第35話「猫姫の本気」

「あはは……このゴブリン、かなり発育がいいようね……」


 目の前に現れた、肌が赤い巨漢の魔物を前にしたアメリアは、グルグルと目を回しながら笑みを浮かべた。

 全身にはダラダラと汗が流れ、膝はガクガクと震えている。


「アメリアさん、しっかりしてください……! どう見てもゴブリンではありませんよ……!」


 しっかり者のフェンネルは、現実逃避をしていたアメリアに呼び掛ける。

 誰がどう見ても、この魔物がゴブリンだとは思わないだろう。


 異変に気が付いたミャーはすぐに体を起こし、結界へと視線を向ける。


「――っ。あれは……オーガ……?」


 オーガとは、別名人食い鬼と呼ばれる魔物だ。

 魔物の中でも高い戦闘力を保持し、数多くの冒険者をほふってきた凶悪な存在である。


 しかし――。


「いえ、違います……あの大きさは、オーガロード――オーガたちを従える、オーガの上位種です……」


 ナギサが大きく瞳を揺らしながら、魔物の正体を教える。

 彼が動揺を隠せていないのは、この状況が完全に予想外だったからだ。


(どういうことだ……!? なんでフェンネルさんとアメリアさんの時に、こんなことが起きる……!?)


 姫であるミャーに対して、何かしらのアクシデントが起こるならわかる。

 組織が一番に狙うのは、姫君だと思われていたからだ。

 だからこそナギサは彼女の傍を離れず、何が起きても対処できるようにしていた。


 だがこの状況――狙われたのは、フェンネルもしくはアメリアということになる。


 ナギサは理由を探すが、単純な魔道具による不具合、ミャーに近しい者たちを殺してミャーの動揺を誘う、学園に騒ぎをもたらす――などなど、考えられる可能性はいくつもあった。

 これが組織の仕掛けたことによるものなら、対応を誤れば多大な被害を出すかもしれない。


 かといって、悠長に考えていられる時間もなかった。


「アメリアさん、フェンネルさん、すぐ結界の外に逃げてください……!」


 オーガロードと見つめ合っている二人に対し、二人が殺されてしまうと思ったナギサは大声で呼びかけた。

 それにより、当然二人以外の生徒の目もナギサへと向くが、ナギサは気にせず二人の動向を見守る。


 二人はナギサの言う通り、結界の外に出ようとするが――

「だ、駄目、出られない……!」

 ――結界の出入口となっていた部分が、完全に封鎖されているようだった。


(間違いない、あの組織の仕業だ……!)


 そう判断したナギサは、すぐにミリアを呼びに行くよう他の生徒に言おうとするが――ふと、とどまった。

 もしかしたら、それが狙いなのかもしれない、と。


(こんな騒ぎになれば、オーガロードを討伐できる可能性が高いミリアさんを呼びに行く、というのは容易に想像できる……。前も爆発で先生たちの気を逸らしている間に、アリスちゃんを誘拐しようとしたわけだから――オーガロードは、囮かも……)


 となれば、当然ミリアをアリスから離すわけにはいかない。

 かといって、ここにいる教師はオドオドとしていて頼りなさそうだ。

 こういった緊急事態に対処できないタイプなのだろう。


「――アメリアさん、危ない!」

「えっ――きゃぁ!」


 ナギサが対処を考えていると、オーガロードが右手に持つ大斧をアメリアに向けて振り下ろした。

 フェンネルの声でなんとか避けたアメリアだが、オーガロードを見ると再び足がすくんでしまう。


「こ、この、何するのよ……!」


 アメリアは怯えながらも、オーガロード目掛けて氷魔法を放った。


 しかし――オーガロードの口から吐かれた炎により、大きいな氷柱になって放たれた氷は、一瞬のうちに溶かされてしまう。


「炎を扱えるの!?」

「オーガは、炎属性の魔法を扱う魔物です……! そのせいで、炎には耐性もありまして……私の炎魔法も、通じません……!」


 二人は血の気が引いたように、オーガロードを見つめる。

 氷魔法の使い手であるアメリアは相性最悪で、炎魔法の使い手であるフェンネルも同じく相性が最悪なのだ。


 フェンネルたちは、オーガロードから放たれる斧の攻撃をなんとか躱していく。


 オーガロードは獲物をいたぶるのが好きなのか、楽しそうに笑みを浮かべており、すぐにとどめを刺すつもりはないらしい。

 むしろ、わざとアメリアやフェンネルが躱せるほどの攻撃しかせず、二人が逃げる姿を楽しんでいるようだった。


(遊んでる……)


 別の個体とはいえ、オーガロードと戦ったことがあるナギサは、オーガロードが本気を出していないことに気が付いていた。

 だがこれは、チャンスでもある。


「皆さん、外に逃げてください! ここにいては危険です!」


 ナギサは生徒たちが邪魔だと思い、決闘場の外に出るように言う。

 しかし――。


「なんて酷い! あなたは、フェンネルさんたちを見捨てろと言うのですか!?」

「フェンネルさんたちが中に閉じ込められているのに、逃げられるはずがないでしょう!」


 フェンネルたちのことを大切に想っているのか、それとも貴族としてのプライドが勝つのかはわからないが、お嬢様方は逃げるつもりがないらしい。

 よそ者のナギサの言葉だから、というのもあるのだろう。


(みんながいたら邪魔なのに……!)


 ナギサがそう思うと――。


「いいから……すぐにここから出なさい……」


 ミャーが、静かに皆へと命令をした。

 彼女が口を挟んでくれると思っていなかったナギサは、意外そうにミャーの顔を見る。

 すると、彼女はアリスが襲われた夜のように、真剣な表情になっていた。


「ミャー様!? ですが……!」

「わからないの……? あなたたちがいるから、結界を解けないの……。邪魔だから、今すぐ外に出なさい……」


 反論しようとしたクラスメイトに、ミャーは静かに目を細めて再度命令をした。


 アメリアたちが結界の外に出られないのなら、結界自体を解くしかない。

 それなのに、結界の周りに人がいれば、当然オーガロードの餌食になってしまうのだ。

 だからこそ、ナギサはみんなを外に逃がしたかった。


「「「「「か、かしこまりました……!」」」」」


 姫であるミャーの命令であることとと、そうしなければならないということを理解したクラスメイトたちは、蜘蛛の子が散るように一斉に外へと出ていく。

 その間にミャーは、隠れていた護衛の教師に、念のため外に出たクラスメイトたちへ付くように手で指示をする。


 護衛の教師は、この事態でもし怪しい者が現れれば捕まえようと思って隠れていたので、ミャーの指示に躊躇する。

 しかし、ミャーが無言で睨み圧をかけると、瞬く間にクラスメイトたちの後を追ったようだ。


 そのことまで確認したミャーは、結界の傍にいてオドオドとしている教師へと視線を向ける。


「何、ボサッとしてるの……? さっさと結界を解いて……」

「で、ですが、オーガロードをどうするおつもりで……!?」


 結界を解いてしまえば、必然オーガロードも結界から出てくることになる。

 そうなれば生徒二人の命だけでは済まず、何十人、何百人単位の甚大な被害が出ると思っているようで、教師は結界の解除に躊躇しているようだった。


「そんなこと、どうにでもする……。今は、二人の命が優先……」

「ですが……!」

「いいから、早くして……!」


 愚図る教師に対し、苛立ちを覚えていたミャーが語気を強めた。

 それにより、教師は従うことにしたようで結界を解こうとする。

 しかし――結界が解かれたにもかかわらず、中から新たな結界が出てきた。


「こ、こんな結界、知りません……!」


 この結界は教師が張ったわけではないようで、身に覚えのない結界に教師は戸惑っている。


(なんで更に結界があるんだ……!? オーガロードが結界を張れるはずがないし、結界の外に張るならまだしも、結界の中に結界を張るなんて、中にいないと無理だぞ……!?)


 この手の知識は当然持っているナギサは、ありえない事態に驚愕する。


 考えられることとしては、結界を張れる魔道具が決闘場のステージにあったということだが――予めナギサは、怪しい魔道具がないかどうか、ステージに立った時やゴブリンとの戦いの最中さなかで確認をしていた。

 もちろん、周囲の目がある中、短時間でしかも戦いながらの確認では、見落とした可能性もなくはないのだが。


「解除、できないの……?」

「無理です……! 結界は使用主の解除、もしくは、発動している魔道具を壊すしか……!」


 どうやら、教師にはこの結界を解けないらしい。

 大方、教師が言っていることは正しいのだが――。


「もう一つ……。結界が耐えられない負荷を与えれば……結界は壊れる……」


 ミャーはそう言うと、天に向けて右手を掲げた。


「《雷鳴》」


 ミャーが呟いた直後、ステージ全体を覆うほどの雷が、天から落ちる。


(凄い威力だ……。さすが、始まりの英雄たちの子孫……。でも、多分……)


 心の中で賞賛したナギサだが、無意味だということを悟っていた。

 その予想通り、雷の後ステージを覆った砂埃がはけると――結界は、無傷だった。


「むかつく……」


 自分の本気の魔法でも壊せなかったことで、ミャーは不満そうにギリッと歯を食いしばる。

 むかつくというよりも、悔しい感情に近いのだろう。


「――死ぬ! 死んじゃう!」

「アメリアさん、動きを読まれないように気を付けて!」


 ステージの中では、ミャーの雷鳴に驚いて動きを止めていたオーガロードが再び動き出し、アメリアが必死で斧から逃げていた。

 おもに狙われているのはアメリアのようで、フェンネルは効かないとわかっていながらも、左手から炎を放ってオーガロードの気を自分に向けようとしている。


 三人とも、ミャーが放った雷の影響はないようだ。


 その影響を、一番受けたのは――

「ふにゅ~……」

 ――結界のすぐ近くにいた教師だけだった。


「えぇ!? ちょっ、手当しないと……!」

「大丈夫……。結界で……威力はかなり弱められたから……気絶してるだけ……」


 ナギサが教師を助けに行こうとすると、ミャーがナギサの腕を引っ張って止めた。

 あまりの落ち着きように、ミャーはわざと教師を気絶させたんじゃないか、とすらナギサは思ってしまう。


「それよりも……あの二人、どうやったら助けられる……?」


 ミャーは真剣な眼差しで、ナギサの目を見つめてきた。

 感情が顔に出づらい子ではあるのだが、二人を助けたいという気持ちがヒシヒシと伝わってくる。


 ナギサは、その気持ちに応えたいと思った。


「先程の魔法で結界が壊れなかったのを見るに、これはかなり高度な魔道具で張られているものだと思います。しかし、あれが無傷で済むほどの結界となると、耐久に効力のほとんどが振られたものであり、中での魔法を封じるほどの効力はないようです」


 アメリアやフェンネルが中で魔法を使っていることを踏まえながら、結界について分析したことをミャーに話す。


「うん、それで……?」

「このタイプの結界は、先程先生がおっしゃられたように、魔道具を破壊するしかありません」

「でも、あの二人には……魔道具を探している……余裕はない……」


 魔道具は効果と大きさが比例しておらず、ナギサたちが気付かなかったことを踏まえると、かなり小さい可能性が高い。

 となれば、注意深く見なければ見つからないのだが――二人は現在、ギリギリのところでオーガロードの攻撃を躱しているのだ。


 周囲を注意深く確認する余裕など、微塵もないだろう。


「私に考えがあります。ミャーさんは……先生の傍にいてあげてください」


 一瞬ミャーには、外で待機しているであろう生徒たちを落ち着かせるために、外に出てもらうように言おうかと考えた。

 しかし、その隙にミャーが襲われてしまう可能性があったので、ナギサの目が届く範囲である、気絶している教師の傍にいてもらうことにしたのだ。

 これは、オーガロードが結界の外に出た場合、教師を守るための選択でもあった。


 ナギサはそのまま、ステージへと向かう。


(変に目立ちたくないとか、言ってられないもんね……。二人を死なせるわけにはいかないんだから……)


 そして辿り着くと、結界へと触れた。


(この手の結界は、力を封じた魔物や罪人を中に閉じ込めるためだけに使う、耐久度に振られただけのもの……。結界の外には当然何も効果がないし、中にもそこまで効力は発揮しないから――)


「ナギサ、まさか……!? 駄目、それは君に負担が……!」


 結界に手を触れながら意識を集中させるナギサを、ミャーは慌てて止めようとする。


 しかし――ナギサはその声を無視して、魔法を放った。

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