第3話 空から落ちて来たスフレ

 天の国は開かれていて、善なる人を招き入れる。


 人々がふたたび復活の時を迎える時まで、天使はその様子を見守る。すべてが滞りなく済む様にと。


 そんな天の国に住まう天使たちは、皆、空を仰ぎ見ながら暮らしている。しかし生まれたばかりの天使スフレは、ある日、善なる人々の居た地上を見下ろしてしまう。


 そこは善なる人々の様な素晴らしいものもあるにはあるが、それより多くの者が悪へと落ちるギリギリの淵を危うく歩いていた。


 見せかけの平等はあるが、それよりも多くの偽りや欺瞞ぎまんなど醜悪なものが満ちていた。


 それを知った時、幼い彼女の純白の羽に、インクをこぼした様な黒い染みが付いてしまう。


 彼女は身震いするような喪失感とともに、自分の堕天の兆しに気付いた。とてもまずい事をしてしまった、罪悪感が次から次へと彼女を襲う。しかし喪失は、とても自由に似ている。彼女は気付かず内に、そこに安らぎも見つけていた。


 しかしそんな気持ちも、長く続かなかった。大天使が、彼女の存在に気付いたのだ。


 「なんて事なのスフレ……」大天使は、彼女の為に涙を流す。


「許してください、大天使様。そんなつもりは無かったのです。ただここにいる優しい人々がはぐくまれた、地上を見たかっただけなのです」


 大天使は、嫌がる彼女を、天の国の下へ下へ連れて行く。とうとう、たどり着いた先は、地上へ落とされるだけの扉の前。


 扉は大天使によって開かれ、彼女は地上へと落とされた。


 落とされる間際、大天使は、やはり涙ながらに彼女を抱きしめ、彼女に声をかける。しかしその声は彼女の懇願の声と悲鳴にかき消されてしまった。


 幼い彼女を抱きしめ、天へとすくい上げる者はもう彼女の知る限り居なくなってしまった。その寂しさ、喪失感は、涙となってあふれ出す。


 しかし涙を受け止める指先から、彼女は黒く染まっていく。


 彼女の中の白い部分は、もう後わずかになってしまった。しかし何故か、堕天が始まった右翼とは逆の、左翼側の彼女のつばさは堕天を今のところ免れている。


 ただ泣き続ける彼女が、限りなく地上へと近づいた時、地上にある一軒の家の扉が開き、誰かが家から出て来る。


 その出て来た誰かとは、魔王の娘、ルシエだった。


 ルシエはある事情によって、親離れをする為に住み着いた栃木県の魔王の城から、ここ群馬県の教会の隣の家へと住み着いたばかりであった。


「ふむ」


 ルシエは、そう一言つぶやくと腕組みをする。


「困ったのう勝手に、同居人を増やすと神父のヒカルに何か言われるかもしれん。だが、あやつがうるさいのは、いつもの事か……」


 それだけルシエが呟くと、落ちて来るもはや堕天使となり果てた、天使スフレを魔王の見えざる力によって受け止めると、ゆっくり横に寝かせたまま宙に浮かせた。


 そして隣の教会の扉を開け「すまんが、フランケンシュタインを呼んでくれ火急かきゅうの用事じゃ――」と、中の人物に声をかけた。


「ゴメーン、マッタ?」

 教会から大男が現れて、その男をスフレのもとまで連れて行く。


「ゴレ、アクマ? アタラシイナカマ?」


「いや、これは天使じゃ、まだ完全に堕天しておらぬでなぁ……、すまぬが、こやつを部屋まで運んでくれ。わらわがやると壁にぶつける可能性があるのでなぁ……」


 魔王のルシエがそう言うので、フランケンシュタインは彼女を運び家へと入って行った。



               ☆★☆



 天使スフレが目覚めると、とても清潔な部屋で目が覚めた。

 起き上がろうとしたが、あれからまだ時間が経っていないからなのか、落ちた衝撃でなのか体のあちら、こちらが痛む。


「うっぅ……」


 彼女は、苦痛の声を漏らすとともにふたたび、涙を流し布団に顔をうずめた。


 しばらくすると部屋の扉が、ゆっくりと開く。


 扉から現れた幼生体であるが、魔王だった。禍々しい気が彼女を押し潰すかの様にあふれかえる。彼女は警戒したが、すぐに警戒を解いた。


 もう自分はあのお優しい大天使様も、地上に捨て去るほどの存在だったからだ。


「これを食え、りんごのすったやつじゃ。隣の神父にお前の事を、相談に行ったら事情知りたくないっと言ってこれだけ寄越しおった」


 スフレは、それを受け取りそれを食べた。天使だった時は、何も食べなくても平気だったのに、今の体ではそうもいかない様で……悲しかったが食べた。もう自分には失うものなど無い様に思えたから……。


 それを見届けると、魔王は、「皿は、そこへ置いておけ、フランケンシュタインでも下げさせるでな」そう言って彼女はでて行った。


 それから彼女は幾日も食事を持って来た。自分が食べている間ただ、新しく用意した椅子に座り、外を見たり、部屋の中を見回してみたり、本を読んでいる時もあった。

 

 魔王の考えが読めず、戸惑う彼女の前に時折、フランケンシュタインと言われる男もやって来る。


「教会カラ、ハナヲツンデキタ」


「サムクナイカ?」


 彼は見た目と違い優しい人物なので、ふと気が緩んで「ありがとう、大丈夫です」そう答えた。


「ソウカ、ヨカッタ。ルシエモ、イロイロシンパイシテイタ」


 そう言うと、すこしこわばった笑顔で笑うと帰って行った。


 魔王も……。


 魔王も心配する事がある事が不思議だった。


 でも、それは仕方ない様に思えた。もとは同じ天使である、堕天使がこんなに悲しいと思うなんて、自分がそうなるまるまで知らなかったのだから。


 次の日は、雨が降っていた。降りやまない雨。それをただ見ていた。


 そこへ魔王が、やって来て自分と同じように窓の外をみて……。


「今日の雨は寒いな……」っとぼっと独り言をつぶやいた。


「はい、昨日まであんなに暖かったのに、不思議ですね」


 スフレは、そう自然に話していた。そんな自分に、魔王は不意に振り返り目を輝かせて話し出す。


 「知っているか? ここ日本には秋があって、そして冬もあるのだ、この順番にどんどん寒くなり、そして春が来ると逆に暖かくなるらしいぞ!」


 魔王は、今までの態度が嘘の様に笑顔で話し続ける。思いのほか暖かい。そんな彼女をみて、スフレは天の国の天使達を思い出してしまった。もう決して会えない仲間達を。


「あわぁあ、まだ体の疲れも取れてないのに、わらわはちと話すぎてしまったようじゃ。まだまだちゃんと、休むが良いぞ」


 彼女が、慌ててお皿を持ってでて行こうとした時――。


「あの私は、てん……スフレです。名前を伺って良いでしょうか?」


「うむ、良いぞ! わらわルシエだ。 お前には、ルシエと言う事を許そう。もう友達だからな! では、また来る」


 そう言ってルシエ行ってしまった。


 スフレは、雨の音を聞きながらつかの間の夢を見る。誰かが自分に告げる。


 ――ごめんなさい。貴方を救う光は地上にある。だからいつかまた会いましょう。私達の姉妹。


 しかし起きたスフレは、すべてを忘れていた。


 けれど彼女の部屋の扉は開き、ルシエが顔を出して言う。


「天気もようなったし、一緒に下で食事をとらぬか? フランケンシュタインも来ておるのでのう」


「はい、行きます」スフレは輝く笑顔で言った。


 スフレは、ベットから出て歩きだす。彼女の左の翼はまだ白いまま。


           おわり

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ヒカル神父と楽しい仲間達 もち雪 @mochiyuki5

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