ラブコメディの成れの果て-5
目覚める。見知った天井がそこにある。
「ふわぁ」
今日も今日とて、平和な一日の始まりである。顔を洗おうと部屋から出た。
「おはよう、依途くん」
「……そういやお前いるんだったな」
「なにを言ってるんだ。昨日もあんなに愛し合ったというのに」
「遅くまでゲームしてただけだろ」
水道で顔を洗う。
「でも楽しかったろ?」
「まぁ」
「ならそれは、過不足なく愛だよ」
名言ぽく言ってるが内容は理解出来ない。朝の支度を終えて階下へ降りる。何か食い物は無いか冷蔵庫を漁ってみた。
「朝食ならもう作ったよ」
「え? まじで?」
よく見るとテーブルの上にラップのかけられた朝食があった。
「……おまえ、料理出来たんだな」
「心外だな。毎朝作ろうか?」
「いや。俺は2日に1回はコーンフレークを食わないと死ぬ体質なんだ」
今日は出された朝食を有り難く頂くことにする。未神の作った料理は以前の弁当くらいしか食ったことはなかった。だがこうして食べてみれば中々いける。
味付けがちょい薄めのあたりに上品さがあった。
「さて、依途くん」
「ん?」
「ぼくは少し出かけてくるよ」
「おう、そうか。気を付けて帰るんだぞ」
「……夜には戻って来る。それまできみの世話係は別の人に任せた」
姉から未神に、未神から某に。
「孫請けか。大変そうだな」
「何のマージンも貰ってないよ。それじゃ、洗い物くらいは自分でしたまえ」
「おう」
未神が部屋を出ていく。食い掛けの朝食だけが残る。
「……」
妙に視線を感じて振り向くと、柱の陰から未神がこちらを見ている。未神はそのままさっと隠れて歩いていった。
暫くして、食い終わった食器だけが残る。言われた通り洗い物まで終えてみると、いやに部屋の中が静かだった。
もうここには俺しかいない。寂しいわけではなかったが、何か妙な感情に襲われた。その感情の名前を俺は知らない。
それから、1時間くらい経っただろうか。ぼーっとしながらスマホを弄っているとチャイムが鳴った。
「おっはー!」
「…………」
部屋の騒音係数が跳ね上がる。多分線路下くらいの数値が出るはずだ。
「あれ、暗いよ? あきらっち?」
「いや……何でいるんだよ」
「みかみんからあきらっちのお世話とお嫁さんを引き継いだんだけど。聞いてない?」
「前者も聞いてないし後者も聞いてないな」
「まあまあ。上がるねー」
夜海が平然と階段を登っていく。当たり前のように俺の部屋に入っていった。いや、そこ許可なく入っていい部屋じゃないんですが。
俺も後を追う。既にベッドを半分奪われてしまっていた。被害甚大である。
「いやー、やっぱ男の子の家は新鮮だなぁ」
夜海は制服……なのだがブラウスは胸元が空き、スカートは膝の遥か上を覆っている。見目がギャルっぽいだけで別に普段から露出が多いわけでは無いのだが。なんか今日はやけに臨戦態勢である。
「いや、ごく自然に人の部屋に入らないで欲しいんだが」
「仕方無いよ。自然なんだから。人類に制御出来ないんだから」
「お前人類じゃなかったのかよ」
ベットに座ったままぐいーっと伸びをしている。足まで伸ばしている。…………見えそう、てか見えた。
「ていうかなんでそっち座ってんの」
「ベッドは座る場所じゃないだろ。だいたいそれは俺のベッドだ、どけ」
「やだなぁ。それに座るからえっちなんじゃん」
「えっちにしてくれと頼んでない」
「あきらっちはばかだなぁ」
夜海がそのままベッドに寝転んだ。そのまま枕に埋めた顔がわずかに動いている。
「えっちになりたいのは人の性なんだよ。向き合わなきゃ大人になれないよっ」
クンカクンカスーハースーハーとやつがひくひく動いていた。
「いやお前なにしてんの」
「あきらっちを…………吸ってる?」
甘かった。未神が膝に乗ったくらいで驚いている場合ではなかったのだ。こいつは最初から遥かその上の境地にいる。
「不思議だよねぇ。男女逆ならどう見ても犯罪なのに」
「逆じゃなくても犯罪だが」
…………俺には信じられなかった。冗談だか演技だか知らんが、人に告白して拒否されてあれだけ泣いておきながら、どうして彼女は俺に関わるのだろうか。
親の仇の如く憎まれても、或いは一切の関わりを絶たれても何ら不思議じゃない。寧ろそれが自然である。なのにこいつは平然と人の家に上がりこみ、ベッドの臭いを嗅いでいる。
「お前、変態なのか」
「そんなわけ…………え、でも今平然と匂いかいでたし……」
「……それに拒絶した相手の家に上がり込まないだろ、普通」
夜海は天井を仰ぐように転がると、何か考え込んでいるようだった。
「じゃあ変態、かぁ」
「良かったな、気付けて」
やつがしたり顔でこちらを見てきた。
「でも、もっと大事なことに気が付いちゃったぁ」
「?」
「あきらっち。拒絶した、って認識はあるんだねぇ」
唾をのんだ。見透かされた、そんな感覚がした。
「告白は冗談で嘘、あきらっちはそう主張してたはずだけど」
「……」
「拒絶なんて言葉……まるでわたしが本気で告白したの、分かってるみたいじゃん?」
沈黙した。下手に何かを言えば、その時点で色々なものが曝されるようで怖かった。夜海は変わらずどこか影のある笑みでこちらを見つめ続けている。
「馬鹿だよねぇ。こんな酷いひと、嫌いになれないんだもん」
「…………」
「みかみんも同じなのかな。あの子も趣味悪いよねぇ、そういう意味でも変態かも。わたしもあの子も」
どこか慈しむような眼だった。
「きみに拒絶されたのは悲しかったよ。自分を否定されたような気持ちになったし、殺意も湧いたかな。なんであんな男にフラれなきゃいけないんだってムカついた」
「悪かったな」
「それでも忘れられないんだから、人間の脳って欠陥まみれだよね」
温い風が吹く。カーテンが揺れている。そのいつもの光景の中に、彼女がいるのはやはり不思議に思えてならなかった。
「ねぇあきらっち。女の子好き?」
「ん?」
「わたしとかみかみんとか、特定の個人じゃなくてもいい。一般的に女の子は好き?」
以前未神にも同じことを聞かれた。結局あの時は答えなかったが…………
「ああ。好きだよ」
「あれ、はっきり答えてくれた。珍しいね」
「だからだめなんだ。この感情も欲求も消さなきゃならない。存在していてはいけない。これは加害だから」
「あーあー、そういうのはいいや」
夜海が俺の言葉を遮る。元から俺の言う言葉を知っているようだった。
「でもまぁ、よし。素直に話してくれるだけ嬉しいかな。
ともかく、あきらっちは「相手のために」自身の欲求を抑えてるわけだよね?」
「……ああ」
「でもあきらっち。わたしはあきらっちに性的な目で見られたいんだよね」
「何言ってんだよ」
「家に上がり込んでまでそういうふうに見られないってことは、わたしに魅力が無いってわけで。これは女性的尊厳の危機なんだ」
「……?」
「つまりね、あきらっちはわたしを性的な目で見ると加害だと思ってるかもしれないけど。それは否。寧ろ性的な目で見ないことこそ加害なんだよ」
混乱する。性的な目で見ないのが…………加害?
分からない。こいつの言ってることが。
「ジロジロとやらしい目で視姦して劣情を催さないとわたしを傷つけてしまう。加害してしまう。わたしはあきらっちを許さない。社会も許さない。
加害した人間は、幾らでも殴ってもいい。インターネットもそう言ってるね」
「え、ん、ああ……」
「そう、このままじゃきみは加害者だ」
何かがフラッシュバックする。かつて見た光景。見ず知らずの誰かが、誰かを嗤って、殴って、蹴飛ばしている。加害者は誰だか知らないが被害者は知っている。確か俺だ。
違う。俺は加害者だ。被害者ぶるな。お前の好意と性欲が加害なんだ。お前への嘲笑は正義の鉄槌なのだ。
やっと反省したのに戒めたのに、加害者にならないように頑張ったのに…………今度は性的な目で見ないと加害者?
分からない。俺はどうすればいい?
「加害はダメだよね?」
「ああ。もちろん」
「ならどうすればいいと思う?」
「…………性的な目で、見る?」
「うんうん。誰を?」
「夜海を?」
「当たり」
夜海が俺の目を見つめている。問うように、逃さぬように。大きく開かれた胸元が嫌でも目に入る。
「でもまだ足りない。証明しなきゃね、きみがわたしを性的に見てるって」
「証明……?」
「そうすれば、きみは加害者じゃなくなるよ」
彼女が起き上がる。両腕を……てのひらをこちらに向けてきた。
何かが俺に囁いた。衝き動かそうとした。それが加害を避けるための理性なのか、ただの性欲なのか、自分でも分からない。
けれど、気が付くと俺は事に及んでいた。体が勝手に動いていた。
「…………」
「へ?」
夜海の膝に座っていた。自分でも何でそんなことをしたのかもわからない。
「ぷっ、あはははははは」
夜海が爆笑していた。
「みかみんかよっ!」
言われてみればその通りだった。まるで未神である。恥ずかしすぎるだろ。
「上手く誘えたと思ったのにさーっ」
「誘え……?」
「うん。この理屈なら心置きなく手出してくれるかなーって」
「…………」
「ごめんね。あ、でも性的に見てほしいのはほんと」
「何やってんだ、俺…………」
その場からどこうとする。
「ちょい待ちっ」
腹と胸とをホールドされた。離れようにも力が強い。
「離せっ」
「やだよぉっ、やっとあきらっちからくっついてきたのに」
腕は万力のように俺を固定して離さない。俺もこの3年間戦ってきた、力はある方のはずだが…………
「はいはい、大人しくしてねー」
残念なことに俺よりタッパのある夜海の内側に俺はすっぽりと収まっていた。何が女性の尊厳だ、俺の尊厳はどこにいった。
「あきらっち、ちっちゃーい」
「小さくない! デカ女! ゴリラ!」
「ひどーい」
言い過ぎたか、そう思った瞬間夜海の顔が俺の首元に触れた。
「何してんだ」
「あきらっちくさい」
「はっなっせっよっ!」
「だめ。このくさいの、好き」
「匂い嗅ぐなゴリラ!」
「はー。あきらっちシコすぎー」
言動の意味を理解するのに時間がかかる。暫くしてそれが酷いセクハラなのに気がついた。
「…………は? シコ?」
「うん」
「…………?」
「わたしあきらっちのことめっちゃ性的な目で見てるからね?」
「嘘言え」
首筋を舐めてくる。
「な、何して」
「今盛りがついてるから。我慢して」
そのまま舌が耳にまで伸びてくる。
「や、やめろ」
「こういうことしても捕まらないんだもん、女に生まれてよかったー」
「やめてくれっ!」
「あきらっちさ。女のことを神聖視しすぎなんだよ」
「は?」
「わたしがあきらっちをエロい目で見るように、あきらっちもそうすればいい。あきらっちの性欲も好意も、わたしは絶対に加害だなんて思わないから」
「…………」
「少しずつでいいからさ。わたしとみかみんのこと、ちゃんと見てほしいな」
それは懇願のようであり、宥恕のようでもあった。そして、今はわたしたちに確りと向き合っていないという忠告のようでもあった。
……こいつにしろ、未神にしろ、何故俺に付き纏うのか。俺にその価値は無い。無いはずなのに。
「よーし。じゃああきらっち、炒飯作ってっ!」
「えぇ……」
「ほら、この前来た時約束したでしょ!」
「勝手にな」
「もう病みつきでさーっ、あの味思い出すと今でも震えるんだよねっ!」
…………完全に中毒じゃないか? それ?
「さ、れっつごー!」
そのまま夜海に背を押され、台所へ降りていく。
俺は…………許されたのか?
そんなよくわからない感情が、頭の中に浮かんでいた。
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