ラブコメディの成れの果て-4

「なぁ」

「ん?」

「何でお前と登校してるんだ、俺は」

 見飽きた通学路。散った桜を踏みながら学校へと歩く。半分寝ながら通う道に、何故か今日は連れがいた。

「同じ家から同じ学校に向かうんだから、そりゃ道のりも同じになるだろう」

「電車かバス使えよ」

「徒歩圏内だ」

「ならタクシー呼べ」

「きみが馬にでもなればいい」

 口の減らないやつだ。

 そうこうしているうちに学校に辿り着く。校門を抜け、ロッカーから上履きを放る。

「ふふ」

「どうした」

「新鮮だな、とね」

 そのまま4年教室へ向かう。何か当たり前に受け入れ始めてるが、そんな教室あってたまるか。

 自分の教室の扉をくぐって席につく。

「…………おい」

「何だい」

「何のつもりだ」

 未神が膝の上に…………俺の膝に座っていた。ごく自然に、俺が席についたその上に腰を掛けてきたのだ。

「なにって。見ての通り親友同士の自然なスキンシップだけど」

「不自然だろ」

 膝の上のこいつは星でも見るようにこちらを見上げていた。

「ここ、教室だぞ」

 直ぐそば、抱きしめられそうなほど近くに未神がいる。香水だとかの臭いはなく、薄っすらとシャンプーの香りだけがした。

「場所を弁えてやるべきということかな?」

「そうじゃない。いついかなるタイミングだろうと人の膝に座るな」

「膝というよりこれは……股ぐらといったほうが適切ではないだろうか」

「尚更どけよ」

「断る。相互理解には適切な触れ合いが必須だろう」

 ……まただ。こいつはまた俺との理解を諦めていないのか。

「……だがな、未神。周りをよく見ろ。教室でカンガルーよろしく重なって佇んでいたら奇異の視線で穴が開くだろう」

「きみこそよく周りを見るといい」

「はぁ?」

「いいから」

 そう言われてクラスを観察する。右前方、扉の前で男女が抱き合っている。左中央、女子2人が互いの指を舐め合っている。黒板、相合傘の下に俺と未神の名前が書いてある。

「どうなってんだ…………」

「知っているかい? 我が高校の総生徒数は600ほど。うち交際相手を持っているのが520、高校内で付き合っているのが230程度だ。

 少子化に改善の兆し、この国の未来は安泰だな」

「滅んでしまえそんな国」

「だから見ろ、誰もかれもイチャコラするのに精一杯でこちらを見ていないだろ」

 確かに女子生徒を膝に乗せた準性犯罪者の俺に誰も注目していない。……しかし、それよりも。

「あの黒板の馬鹿げた落書きは何だ」

「ぼくが書いた」

「馬鹿め」

 しかしそれすらも誰も気にしていない。大発情時代などと笑ったが正しくその通りになっていた。教室は最早そういう店と化し、教育機関としての役目を終えている。

 教育と理性の敗北を嘆いていると、ガラリと扉が開いてまた誰かが登校してきた。

「なっ…………」

 夜海だった。こちらを見て絶句している。

「な、なな……」

 ピーっ! とどこからか取り出したホイッスルを夜海が鳴らした。

「久しぶりに学校に来てみたら…………みかみん! あきらっち! なにしてんのっ!アウトだよっ!」

「なにって…………親友同士の自然なスキンシップだけど」

「そんなわけないでしょっ! どう見てもエロ! そんなのエロだよ! お触りは風営法が許してくれないよっ!?」

「そう言われてもな。黒板を見れば仕方ないことだと分かると思うけど」

 夜海が黒板の方を向く。中心に描かれた相合傘を見て髪を逆立てた。ピピーっ! と笛が2度鳴る。

「ツーアウトっ!! なにあれっ!?」

「ぼくと依途くんの関係を示した現代アート」

「い、いつの間にそんな関係に…………」

 夜海が怒りに震え始める。

「あきらっち……わたしの告白はすっとぼけたくせに…………」

「いや、何を誤解してるか知らないが。俺と未神は不埒な関係にないぞ」

「そうだよね。互いに純粋な愛を捧げた仲だ」

「お前は黙ってろ。とにかくあの相合傘はこの馬鹿が勝手に描いたんだ」

 事態を沈静化させるため、可能な限り冷静に説明をしていく。未神が不満そうにこちらを見ていた。

「じゃ、じゃあなんでみかみんが依途くんの膝にのってるの…………」

「こいつが勝手に載ってきただけだ」

 とうとう舌打ちした。

「彼女のことはいい、それより依途くん。バランスが悪いんだ。お腹を支えてくれないか」

「ちょ! そんなのハグじゃん! ズルい! 絶対だめ!」

「そんな気はない。さっさとどけ」

 はっきりと強気な姿勢での外交に未神が意味ありげな視線を向けてくる。

「…………収まりが悪いのはきみのせいなんだけどな」

「はぁ?」

「まさか、依途くんがぼくでそんなふうにするなんて」

 その意味を理解するのに3秒ほどかかった。確かに彼女の着座を阻害する屹立が俺の股間にある。3秒後、俺は死にたくなった。

「…………」

 それから2秒してピピピーっと笛がなる。

「……スリーアウト」

 こちらを見下ろすその視線には何の感情も込められていなかった。

「スリーアウト制か……野球なのか?」

「いや。野球にホイッスルは無い。サッカーじゃないかな」

「サッカーにスリーアウトねえだろ」

 ぶちっ、となにかが切れる音がした。堪忍袋とかそういうのだろうか。

「せんせーいッ!!!」

「あ、あいつ!」

 不味い! 夜海のやつ、公権力(きょうし)を介入させるつもりだ!

「おい、未神!」

「……避難しようか」

 未神が何か呟くと、俺たちは次の瞬間には教室にいなかった。




「みかみん、説明して」

 部室。陽は昇りきっておらず、青空だけが窓の向こうにあった。

 夜海ちゃんが身を乗り出してぼくを問い詰めている。依途くんはいない。実際には追ってきてもいない教師から逃げ回っていた。

「これまでのみかみんなら、あんなことしなかったでしょ」

「うん。そうだね」

「どうして急にあんな……」

 戸惑っているようだった。ぼくは依途くんへの好意を隠していなかったし夜海さんも当然それを把握していたけれど、肉体的接触を伴うような求愛はしたことがない。

 久しぶりに登校してみれば突然あの様子だったから驚いたのだろう。

「そういうの、わたしの領分だったでしょ」

「そうせざるを得ないから、ってだけの理由だよ」

「?」

 今度は疑問符を頭上に浮かべている。

「夜海ちゃんの言う通り、ぼくはこれまできみのような性的で性急な真似はしてこなかった」

「言い方」

「でも、もうそういうわけにはいかなかったんだ。彼は異性からの好意を受け入れられないから」

「あぁ。あきらっち、あんな感じだったもんね…………」

 きっとあの海…………彼女が告白したあの時の反応のことだ。ぼくより彼女のほうがこの件で傷付いている。

「一緒にいれば、いつかこちらを向いてくれる…………なんて希望に縋るわけにもいかなくなった。それでだ。ある作戦を発動することにした」

「作戦?」

「そう。でもそれを話す前に、依途くんについて伝えておきたい」

 彼女が頷く。

「彼には精神的な傷……強迫観念がある。彼の言動はそれが理由だったんだ」

「心の傷?」

「症状としてはこの前見たとおりだよ。自身が好かれるはずがないと思い込む、好意から逃げる。それが理性的で常識的な認識だとする」

「…………」

「過去の出来事が原因だそうだ。ぼくも知らなかった」

 これについては後で話そう。それよりも前に、彼女には伝えたいことがある。

「しかしぼくとしてはその認識でいられると迷惑なんだ。だから、依途くんが自身への好意を受け止められるように、拒絶しないように矯正してやらなきゃならない」

「うん」

 ことここに至っては、最早彼自身の意思など汲む気は更々無い。早急に思想の改善が必要なのだ。

「それで依途くんのお姉さんが、ある作戦をぼくに提案してきたんだ」

 鞄のクリアファイルから書類を取り出して彼女に見せる。

「…………親類補完計画?」

「うん」 

「冗談かな」

「本気なんだ」

 ホチキス止めされた紙の束をめくっている。

「なになに…………当作戦は、我が親類、愛すべき弟たる依途空良の精神的欠損を補完するための計画である。

 頑なに自分は好かれないと無根拠の主張を続ける対象に対し、異性による共同生活と肉体的接触の両面から電撃的飽和攻撃を行い、心理防衛線を可能な限り押し下げ、瓦解させるのである…………」

 そこまで音読して、夜海ちゃんが暫く唸る。

「…………つまり、くんずほづれつで脳みそお猿さんにするってこと?」

「そうなるね」

 彼の性欲と愛情とを増幅させ、理性の壁を崩壊させるのだ。

「他人に毒を撒き散らしていた人間が、彼女が出来たり結婚したりした瞬間生温くなったりするだろう? ああいう感じ」

「なるほど。わかった気がする」

 妙な例えをしてしまった気がするが、伝わったらしい。有り難い。

「けどね、現状この作戦には足りないものがある」

「足りないもの?」

「……ぼくでは、彼の性欲を引き出すのに不足がある」

 彼女は目をまん丸くしたと思うと、腹を抱えて笑い出した。

「それで?」

「可能なら、きみと手を組みたいと思っている」

 要するに、これがこの長話の本題だった。その為に経緯の説明をしたのだ。

「夜海ちゃん。彼はきみを傷つけた。憎まれても文句は言えないだろう」

「そうだねぇ」

「それでもまだ、きみは依途くんのことが好きかい?…………もしそうなら、ぼくと一緒に彼を救ってほしい」

 その答えに作戦の成否がかかっていると言っても良かった。だから、彼女がイエスを言ってくれることを心の底から願っていた。

「……好きだよ。大した理由もないけど、それでも大好き。やるよ。その作戦」

 知らないうちにガッツポーズを取っていた。彼女ならきっと……依途くんを発情させられる。

「これより我が思春期同好会は親類補完計画を発動する!」

「……それ、やらなきゃだめなの?」

「うん。お約束みたいなもんだよ」

 そんな訝しむ様な視線を向けられても、これは思春期同好会の伝統なのだ。やらないわけには行かない。

「……でもいいの? わたしを加えて」

「?」

「この作戦が上手くいったとして、わたしがあきらっち寝取っちゃうかもしれないけど」

 笑ってしまった。

「なにそれ、余裕?」

「……違うよ。もし夜海ちゃんが彼と幸せになるなら、それでいい」

「え?」

「ぼくの願いは依途くんがぼくに虜になることだけど、目的は彼の絶望を殺すことだから。

 彼が幸せならばそれでいい。よくないけれど、それでいい」

 この3年間、依途くんに貰ったものが多すぎる。ぼくの青春は彼ありきのものだった。だからせめて、彼が幸せになれるように背を押そう。ぼくを幸せにしてくれたように。

「…………」

「ぼくは依途くんのラブコメディを取り戻す。そう決めたんだよ」

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