ラブコメディの成れの果て-3

「ただいまー」

 帰宅。返事はない。

 夜海も未神も欠席していた為に部活も無く、久しぶりに学校から直帰である。こういう日もいいだろう。

 多分姉貴も帰ってないのだろうし、暫く一人でいることになるわけだ。

「なんか食うか……」

 餓えた狼のごとくリビングへ突入する。狼狽した。

「やぁ」

「……」

 何でお前がここにいる。

「おかえり、依途くん」

 微笑みをたたえた未神がそこにいた。

「住居侵入罪って知ってるか」

「法には疎くてね」

「……何で学校に来ないやつが人の家には来てるんだ」

「これを見てくれ」

 未神が紙切れを渡してくる。姉貴の字。

『旅に出ます。しばらくは帰らないので、未神ちゃんにお世話を頼みました。おめでとう』

 ……なるほど、そういうことか。紙切れを破く。馬鹿姉め!

「そういうわけだ。よろしく頼むよ」

「姉貴はいつ帰ってくるんだ」

「さあ。きみ次第、と言っていたけど」

「…………」

「生活費は預かっている。2人で1ヶ月は過ごせそうな額だね」

 史上最大の溜息が出た。何てことしてくれたんだ、姉貴。それもこんなタイミングで……

「そう嫌がらないでくれ。ぼくだって悲しくなる」

「…………お前な。この間のことももう忘れたのか?」

「何のことかな」

 とぼけやがって…………

「…………親友。あんなことで僕たちの友情は潰えたりしないよ」

 ……いや。とぼけてるんじゃない。こいつは昨日のことがあった上でこちらの領域テリトリーに上陸してきやがったのだ。この笑みは、そういう笑みだ。

「さて依途くん。ぼくは一応、きみのお世話を言いつかっている。きみがもし口寂しさを覚えているのなら間食などを用意するが。どうかな」

「いや。いらん」

 いつものような言い回しで普段言わない台詞を言われると違和感が凄い。おやつはその辺にある菓子を貪ることとしよう。

 戸棚を開ける。ここにビスケットを置いて…………ん? 昨日まであったはずのビスケットはどこかへと消えていた。確かに昨晩まであったはずだが。続いて冷蔵庫を開ける。シュークリームは失われていた。冷凍庫、アイス……は影も形もない。

「…………」

「どうしたのかな、依途くん」

 未神がしてやったりと言う顔をしていた。そこで俺は気が付く。嵌められている、という事実に。

「卑怯だぞ」

「何のことかな。甘いものが欲しいなら、ホットケーキを用意できるんだけど」

 ここで俺が頷こうものなら、こいつはしたり顔でにやにやと図に乗るのが目に見えている。未神に餌をやってはいけない。こいつは俺に餌を与えるふりをして、自らが捕食しようとしているのだ。

「要らないな」

 あいつに背を向けて部屋へ歩き出す。いい時間だ、惰眠を貪ることにしよう。

「そうか、残念だ」

 階段を上り自室に戻る。ベッドに身を投げた。カーテンの隙間から暖かな陽射しが差し込んでいる。

「なんなんだ、これ……」

 どうして未神が家にいる。どうして姉貴が旅に出る。姉貴が何かしら未神に入れ知恵したことは容易に予測出来るが…………しかし、どんな交渉を経てこんな結果に行き着いた。

 まさか姉のやつ……未神と俺を……

「…………」

 やめよう、考えても無駄だ。寝てしまえ。そうすれば余計な思考が失せてくれる。瞼を下ろす。暖かな光がちょうど心地良く、眠気を呼び寄せてくれる。

 良い夢を見れそうだった…………


 甘い匂い、金属がこすれ合う様な音、熱気。いつの間にか、そんなものを近くに感じていた。

 何だこれは……夢か?

 何だか知らないが、だとするならそんなに悪い夢じゃない。俺は寝ているはずだった。こんな夢を見るあたり腹が減っているのかもしれない。ホットケーキの夢を見るなんて。

 ……ホットケーキ?

「ん」

 微睡みが失せていく。やがてそこにあるものに気がつく。

「……何やってんだ」

「見ての通り、ホットケーキを焼こうと思ってね」

 黄色い生地の入ったボウル。火をあげるカセットコンロに薄く油の引かれたフライパン。これでもかと置かれた調味料に、お玉を握る未神。半ばファンタジーでも見てるかのような光景だった。異常だった。

「いや、おかしいだろ」

「なにが?」

「人の部屋でホットケーキ作らねぇだろ。台所で焼くだろ」

 ふむ、と言いながら未神が考えている。

「ガスコンロはパンが一定以上の温度になると火を弱めてしまうだろ? カセットコンロならその心配がない。火力が必要なホットケーキにはぴったりなんだ」

「炒飯でも作る気かお前は」

 嘘を付くにしても少々粗末が過ぎる。何でそんなことしてまでここでホットケーキを……と思ったが、直ぐにその企みを察した。

「まあまあ」

 パンの上に生地が載せられる。余りに香ばしい匂いが俺の鼻を通り抜けていった。

「うんうん。美味しそうだ」

「…………」

「依途くんは要らないようだからね。ぼくだけで頂くことにしよう」

「リビングに帰れ」

「もう焼いてるもん」

 やがて生地が焼き上がった。ほかほかの湯気を上げ、きれいな焼目がついている。未神はそこに塩バニラと書かれたアイスを乗せ、メープルシロップをかけ、ミントを置いた。

「頂きますっ」

 どこからか取り出したナイフとフォークでホットケーキを口に運んでいく。ケーキの熱でアイスが融けてシロップと混ざる。

「おいしーなっ」

 未神が笑顔でわざとらしい感想を述べた。

「あ、もう一枚焼いちゃお」

 パンに油を引き、キッチンペーパーで吸い取り濡れ布巾に乗せる。生地をまた鍋の上に乗せた。

「……」

 窓は開かれているのに部屋中に甘い香りが充満する。

「こんなに美味しいのになー、勿体ないなー」

「……おい」

「どうかしたの?」

「一枚寄越せ」

 嬉しそうに微笑んだ。

「素直じゃないなぁ」

 やつは焼き上がった2枚目を皿に載せ、チョコアイスを置いてベリーソースをかけた。ズルだろこんなの。

「はい」

「……おう」

 狭い卓の上で2人でホットケーキを食べる。何でこんなことになったか知らないが、とにかくチョコとベリーは合わないはずが無かった。

「美味しいね」

「ああ」

 昨日喧嘩したばっかだってのに、今日は仲良く2人でホットケーキである。何かが間違っている気がする。

「お前、嫌じゃないのか」

「何が」

「昨日あんなに軽蔑した相手とホットケーキなんか食って」

 当然の疑問だった。

「依途くん。ぼくは考えたんだ。他人を理解するには、理解しようとしなければならない」

「はぁ」

「これはいい機会だ。同じ場所で過ごし、食べ、寝れば自然と相手のことを理解するだろう」

「無駄なことはするな。帰って宿題でもしててくれ」

「依途くんもぼくを理解するべきだ。宿題なら後にしたまえ」 

「傲慢だな……」

「依途くんが強情に同居を拒否するなら生活費はぼくの懐に入れていい、お姉さんからそう聞いている」

「…………はぁ?」

「そういうわけだ。きみも飢えたくはないだろう、諦めてくれ」

 何てことだ。そこまでするのか、姉貴。溜息を吐き出して、ケーキを飲み込む。甘味と酸味が絡み合って、よく分からない。

「夕飯、食べたいものはある?」

「そうだな……」

「このあと、買い物に行こう。明日以降もお姉さんはいないのだからね」

 こうしてなし崩し的に妙な状況が始まってしまった。姉貴の陰謀か、未神の策略か。昨日の俺を嘲笑うかのように、こいつはがんがんと踏み込んでくる。

 呆れるような安堵するような、自分でも感情が分からないままホットケーキをまた一切れ口に運んだ。

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