大発情時代-の終わり

 暫くして砂浜にポールが2つ、間にネットが張られた。迷惑極まりないが他に客もいないので許してほしい。

「さーいくよーっ」

 夜海がボールを上空に放り、跳び上がる。ジャンプサーブ……いや、掌じゃない、拳をボールに叩きつけていた。

「おらぁッ!」

 強烈な角度から放たれる一撃。やはり夜海はただのギャルじゃない。一般人に拾い上げることのまず不可能な弾丸が砂を叩こうとしていた。

 ……が。相手は未神なのだ。次の瞬間にはその地点に現れ、ボールを蹴り上げていた。

「ボール、何回触れて良いんだっけ?」

「……3回」

 夜海は弱いわけじゃない。身体能力も一般人類の中では高い方だろう。が、この勝負はやる前から決まっている。……未神の能力は人のそれじゃない。

 やつはふわりと宙に浮かぶと、2枚の大きな翼を背から伸ばす。髪が銀色に染まる。…………水着の天使がそこにいた。

「そんなにいらないね」

「おい未神ッ! 待て!」

 やつが掌を前に突き出す。その先の空間をちょうどボールが通過する瞬間、光が瞬いた。

「!」

 光が失せる。粉々になったネット、抉れた砂浜。そして破裂したボールの残骸が夜海のコートに散っていた。

 腰を抜かした夜海が近くに座り込んでいる。

「ボールはそちらにあるようだね。ぼくの勝ちかな?」

「…………」

 彼女は目の前に起きた現象を認識しかねているらしい。破裂したボールを見つめてバタリと倒れた。

「馬鹿言え。反則負けだ」

「……え?」

 未神の羽と神が元に戻っていく。 

「依途くん! それはあまりに卑怯じゃ……」

「ネットごと吹き飛ばすやつが卑怯を語るな」

「……」

「無闇に力を使うな。そう約束したはずだよな?」

 かつて、未神とそう約束したことがあった。そもそもは俺のために力を使ったことに由来するが…………

「夜海ー! 大丈夫か!」

 倒れた夜海の方へ歩み寄る。未神は何も言わなかった。




「ん…………?」

 夜海が瞼を開く。

「あきらっち……?」

「起きたか」

 夕焼けの砂浜。桜の海に夕焼けというのは盛りすぎな気がする。

「ああ。バレー、負けちゃったんだっけ?」

「いや。あいつの反則負けだ。無闇に力を使うなと約束してたからな」

「約束かぁ」

 夜海が起き上がる。砂が肌を伝って落ちた。

「膝枕ぐらいしてくれてもいいのに」

「法に触れるからな」

「なんの?」

「迷惑防止条例とかそういうの」

「なら、法律変えなきゃね…………あ、みかみんは?」

「へそ曲げて帰っちまったよ」

「……そっか」

 夜海が何か呟いたが聞こえない。

「本当は自力で勝つつもりだったんだけどなぁ」

「そりゃ無理があるだろ」

「実は昔バレーやってたことあるんだよね」

 初耳だった。

「結構運動能力は高いほうだからさ。頑張ったらそっちでご飯食べられたかもしんないけど」

「でもやめたのか」

「うん。わたし、体育会系きらいみたい」

 彼女が身体を寄せてくる。風でも吹いたのか、近くの草むらが揺れた。

「思春期同好会に入ってまだそんなに経ってないけどさ。こっちのほうが楽しくやってける気がしてるんだよね」

「……」

「譲れないから争ってるけど、みかみんは結構好きなタイプだし」

「そうなのか?」

「うん。一途なのもぴゅあっぴゅあなのもかわいいし、多分わたしが男の子なら好きになってた。……それとね」

「ん?」

「好きな男の子といられるのが一番いいかなぁ」

 夜海が身体を擦り付けてくる。見た目の印象ほど強くない香り。

「おい、離れてくれ」

「やだね」

 更に強く彼女の腕が俺を繋ぐ。

「あきらっち。わたしと付き合って」

 鼓膜を震わせる音声。その意味を反芻する。何度かそうしてみると、どうやら彼女は俺に交際を申し込んだようだった。

「だめかな」

 ならば俺に返すべき言葉は何か。少しだけ時間を掛けて、小さな脳味噌が答えを出した。

「おかしな冗談はやめてくれ」

「冗談なんかじゃないっ」

「……何故そんなことを言うのか分からんが、好きでもない男に告白しちゃいけない」

「好きだからしてるのっ!!」

 彼女は叫んでいた。分からない。何が夜海をこうさせているのか。

「……何で嘘だなんて思うの」

「当然だろ。女の人が俺を好むはずがないじゃないか」

「じゃあわたしはなにっ!?」

「分からない。嘘をついているのか、冗談を言っているのか、何かを演じてるのか。さもなければ俺を誰かと間違えてるのか」

「…………」

 みるみるうちに彼女の表情が歪んでいく。

「もしかすると、俺が何か勘違いをしているのかもしれない。気を違えてるのかもしれない。

 何にせよ、俺が好かれることは有り得ない」

「どうして……そんなふうに考えるのかな……」

「どうしても何も、自分が好かれると思うほうが異常だろ」

 彼女をそう諭すと、草むらから何かが飛び出てくる。猪か何かだと思って振り向くと、そいつは俺の胸ぐらを掴んで頬を思い切り叩きやがった。

「…………何だよ」

「きみはいつからそんな人間になった」

 未神。烈火のような表情で拳を握っている。

「答えろ。いつからそんな人間になったッ」

「何が言いたいのか知らないが。俺はずっとこういう人間のつもりだぞ…………お前と会った時からな」

「ぼくの親友を侮辱するな」

「そんなことを言われてもね」

 俺はこの顔を知っている。歯を食いしばり、自らの発動できるはずの力をどうにか押さえようとしているのだ。……いつか、俺がやられたときにもこの顔をしていた。

「違う。きみは他人にさして興味の無いふりをしながら、いつだって人の心に思いを馳せていた。他者を傷つけることを恐れていた。この前ぼくと出かけた時もそうだ。

 …………いつからそんなに人の気持ちを理解しようとしなくなったんだ」

「他人のことは知らん。俺は俺のことを知っているだけだ。身の程を知っている。分を弁えている」

「なにを…………」

「親友よ。お前も見れば分かるだろう? こんな人間を女性が好きになるはずはないんだ。そんなことを言ってくるとしたらそいつは画面の向こうか、俺の都合の良い妄想でしかない」

 未神は沈黙していた。俺の言動の意味を図りかねているようにも見えた。

「……親友。ぼくはきみのことをもっと分かったつもりでいた。間違えてたよ」

「仕方無いな。他人のことを理解なんて出来るわけが無い」

 夜海は涙を流していた。未神は唇を噛んでいた。彼女たちが何故こんなことを言ってきたのか、俺には分からない。

 仕方が無い。他人のことは分からない。

 けれどきっとこいつらが不快そうなのは俺のせいなのだろうから、俺はさっさとその場を立ち去ることにした。

 ふと、今日の朝読んでいたライトノベルのことを思い出す。あんな古びた神話が今更繰り返されるはずもなかった。

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