大男の涙

椿生宗大

大男の涙

 真っ暗な闇に囲まれた空間で私は目を覚ました。右に歩いても左に歩いても果てのない暗闇が視界を支配している。凸凹した床はひんやりとしていて私の体を地面に貼り付けてしまおうと企んでいるのではないかと疑う温度である。私は成長途中の惨めな足で根気強くその地面を蹴り、右へ右へと進んで行き止まりを探すことにした。何歩歩いたところでだろうか、遥か遠くでとてつもなく大きな音が起きた。地震だろうか。私は即座に床にある窪みに懸命に身体を収めようと水の深くに潜るかの如く空間を探した。そうこうしている内に音は大きくなっていく。最初の何かが複雑に組み合わさるような衝撃波とは別の、出鱈目な爆音が近付いてくる。音は距離を測るのが困難な程大きくなった。闇の向こう側に何かが動いてる。私はきっと上位種の住処があるのだと思った。私のようなちっぽけな存在ではまだまだ知り切れない世界の外側に誰かが澄んでいると直感した。床の凹んだところで蹲った格好で耳を塞いで居るのは心地良かった。謎の存在に体内を揺さぶられる位の影響を受けながらも、懸命に呼吸している自分が誇らしくも思えた。同時に目に見えない者に脅かされる生を恨めしいと思った。神というのは勝手な生き物に違いない。私は意識の芽生えて数分で味わった苦痛で頭が一杯で、ついつい空に愚痴をぶつけていた。「全く神というのは問題児に違いないぞ。」と小さな手で塞いだ耳の中に、嫌な響きを感じとる。私は喋ることを辞め思考に没頭した。暗闇の先に何があるのか、安全な世界はどうやったら出来るのか、私はどんな見た目をしているのだろうか、考えれば考えるほど小さな頭では分からないことばかりが思い浮かんでその都度考えることを諦める方向に意識が働いた。そんな時である。一瞬暗闇の世界の音が止まり、私は地面に身体を打ち上げられた。宙を舞い、足が地面について居ない時間を生後初めて体験したように思われる。真っ黒な世界を抜けた先には対照的な明るい色で溢れた景色があった。天井は目測が出来ないほど果てしなく視力の限界を感じた。明らか硬質な床とは見るからに質感の異なる茶系の地面がそこにあった。落ちる身体を大の字にして空気抵抗を受けようと懸命に工夫しながら、乾く目の端で何者かがそこに横たわっているのを見た。背面がとても大きく、私のいた世界と同じ色を纏っている何かだった。それは巨体ながらも俊敏で私が落ちる速度よりも遥かに速く身体を操ることが出来るらしい。私が何体いたとしてもその厚みに達することは出来ないであろう腕で上体を撫でているように見える。彼の動きに気を取られている内に私は接近している地面の存在を忘れていた。そして私は明るい色の地面に叩きつけられ再度空中を転がり、闇に落ちていった。

 目を覚ますと上が開けていて辺りは薄暗い様子であった。地面の質感からして私は再び元いた場所に戻ってきたことが分かった。私はまた世界の外側を見たいと願わずには居られなかった。沸き立つ心に活力を得ると私の足は不思議と軽やかになり、自身のコンパクトな身体への嫌悪感は忘れ去ってしまっていた。先と同じように右に向かって駆け出す。右に右に走って行った。さっきと同じように偶発的な何かを期待しつつ、短い脚を回転させ続けた。視界が狭まっているような気がしなくもない、広い道途で私は疲労感から倒れ込むことになった。横になってずっと奥にある壁を睨みつけた。表面の様子など遠すぎて見えないのに私は凝視することを辞めれず居た。否、私は休まずに凝視することが正義だと思った。解決策に繋がらないなりにも何かをしていることの方が気休めにとっては重要であった。何かしら働いている私は幾分か現実主義者で、決して夢想家ではないと自分を説得する為に私は目を酷使していた。超自然的な力の奇跡を待望しながら寝たきりを決め込んでいた。1秒、また1秒・・・気長に数えて1分、また1分、次の1分・・・。数分で私は痺れを切らした。せっかちな性分を恨みつつ、結局は私が身体を使って動いている間のほうが自由な気持ちで居られると気付いた。私は闇雲に右に進むのを辞め、楽に辿り着けそうな壁へと歩いた。ゆっくりとゆっくりと段々と壁の存在感が増していく心地を受けながら、前へ歩みを止めなかった。

 遂に私は巨大な壁の目の前に立った。ちゃんと見るとそれは木製の壁で、爪楊枝のようなささくれが何千本とランダムに配置されていた。試しに一つの棘に触れて見ると見た目通りの攻撃性で、私は指を負傷してしまった。傷口を口に含み唾液で湿らせながらこの先の行動を考えた。刺々しい枝を利用してこの断崖絶壁を登り、光の方向を目指すのは実際非常に難しいと想像するのは易しかった。しかし、私はあの世界の住人に自力で会いに行くことに価値があるように思われて、気がつけば枝を掴んでいた。覚悟を決めてよじ登っていく。時には蜘蛛のしなやかな手足の動きを羨みながら、時には蜻蛉のような羽が私にもあれば楽だったろうと現実逃避を挟みながら、一生懸命に四肢を動かして天に向かった。いつからかその動きも作業と化して来て、今足を置いている枝から次の目当ての枝を掴み飛び移る動きも精錬されてきた。それに伴って無駄な思考は削がれていき、目の前にある枝に移って、少しでも上に行くことだけに頭を支配されるようになった。長い長い時間の中で、幾度となくギシギシと気味の悪い悲鳴が何千本の枝を伝播していく様子を見た。その度振り落とされないようしがみつき、暫く待機するのを繰り返した。安全だと思えたら再び動き出し、また単純作業に没頭する。下に置いてきた世界が暗く見えないのを確認しては戻りたくないと気持ちを盛り上げて登り続けた。直ぐそこに新たな世界が広がっていて、きっと自分を楽しませてくれる、面白いものに溢れていると、信じるしか出来なくなっていた。もう数本の枝で登り終えるのが見えてからはここまで来た自分を褒めてやりたい気持ちで悦に浸り、登る足が遅くなっていた。一足先にやってくる自己満足を払い除けて私はついに登頂し、ベージュ色の地面に足をつけた。凸凹などない滑らかで柔らかな地面で、疲れた足が埋まってしまいそうな程であった。私は太腿を叩きその黒い者を安全に見るための場所を探しに奔走した。

 時間感覚など忘れてしまっていたが、大きな枕の側の塔を伝って私は机に場所取りをした頃には照明が落ち、窓から差し込む灯りが頼りの時間になっていた。黒い者は水浴びもせずにベットで横になっていた。寝返りを打つたびに起こる風を感じつつ眺めていると、度々口元が動いてるのが見えた。左を向いた顔の口元には涎が湖のような輝きで照っていて、「 あ  あ 」など力無い音を漏らしていた。偶には顔を歪めて「 う う」だったり「 はあ ぁ」と苦しそうな息を漏らしていた。私はそんな巨体から発せられる弱々しい声に心底幻滅した。眠るときも威厳のある振る舞いで畏怖の念を抱かせて欲しいと期待していたからだ。私は逆らえない存在を目の前に屈服したかった。この大男でさえ私を満足させることはできないのだと思い、見切りを付け元いた場所に戻ろうと決心した。帰り道私は思いつきでこの大男の瞳を覗こうと顔の正面に移動した。この男は右目だけ若干開いている奇妙な寝顔でいたが、返ってそれは彼の瞳孔を鏡のように利用するにはおあつらえ向きであった。彼の瞼を持ち上げて水晶体が露わになるつれ、自分の姿が徐々に映し出された。私は3頭身ほどの不恰好な小人であった。棘に傷ついた手足は見えていたが、こんな面をしていたとは知り得なかった。私は初めて自分の姿を客観視して落ち着きを保ちながら、望んだ容姿でないことへ絶望を受け入れられず静かな怒りの源泉の流れを感じた。不都合なことばかりが突きつけられる。他人の存在に感謝だけするような単純な頭で産まれられなかったことへの苛立ちも感じることが出来た。私はこの大男によって自分の形を確定させられてしまったのだ。ハンサムな顔でもなければ、すらっと長い手足もない、自分の美的感覚が受け入れられるような身体では無かったと知ってしまったのだ。私は在った筈の好奇心の穴に空虚な怒りが流れ込むことを静かに感じていた。「クソ野郎。」私は右の拳で彼の眼球を小突いていた。途端その拳で出現したクレーターを庇うように涙が湧いて来た。私は生理的反応であろうその涙に特別な意味を読み取ろうとしてしまった。私は彼を傷つけ泣かせてしまったという事実をそれ以上に重く受け止め、自ら贖罪を果たそうとした。彼の目元から零れる涙には濁った自分の姿があった。ああ、嫌だな。ここで死んでしまえないか。私は暗闇の住人なのだ。大男に背を向けて歩き出す。すると、ベットの軋む音がして急に闇に覆われて私の視界は暗転した。

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大男の涙 椿生宗大 @sotaAKITA1014

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