第34話 列車襲撃

 宵闇に樹々が破裂した。飛び立つ鳥を追い上げて、黒い汽車の背が森を割る。まるで巨大な鉄の鯨だ。潮を吹くのを真似るように、余蒸気を噴き上げる。

 ビルギットの汽車が森を踏む。地形など、気にも留めていなかった。

 一直線に進む先、その樹々の中にザイナスは息を潜めている。ビルギットが気まぐれを起こさなければ、あの汽車はじきザイナスの目の前を通る筈だ。倒木の轟音に掻き消されていても、無意識に呼吸を詰めてしまう。

 あの大きさに対抗できるのはエステルだけだが、肝心の彼女が捕えられている。そも、それが原因でザイナスは攻略を早めた。計画は汽車への潜入だ。

 御使いと巨大な半機半魔に、人の身のザイナスは分が悪い。とはいえ、追い詰められた焦りはなかった。気負いや使命感も端からない。打てる手は打つ。最善は尽くす。死ねばそこまで。命があればまた挑む。ただ、それだけのことだ。

 来世の保証が絶望的と知った今でも、ザイナスは変わらない。

 ふと、アベルの興味深げな視線に気づいて振り向いた。

「キミは面白いね」

 ザイナスに囁いて笑う。

「どこまで真剣なのか、わからない」

 ザイナスは呆れ、前髪の下で眉根を寄せた。

「それ、君の事だろう」

「いいや、キミさ。何だかずっと他人事みたいに自分を見てる」

 それは、僕が僕の面倒を見ているからだ。アベルの言い様にザイナスは口を尖らせた。ザイナスは自分を細かく切り分けて、その全てを俯瞰して考える。

「全部、自分事だ。御柱は不信心者の面倒なんて見てくれないからな」

魂なきものノスフェラトゥは不敬だねえ」

 信心の薄い者はいる。神を見失う者もいる。神に背くもの、破門されるもの、罰を受ける者もいる。だがそれは、生まれながらに神を受け入れ、堕ちる罪だ。

 だが、ザイナスにはその前提もない。

「前世でよほど酷いことをしたんだろうな」

 御使いに嫌味を言われるような、勝手に御柱の賭け事に召し出されるような酷いことを。だが、魂の選別場ニヴルヘイムを潜れば記憶は消えてしまう。

賞牌マユスに前世なんてあるもんか」

 あっさり、アベルに断言された。

 どうやら、前世に罪を擦りつけることもできないらしい。ザイナスは不貞腐れた。前世に灌漑も憧れもないが、魂に履歴がないのも、妙に肩身が狭い気がした。

「ほら、拗ねてないで。汽車はもう目の前だ」

 アベルが笑って指さした。ぼんやりしていたら押し潰されるぞ。そう言うアベルは、自身も含めた皆の窮地を愉しんでいる。

 思案するのは止めにして、ザイナスは薙ぎ倒される樹々の音に意識を向けた。


 ◇


 ザイナスがリズベットに拾われ、皆と合流を果たしたのは少し前だ。

 まだ辛うじて陽はあった。ザイナスにも皆の無事な顔が見分けられる明るさだ。

 クリスタが首に齧りつき、リズベットにまた引き剥がされた。おまえが掴まえていないからだと責められたらしく、帰還を喜ぶ反面、恨みがましくそうこぼした。

 ザイナスの想像した通り、汽車は三つ巴の追突で脱線した。こと、前方の列車は逃げ切りを足掻いたのが仇となり、脱線後も森を暴走した。ザイナスが遭遇した車両の一部は、そうして迷走したらしい。よく原形を留めていたものだ。

 そんな災厄を御使いたちは難なく逃れた。暴走する鉄塊は放置して、ザイナスの捜索を優先した。巻き込まれた列車の阿鼻叫喚も無視だ。とうせ、彼らはみな魂の選別場ニヴルヘイムで審判を受ける事になる。

 御使いにとって、災害は救済の対象ではない。端から無辜の民を助ける気もない。人は自らを救う事が重要だ。それは魂を磨き上げ、より良い来世、延いては 約束の地カナンに至る導きを得る重要な試練だからだ。

 つまり、個々人には有益であっても、御柱には大海の一滴に過ぎない。

「さて、どうする?」

 ラーズはザイナスに意見を促した。皆に何か思惑があろうと、行動はザイナスに委ねられていた。彼、彼女たちは使命の遂行を逸した御使いだ。自由の筈だが、みなザイナスの意を仰ぐ。地上と人と、その行為を楽しんでいた。

「奪還を続行する」

 ザイナスは宣言した。ビルギットが森を踏み越える先は、ルクスルーナに続く路線だろう。今は追跡も容易だが、再び線路に乗れば徒歩の追跡は難しくなる。

 ただし、手法は再検討だ。此処から他の列車を徴用するのは難しい。

「いっそ、逃げ切って油断したところを襲うのは?」

 リズベットは、そう提案した。

「そうしたいところなんだけど――」

 ビルギットは御使いが手を組んでいることを知った。ザイナスの存在も知られた。こちらの御使いに魂刈りの資格がない事にも気づいただろう。

 それは、嗜好に傾倒するビルギットへの強力な交渉材料であると同時に、彼女を説得の座に着かせるまで、脅威を与え続ける事にもなる。ザイナスの懸念は、焦ったビルギットがこちらと同じ手段で対抗する可能性だ。

「御使いが手を組むって?」

 ラーズは疑わしげだ。今は互いに敵だ。可能性は低い。だが、ビルギットはクリスタと同様に地上の生活に固執している。つまり、使命に対する執着が薄い。身の安全を保証するため、他の御使いを盾にする可能性も捨てられない。

「他の連中を捨て石にする方法もあるからね」

 アベルは自分を棚に上げ、意地悪く口を挟んだ。まさに、その実例だ。ザイナスは、ビルギットが単独でいるうちに魂刈りの戦列から除外したかった。

「さて、あれに取り付く島はあるかな」

 ラーズはあっさり同意して、さも当然のように議論を進めた。彼女にとってザイナスの意見は絶対らしい。アベルとは逆の理由でザイナスを尊重している。

 ラーズとスクルドは車両に取り付いており、車体のあちこちに扉らしきものを確認していた。ただ、半機械式の警報はあるだろう。件の鉄の蜘蛛もいる。

 こちらの優位点は、ビルギットが独りだということだ。機械に頼っても手が足りない。状況の取り回しや対応が遅い。生身のように動揺が行動に現れている。

「潜り込むのはわけないな。でも、機械仕掛けは厄介だ。皆では無理だね」

 アベルが肩を竦めて見せる。

「じゃあ、潜入は僕と二人だ」

「私たちがフリストを引き摺り出せばいいじゃない」

 リズベットが口を挟み、クリスタが頷く。それだとビルギットの生死を問わず、となるのが問題だ――とは、ザイナスも口にしなかった。

「汽車の注意を逸らす役が必要だ。僕にはそんなの無理だからね」

「兄さんが見つかったらどうするの」

「僕を捕まえようとしたら隙ができる。アベルが何とかしてくれる」

 ラーズが笑い出した。

「よし、オレたちは陽動だ。上手くやれば、あのでかいのだって何とかなる」

 そのままの笑顔でアベルに目を遣る。

「ゲイラ、ザイナスを護れなかったら御柱に関係なくおまえを殺すぞ」

 皮肉を返そうとしたアベルはラーズの目を見て思い留まり、肩を竦めた。

「せいぜい、最善を尽くすとしよう」

 リズベットは空から、ラーズは可動部を狙って、反撃の盾はクリスタだ――ザイナスはそう話を纏めて手を叩いた。


 ◇


 アベルの投げた細い糸が鉄の甲羅に貼りついた。ザイナスを抱えて飛び移り、矢継ぎ早に糸を打つ。遥かに見えた甲板まで、ひと息の間に駆け上がった。

 耳を澄ますが、反応はない。ビルギットは気づいいていないようだ。

 昇降口を見つけた頃に、眼下で白銀の矢が撥ねる。陽動が始まった。

 リズベットが汽車の行く手を惑わせる。ビルギットの反応で汽車の可視域を確かめ、ラーズは汽車の眼を探し出す。できるだけ射潰す算段だ。

 アベルがザイナスの手を引いて汽車の屋根を駆ける。足下の揺れと暴風にも拘らず、散歩するように軽やかだ。ザイナスはついて行くのが精一杯だった。

「さあ、しっかり。一緒に来ると言い出したのはキミの方だろ」

「世話になってる自覚はあるよ」

 とはいえ、御使いほどには動けない。勝手にどうぞ、と告げられてもザイナスには皆を引き留める術がない。そう言うと、アベルは鼻根に小皺を寄せた。

「キミはもう少し――まあ、いいや」

 言葉の途中で肩を竦め、アベルは作業用に設けられた昇降口に取りついた。

 足下が大きく揺れる。横にも振れて風向きが変わる。ビルギットは苛立っているようだ。どれほど汽車が頑丈でも、御使いの攻撃は無視できない。

 側面が瞬き、砲音の尾が重なる。樹々のあちこちに火柱が立った。気のせいか、遠くにクリスタのやけくそな悲鳴と、煩いと叱るラーズの声がする。

 汽車の大砲では足許に俯角が合わない。撃っているのは小口径だ。件の蜘蛛も出ているようだが、リズベットはもちろん、ラーズもクリスタも捉えられない。

 アベルが把手の錠を解いた。扉を引き開け、滑り込む。頭を出してザイナスを招いた。ザイナスが昇降口を潜ろうとした刹那、赤色の灯が点る。

 警報が響いた。見つかったか、と思いきや、燈はあちこちに点滅している。

『いい加減にして、ぼくとアルビオンは放って置いて』

 割れた声が全方位に鳴る。ビルギットだ。伝声管に引かれるように機関の唸りが高まって行く。汽車が震えた。金属を打つ音、嵌る音、回り捻れて行く音が、そこかしこに響いている。管が接続を変えるたび、蒸気の音が重なった。

「アルビオン?」

 ザイナスがアベルを振り返って訊ねる。

「この汽車のことじゃないかな」

 アベルは応えて肩を竦めた。

「確かに、巨人アルビオンのような汽車ではあるけれど――」

 不意に屋根が立ち上がった。二人が慌てて扉にしがみつく。外の様子を覗き見れば、砲撃の火が遠退いていた。汽車が空に向かって伸びて行く。

 車両が折れて延び上がり、多脚が二股に寄って行く。鉄の軋みと開閉音。視界を埋めて突き出した黒々とした影に目を凝らせば、それは巨大な腕だった。

「なるほど、フリスト。冗談が過ぎる」

 アベルが笑い転げた。

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