暗示をかけて、目を閉じた。


 姫騎士ハクアは完璧で、戦い続け、勝ち続ける英傑だ。

 しかし今のハクアは、果たしてそう言えるだろうか。

 顔を引きつらせて、鏡を見つめる少女が完璧な姫騎士とは到底思えない。


 つまり偶像としてできあがった姫騎士と、ハクアという少女には乖離かいりがあるのではないだろうか。


「はぁ……頑張らないと」


 消え入りそうな声で決意するハクアは、やはり苦しそうだった。


 ハクアは確かに姫騎士にふさわしい力を持っている。

 しかし持っているのは多分力だけだ。


 その証明に、鏡に映るハクアの顔は死人のように感情が抜け落ちていた。


「ああ――あの人は、グレイは……なんで立ち向かえるんだろう」


 脳裏を駆けた、一人の青年の姿を幻視する。

 どんな者にも立ち向かい、全てを背負って戦う男。


 本当に凄くて、羨ましい姿だ。

 あの精神がとても欲しい。

 そうすればハクアは完璧な姫騎士になれるだろう。


 そう願うが、そんなものはない。

 ハクアが持っているのは力だけで、それ以外の全てが英雄姫騎士足り得ないのだ。


 ハクア・G・クリスタは人々が想像するような完璧な騎士ではない。

 今この時見せているハクアが、本当の姿なのだろう。


「……しんど」


 だからハクアはそう呟いて、目を瞑った。

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