大発情時代-6
「おっはー!」
部室の扉が勢いよく開けられる。笑顔の夜海さんがそこにいた。
「死語だね」
「死語だな」
「……死語? 何が?」
何を言ってるんだと言う顔で見られる。…………時代に取り残されているのは俺たちらしい。
「いいから。おっはー!」
「おっはー」
「お……おっはー」
「む、何かあきらっち暗いよー?」
俺の肩を掴んでゆさゆさ振るっている。……夜海さんが入部して3日が経った。いつの間にか俺の呼び名はたまごっちの出来損ないと成り果て、部室にギャルがいるのは日常風景となりつつある。
「ほらあきらっち、おっはー!」
「おっはー!」
ヤケクソである。脳裏に浮かぶ慎吾ママをどうにか消し去りつつ叫んだ。
俺は末恐ろしかった。彼女が入部3日でこういう態度を取っているという事実に。いや、別に無礼とか失礼とかそういうことを言いたいのでは全く無い。
相当変わり者だろう未神や、お世辞にも人に好かれるタイプでない俺。彼女とは価値観や普段見ている世界が違うだろうし、相当関わりづらい人種だと思っていたのだが…………
「よしよし。あきらっちもげんきっ」
この通りである。そのコミュニケーション能力だかメンタルの強さだかで、ほぼカルト集団と化していた我が部をすぐさま制圧してしまったのだ。
間違い無い。俺や未神よりよほどこの子の方が危険だ。
ぐいぐいと押し寄ってきて、そのまま距離を離すことを許さないような無慈悲さがある。……警戒しなければならない。
「それで? 今日は何するの?」
「今日も特にないよ。自由に過ごして」
ワクワクとした様子を隠さない夜海に未神がそう答える。これももう3日目だった。
「りょーかいっ」
そう言って、辺りにある俺たちの漫画を引っ掴んで読み始める。これも3日目だ。
「…………」
要するに、特に何も無い日が3日続いていた。俺はプロットやら企画案を書き、未神がネームや本稿を描き、たまに不機嫌になり、夜海は完成済みの漫画を読む。日が沈めば解散する。
別に何の文句があるわけでもない、俺と未神だけならそれでもいいのだが。新入部員を入れて3日間特に何の活動も無しというのは何か気が引けた。
「依途くん。手、止まってるよ」
「なぁ、何かしないか」
あまりに漠然とした提案が口を衝く。
「……なんか?」
「新入部員を入れて3日もこれだ。流石によくない気がしてな」
「んー。でもわたし、これ読んでるの結構楽しいよ?」
「そうです?」
「うん。素人くさいの、いいよねっ」
相変わらずはっきり物を言う子である。オタクに無関心のギャルはいても、オタクに厳しいギャルはあまりいない。
「まーでも、確かに何かしたいかも?」
「来て貰って暇させとくのも、確かにあんまりよろしくないかもね」
「そうだろ。だから何かしないかと提案したんだが……」
「でも、何を?」
「それが思いつかないからこんな漠然とした物言いをしてる」
実際、やるべきことなど思いつきもしない。というか我々は医者やら軍隊やらと同じで仕事がない方がよろしいのである。
「異界だっけ? あれが出ないときはいつも何してたの?」
「こうして漫画でも創ってるか、授業でも受けてたか」
「授業? ここで?」
「はい。未神がやれ世界情勢やらやれ次の作戦についてやら話すんです」
「生徒は? あきらっち?」
コクリと頷く。共に戦うにあたり、未神は色々俺に吹き込んだのである。曰く、「Need to knowは誠実でない」らしい。博識なのはそうだが、このちびっ子は解説や演説の能力もあるのだ。
「……みかみんって賢いの?」
「うん。賢いよ」
「へー」
あんまり賢くなさそうな会話である。
「でも授業はあんまり受けたくないかなー……他には何かしてたっ?」
「うーん……季節の行事とか?」
「七夕とかだな」
「この時期だとお花見かなーっ?」
花見という単語に夜海さんの表情がぱっと明るくなる。
「花見か。良いかもな」
「うん! みかみんはどう?」
「まぁいいんじゃ……いや」
「どうかしたか?」
「……地べたに座り込むには熱くないかな?」
そう言われるとそうだった。桜の散る割に最高気温は昨日今日と30度近くを記録していて、昨日も地球のご乱心を嘆きながら帰宅したのである。
「確かに花見って気温じゃないかも……?」
一転、夜海さんは残念そうに表情を暗くした。余程悲しいらしい。椅子に背をもたれて、だらーんと上を向く。
「あーあ、なんでこんなにあついかなぁ」
「確かに、異常気象ですね」
未神の方を見る。目を反らされた。
「……まあ、異常気象は人類全体の責任だね」
多分これもこいつのせいだろう。
「2人と仲良くなれると思ったのになぁ」
「…………」
よく考えれば、俺と未神は3年間一緒に一緒にやってきたわけで。そこに新しく入ろうとする人間は本来上手く関わりづらいのかもしれない。
「ん……」
本人が異様な対人接近能力を発揮しているからそう見えないだけで、居心地の悪い思いをしているのでは無いだろうか。そう思うと何か罪悪感が生まれた。
大体、俺と未神、そして夜海さんは基本的にノリも生きる世界も違うだろう。それでも部に入ってくれたのだから、多少なりとも気は遣うべきだったのだ。
「なぁ、夜海さん」
「なーにー?」
「歓迎会、やりませんか?」
一瞬眼を丸くしたあと、彼女が顔を綻ばせる。
「……ほんとっ? うん、やるやるっ!」
良かった。要らぬ気遣いでは無かったようだ。
「珍しいね、依途くん。随分気が利く」
「でも、どこでやろっか?」
「学生が入れるようなところならどこでも。食事代くらいなら払いますので」
「えぇ? でも、そんなの悪いよー」
「いえいえ。こんな部活に入って貰ったので」
見れば夜海以上に未神が目をまん丸くしている。まるでお前にそんな奉仕精神があったのかと言わんばかりだ。
「嬉しいけど、うーん……」
「別に食事でなくても構いませんけど」
「…………あ! ね、あきらっち料理とかできる!?」
「へ? 料理?」
「うんっ! あきらっちのお弁当食べたいなっ! 作れる?」
ふむ、困った。急激に話の流れを変えてきた。
俺は別に料理を作れないわけじゃないし、我らが新入部員が望むなら何か作ってやるのもやぶさかではない。がしかしだ……
「夜海さん」
「え?」
「男が作れる料理は3つだけ。カレー炒飯焼飯、それだけです」
「なっ、なんだってーっ!」
そう。俺の家事は姉のご機嫌取りにたまに行う程度のもので人にお見せできるレベルのものでは無い。調理も同様だ。作れるメニューは限られているのである!
「……って! よく考えたらそれは2種類だっ!」
「はぁ? 炒飯と焼飯は別物だが?」
「え、そうなの?」
「ったりめーだろ舐めんなよ」
「うえーんあきらっちが豹変したよぉー!」
夜海がみかみんに抱き着く。未神が無表情のまま揺さぶられている。ちなみに炒飯と焼飯の違いは卵の有無らしい。
「……ともかく、何か作ろうにもそれくらいなんですが」
「んー。その中なら炒飯がいいかな? ちなみに何の炒飯なの?」
「男の炒飯といえばニンニク納豆葱炒飯と相場は決まっています」
「うへーっ!」
夜海が驚愕している。想像しただけで臭気ダメージを受けてしまったようだ。
「そういうわけです。大体弁当に合うものでもないし、普通にどこかで食事にしませんか?」
流石にニンニク納豆葱炒飯などと脅せば選択を変えようとしてくれるだろう。…………いや、俺にとっては主食だが。
「うーん。確かに炒飯はお弁当だと冷めちゃうし、その炒飯携帯したら異臭騒ぎで警察来そうだしっ……」
このギャル、割と罵倒の語彙が豊富である。
「あ! あきらっちのおうちに行けば良いんだっ!」
「……へ?」
その上思考が突飛だ。手が付けられない。
「あきらっちのおうちで炒飯作ってもらえば良いんだよっ」
この上ない名案が浮かんだかのような表情をしていた。ちょっと待て。それはつまり、この猛獣が家に上がり込んでくるということか?
「ね、いいよね! あきらっちっ!」
「え、あ、うん」
両手を握ってぶんぶんしてくる。勢いに負けて頷いてしまった。……まずい。実にまずい。
「よしっ、決まり。日程はいつにする? 時間何時にする?」
「えっと、そうだな……」
くそ、どうすればいい。このままでは俺のパーソナルな居住空間をコミュ力お化けに踏み荒らされてしまう。どうすればここからこの侵略者を食い止められるんだ。神よ、我を救い給え……
「あー、こほん」
と、何を思ったか未神が神妙な顔をして咳払いする。
「夜海さん、いきなり家に来られると言われても依途くんも困るだろう? だからどこか別の場所の方が……」
神が応えた。こ、これで救われた……
「そっかな? んー、じゃああきらっち。仲良くなったらわたしだけでおうち行っても良い?」
「っ!」
途端、未神が般若のような顔をし始めた。この前の卒業式と同じ……どうしたんだ。
「……決めた。歓迎会は依途くんの家で行うよ」
「えぇっ?」
さっきまでの気遣いはどこへやら、急に手のひらドリルを繰り出した。
「でもみかみん、あきらっちも困るって……」
「これは部長命令だ。部員である依途くんに拒否する権限は無い。速やかに開催可能な日程を提出すること」
神は急激に独裁圧政を敷き始めた。プライバシーなる概念は手のひらドリルに貫かれ、最早俺のパーソナルスペースを守ろうとする者は誰一人いなかった。
「依途くん。返事は?」
「……」
「返事」
「……別にいつでも構わないよ」
陥落。守られるべき聖域への侵略が確定してしまった。人権の二文字は儚くも消え去ったのである。国連は早く俺を助けろ。
その後諸々の会議若しくはトップダウン的絶対命令により次の土曜に俺の家で歓迎会、炒飯3人前が確定した。……夜海さんに気を遣うべきかとか思ったらいつの間にかこれである。慣れないことはするとろくなもんじゃない。
「……ふっふーん、みかみん」
「……どうかしたの?」
夜海さんが未神に絡んでいる。何か話しているようだ。
「欲しいものは早い者勝ちだからね?」
「……随分挑戦的じゃないか」
内容まで聞き取れない。が、仲の良いことは良いことである。
俺はといえば陽が落ちて空が薄明に染まるまで、孤独に土曜に作る炒飯のことを考え続けていた。
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