大発情時代‐8

「ふー……」

 目を覚ますと、あらゆる部屋の窓を開けていた。時刻は16時。風の入る向こうを見ればさっきまでの青空でなく、金色の西陽があった。

「俺は……」

「3人で炒飯中毒になって倒れてたよ?」

 姉がそう声を掛けてくる。そうだ、3人でニンニク納豆葱炒飯を食べて暴走していたんだ……

「夜海ちゃんはすぐに起きるだろうけど……未神ちゃんはもう少しかかるかもねぇ」

「……悪い。迷惑かけた」

「それはそこの二人に言いなって」

「そうだな」

「大体、おうちに女の子連れ込んでニンニク食べさせるなんて異常だよ」

 ぐうの音も出なかった。

「炒飯は用量用法を守って摂取しないとだめ。依途家の教え」

「そうだった……」

「よしよし。じゃあお姉ちゃんは出かけてくるから」

「どうかしたのか?」

「姉がいたらイチャイチャできないでしょっ」

「元からする気は無いぞ」

 姉が玄関の戸を開けて出ていく。

「炒飯とラブコメはほどほどにねー」

「おう」

 馬鹿らしい遺言を残して姉が去っていく。いや死にかけたのは俺達の方だが。すると、後ろから足音がした。

「あきらっち……」

「意識、回復したみたいですね」

 夜海さんが復活していた。服も着ている。

「……大変な粗相をしたようで申し開きのしようもなく」

「いやいや。そもそも俺の炒飯のせいだしな……未神は?」

「まだ寝てる」

 リビングに戻るとソファに未神が寝かされていた。夜海が置いたのだろう。

「すみません。迷惑かけました」

「ううん、忘れられないくらい美味しかったし…………あ、でもお詫びって言うならお願いがあるな」

「?」

「あきらっちの部屋行きたい! いい?」

「…………あれは女子を入れるような部屋じゃないので」

 俺の部屋はアレである。魔境である。天外魔境な魔界村であり、土俵以上に女人禁制なのだ。決して夜海なぞ入れてはいけない。入れたが最後、永遠に笑いの種確定である。

「あー、あきらっち、何かやらしいものでもおいてるんでしょ?」

「否定はしません」

「そう言われると気になるーっ、ね、いいじゃん! 馬鹿にもしないし、引いたりもしないからさー」

「俺の部屋に来ても仕方ないでしょう」

「男の子の部屋にどんな魔物がいるのか気になるのっ。おねがいっ」

 抱きついてくる。また大きな両胸が当たった。それはこう……ノーと絶対に言わせない凄みがそこにあった。

「……分かりました」

「やったっ」

 ソファですやすや眠っている未神をおいて、階段を登る。部屋のドアを開けた。

「ここ」

「おーっ!……ってあれ?」

 そう。夜海が驚くのも無理はない。もっと乱雑で猥褻な部屋を想像していたかもしれないが、こういう事態を予測し既に片付けは済んでいる。危険物も処理済みだ。

「何か……思ったより普通の部屋」

「何か変です?」

「ううん……変じゃないのが変っていうか。あきらっちむっつりそうだからもっと色々あるかと思った」

「聞き捨てならない言葉が聞こえたんですが」

 夜海さんがベッドにぽふっと座った。部屋に長身のギャルがいる、という光景がファンタジーのように思える。

「……まぁ、わたしもけっこうアレな方だし。ってそんなのはいいの。ほら、あきらっちも座んなよっ」

 自分のベッドかのように隣を叩く。黙って前に座ると、不機嫌そうにまた隣を叩いてきた。仕方無く隣に腰掛ける。

 微かに体温が感じられ、思いの外強くない香りが鼻をくすぐった。

「えへへ。やっとふたりきりっ」

「普通ベッドに座ります?」

「そんなことはいいのっ。それよりさ、その敬語やめてよ。同級生じゃん」

「はぁ」

「ほら。彩夏って読んでくんないかな?」

「…………」

 まあ確かに同級生に敬語も不自然かもしれないが……一定以上の距離を作らねば、彼女はあまりに危険な気がした。

「呼んでくれないとベッドの下漁っちゃうからね」

「……夜海」

 舌打ちされた。これでも十分妥協した方である。

「あきらっちさぁ。わたしのこときらい?」

「そういうわけじゃ……」

「なーんか距離遠いし。たまにお客様なんだなーって感じるし」

「そうです?」

「敬語だめ」

「……そうかな?」

「うん。あんま関わりたくないのかなーって」

 見るからに悲しそうな顔をされると、やはり申し訳無い気持ちになる。

「……普段女子と話さないからな。慣れてないんだ」

「えー。たまにみかみんと夫婦みたいな時あるよ?」

「……親友だからな」

 あいつもよくもまぁ3年も俺と同じ部活にいられるものである。女子が俺を気持ち悪がらないだけで珍しいまであるのだが。

「……妬けるなぁ」

「まだ炒飯が残ってるのか」

「胃の話じゃないよ」

 頬をつねられる。痛い。夜海は立ち上がると、開かれていたカーテンを閉めた。

「どうしたんだ?」

「ねぇ、依途くん。まだ炒飯残ってるっぽい」

「マジかよ。大丈夫か?」

「だめ。身体熱い」

 夜海が覆いかぶさってくる。

「お、おい! さっきから何なんだよ、男にそんなくっついてくんな!」

「……ふふ。やっと本音で話してくれた」

 夜海が顔を上げる。色香を帯びた微笑み。

「何でもないふりされると結構悲しいんだよね」

「……」

 あまりに大きなそれを押し付けてくる。それも今までよりも強く、深く。息を呑んだ。

「んー。あきらっちわたしのおっぱいいい感じなん?」

「別に……」

「えー、これがだめならわたし何も無いじゃん」

 表情が歪む。……そこにある諦念のような何かが、俺を刺した。

「好きって言ってくれたら何でもさせてあげるのに」

「……」

「ねぇ、あきらっち。…………あの子じゃなきゃだめかな」

「だめって、何がだよ」

 ばたんといい音がした。

「…………」

「…………あちゃー」

 開かれた扉。未神がそこにいた。

「お楽しみのようじゃないか」

「まあねー」

「……」

「歓迎会だなんて言って、薬を盛って女と盛って……猿と変わらない。脳味噌までペニスで出来てるんじゃないのかい、レイパーめ」

「いや、あのこれ向こうが押し倒してきたっていうか」

「だまらっしゃい!」

 激昂している。未神がここまで酷い語彙で罵倒してくるのは初めてだ。相当怒ってらっしゃる。

「だいたい、夜海さんも、早く依途くんの上からどいて!」

「えー。やだ」

「どけ゚よ゙っ!」

「でもさぁ。みかみん別に依途くんの彼女ってわけじゃないんでしょ?」

「…………はぁ?」

 未神が今まで見たことない表情をしていた。般若より上の何か、人殺しの目。

「それにちゃんと言ったよ? 早い者勝ちだって。ちゃんと宣戦布告した上での戦争は違法じゃないの」

「…………」

 夜海が微笑む。未神が憤怒する。

 不味い。一触即発、爆発寸前の睨み合いが続いている。このままだと殲滅戦争になりかねない。この前まであんなに仲良そうだったのに、今はキューバ危機の如く核爆発一歩手前だ。

「お、おい、止めてくれよ……」

 問題はその核弾頭の正体がよくわからないということなのだ。二人が何故そこまでいがみ合わなければならないのか。別に未神も、そこまで風紀や男女道徳がどうこう言うようなやつではない。

「……はぁ。ごめんね、あきらっち」

 夜海が俺の上からどく。

「まあでも、収穫はあったかな。あきらっち嫌がるふりしてるけど、おっぱい好きみたいだし」

「気のせいだ、気のせい」

「不埒っ、尻軽っ」 

「いや尻軽はわけがわからんが……」

 未神が父親のAVでも見つけたかのような目でこちらを見ていた。怖いので目を逸らす。さらに視線が厳しくなった気がする。

「ねぇみかみん。わたし、べつにみかみんのことが嫌いなわけじゃないよ」

「……」

「でもね。欲しいものが同じだった。それだけなんだ」

「……そうだね」

 欲しいもの。……それが「核弾頭」ということか。冷戦の終結と東西の和平、そして俺の安寧を願うばかりである。

「さて、わたしはそろそろお暇しようかな。美味しい炒飯、ありがとね」

「いや……すまん、歓迎会と言いながらこんなことになってしまって」

「また作ってくれたら許す。んじゃねーっ」

 夜海が階段を降りていく。付いていこうとすると、

「お見送りいらないよーっ」

 そのまま玄関の戸が開いて、閉まる音がした。妙な1日になってしまったと思う。

「未神も済まなかったな。おかしなもん食わせて」

「いいよ、それは。それよりも話さなきゃいけないことがある」

 未神がじっとこちらの目を見てくる。俺の意思を問おうとするような、鋭い瞳。

「なんだよ?」

「きみは、彼女のことが好きなのかい?」

 はっきりとそう聞いてきた。

「彼女……夜海か?」

「そう」

 溜息を吐く。何かと思えばそんな質問だった。

 卒業式以来、ずっと未神はおかしかった。何だかやけに色恋のことばかり頭にあるようで、人が変わったようだ。これまでの3年間の理知的で理性的なこいつはどこかへ消えてしまったのか。

「なぁ未神。お前どうしたんだ?」

「どういう意味かな」

「お前、誰が好きとか嫌いとかで騒ぐような人間じゃなかったろ。よく言ってたじゃないか。人は何故性欲を忌避するくせに愛や恋を公衆の面前で高らかに叫べるのかって」

 かつて未神がそう言っていたのだ。確かに俺もなるほどと思った気がする。

「……確かに言ったね。でも関係ない。そもそもぼくは性欲も恋愛も否定してないよ」

「そうなのか?」

「うん。人間は結局、性欲の産物だ。幾ら理性を振りかざしてみたって無駄なんだよ。最近になって分かってきた」

「そんなもんか」

 夜海が閉めたカーテンを開く、夕陽すら沈んで昏い夜闇が顔を見せ始めていた。

「……遅くなってきたな。そろそろ帰った方がいい」

「誤魔化そうとしてるよね」

 俺の言葉を遮るかのように……いや、遮ったのだ。

「きみはまだ答えてない。ぼくの質問に」

「……そうかな」

「うん。話題を変え、帰宅の理由を提示し、明らかに話を終わらせようとしたね。……そんなに言いたくないのかい?」

 ここで俺が言いたくないと言えば多分未神は問うのをやめるだろう。けれどなんだか癪だった。素直にそう言うのも、こいつの態度も。

「確かに、最近ぼくはおかしいかもしれない。それは認めざるを得ないよ。

 ……でも、きみもだ。きみもおかしい。明らかな意思を持ってはぐらかし、誤魔化し、あやふやにしようとしている」

「お前がそう感じてるだけだろ」

「その通りだ。でもそれだけで十分だよ。……これまでの3年間、きみにこのような感覚を抱いたことはない。いつだって依途くんは素直で、バカ正直だった」

「……」

「ぼくはこのままにしておくつもりはない。今のきみは好きじゃないからね。

 覚悟しておいて、親友」

 未神が部屋を後にして去っていく。ついさっきまでの喧騒はあっさりと失われた。

 暗い部屋に沈黙だけが残る。むしゃくしゃしたが、物に当たるのも馬鹿馬鹿しくてやめた。

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