第3話 老賢者

 僕は、西の賢者の街への一行に見物目当てで参加していた女性と、何回か一行を抜け出して近くの街に遊びに出た。そうして、何回目かのときに相手が怒ってしまい、一人帰って行った。それが西の賢者の街に着くほんの少し前で、そのすぐ後に僕は悪霊に取りつかれて街路の近くの村の霊療院に入った。

 霊療院では屋敷に閉じ込められ、外に出ることも許されなかった。

 僕はすぐにでもここを出たいと思ったから、なんとか廊下に開いていた窓から自分の伝書鳩を呼び、故郷の実家に手紙を飛ばした。

 そうすると、すぐに退院の許可がおりた。

 そうして一行に追いつく頃には、ちょうど西の賢者の街に着く頃だった。

 この頃僕は、葉書を通して遠い異国の戦争のうわさを聞いていた。


「それでは、ここで西と南と東の賢者の街に分かれる、長旅ご苦労だった、今日これから門を潜って街の中に入るが、出るためには煩雑な手続きが必要なので、忘れ物なきよう、幸運を祈る」


 許可状を提示し、僕は、ただ楽しみだけでいっぱいで、出ることなど考えもせずに、思いに満ちて門を潜っていった。


 異国の戦争が、大国に小国が押しつぶされず平和に解決するように。そして、まずは思う存分この街を見学して楽しんで、慣れていこう。そうすればきっと、木の実の在り処も見出すはずだ。


……僕は、「賢者を学ぶ会」と賢者見習いの本部のすぐ近くの建物に下宿することになった。部屋は広々として気に入ったが、通りの馬車の音がうるさいのが少し気に障った。しかし、そんなことよりも楽しみでいっぱいだった。

 僕は、賢者見習いの申請を行い、書類で目を通していたあの親方の弟子になった。そして、先輩が引退し、人数も二人だったこともあり、僕は早くも学生修行団体「賢者を学ぶ会」の会長に任命された。つまり、「賢者を学ぶ会」とは名ばかり壮大で、実際には場末の身内集団だったのだ。


……僕はまず、街の一番奥まったところにある隠居した老賢者を訪ねた。


 コンコン。……応答はない。

「すみません、この度賢者見習いになった者ですが、誰かいらっしゃいますか?」


 挨拶のつもりの訪問だ。臆することはない。この人の言っていることを、故郷で葉書で確認したけど、大したことは言ってない。ただ、この人がこの街を建てたから有難がられているだけのことだ。臆せずに質問すればいい。


……——……

……カッ、カッ

 薄暗い石積みの家の奥から、足音が聞こえてきて、影が見えた。

「何か」

 白い眉に白髭を生やした老人が、目の前に現れた。


「あの、僕、見習になった者ですが、お話を伺いに来ました」


「君は、僕のことをよく知っているね」

 老人は、僕の頭—長く伸びた髪—を指さす。突然の指摘に戸惑ったが、気を取り直す。と、そうして僕に近寄って来る老人は、途端、石敷きの隙間の段差につまずきあわやつまずきそうになる。


「大丈夫ですか」

「ああ」

「あの、ええ、葉書で読んだことがあります。……水を飲ませていただけますか」

「持ってるじゃないか」


 老人はまた、僕の肩から提げた鞄を指さす。


「音」

「え、ああ、そうですが、——あなたの水が飲みたいんです」

「持っとらん」

「近くに水道が通ってるのを見ましたが」

「君の湿気が君をふいごにする……」


 そう言うと老人は奥に消えていったが、すぐに戻ってきた。

「これをあげよう」

 老人が手渡したのは、小さな一つの風車だった。

「水で、下がる。火で、上がる。遠くへ行かずとも、求めるものは近い……」


……——……

 老賢者の家から去ると、僕は風車を鞄に仕舞い、下宿に帰った。

 わけのわからない老人だったが、期待通りの人物が出てきたことの興奮がそれを上回っていた。

 ははっ、やっぱりこの街は面白そうじゃないか。こんな奴らがわんさかいるんだろう。一生ここにいれば退屈することはなさそうだ。いいところに来た。


 その日は、暖炉のそばに座って、老賢者に貰った風車を手遊びで回しながら夢想に耽り、そして、遅くに寝た。

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文明の饗宴 てると @aichi_the_east

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