大発情時代-7

 そして宿命の土曜日がやってきた。

 天気良好、食材万端。普段より早めに起きてイメージトレーニングを済ませておく。

「んー? あきら、早起きだねぇ」

 自分の部屋を出ると姉がそう声を掛けてきた。

「ああ。今日は決戦だからな」

「なんの?」

「油と米の、だ……」

 階下に降りて冷蔵庫の中を確認する。葱納豆ニンニク、大丈夫全てある。米を洗い、水少なめで炊飯。あいつらが着く頃に丁度炊きあがるだろう。保温は厳禁だ。

 座してその時を待つ。黄金色の米粒たちがパラッパラに仕上がるのを思い描いて黙する。

「あきらー? おーいあきらー? 大丈夫ー?」

 不審そうにこちらを見る姉を受け流していると、やがてその時が来た。

『ピンポーン』

 チャイムが鳴った。時刻は12時。姉が玄関に出向く。

「えーと、どちらさま?」

「依途くんの友達です」

「そっか! 今あけるねー」

 おじゃましまーすと声音が2つ聞こえてくる。

「未神ちゃんと……えっと」

「あ、夜海彩夏です。よろしくお願いしますね、お姉さん!」

「うんうん! 可愛い子は歓迎だよー!」

「あはは、そんな可愛いだなんて。おねーさんの方が綺麗ですよ!」

「やーん、口説かれちゃった♡」

 夜海がいつもどおりのコミュニケーション能力を発揮している。本当に初対面なのか怪しんでいると、未神と夜海、姉がリビングに入ってきた。

 未神は見慣れた私服、夜海は白いシャツにジーパンだった。脚が長い。

「……よく来たな」

「依途くん? どうしたの、何か変だけど」

 ハチマキ姿の俺へ未神が疑問を呈する。

「変?……そうかもしれないな」

「あきらっち?」

「今から最強無敵の炒飯を作る。その為の精神集中を行っていたんだ」

 姉貴が溜息をつきながら部屋を出ていく。未神と夜海が目を合わせていた。

「精神集中っ?」

「そうだ。生半可な覚悟では至高の炒飯には至れない。その意識が米にまで伝播しベッチャリとした炒飯、略してベッチャーになってしまうのだ」

「ねぇみかみん。何かあきらっちが変」

「さぁ…………」

 別に俺は料理人では無い。人の為に炒飯を作りたい理由も無い。が、作らねばならぬのなら全力を以て作る。それだけだ!

「さあ調理を開始する」

「おおー」

 台所へ。ガスコンロに鉄鍋。炒飯には必須のアイテムだ。

「先ずは油にニンニクの香り付けをする」

 すりおろしたニンニクと一味を弱火で炒め、その間に葱を刻んで卵を溶く。ニンニクと油を適量取り出し、米と混ぜる。この時点でパラパラにするのがポイントだ。

「……炒飯ってあんな作り方だっけ?」

「さぁ……」

 卵をアッツアツのパンに載せ、軽く混ぜてから米を投入する。

「ハァーーーッ」

「何か掛け声まで出し始めたよー?」

「依途くん……炒飯に取り憑かれてる……」

 ここでフライパンを煽ってはいけない。家庭用のコンロの火力ではNGなのだ。ある程度炒めたら葱、醤油と酒を投入する。そして納豆。

「よし」

 火を止め、お椀に炒飯を敷き詰める。更にどっさりと盛った。

「ニンニク納豆葱炒飯一人前お待たせーッ」

「え? 一人前……?」

「2、3人前を一気に作ればベッチャーと化すからな。夜海さん、先ずは貴方が」

「あ、うん」

「先に食べていてくれ。冷めると良くないからな」

「え、でも……」

 夜海さんは申し訳無さそうな顔をしている。しかし熱々の炒飯を放置するなんて、そんなことは認められない。

「冷めた炒飯は炒飯じゃない! 今直ぐ食べるんだ!」

「あ、はい」

 この日のために用意した客用のレンゲと皿を掴んでテーブルへ。

「未神。少し待て」

「……」

 やつは沈黙していた。戦慄いているようにも見える。

「うわぁっ!」

 と、テーブルから叫び声。

「夜海さん? どうしたんだい?」

「何だこの炒飯……体が、熱いっ……!」

「当然だ。多量の臭気と滋養強壮食材によってこの炒飯には覚醒作用がある」

「美味いっ、美味いよぉーっ」

 更にもう一皿。客人用の炒飯が出揃う。

「もしかして……依途くんが変なのってこの炒飯のせいじゃ……」

「なにか言ったか?」

「いや……」

「ほら未神。出来たぞ」

 綺麗に更に盛られた炒飯を眼の前に置く。

「……」

「食べないのか……?」

「う、ううん」

 未神がおずおずと炒飯を運んでいく。よし、後は俺の分だ。完成が待ち遠しくて涎が出そうになる。

「ちゃ~っ! チャハーンッ! とまんないよぉーーー♡」

「…………」

 夜海さんも美味しく食べてくれているようだ。既に部屋全体が芳香に包まれ、俺も炒飯のことしか考えられなくなっている。

「ちゃーはん……ちゃーはん……」

 ……はっ! 危ない、つい炒飯の誘惑に負けフライパンを振りそうになっていた。そんなことをしてはいけない。鍋の温度が下がってしまう。それだけは禁忌(タブー)なのだ。

「……」

 でも…………でも一回だけなら……

「っ!」

 我慢出来ずに鍋を降る。黄金に輝く米たちが宙に舞う、ニンニクと葱と油が秘めた臭いを解放する。

「……………………んほぉ〜〜〜ぉっ♡」


 気が付くと俺は皿を抱えて食卓にいた。いつの間にかニンニク納豆葱炒飯は完成していたようだ。星屑たちをレンゲによそい、口へ運ぶ。

 刹那、世界が輝き始める。美しいこの地球(ほし)の上に自分がいることがたまらなく愛おしい。俺が神だったのだ。更に炒飯を口に運んでいく。その度に全身が熱くなり、失くした情熱の息吹が身体を突き抜けた。

「へへ! あ~きらっちぃ、これサイコー♡」

 同じく真理に辿りついたらしい夜海がとろけた笑みを浮かべている。あまりにも幸せそうでこちらまで嬉しくなった。

「あぁ! サイコーだ……」

「あっつい♡ 服じゃまぁん♡」

 夜海がシャツを脱ぎ始める。

「ちょ、夜海さん! 何して」

「ほえぇ?」

 未神が夜海の腕を抑えようとしている。

「暑いから脱ぐんらよぉ?」

「え、依途くんの前! だめっ」

「んー……知らなぁいっ!」

 未神を振り切って夜海がシャツを脱ぎ捨てる。たわわなそれが顔を出した。

「ちょ、依途くんっ、何にやにや見てるのっ!」

「だってー、ぼいん!」

「えへへー、ぼいんっ!」

 夜海が抱きついてくる。大きな胸が俺の顔を圧迫した。

「サイコー♡」

「イエー♡」

 未神が殺意を含んだ眼でこちらを見ていた。

「なんだぁ? みかみぃ、つまらなそうだなぁ……」

 よく見たら未神の皿の炒飯は全く減ってない。そうか、そのせいだ。こいつ炒飯食べてないからそんな目をするんだ。不幸なんだ。

「みかみ〜ん、炒飯食べてないねぇ」

「だ、だめだ。それを食べたらぼくまで……」

「えいっ」

 夜海が未神の顔を掴んで無理矢理口を開く。

「うあ、あにをうるんだっ」

「さ、ダーリン♡ この子にも♡」

「ああ……」

 高鳴る鼓動。レンゲに輝きを載せて、未神の口へ近づける。

「ひゃ、ひゃめろっ!」

「あーん♡」

「うわわわわわわ」

 炒飯を口に入れ、飲み込ませる。未神は壊れた機械の様に振動した。

「あうーん」

 その場に倒れてしまった。

「あ、倒れちゃったねぇ。お子さまには早かったかなぁ」

 夜海がこちらに向き直る。

「2人で楽しんじゃお♡」

「ああ! 勿論だ!」

 互いの顔が近付く。吐息はニンニクを帯びている。長い睫毛、とろけた瞳。

 唇が触れそうな距離。

「あきらっち……」

「夜海さん……」

 五月蝿い心臓。

「そこまでだ!」

 ガスマスクを付けた何者かが部屋に入り込んでくる。

「誰だ! 鳥山明!」

 無言のままそいつの投げた何かが俺の口の中へ。夜海も同じく。

「!」

 突如、全身を突き動かしていた炎が消火されていく。まさか、これは……

「ブレスケア。さっさと買いに行って正解だったね」

 マスクの向こうから姉の声。

「ああ、あ……」

 急激な虚脱感が俺を襲う。力が入らない。体が動かない。夜海も同様に卒倒していた。

「お休みなさい……」

 未神も夜海も、そして俺もその場に倒れていた。思春期同好会はこの日壊滅した。

 消えゆく意識の中で、今日の名目は歓迎会であったことを思い出す。でもそんなことはどうでも良くなるくらい臭かった。

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