第一話 貧民街最強の剣
大国であるクリスタ王国の王都。そこにある貧民街ともなれば、間違いなく魔境である。
都市計画など何もなく、乱雑に建てられた家々が立ち並び、ふと見渡せば当たり前のように薬物患者が歩いている。
ギャング共が幅を利かせ、人殺しなど日常茶飯事。王都を囲む壁の外にある貧民街に、秩序なんてあるわけがない。
ここは国家の治安維持部隊すら立ち入らぬ場所、まさしく魔境と言うべきだろう。
しかし何事にも例外はあるのか、貧民街において唯一秩序が保たれた地帯があった。
「ま……今日は平和だな。良かった良かった」
そう呟きながら家々の間に存在する狭い道を歩くのは一人の青年だ。
歳は十八程度だろう。ここらで見ることのない学帽を被って黒い外套を羽織り、一本の剣を携えている。
目的のない歩みに見えて、その実周囲を隈無く観察していた。
「あ、グレイさん! お疲れ様です」
こうして青年グレイが歩いていれば、仕事をしていた貧民街の住人達は手を止めて話しかけてくる。
「おお。精が出るな」
「はい! グレイさんのおかげですよ!」
額に汗を流しながら仕事をしていた住人達は、そう言って楽しそうに笑った。
魔境と言われる貧民街において、多くの者達が真っ当な定職にありついているのは異常な光景だ。
ギャングに所属しているわけでもなく、薬の売人をするわけでもない。殺しなんて一切しないし、皆誇れるような仕事しかしていない。
その要因こそ、フラフラと歩いている青年グレイだった。
「飯は食えてるか? まだガキは小さいだろ」
「大丈夫です。うちの子もずっと走り回って、将来は騎士になるんだとか言ってます」
「そうか。ならいい。全部俺が守る、安心しろ」
「はい、グレイさん!」
グレイのことを、一回りも二回りも年上の者達が、キラキラとした目で尊敬していた。
貧民街において、そんな彼の存在を知らぬものはいないだろう。
グレイが歩けば、今まで喧嘩をしていた者達は一瞬で殴り合いを
薬物患者は薬をゴミ箱に投げ捨てて、悪い商売をしていた露天商は直ぐさま店を畳んで逃げ出すだろう。
グレイによって貧民街の秩序が保たれているといっても過言ではない。
未だ歳若き青年だというのに、悪人達はグレイを前にしただけで借りてきた猫のように大人しくなる。
魔境と言われる貧民街にあって、彼の縄張りだけが平和だった。
悪人達には恐れられ、善良な住人達には慕われる。
それが貧民街の東地区の主、グレイという青年だ。
グレイにとって貧民街とは、かけがえのない故郷である。
苦しいことも、死にたくなるようなこともあった。それを覆い隠して幸せと言えるのは、仲間達がいたからだ。
仲間達と共に必死に生きて、鍛え続けたその果てに、気づけば貧民街最強にまで至っていた。
そして気づけば東地区を支配する立場まで上り詰め、気づけば守るものが沢山できてしまった。
その道程は決して忘れることなき日々だ。
その過程で背負った全てを守るために、グレイは今日も全力で生きる。
もしこの平穏を壊す者がいるならば、決して許すことはないだろう。
それは断言できる彼の信念だ。
「……今日も平和だな、ゴーズ」
「ですね兄貴。八年前のことを考えれば見違えましたよ」
治安維持のための見回りを終えたグレイは、今日も大きな問題が起きなかったことに一息つく。
それに部下である男も同意した。
荒れに荒れていた貧民街に少しの平和をもたらして早数年になるが、かつてを思えばこの日々も夢のようだ。
それも全て死ぬ気で頑張ってきた成果だろう。
「子供達が元気に遊んでいる光景を見られる日が来るってのも感傷深いな」
「俺達はギャングに追い回されてましたからね」
「はは。だな」
グレイの視線の先には、数名の子供達が走っている姿がある。
追いかけっこでもしているのだろう。そういう遊びができるようになったのも、ここ数年。
グレイが目指した平和な貧民街は、確かにここにある。
「何か問題とかは起きてねえかゴーズ?」
「そうっすね。まあ西地区のギャング共が最近動きを活発にしてたり。最近珍しく騎士を見かけるようになったってぐらいっすかね」
グレイの問いかけにそう答えるのは、部下の男。ゴーズと呼ばれた二十歳ほどの男だ。
ずんぐりむっくりとした体型に、非常に悪い目つき。一瞬極悪人かと思うほど悪い人相であるが、その実非常に優しく有能な男だ。
情報通であり、貧民街の情報は彼に聞けば大抵わかると言われるほどだった。
「なるほどギャングか。まあ、手え出してきたら俺がやるわ」
「兄貴がいれば百人力っすね」
ゴーズは当たり前であるとばかりに頷き、強大なギャング組織を恐れる様子は微塵もなかった。
それは一重にグレイに多大なる信頼を寄せているからだろう。
「問題は騎士の方っすよ。あいつら俺達に一切関わらなかった癖に、最近急に貧民街で見かけるようになったっす」
「
「そうっすね」
それはあり得ぬだろうとグレイは首を振る。
ここは騎士どころか兵士すらまともにやってこない見捨てられた地だ。どれだけ殺しが起ころうと、彼らはそれを一切無視する。
治安維持という職務を放棄し、貧民街をゴミの掃き溜めと
国家の部隊が来たということに覚えるのが不安というのも変な話だが、それが貧民街にとっての王国騎士団という存在だ。
「奴らは俺達のこと嫌いだから……何するかわかんねえな」
「不安っすね」
「まあ犯罪者でも逃げ込んだから捕まえに来た、とかだろ。それに何があろうとここは俺が守るよ。安心しろ」
貧民街の一帯を支配するようになってから、何度も問題は起きてきた。ギャングと戦った回数だって数え切れない。
故に今さらこの程度の問題で慌てることはなかった。
「けど気をつけてくださいね。来たのは王国騎士の精鋭。それに〝姫騎士〟を見たって話もあるっす」
「む……姫騎士。噂に聞く王国最強か」
姫騎士という単語に、グレイの眉は初めてピクリと動いた。
その名は学がないグレイであっても知っている名だ。あまりに伝説を打ち立てすぎて、王国において知らぬ者はいないとまで断言できる存在だった。
学がない貧民街の孤児すら知っていると言えば、その存在のデカさも伝わるだろう。
「騎士。それも姫騎士がここに来るって何があるんだ……」
「大丈夫っすかね?」
「まあ……言ってるだろ。俺が守る。姫騎士だろうが関係ない」
最悪の事態になったなら、国家の部隊とすらグレイは戦うと断言した。
クリスタ王国が誇る騎士団を相手して、勝てるなんてただの妄言だ。しかしそれを成してくれるという雰囲気をグレイは持っていた。
大切な場所を守るために、グレイは決して揺れ動かぬだろう。
たとえどんな敵を相手したとて。
「ここは俺の大切な場所だ。誰にも壊させやしないさ」
子供達の声が聞こえる。
大人達が働く声が聞こえる。
鳥のさえずりさえも聞こえるだろう。
荒れに荒れた貧民街を、みんなが笑顔でいられる場所までグレイは立て直してきた。
大切な仲間達との場所だから、グレイ守り抜く覚悟を誓う。
「まあずっと放置されてたっすからね。多分大丈夫っすよ」
ゴーズが暗い空気を払拭しようと、そう言った瞬間だった――
――ドンっという衝撃と共に、巨大な何かが倒壊するような凄まじい音が聞こえてきた。
「きゃああああああああああ!!」
空を見れば煙が上がり、それと同時に悲鳴が貧民街に響き渡る。
空気が一気に変わった。
「っ何だ!?」
「しゅ、襲撃っすか? ギャング共!? いやあいつらはここまで」
「見てくる。お前は避難誘導だ」
「はいっ!」
ゴーズが慌てる横で、グレイは冷静に指示を出して走り出す。
爆音が聞こえた方向に、脇目も振らず一直線。何が起こっているかはわからない。だが考えるより先に、実際に目で見て確かめるべきだと足を止めなかった。
すると見えてくるのは逃げ惑う人々だった。
「おい、何が起こっている!」
「グ、グレイさん! 騎士だ! 騎士がやってきて俺達を攻撃してきた!」
「何だと……!」
グレイはその言葉に目を見開き、何が起こったのかと脳を高速回転させる。
ゴーズが言っていたことは事実であり、本当に騎士達が来たのだ。そして攻撃してきた。
その意味はまるでわからない。
犯罪者でも紛れ込んで捕まえに来たのかと思っていた。
だが聞くほどに、それは違うと直感する。
「お前らは逃げろ。俺が何とかする!」
「お、お願いします!」
老若男女関係なく、貧民街の住人達は混乱に落ちていた。
それをなしたのは突如としてやってきた国の騎士達。どんな理由があるかは知らぬが、許せることではない。
グレイは走り、貧民街の入り口に到着する。
そこに広がっているのは地獄絵図だった。
「徹底的に消せ。ゴミ掃除の時間だ!」
「「「はっ!」」」
同じ装備を身につけ、統率の取れた集団は、建物や人々に対して火の球や風の刃を撃ち放っている。
その顔は快楽に満ちており、ここを壊すことを正義と確信しているのだろう。
「犯罪者は皆殺しだ! これは崇高なる任務である!」
彼らは何度目を凝らしても、クリスタ王国が誇る騎士団に見えてしまう。
それは国民を守護するはずの騎士としてあるまじき姿だ。
犯罪者を捕らえに来たのなら、こんなことをするはずがない。だって彼らが攻撃しているのは、罪なき普通の住人だ。
こんな光景嘘であって欲しかった。しかし現実がグレイに突き付けてくるから、受け入れるしかない。
「取りあえず、今すぐ止めろ!」
そう叫んで、グレイは数十人の騎士の集団に躊躇なく突撃した。
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