加速

手帳溶解

加速

  そういえば、この部屋に監禁されて6日経って新たに気が付いたことがある。私の体内時計が早くなっているのだ。この殺風景な監禁生活での唯一の楽しみは1日3回、朝昼晩に小窓から滑り込む食事なのだが、それが届く時間が気がするのだ。それだけではない、私の一日のスケジュール全体が短くなっているのだ。朝食をとり、昼食をとり、夕食をとり、そして消灯と共に眠りにつく。その間、私には何もすることがない。その為に脳がその時間に対する認識を辞めているのだろうか。残念なことに、この部屋には時計も外が望める窓も無い。そもそもここがどこなのか、私は何故ここに閉じ込められているのか、それ自体が一切分かっていないのだ。私はここへ来てから私以外の知的存在を見ていない為、一切の情報を得られていない。只管に、食事と睡眠だけを繰り返している。例えばこれが脱出ゲームだったり、パズルゲームなのだとすれば、私はメモや道具を駆使して出口の扉を開けようと努力するのだろうが、そういった手がかりは一切見つからないし、まず扉が確認できなかった。そもそもこの時間が永遠に続くとは思えない。いつか食事が来なくなるかもしれないし、いきなり殺される可能性だって0ではない。先の見えない状況で私は一切の道具も無しに、摩擦の無い垂直で平滑な端の見えない壁を登攀しようとは思えなかった。


 、である。監禁されてから14日か15日経過した頃になると、朝食がまだ残っている内に昼食が来るようになった。というのも、私は朝食をゆっくりとるようにしているのだが、一撮みずつ口に入れてあと少しでなくなるというタイミングで昼食が転がってくるのだ。7日目(6日目だったか)の頃はそんなことは起こらなかったのだが、どうにもやはり私の脳の回転は減速しているようだ。ただでさえ遅い食事が、のかもしれない。しかしまだ昼食時や夕食時に変化はない為、まだ私の脳は腐り始めてはいないと信じたい。ところで、変化がないのは食事内容も同じである。食事が遅くなっているのも、毎食同じ形、色、大きさのパンを食べなければならないからなのかもしれない。私は人並みにグルメなつもりである。全く同一のパンを1つ食べているにも関わらず至って健康でいられているのは実に不思議であり、このパサついたパンが素晴らしい健康食だからなのかもしれないが、。一日の唯一の楽しみがこのパン一つである私にとっては、飽きがとても恐ろしい。この食事さえも無機質なこの生活と同化してしまった時、恐らく私は廃人となるだろう。今はただ、1日に3回だけ訪れる自主的な行動の機会を享受する為に、食べ方を変えるばかりである。


 食事をとっていたら、灯りが消えた。どうやら、ついにここまで来てしまったらしい。私は暗闇の中で半分残っているパンを眺めた。それから、床に転がっている夕食のパンを見下ろした。食事をとるほどの、体力消費の機会がない。頭蓋が錆びついて、脳が滑らかに回転しなくなったようだ。私は漆黒の中で昼食のパンをゆっくりと頬張った。大丈夫、まだ私は思考能力を失っていない。劣化していたり、風化していたり、或いは欠けているかもしれないが、私はまだこうして自分と、周囲の情報を認識できているだろう?いつか脳が完全に停止した時、私はパンの海に埋もれているのかもしれない。大量の食糧に囲まれながら、新規性の飢餓で知的生命体としての死を迎えるのだろう。果たしてその時、私はどう思うのだろうか。或いは、


 口に入れるべきものが沢山ある。時間が足りない。世界が早すぎて、。すべてが鈍く、重く感じる。空気に粘性があり、私の全ての行動に抵抗が発生している気がしてならない。私の脳の信号は人の目に見えるほど鈍化しており、心臓の一拍一拍が弱弱しくなっている。部屋がチカチカと点滅して、連続して食事が排出される。もはや床は見えず、もはや色は分からず、されど私の脳はそれを異常とすら認識できない。身体が固まって、筋肉はなるべく楽な体制でいようと怠けているらしい。私は、これが最後かもしれないと笑って、それから、飽きた景色に帳を降ろしたのだろう。


それから、なにも、なくなった。

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