決戦

「…………くん」

 声が聞こえる。誰の声かも、内容も分からない。けれど誰かの声だってことは分かった。

「依途くん…………いやだ」

 ぼんやりとしたその音が少しずつはっきりとしていく。やがて誰なのか判別が付いた。

「行かないで。そばにいて……」

「ああ。いてやるよ」

 起き上がる。未神がきょとんとした顔でこちらを見た。この夢は…………いつだ? こんな状況とこんな未神、見たことあっただろうか。

「依途くんっ」

 未神がこちらへ飛び込んでくる。起き上がったのにまたソファに叩きつけられた。…………こんなイベント、本当にあったか?

「……」

「どうしたんだよ」

「どうしたじゃないよ。……これでも心配したんだ」

「悪かったな」

「いいよ。起きたなら。許す」

 …………起きた?

「これ、走馬灯じゃないのか?」

「そんなもの見てたのか。違うよ、ここは現実で、現在」

 夢だと勘違いしていたようだ。いつの間にか意識を取り戻していたらしい。

「あのバカでかい異獣はどうなった」

「意識を失ったきみを担いでここまで逃げたんだ。亜獣は健在、異界は暫く膨張を続けた後一時消失した」

「……また現れるのか」

「うん。僅かな休息ってことだ」

「避難は」

「既に自衛隊が誘導を開始している。現在危機レベル3+、異界を中心として60km圏内の人々が対象だ。夜海ちゃんもとっくに逃がした」

「ここにいるのは俺たちだけ、か」

 笑い事じゃないのに、未神が笑った。

「二人きりさ」

「何言ってるんだ、お前」

「3年経ってもロマンチシズムの分からないままだね、きみは」

 妙な皮肉である。

「夢なら多少は優しいセリフを吐けるみたいだけど」

 ……なるほど、さっき起き抜けに言ったことか。確かに、いてやるよだなんて普段言わない。

「ありゃ本心なんだけどな」

「……信じられないな」

「狼少年もたまには本当のことを言うだろ?」

「それ、信じてもらえなくて死ぬけどいいのかな」

「……良い夢を見てな。お前に礼を言わないとバチが当たりそうなんだ」

 昔のオレに石を投げられたくないしな。

「未神。ありがとう」

 ツチノコでも見たような、有り得ないという表情を浮かべていた。

「……どうしたの、急に」

「入学してから、今に至るまで。楽しかったのはほとんどお前のお陰なんだ。恥ずかしいから言いたかないが、お前が手を引いてくれたから俺はここにいる」

 いい機会だから洗いざらい話すことにする。機を逃せば、また言えないまま卒業してしまうから。

「いつからそんな素直になったのかな…………」

 そう。もう認めないわけには行かない。俺は素直じゃなかった。全て気がついていて、きがつかないふりをしていた。

 あの卒業式。未神が「誰に向けて」「何を言わせたくて」「なぜ怒ったのか」、そんなのは全部気がついていた。それより前から、こいつが俺をどう思ってるのかなんて分かりきっていたはずのことだった。

 夜海さんだってそうだ。あれが自分に向けて、好意を以て告白しているのは分かっていた。

 それでも俺は怖かったのだ。好意を向けられているのではと思うたびに、傷が疼いた。また馬鹿な勘違いを繰り返すのか、加害者になるのかと脳が警告を止めなかった。

 だから、そもそもそんな好意は存在しないのだと言い張って自分を守ろうとしていたのだ。そうしなければ、過去が俺を殺しに来る。でももう、いいだろう。都合の悪いことだけを現実であるかのように思うのは。


 ……だがまだ、俺には正直に話すべきことがある。未神と、それから夜海に。額を床に擦り付けて謝らなきゃならない事柄があるのだ。もう目を逸らすわけにはいかない。嘘をついてもいけない。

 けれどその前に、目前の敵を排除しなければならなかった。…………もし、もしも命を懸けてまで奴を討たねばならないなら、これは墓場まで持っていくとしよう。

 死人に謝られても困るだろうから。

「なぁ未神、あの亜獣について分かっていることを教えてくれ」

「詳しい正体は分かってない。けれど強いて言うならあれは、デストルドーの化物だ」

希死念慮デストルドー?」

「うん。見た通り、強力な再生能力を持つ。生半可な攻撃では無意味だ。攻撃能力は特異というほどでもないけど……あれは成長する」

「強くなるのか」

「そうだ。次戦う時は更に肥大化しているはず」

「お前の想像主ストーリーライターの力で書き換えられないのか」

「出来ないわけじゃない。けど……」

 未神が言い淀む。

「……やつはきみの因果、情報的な存在の根源に深く食い込んだ」

「……どういうことだよ」

「やつをぼくの力で書き換えようとすると、きみの存在が失われかねない」

「死ぬってことか?」

「違う。「いなかったことになる」」

 ……まぁ大体分かった。

「……ん?」

 電子音が鳴る。未神がスマホを開いた。

「衛星が捉えた。あの亜獣が異界の扉を破ったようだ」

「まさか……」

「ああ、こっちに出てきやがった」

 立ち上がる。

「行くぞ、未神」

「…………」

 未神が翼をはためかせる。開いた窓を飛び越し、あいつの手に掴まった。そのまま大空を駆けていく。

 未神に掴まって夜空を飛んでいく。あと5分もしない内に目的の場所へ辿り着くだろう。

「未神」

「どうかした?」

「やつへの勝算はどれほどあると思う?」

 沈黙が返ってくる。予想通りの反応だった。

「もしも、あれを物理的に撃破出来なかった時はお前の力で書き換えろ」

「ぼくの話、聞いてたの? きみの因果と……」

「その上で言ってるんだ」

「……」

 未神は再び沈黙した。その代わり、俺を捕まえる手がより強くなる。

「それと。自分が命を懸ければそれでいいとか考えるのもやめろよ。お前がいないと今後の世界に差し障る」

「……注文が多いな、きみは」

「お前、どうせそんなこと思ってそうだったからな。隠し事は俺だけで十分だ」

 こいつが考えていることが全部分かるようになったわけじゃない。けど、3年の間に少しずつ理解しているのだ。

「夜海ちゃんと約束したからね。……ぼくは死なない。きみも死なせない」

 やがて化物が見えた。先に戦った時よりも更に膨張し、はち切れそうになっている。今のところ、街や人々に被害は出ていないようだ。

「これより思春期同好会は作戦を発動する。作戦名に希望は?」

「……オペレーション・ラブコメディ」

 亜獣はもうすぐそこにいた。

「作戦名了解…………依途くん!」

 手が離れ地面へ放られる。受け身を取って着地した瞬間、鋭い触手がこちらへ殴りかかってくる。

 さっきと同じ攻撃、光刃でそれを裂いて迎撃した。……ヤツが再生能力を持つ以上、長期戦は許されない。可能な限り速やかに火力を注いで殺さないと。

「ツインファイア!」

 銃をもう一つ発生させ、両手で弾丸を連射する。

「…………っ!」

 未神が同様にてのひらから波動を放った。再生を上回る勢いでやつの肉壁が失われていく。飛んでくる触手や棘の勢いも薄れた。再生にキャパを割いているのだろう。

「バックアップ!」

「了解」

 未神の投げた羽根が俺に纏わり障壁を形成する。化物の放つ攻撃を防ぎつつ駆けた。

「くそがあぁああぁああああッ!」

 右手の銃を剣としヤツの体を斬り裂く、赤い中心部が露出する。

 ……もうおかしな夢は見飽きたぜ。左の銃でそれを撃ち抜いた。肉塊の動きが止まる。

「未神ぃッ!」

「消えてなくなれーっ!」

 黒の槍が四方八方から奴を刺した。

「…………」

 血を拭き上げて沈黙している。

「……まだみたいだね」

 ぶくぶくと肉が膨張し始める。やがて辺りに肉片を弾き飛ばしながら破裂した。

「……?」

 中から何かが現れて、こちらに歩み寄ってくる。黒い、人影のような。

「なっ」

 そいつが殴りかかってくる。咄嗟に避けて頭を撃ち抜くと影が霧散した。が、直ぐに影が集束し元通りになってしまう。

「なんだ、こいつ…………?」

 繰り出された膝を防ぐ。腕の上からでも衝撃が腹に伝わりよろめく、肘で側頭部を打たれた。大きく体勢を崩すとこちらへ何かが放たれる。肩を引いて避けた…………まさか、こいつ。

「俺と同じ動き……」

 手刀が俺を叩く前に顎に拳を入れる。感触はある……が、勝てるビジョンが浮かばない。俺と違って体力という限界が無さそうだった。

「依途くん、退いて」

 後ろに飛び退くと、赤い魔法陣から火炎龍が放たれる。飲み込まれた影は霧散したものの、また変わらぬ形を為した。

「未神でも倒せないのか……?」

 奴が手元の銃を2つに増やす。こちらも同様に二丁拳銃を握りしめ、走りながら乱れ撃った。弾丸は互いを食い合い、ただの一発も互いの体を穿たない。

 影が銃を足元に撃ち込むとその反動で空へ飛んだ。俺の右斜め上を掠める様に駆ける。

「ちっ!」

 その勢いのまま俺の右手を蹴りつけた。銃が弾かれる。

 着地した真っ黒くろすけが両方の銃口から闇の剣を伸ばして斬り掛かってくた。俺も銃を剣に変え応戦する。黒い双刃をただ一つの光で受け止めた。

 手数こそ向こうのほうが多いが……

「……残念だな、俺は二刀流が苦手なんだッ」

 ヤツの左腕を斬り落とす。踏み込んで更に突きを放つ。光が胸元を穿った。

「……」

 やつは刺されたまま俺に銃口を突きつけてきた…………マジかよ。

「ぐおおおおぉぉおぉおおぉッ!」

 撃ち出された闇に覆われ、コンクリの地面に叩きつけられた。

「畜生……」

 意識が遠のいていく。手足はいくら命令しても動かない。

「……」

 影がこちらに向けている銃口には赤黒い闇が膨らんで、今にも俺を撃ち抜こうとしている。……どうやらここまでのようだった。

「まだ、死ねないのに…………」

 闇が放たれる。それが目前まで迫った瞬間、翼が視界を覆った。

「未神……?」

 闇が失せると、未神は一言も喋らずにそのまま倒れ込んだ。

「未神、未神ぃッ」

 それでもあいつは動かない。

「ごめん、依途くん…………」

 そう囁いて未神が目を閉じる。そんな……

 俺の体も動かない。何故だ、今この瞬間、俺は立ち上がらなければならないのに。

 ヤツを倒さねばならないのに。

 動け、動けよッ! 今だけでいい! ヤツを消し飛ばすその瞬間まででいいッ!!!

 刹那、影に無数の穴が空いた。……誰かが銃撃した?

「あきらっち! 立って!」

「夜海……避難したんじゃ……」

「いいから、立つのっ!」

 影の銃を華麗に避け、アサルトライフルを叩き込んでいる。影の注意が向こうに向いている今のうちに俺は立たなければならない。

 何度も全身の筋肉に力を込めようとする。

「きゃっ」

 影が夜海の顔を殴っていた。

「てめぇ……」

 倒れ込んだところへ腹を蹴りつける。

「あきらっち…………」

 そのまま夜海も意識を失った。影がこちらに向き直る。

「……」

 見ていて分かった。あいつは俺だ。本当に俺だ。俺のデストルドーを真似て動いてやがるんだ。

 ……だから、俺のことを殺したくてたまらない。

 銃口がこちらを捉える。

「悪いが……まだやることがあるんだ。殺されてやるわけにはいかない」

 俺はもう、立ち上がっている。

 放たれた弾丸を先程のように弾丸で相殺する。インパクトが失せると、ヤツは銃に闇を……デストルドーを集束させていた。俺を殺すには十分なほどだ。

 あれを消し去る方法。多分もう分かっている。デストルドーに相反するもの、消し去るもの、リビドー。

 俺の銃は俺の精神エネルギーを放つものだ。俺のリビドーを最大限に高めてヤツにぶつけてやる。

 少し前の俺ならそんなこと出来なかったろう。でももう違う。

 女性に好かれることなど有り得ない? 見ろ、お前の前で夜海も未神も倒れたぞ。俺を庇ったせいだ。

 これが愛じゃなくて何だって言うんだ。目を逸らして良いわけねぇだろ。

「てめえだって分かってんだろ? 真っ黒くろすけさんよぉ……」

「…………」

「悪いがお前はもう要らない」

 …………銃口に光が集まっていく。何年も抑圧された俺の、夜海の、未神の。恋と愛。


「死ねや、デストルドーッ!」

 光と闇が、2つの意思が喰らい合う。融け合い、蝕む生と死。もう勝負は決まっていた。


「…………俺のリビドーを舐めるなよ」

 銃口の先に、もう死はいない。ただ夜の街がそこにあった。

 暗いはずの街はうっすらと明るく輝いていて、まるで夜が明けたようだった。……白夜ってやつか?

 それはまるで祝福のようだった。世界が救われたことというより、俺の克己への。

 冷たいコンクリの上に倒れる。もう動けそうにない。泥のように眠っていく。


 なあ、お前ら。愛してるぜ。

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