第五話 正義の決闘

 王国騎士団ともなれば、支部にも訓練場が存在する。

 大金をかけたであろう雄大な訓練場が、二人の決闘の舞台であった。


「ガイデル様が決闘をするらしい」

「貧民街のゴミ屑とだろう。マヌル人にあの人が負けるはずがない」


 訓練場での決闘となれば、観客も多くいる。

 騎士達は最下層の存在である貧民街の住人をゴミ屑と認定し、グレイが負けることを切に願う。

 騎士とはもれなく貴族なため、選民意識が強いのだろう。


「グレイが決闘だってな。まったく困った奴だ。しかし、俺も騎士には怒っている!」

「グレイさん大丈夫かね」

「まあ大丈夫だろ」


 同行してきたグレイの仲間達は、場の空気に反するようお気楽な態度だった。

 グレイが負けることを想定しておらず、勝てると確信しているのは長い付き合いだから。

 如何にグレイが化け物かを、仲間達はよく理解していた。


「ごめんなさい」


 そんな状況の中で、ハクアはグレイに謝罪していた。


 訓練場の中心でウォーミングアップをするグレイに対し、ハクアは誠意を見せる。

 その顔を見れば本心からしているものとわかり、彼女が他の騎士と根本的に違う存在なのだと理解できた。


「ガイデルが罪なき住人を殺してしまったことは、責任者として、謝罪します」

「……お前は、謝ってくれるんだな」

「うん。私だけ。ごめんなさい他の者達は、反省していない」


 ガイデルの様子を見る限り、そうだろう。

 貴族階級の者達がマヌル人を人として見ていないのはグレイも知るところであり、それを殺したところで反省することはない。


 このハクアの行動の方が、彼らにとっては異常と言えるだろう。


「ガイデル達は私の、直接の部下じゃないから……言うことを、聞いてくれない」

「……そうか」


 高名な姫騎士であるが、いろいろ悩みもあるのだろう。

 だとしても二十代後半であろうガイデルの謝罪を、まだ十八程度の少女がするのも変な話だ。


「彼は今回の作戦のために、第二騎士団から、借り受けた人。私は特殊だから、部下はいない」

「……複雑だな。まあ、お前の謝罪は受け取った。騎士も悪い奴らばかりじゃないって思えたよ」


 そう言ってグレイは立ち上がり、剣を抜いて訓練場の奥を睨む。


「――ふっふっふ。待たせたな」

「来たか」


 グレイの準備が整ったところで、どこかへ行っていたガイデルは姿を現した。

 武具を良い物に変えてきたのか、先ほどと装備が違う。しかしその程度ではグレイに勝てまい。


「地獄を見せてやる。マヌル人が!」

「…………誰よりも汚いな、ガイデル」


 決闘は訓練場の中央で行われる。

 多くの騎士や兵士、そしてグレイの仲間達。そんな観客達に囲まれて、始まるのだ。


「礼儀がなってないな。さすがは猿だ。死んでも文句を言うなよ、マヌル人」

「ああ、もちろんだ。姫騎士、止めるなよ。一番謝罪して欲しいやつがこんな態度だ。俺は、止まらない」

「う、うん……」


 最後までこの戦いに悲しげな顔を見せていたハクアに釘を刺し、今から始まるのは決闘という名の殺し合い。

 互いの正義に基づき始まるものだ。


「さあ、始め!」



 ◇



 ガイデル・グレンバードは己を至上の人間だと自負している。


 偉大なるクリスタ人の貴族に生まれ、魔術の腕は天才的。将来は騎士団長になるだろうと誰もが期待する人物だ。


 そんな彼にとって、貧民街とはまさに最下層の人間が生きる掃き溜めである。

 かつて家庭教師に教わった歴史の授業では、マヌル人がいかに悪逆だったかを聞かされ育った。


 それを百年前、偉大なクリスタ王国が打ち滅ぼし奴隷としたのだ。

 結局三十年前の内戦で解放されたが、彼らは解放されても王都の外でたむろし、違法薬物を生み出して王都を混乱させた。


 まさに悪だ。

 なぜハクアが彼らを助けようとするかが理解できない。

 これほどまでにわかりやすい倒すべき悪はいないだろう。

 もはや皆殺しにして、マヌル人という人種を根絶やすべきだと断言した。


「国を乱すマヌル人を処分するのは、騎士の役目だ――」


 正義が人を狂わすのだ。

 ガイデルにとってグレイを殺すことは、この世界を救う正義に他ならない。


「マヌル人マヌル人うるさいな。俺はお前に何かしたつもりはないぞ」

「はっ。かつて悪の限りを尽くした猿が戯れ言を吐くな! そもそもで罪の人種なのだ!」


 ガイデルは醜悪に笑い剣を構えた。

 それは己の正義を決して疑わぬ態度だ。


「……貧民街のじーさんは言っていたな。勝者が歴史を作るのだと」


 そんな彼を見て、グレイはボソっと呟く。

 刷り込まれたものを盲信する姿は、いっそ哀れにも見えるだろう。


 ガイデルはグレイの冷めた視線に気づけない。

 グレイを倒すために、全身に力をこめた。


「マヌル人とはクリスタ人に及ばぬ劣等種だ」

「酷い言いようだ」

「我らクリスタ人は燃え上がるように綺麗な赤い瞳を持つ。対してマヌル人は闇の色である汚い黒い瞳を持つ。瞳の色で、両者の差がわかるだろう」

「ただの目の色じゃねえか」


 二つの人種の違いを叫んだガイデルだが、グレイにしてみれば瞳の色が違うという事実しかわからない。

 そこに大した差はないだろう。


「その上で、マヌル人はクリスタ人に及ばない決定的な違いがある! ではなぜマヌル人が劣等種かをその体に教えてやる!」


 ガイデルから紫色のオーラが立ち上る。


「特別なクリスタ人の、さらに特別な者にのみ許された力がある。マヌル人がどれだけ渇望しようと届かぬ力〝魔術〟だ」


 ガイデルを守るように透明な膜が展開される。

 そして火の玉が周囲に数十個浮かんでいた。


「魔術を使えぬから、マヌル人は劣等種なのだ――」


 恐ろしいほどの魔術の練度。なるほど、これほどの力があれば騎士団の中で出世もするだろう。

 己を守るバリアを展開しながら、数十の火の玉を生み出すのはさすがの一言。


 だがグレイの目はその歪みを見抜いていた。


「……お前もしかして」

「ガイデル! それはルールいは――」

「ハクア様! これは正義の行いです。口を挟まぬようお願いします」


 グレイが見つけたその違和感を、ハクアも気づいたのだろう。それを止めようと声を上げるが、ガイデルは一蹴する。


「良いのか? 上司の言葉を無視して」

「ハクア様は力はあれどまだ幼き身。その判断は間違うことも多々あるのだ」


 上司であるが、十歳以上年の離れたハクアの言葉だからガイデルは聞き入れないのだろう。

 何なら幼く無知な娘を、教育しているとすら思っているはずだ。


「……さあ、死ね――『火炎球』」


 無数の火球がグレイへと迫る。

 十を超えた火の球から、常人が逃げる術はない。


「卑怯なことして、この程度か」


 グレイは剣をすっと横に振った。


「……あ?」

「これが十人がかりの魔術かい? ガイデル君」

「っ!」


 グレイの剣は迫りくる火の球を軽々と切り裂いていた。

 その剣術はもはや常人の域を超えており、これが学もない貧民街の住人などと到底思えぬ練度だ。


「魔術が使えないマヌル人だからって、舐めたな。その火の球は

「――!」


 グレイの言葉に、ガイデルの顔が歪んだ。


「確かに俺達マヌル人は魔術が使えない。だけど知識がないわけじゃない」


 グレイの知識と照らし合わせれば、無数の火球は明らかに人一人が扱える範囲を超えていた。

 つまりガイデルの背後で観戦している騎士十名、彼らが火球を放ったのだろう。


 魔術が使えず、見る機会もほぼないマヌル人相手なら誰が魔術を撃ったかなんてわからない。大抵の場合通用するだろう。

 しかしガイデルにとって運の悪いことに、グレイは魔術についてある程度の知識があった。


「……はっ、それがどうした。一対一の決闘などとは明言されてない!」


 バレたとしても、ガイデルの態度は変わらなかった。

 ただの決闘とだけ取り決めがあり、仲間を呼んではいけないというルールは確かにない。


「ああ、そうだな。ならばこうしよう」


 ガイデルの屁理屈に、グレイは特に怒ることもなかった。

 それどころかプレゼントを贈るように、剣を地面に捨てる。


「なに?」

「そこまでして勝ちたいならハンデをやる。俺は素手でやろう。嬉しいだろ」


 どんな卑怯な手を使ったとしても勝利を渇望するガイデルに、グレイはハンデを用意した。

 武器を捨てるというハンデは、彼が一番望むもののはずだ。

 しかしその態度の意味がわからない。


「……何を企んでいる」

「さて、じゃあ一応聞いておくか」


 ガイデルの問いかけを無視し、グレイは鋭く睨みつける。


「罪なきマヌル人を殺したことを、謝罪する意思はあるのか?」

「マヌル人自体が罪を抱えた悪逆たる人種だ。なぜ謝らねばならない」


 ああ。そう言われるのは想定していた。

 だけどとても、悲しいことだ。


 少しでも謝罪の気持ちがあるならば、手心の一つでも加えただろう。

 例え取り返しのつかないことだとしても、涙を呑んで未来のために怒りを静めた。

 だけどガイデルがあくまでもそれを正義と言うならば、グレイもまた正義に基づき行動する。


「なら――あいつらが受けた痛みを味わってもらおう」


 ――多分ハクア以外、誰もそれを知覚できなかった。


「――剣は駄目だ。俺の思いが全て乗らない」

「ぶふっ――」


 気づけばグレイの膝が、ガイデルの顔にめり込んでいた。

 数秒後、観客達は目にもとまらぬ膝蹴りをガイデルは食らったのだと理解する。


「俺達を散々馬鹿にしやがって……舐めんじゃねえよ」

「ぐぶ、ごほっ。や、やべ」

「ウェンデル達を殺した感覚はどうだった? さぞ気持ちよかっただろう。悪を倒す騎士の気分を味わえて」


 倒れ伏したガイデルを踏みつけながら、グレイは問いかける。


「正義は良いよな。行動の全てを肯定してくれる」

「た、助け――」

「ただウェンデルも、ガースも、アルトも、クレインも、ジャスの野郎も全員悪い奴じゃなかった」


 死した者達の名を呼びながら、一発、二発とガイデルを殴る。

 騎士達が正義のつもりで殺した者達は、法を犯したこともなく、みんなを守るために見張りをしていた善人だった。

 決して殺されていい人間ではない。


「お前達にも事情があるのはわかっているさ。奴らも見張りをしていた以上、戦って最悪死ぬことも覚悟している。でも、侮辱していいわけないだろ」

「ごぺ。ごふっ。いた、い。助け」

「あいつらの死体、凄惨だったぞ。遊んだだろ。殺して、壊すことを楽しんだだろ。なあ!」


 グレイの目は怒りに満ちていた。

 仲間を殺すだけにあきたらず、正義を振りかざして遊んだガイデルを許していない。

 その怒りのままに、殴る。


「やべっ。で、ごめ、ぶぐふっ」

「許せねえよな。だから俺も、正義に基づいてお前を殺そうか」


 場の空気は、完全に重く沈んでいた。

 マヌル人だと馬鹿にしていた騎士達は、血の気が引いたような顔でその惨状を見つめている。


 グレイにとって大切なものを傷つけたらどうなるか。この場にいる全員がその結果をまざまざと見せつけられていた。


「止めて……」


 故に唯一動くことができたハクアが、グレイの腕を掴む。

 今にも泣きそうな顔をしたハクアが掴まなければ、ガイデルは殴り殺されていただろう。


「姫騎士……」

「罪なき人を殺してしまったことは、騎士団の理念に反する重罪。いかなることも、罰として受け入れる。だから、許して、ください」


 ハクアはグレイに対し、深々と頭を下げた。

 王女であり、姫騎士たるハクアが頭を下げるなどありえぬこと。たとえ非があったとしても、その頭は軽々しく下がるものではない。


 それをハクアは下げ、最大限の謝罪をした。

 その思いはグレイに伝わる。


「……ならもう二度と、同じ過ちを繰り返すなよ」

「約束します」


 グレイはすっとガイデルから手を離すと、立ち上がった。

 殺してしまえばややこしいことになり、結果的に貧民街を危険に晒すことになるだろう。

 だから怒りを鎮めて、姫騎士の顔を立てて、場を収めた。


「帰るぞ」

「お、おお」

「グ、グレイさん待ってくれ!」


 グレイが立ち去る後ろ姿を、騎士達は呆然と見送ることしかできなかった。


 ありえぬほど強く、あまりにも恐ろしい。

 今日この日、貧民街最強の剣グレイの名が、全員の胸の内に刻まれた。

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