第22話 義妹の追跡
リズベットの不安は日々募っている。あの日、寄宿舎帰りのリズベットを迎えに来たのはホーカソン司祭だった。待ち合わせたザイナスは姿を見せなかった。
それきりだ。
司祭によれば、兄は急な教会の所用でラングステンに赴いたという。リズベットと入れ違いに。聖堂守護兵のユーホルトが同道したとの事だった。
結局、貴重な休日を削って、リズベットは早々にラングステンに取って返した。聖堂学校の寄宿舎暮らしとはいえ、同じ街にいるならそれでいい。
むしろ、浮足立って汽車に乗った。学友へのお披露目は勿体ないが、二人で街を散策する分には構わない。いや、むしろ楽しみで仕方がない。
ところが、その足で聖堂を訪ねてもザイナスは訪れていないという。それどころか、ザイナスの来訪予定さえ取り下げられている。
同行した筈のユーホルト共々、ザイナスは行方知れずだ。また、何か災難に巻き込まれたに違いない。リズベットは当然そう考えた。
リズベットは猛然と捜索を開始した。ただ全寮校の建前上、状況を追うのも儘ならない。そうするうちに日は経ったが、遂に街でユーホルトを発見した。
八つ裂き程度に問い詰めたところ、どうやら彼がラングステンに留まっていたのは、リズベットと同じ目的だ。ユーホルトもザイナスの行方を追っていた。
何の手違い行き違いか、ザイナスが連行したのは国軍の駐留衛士だった。しかも、大聖堂に対して手配保留の書状まで送っている。
ザイナスはいったい何に巻き込まれたのか。しかも、兄なら在り得る災難だ。
ユーホルトが行き着いたのは、国軍が王都の執政庁所属である事。その一部が
ユーホルトとしても得心が行かず、ラングステンに留まって、幾度となく
中々にキナ臭い。
しかも
ここに至り、リズベットは優先順位を学校よりも兄の捜索に切り替えた。もっと早くそうすべきだった。密かに編んだ将来の計画も、兄なくしては話にならない。
そう意を決して乗り込んだリズベットだが、
ザイナスを拉致した事由の手掛かりはないかと聞き込んだところ、臨時庁舎が引き揚げる直前、駐留国軍が総出で何者かを捜していたとの証言を得た。
話を繋ぎ合わせるに、国軍はどうやら一台の馬車を追っている。道筋からして、馬車の行く先はラングステンより北東にあるイースタッドだ。しかも、馬車が到着したと思われる深夜、不審な臨時列車が発車していた。
路線の行きつく先は第二都市ルクスルーナだ。向かうかどうかは迷い処だが、ここはザイナスの厄憑きを信じた。より面倒な災厄に引かれるに違いない。
いつだって、兄はそうなのだ。
ホーカソンをハルムに帰し、リズベットが変わらず寄宿舎暮らしでいるとの偽装工作を任じつつ、自身は臨時列車を追って路線を辿った。
当夜の汽車は路線故障のため、次駅のセーデルで停車している。だが、降車の記録はない。リズベットの追跡は終端の第二都市ルクスルーナに至った。
ザイナスの失踪から、既にひと月以上が過ぎていた。
兄は何に巻き込まれたのか。寄宿舎生活から積算して、もう二ケ月も会っていない。リズベットにとっては、心の箍が外れるほどのザイナス不足だ。
兄の厄憑きを鑑みても、嫌な予感しかなかった。ただ、命を落としていない事だけは確かだ。まだ、最悪の事態に陥ってはいない。
王国第二都市は広かった。ラングステンより混み入った工業都市だ。街に着いたリズベットは、まず早々に
リズベットが
都合の良い事も多い一方、教会の連絡網はなるべく避けたかった。ザイナスを公の目に晒したくない。下手に目立つと手が付けられなくなるからだ。
礼拝の前に庶務棟に立ち寄り、リズベットはそつなく当座の宿所を確保した。手続きの折にも愛想よく、街の噂や情報の溜まる場所をそれとなく聞き込む。
歳相応の不安と好奇を演じるリズベットに、庶務員は機嫌よく教えてくれた。
ざっと耳に入ったのは、雲を突くような大きな人影を見たとか、裸同然の兄妹が街外れの畑で保護されたとか。怪しげなものから切実なものまで雑多だ。リズベットの求める怪しい動きの国軍や、人目を忍ぶ汽車の乗客などの話はない。
勿論、リズベットも出端の幸運に期待はしていなかった。
教会が世話をする支援所や茶房は多い。工業が盛んなルクスクルーナは
まずは算段を立てよう。一応、礼拝もしておこう。教会の都合で祀られているとはいえ、司祭候補としては
リズベットは庶務棟を出て聖堂の正門に回った。優美に飾られた広い前庭を見て歩く。いつか、モルンの里にもこんな聖堂を建てる。それが彼女の望みだ。
その頃には、ハルムも
秘めた野望を胸に反芻し、リズベットはによによとした笑みを噛み殺した。
そのために、まずは兄を見つけなければ――。
「リズベット?」
当人が目の前にいた。
幻か。ついに妄想が具現化したか。ぽかん、とした様を絵に描いた顔で、リズベットは目の前のザイナスををぼんやり見つめた。
あの目許を隠した鬱陶しい前髪は、間違いなくズベットが押しつけたものだ。澄んだ漆黒の双眸が、あまりに無邪気に人を惑わせるからだ。特に女共を。
聖堂入口の階上に立つザイナスは、何やら子供用の衣類を抱えている。声も出せない、動けもしないリズベットに対して、ザイナスは変わらずいつもの表情だ。つい今しがたまで居たような、まるで気の利かない口振りで声を掛ける。
「ごめんね、迎えに行けなくて」
いつの話だ。だが、その絶妙な外し方が間違いなく兄なのだ。
血が昇り、ふらりと意識が遠退きそうになる。これは
「兄さ――」
「ザイナスー」
不意に聖堂の中から小さな女の子が駈け出して来た。一直線にザイナスに駆け寄り、撥ね飛ばす勢いで飛びついた。くしゃくしゃと頬を擦りつけている。
当のザイナスは身体を折って抱えた衣類を取り落とした。呻きながら苦笑する。
何だ、あれ。
リズベットの背に怖気が走った。茫然と見つめるリズベットに気づいて、少女がひょっこりと顔を覗かせる。一〇歳にも足らないくらいだろうか、翠の瞳があどけない。リズベットは見定めるように目を細めた。足下が失せそうになる。
「シンモラ?」
「え?」
どうしてその名で呼ぶのか、とザイナスがリズベットを振り返る。呼ばれた少女もきょとんとして、うー、と目を眇めるようにしてリズベットを凝視した。
「スクルド?」
「え?」
呟いた少女に顔を向け、ザイナスは混乱した様子でリズベットを二度見した。
「え?」
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