ラブコメディの成れの果て-1

 部室のドアを開く。

 いつもと変わらない部屋の中に、普段と違う様子のあいつがいた。

「よぉ」

「おはよう、依途くん」

 声色こそ聞き慣れたそれだが、表情は違った。薄く微笑んでいるようなやつのデフォルトの柔和な表情に、怒りや憎悪といったアクセントを一滴だけ垂らしたような、そんな顔をしていた。

 般若面は脱いだのか、と軽口を言いそうになったがどうにかやめた。喧嘩をしたいわけではない。

「それで、話っていうのは?」

 部屋にいるのは未神だけで夜海はいなかった。教室でも姿を見ていない。休んだのだろうか。

「言わなくてもわかるだろ。昨日のことだ」

 努めて冷静にそう述べているようだった。

「事情聴取だよ」

「昨日話した通りなんだがな」

「まず聞きたい。夜海さんには謝ったの?」

「いや。していないが」

 未神がまた昨日の顔に戻りつつあった。

「なぜ」

「なにをどう謝れっていうんだ」

「……彼女を傷つけた、という自覚もないのか」

「ある」

「なら何で謝ることすらしないんだっ!」

 結局怒鳴るあいつを見て溜息を吐きたくなった。

「そう言われてもな。だから何を謝ればいいのかさっぱり分からんよ。泣かせてしまったのだから、何かしら精神的動揺を与えてしまったんだろうということくらいは分かるが」

 溜息を吐いたのは未神だった。

「……昨日たまたまきみがおかしくなってしまっただけで、今日になればいつものきみに戻ってる。そう思いたかったんだけどな」

 俺はずっとこうだ。昨日だってそうというだけなのだ。

「……彼女はね。きみに告白をしたんだ。それはわかる?」

「まあそう聞こえるな。何でそんな冗談言ったか分からんが」

「冗談じゃない。全て真実だ。彼女は好きでもないのに好意を告げるほど愚かじゃない」

「いいやつだとは思うが……それはそれとして告白は事実じゃないな」

 なぜ彼女があんな告白擬きをしたのか、それは分からないけれど。

「それはきみが決めることじゃない!」

「いや。もう決まっている。俺が好かれるなんてのは物理的に有り得ないからな」

「どうしてそう思う……?」

「理由なんてない。そういうものだからだ」

 自明の理は証明する必要もない。わざわざ呼び出して話をされたところで、昨日と同じ会話を繰り返すだけだった。

「自身が非論理的な言動を取っている自覚はある?」

「無いな。女性が俺に対し好意を吐露するとすれば、そこには何かしらの誤認があるか、何かしらの利益の為の演技か、冗談か」

「それが非論理的だって言ってるんだっ!」

「やめてくれよ。喧嘩したい理由は俺には無い。……だいたい、何でそんなに怒ってるんだ」

 未神は色恋やらにそう関心のある方ではなかったはずだ。

「俺とお前の付き合いだ。夜海だって部員だしな。だからお前と無関係とは言わんが、かといってそこまでお前が気にすることか?」

「…………なぁ、依途くん。もしもぼくがきみを好きだと言ったらどうする?」

 また何か、昨日夜海と話した時のような違和感を覚えた。怒りだか喜びだか絶望だか言語化のできない感情が渦巻いて、脳が拒絶を示す。

「どうもしないさ。お前でも冗談の1つや2つ、別に言うだろう」

「違う。本気で言っている。本気できみに好意を告げている」

「やめてくれ。お前までそんな馬鹿なことを言うのか」

 全く。夜海にしろこいつにしろどうしてしまったというのか。この世界がおかしくなってしまったことに関係でもあるのだろうか。

「なぁ未神。こんな説教をお前にしたくはないが、好きでもない人間に好きだというのは非倫理的だ。褒められたことじゃない」

「…………」

「しかし、どうしたんだ。お前も夜海も。男遊びがしたいならもっとマシなツラのやつがいるだろうし、承認欲求だってなら……」

 視界が揺れる。天井と馬乗りになった未神が映った。

「きみはこの3年間を否定するのか?」

「ああ?」

 未神の表情にあったのは、殺意とすら言えそうな程の憤怒だった。

「ぼくの3年間を、きみは…………」

「俺は楽しかったぞ、親友」

 彼女の髪が白く透く。蒼い波動、辺りの空気が揺らめいていた。かつて世界と俺とを救った翼は今俺への怒りに震えている。

「なぁ、どうしたらいい。きみという人間を理解するには」

 …………いや。涙だった。怒りを浮かべながら、あいつは泣いていた。

「無理だ。他人だからな」

 全く憂鬱である。怒鳴られるのも嫌だが、泣かれるのは更に責められているような気分になるのだ。

 そうされるくらいならのこのこ部室になんか来なければよかった。

「……話が終わったならどいてくれ」

「…………」

「お前が俺をどう思うかも、どうするかもお前の自由だ。腹の底から苛立って仕方ないなら殺してくれても良い。

 だが、俺という人間は変わらない。どうにもならない。諦めてほしい」

 そのとき未神の表情にあったのは多分、絶望とかそういうのだったと思う。けれど俺がどんな顔をしていたのかまでは分からない。

 窓の外。桜はとうに散っていた。

 暗い部屋。

 視線の先には真っ黒な天井が有るが特に何も見てはいない。ベッドの上に寝転んで石のように固まっていた。自分が今正気なのかそうでないのか、或いはこれが現実なのかさえふと分からなくなるようなそんな感覚がした。

 ぼんやりとした思考の中に、うっすら浮かぶ要らない記憶。

 他人のことも自分のことも分かってない馬鹿なガキ。別に思い出したい理由も無いのに、そいつは勝手に湧き出てくる。もう脳みそに焼き付いてしまっているのだ。

 暴れ出したいような気持ちになって、でもそんなことに意味がない事は知っているから、ただ唸った。やはりいくらそうしても、そのくだらない記憶は消えずに浮かび上がる。

 ……そいつは中学生だった。普通のガキだ。これといって取り柄の無い…………いや、一般よりも劣った中坊だった。見目とか活力とか、どっかにあったらしい校内の序列とかな。

 んでもってそいつはよく話す女子がいた。これと言った変哲の無い、普通の子だ。話すのは何てことのない、天気がどうとか成績がどうとかそんな意味もないけど害もない話。けれどまあ、その子にとっては無意味でも女子と話すことのないそいつにとってはそうでなかったわけで。

 好かれたことのない人間は勘違いをしやすい。そいつも例外ではなく、その女子に好かれているのではないかと狂った発想に至った。更に好かれたことのない人間は、好意を寄せられていると認識した相手を好きになりやすい。まあ一般的な傾向だと思う。

 そしてあろうことか、そいつはその女子に告白した。交際して欲しい旨をメッセージで送ったのだ。何と愚かしいことだろう。もはや過去恥部(ラブコメディ)の擬人化である。しかし、今思えばこれが電話か口頭だったらこの後のことは起こらなかったのだ。

 男が返信を待ちながら某SNSを見ていると見覚えのある画面が映った。実に最近見たはずの画面だったが、だがしかしそれはパーソナルでないネット上で見るはずのない表示だった。

 信じられずに何度か見直してみたが、それはやはり俺の送った告白であるようだった。

 たっぷり三十分ほどして、俺は事態を把握した。

 俺の送った一世一代の大勝負は「オタクキモい 困る」との文章付きでインターネッツにスクショが投稿され大いに拡散、バズりにバズっていたのだ。いいねが10万ついていた。

 その後はインターネット男女論ジジイ・ババアに目をつけられ格好の題材となった。止めときゃいいのに中坊のそいつはそれらを読み漁った。

 延々と思考を繰り返しながら学校に行けば、その一件についてからかわれたり気を使われたりした。当然クラスにも知れ渡っていたようだ。仕方が無いので笑って返してやることにした。当然と言えば当然だが、その女子と話すこともなくなった。向こうも可哀想である。

 それから、そいつは反省した。自らの言動や考え方を顧みることにしたのだ。慢心や奢り、自意識その他。

 今回の件、その投稿への返信やその後一連の論争、今までの人生。それら全てを考えるに、そいつが……要するに俺が女性に好かれること自体、幻想であるのだと判明した。

 そんなことは絶対にあり得ないし、あると思ってもいけない。何故ならそれを期待するのは醜いし、他人に迷惑になる。今回の女子だって俺に関わられ気持ち悪いという当然の反応をした結果、批判的な投稿に心を痛めアカウントを削除している。実に申し訳無い。

 そもそもの話として、俺のような劣った人間が女性に関わろうとすること自体加害なのだ。もっと早く気が付くべきであった。彼女にも謝りたいが、それも加害だろう。

 見目であれ中身であれ、何かしらその他の要素であれ俺は欠陥に満ちている。それ故に異性に好かれることはない、好いてもいけない、自ら関わろうとしてもいけない。そう戒めることにした。今回の件はそういう意味で、俺にとって学習の機会ではあったのかもしれない。

 それから暫くして高校に上がり、未神と出会った。

 変なやつだった。世の悲しみを全て自分のことのように受け止めるような。

 だが良いやつだった。俺を笑いも拒絶もせず、友と認めてくれた。共に戦ってくれた。そして、ライトノベルみたいな大冒険をくれた。主人公にしてくれた。

 俺はやつに心の底から感謝している。幾ら感謝してもしきれないほど。未神がいなければこの3年間に何の価値も無かっただろう。俺の手に入れられないはずの全てを、あいつがくれたのだ。

 もしいつか、あいつが死ぬ日が来たとしたら俺はあいつの墓を磨き続けるだろう。俺が死ぬならば、遺書にやつへの感謝を綴るだろう。

 ……そんなあいつを泣かせたのだ。それはどんなことよりも重い罪だ。しかし全ての結論はとうに出ている。覆ることはない。

「…………」

 銃。3年間共に戦い続けた、もうひとりの相棒。矛盾から逃げる方法はこの他にない。

 それ強く握りしめて、先端を頭に押し付ける。暫くそうしている。


 どれだけそうしていても、結局引金は引けない。部屋の隅に放り投げた。明かりを付ける為に起き上がるのが面倒で、暗闇に寝転んだまま再び思考は渦巻いていく。


「……ラブコメディには遅すぎる」

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