大発情時代‐9

 ベッドの上。退屈な休日。

「……」

 昨日の炒飯騒動が嘘のような、穏やかな時間。空は青いが別に外に出る気にもならない

 特にやることもなく、いつか読んだ古臭いライトノベルをパラパラとめくっていた。昔それなりに流行ったような、そうでもなかったような、時代の徒花。

 馬鹿馬鹿しい名前の付いた妙な部活。そこにいるエキセントリックな女。現れる敵、障害。定期的に挟まれる低俗なサービスシーン。最終的には、何だかんだ主人公とヒロインが発情しくっついてハッピーエンド。

 ベタだかベターだか知らないが、かつてあまりにもよく見た要素と展開を敷き詰めたこの一冊は時代を象徴しているようにも思えて、最早神話だとすら思えた。

 物語というのは、基本的に人々の欲求を満たしてやるためのものである。神話は信者の、ラノベはおっさんの、芸術は高尚ぶりたい誰かを満たし肯定しペニスを扱いてやるためのものだ。どんな物語もそうだ。

 つまるところこのラノベを読んでいた元若者たちは求めたのだ。素っ頓狂なファンタジーや、自らの秘められた能力や有能さ、そして誰にも心を開かないヒロインが自分だけを好んでくれることを。

 それは馬鹿馬鹿しいようでいて、どこか切実だった。みんな欲しいものがたくさんあるのである。そんな中で何が一番欲しいかと言えば、そりゃラブコメだ。可愛い子に好かれたかったのだ。だから物語の締めは敵の撃破でも障害の突破でもなく、ヒロインとの新たな日常なのだろう。

 好かれたいという欲求と、いつか俺も好かれるはずだという幻想がそこにある。

 思えばこんなラノベはもうあまり見なくなった。単に流行りが過ぎただけとも言えるが、きっと別れたのだ。こんなあまりに都合の良い夢みたいな話が馬鹿馬鹿しくなってしまった人々と、更なる都合の良さが許される異世界へ旅立つ人々に。

 いつも思うことだが、俺のこの3年間はそんな古いラノベによく似ていた。謎の部活に謎の女、世界の運命を決めるような戦い。ある一つの要素を除けばその殆どが現実に網羅されていた。随分俺は恵まれている。生きていてつまらないということがない。

 けれど一つだけ違うのは、俺のこの日常にラブコメは無いということ。

 異世界に旅立つ訳でもない。全てを夢みたいな話と笑うわけでもない。けれど、「好かれる」という神話はもう信じられるはずもなかった。


 広げた偽典はちょうどヒロインが主人公に想いを告げようとしているところだった。投げ捨てる前に、スマホがぷるぷると震える。

「もしもーし」

 夜海だった。

「はい」

「ねぇあきらっち。今日ひまー?」

「用件によるかなぁ」

 昨日の今日ですぐに連絡があるのに驚いた。向こうは結構ヒマそうである。

「んー、あのね。海行きたいなって」

「海?」

「うん」

「なんで?」

「このまえあきらっちがおっぱいで喜んでたから、好きなだけ見せてあげようと思って」

 これにのこのことイエスを言おうものなら尊厳の重大インシデントが起こる。父親のAVとかと同じである。

「人を色欲魔みたいに言うのはよしてくれ」

「いいんだよぉ照れなくて。人類みな色欲魔なんだって」

 俺どころか人類の尊厳まで嘲笑っていた。ギャル怖い。

「ほらほら。ただで半裸見れるんだよ? お得だよ? 来ないと損だよ?」

 今度は消費者心理にまで訴えてこようとしてくる。たしかにそう言われると行くべきのような気がしてきた。

「ほらほら〜世のおじさんたちはお金払ってまでおっぱい見たくて仕方ないんだぞ〜」

「…………」

「胸は見ても見なくてもいいからさっ、一緒に海行こーよぉっ」

「……だいたい、どこの海?」

 彼女が述べたのは、ここから電車で3駅ほどで行ける近場だった。行けないことはない。

「今さ、桜が海に散っててすごい綺麗なんだっ」

 確かにそれはとても綺麗そうだった。この異常気象下で無ければありえない、今後拝めるか分からない現象である。

「……分かった。駅に集合で良い?」

「えへへ、やった。駅に13時ねっ!」

 そういうわけで昨日の妙な疲れの抜けないまま海になんか行くことになった。海なんかあらゆるレジャーの中で一番……山の次くらいに疲れるのだが、そう決まってしまったので仕方無い。

 どこかにしまった水着を掘り出して、家を出ることにする。

「あれ? あきら? どっか行くの?」

「海」

「え? 海?」

 訝しむような視線の後、頭上に電球を光らせた。

「あ、昨日の子たち?」

「何で分かる」

「だって一人で海行かないでしょ」

「あるかもしれないだろ、そういうのも」

「一人ならお姉ちゃんも一緒に行きたいなっ」

「…………昨日の二人と一緒だ」

「ふふふ、最初から素直にそういえば良いのだっ」

 靴紐を締めて立ち上がる。

「じゃあ行ってくる」

「お夕飯食べてくるなら教えてねー」

 玄関を出る。駅を目指した。




 陽の照る砂浜に、終わりのない空と海。桜吹雪が波に飲まれて消えて行く。現実と呼ぶにはあまりに美しい光景がそこにあった。この時期に海で遊ぶなんて発想は無いのか、俺たちの他には誰一人客はいない。

「……何でお前がいるんだ」

「部員同士が不純な親睦を深めようとしているらしいと聞いてね。補導に来た」

 普段と違うパーカー……ラッシュガードと思しきそれを着込んだ未神がそこにいた。

「不純な親睦ってなんだよ」

 未神が首の動きだけで何かを示す。そちらには青いビキニを着た夜海がいた。両胸が主張しつつ、程よく健康的な足腰が伸びている。ひどく刺激的だった。

「ああいうのだ」

「じゃあ純粋な親睦って何だよ」

「ぼくとの親睦だ」

 何を言ってるんだ、お前は。

「えへへ、あきらっち。おっはー!」

 水着のまま夜海が抱きついてくる。水着の谷間……生身の胸や腕が俺に纏わりついた。

「ほらほら、生乳だぞーっ」

「ちょっ、離れろって……」

 必死に慎吾ママを浮かべて煩悩を発散する。

「その上無料! タダ乳だよ、タダ乳?」

 ……だめだ、クソ! 慎吾ママが負けるッ! 乳房で潰れるッ!

「…………」

 未神が母親の同人誌でも見つけたような顔でこちらを見ていた。

「みかみんはね、わたしが呼んだんだ。あきらっちもいた方が嬉しいでしょ?」

 どのように答えるべきか迷って沈黙していると、未神の視線が更に険しくなった。同人誌はBLものだったようだ。

「ああ、嬉しい。ものっそい嬉しい」

「だって。感謝してね、みかみん」

「……そうさせてもらうよ」

 何か二人の間に火花が散った気がした。……例の核弾頭か?

「……よーっし、じゃあ遊ぶかぁっ! えいえいおーっ」

 夜海が腕を高く掲げる。胸が揺れた。

「あきらっちも、おーっ」

「お、おー」

「みかみん?」

「おー」

 二人で夜海に腕を引っ張られる。結構な馬鹿力だった。

「ばっしゃーんっ!」

 そのまま海面に顔から突っ込んだ。

「うう……」

 どうにか顔を上げる。桜の海が間近にあった。

「って、いきなりはやめてくれよ」

「だって早く遊びたいしーっ」

 夜海の身体が濡れていた。腕から雫が垂れている。

「……未神は?」

 夜海の向こうを見ると未神が平然と水面に立っていた。

「なにそれっ! みかみんすごい!」

「おい未神、目立つから止めてくれ」

「…………だって。泳げないし」

「へ?」

「水、嫌い」

 意外だった。こいつにも弱点があるのか。

「聞きました? あきらの旦那?」

「ああ」

 夜海が顔を寄せてくる。

「やることは一つっ」

 夜海が素早く未神の後ろに回り込み両腕を押さえる。

「さああきらっち! やってしまえーっ」

「な、は、離せっ」

 未神が細い手足をばたばたと暴れさせる。やはり夜海はパワータイプらしい。両掌を海中に沈める。

「や、やめろ親友! 裏切るのかっ!?」

「海に来て濡れない馬鹿がいるものかっ」

 思いっきり海水を未神にかける。

「わっ」

 もっとかける。

「わわっ」

 更にかける。

「うわあーっ」

 …………何をやってるんだ。俺は我に返ってやめることにする。

「あきらっち、なにやめてんの! 裏切りものーっ」

「……依途くん。きみがそんな人間だとは思わなかったよ。裏切りもの」

 ……何で双方から口撃されなければならない。

「そろそろはなせっ、その脂肪をぼくに押し付けるなっ」

 未神がまた暴れている。

「だいたいみかみんさー、そんなラッシュガードなんか着ちゃって。海だってのに、それじゃあきらっちに見てもらえないよ?」

「うるさいっ、そんな性欲で釣るような下品な真似……」

 暴れているおかげでバシャバシャと水が跳ね、会話は聞き取れない。

「もー下品だなんて。みかみんだってあきらっちのことやらしい目で見ないの?」 

「ぼ、ぼくはそんなこと……」

「………………えいっ!!」

 目にも留まらぬ早業。未神の拘束が外れたかと思うと、ラッシュガードのファスナーが外れていた。

「……なっ!」

 未神の水着が露わになる。白い肌、腰回りがわずかにくびれていた。何と形容して良いのか知らないが、スポブラみたいな感じだった。

「あれっ、あれっ?」

 ファスナーを閉め直そうとして混乱している。だがそれは今夜海の手元にあった

「あっれー? みかみん、意外と大胆?」

「き、きみに言われたくない!」

「だってわたしはそういう要員だし」

 こちらの視線に気が付き、未神が無理矢理ラッシュガードで肌を覆う。親の仇を見る目でこちらを見ていた。

「……なぁ、夜海。直してやってくれないか?」

「みかみんが単に肌を見られたくないだけならそうするんだけど。そういう訳でもないからねー」

 理由はよくわからないが、ファスナーを戻してやる気はないらしい。

「よしよし。みかみんの面倒も見てあげたし、遊ぶぞーっ」


 それから夜海を中心に暫く海で遊んだ。桜と海と女の子。実に絵になる取り合わせである。

 海になんか来るのは随分久しぶりで、友達と来たのはもしかすると初めてのような気もした。水中で動いた後の妙な疲労感はあるものの、結構満足していたのだ。

 桜の木を見やると、いつの間にか花びらは半分くらいに減っていた。これだけ景気よく散らせばそうもなろう。妙に長いこの春もいつか終わりが来るのだ。

「じゃじゃーん!」

 夜海が見せびらかしたのはネットとポール、そしてボールだった。

「どこから持ってきたんだ、これ」

「どこでもいいでしょ。…………思春期同好会女子ビーチバレー最強決定戦をここに開催するっ!」

 俺の質問を無視して夜海が叫んだ。

「はぁ。ぼくもう疲れたんだけど」

 呟く未神。いつの間にやらファスナーどころかラッシュガード自体消えていた。どこ行ったんだよ。

「優勝賞品はあきらっちね」

「……へ?」

「今日一日独り占めってことで」

「おい、勝手に決めるな」

 夜海がまた未神の首に腕を掛けて、何か話し始める。また内容は分からない。

「ねぇみかみん?」

「……なに?」

「みかみんにとっても悪い話じゃないでしょ?」

「……そうかもね」

 何かの合意を得たのか二人でコクコク頷き始める。夜海がこちらへ振り返った。

「はーい! 優勝賞品はあきらっちに賛成のひとーっ」

 女子2人が手を挙げる。

「はい、総票数の2/3が集まったので決定でーすっ」

「それはズルだろ」

「ずるくないよ、依途くん。ずるくない」

 数の暴力によって決まってしまった。民主主義の腐敗ここに極まれり。

「じゃあ審判はあきらっちね! 会場設営開始ーっ!」


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