大発情時代‐4
そんな、デートの定義を問い直す様な珍道中が終わり、次の日。
慣れないことをしたからか、いい具合に疲労が溜まり昨日は随分と心地良く眠れた。お陰で今日は珍しく体調も気分も好調であり、心穏やかに一日を過ごせそうである。
普段より爽やかさ3割増の表情で教室の扉を開く。未神は既に登校しているようだ。
「おはよう、依途くん。……何か元気そうだね」
「ああ。昨日、よく眠れてな」
席に着く。直ぐに担任が教室に入ってきた。
「……あー、ホームルーム」
おかしい。昨日あれだけ暑苦しかった担任に覇気がない。それどころか、悲壮感すら漂わせお通夜みたいになっていた。
「せ、先生! どうしたんですか……?」
生徒のうちだれかが恐る恐る尋ねた。
「どうした、とは……?」
「いや、なんか元気が無いというか」
見るからに希望を失っている彼は溜息を吐いて、何かを呟いた。
「……雛子先生」
「え?」
「雛子せんせぇーッ! どうしてどうして校長と付き合ってるんだよぉ〜〜〜ッ!!!」
何でそんな昼ドラみたいになってるんだよ。
「あいつハゲなのに……ハゲなのにぃ〜ッ!」
担任が泣き喚き始めた。生徒たちが慰め始める。
「おい未神。これどう収拾つけるんだよ」
「ぼくに言われても……」
「お前が書き換えた世界だろ」
「個人の恋路まで規定してないし……」
「すいませーんっ! 遅れちゃいましたーっ」
騒乱を斬り裂く様に、教室へ誰かが入ってくる。……何か聞いたことある声のような。
「…………ん?」
「あれ?」
空白だった俺の右隣の席に座ろうとしたそいつは……昨日ひったくりにあっていた女子生徒だった。
「あぁーっ! 昨日の変なお兄さんっ!」
こちらを指してとんだ紹介をしてくれた。
「驚くのは分かる。が、人を指差して叫ぶのは止めてくれ」
「あ、ごめん……」
教室中の視線がこちらに集まっていた。当然である。じつに決まりが悪い。
「私がどうも、変なお兄さんです」
「やめなよ……」
未神が本当に止めて欲しそうに呟いた。母親の井戸端会議を見るような顔である。
「あー、夜海?」
担任が彼女を呼んだ。
「はい?」
「遅刻を指導したいところだが…………今日の授業は無しだ」
教室がざわめく。俺たちに集っていた視線はもう失われていた。
「授業なぞやってられるか! こっちは30過ぎて女性の手すら握ったことがないんだぞ! 何で作ったこともない子どもの面倒を見なきゃいかんのだ!」
「暴論すぎるだろ」
「そういうわけで俺は教育を放棄する! 未来の日本より今の俺のが危機だからなッ! じゃあなお前ら、アイルビーバックッ!」
サムズ・アップしながら担任は溶鉱炉だか廊下だかに飛び込んでいった。さよなら担任、永遠なれ……
「で、どうすんのこれ。文字通り教育が敗北してるんだが」
「彼は公共への奉仕より自分の幸福を選んだ。けれどそれもまた、正しい人の在り方だろう……」
「まとめようとしてんじゃねーよあいつ公務員だぞ」
仕方無い。部活にでも行くか…………
部室。
今日も今日とてまともな授業は行われないということらしいので、我々もこうして最低限学生らしい時間の過ごし方を模索するわけである。
つまりところそれは部活動であり、部室で惰眠を貪ることだった。
「依途くん。起きて」
「んー…………」
「起きろ」
仕方無く顔を上げる。さっきまで好調だったはずの俺の心身はとっくに活力を失い、怠惰の限りを尽くしたい気持ちでいっぱいになっていた。
担任がターミネーターごっこし始めたらこうもなろう。
「起きて何をするって言うんだ。平和な世界に俺たちは不要なんだよ」
「そんな最終回みたいなこと言ってないで、ほら」
原稿用紙を机の上に置かれる。
「この前一本書いただろ」
「うん。ぼくはそれでネームを描くから、きみは新しいのを書いて」
これが思春期同好会の平時の活動である。未神が対処すべきと定義した事柄が無い限りはゲームでもやるか、或いはこうして2人で漫画を描いていた。俺が話を作り、未神が絵にする。元々俺は漫画なんて作っていた訳ではなかったのだが……まぁ色々あったのである。
そんなわけでシャーペンを握り原稿用紙へ向かう。
「……スマホじゃだめか?」
「紙のがそれらしいだろ?」
俺の環境への配慮は脆くも否決され、今日も鉛が物語を紡いでいく。さて、何を書こうか。しばらく悩んでみるが筆は余り動かなかった。
「たのもーっ」
元気な声とともに威勢よく扉が開かれる。突然の闖入だった。
「敵襲か?」
「否定はしきれないね」
入ってきた生徒が長い金髪……茶髪?を揺らす。俗に言うギャルのような見目。さっきの夜海さんだった。
「え、えーとっ…………依途くん、だよね……?」
「ああ」
何故か向こうは俺の名を知っているようだ。
「何だか知らんが、俺も随分有名になったみたいだな」
「それは無いね」
無いのか。
「昨日来なかったから、自己紹介してなかったね。わたし夜海彩夏(よみあやか)! よろしくね」
差し出された手を戸惑いながら握る。何かさっきよりフレンドリーな感じである。いつの間にジャパニーズの自己紹介はシェイクハンズになったん?
「えっと……未神ちゃん、であってるかな?」
「うん。未神蒼、よろしくね」
「よろしく!」
夜海さんがぶんぶん握手するのに合わせて、未神が上下する。彼女たちはあまりに体躯が違った。あいつの背丈は多分俺より20センチほど低く、夜海の背丈は俺より10センチほど高い。俺は大体男子平均ほどのタッパであることを考えると、夜海は相当大きい方だ。
要するに、デカいギャル。未神が常人であったら腕の骨を心配するところである。
「それで、こんな辺境に何の御用です?」
「あ、そうだった。ここって思春期同好会?って部活なんだよね?」
「ええ」
「入部したいな!」
沈黙が場を支配する。俺も未神も押し黙り、やがて夜海が不安そうにわたわたし始めた。
「…………今、入部って言いました?」
「え? うん、そうだけど…………」
「未神。会議だ」
「うん」
「ええ!?」
彼女に背を向け、未神とひそひそ話し始める。
「おい、こりゃどういうことだ。どうして3年間一度たりとも表れなかった入部希望者が今になって……」
「うーん……」
「生徒会による部費削減のための内部監査とかじゃ無いだろうな」
「そもそもうちに部費は出てないよ」
そりゃそうか。
「おーい? 放置しないでよー?」
「済まない、夜海さん。驚いてしまって」
「驚く? なんで?」
「ご覧の通り僕と未神の二人しかいない部活なんだ。3年間この有り様だったから、新しい人が来るなんて思ってなかったんだよ」
「あ、2人だけなのは知ってる!」
「そうなの?」
「学校中誰でも知ってるよ? たった2人で4年やってる謎の部活があるらしいって」
どうやら噂になってるらしい。話す相手もそんなにいないので知らなかった。
「いろーんな噂になってるね。なんかやらしいことしてるとか、政治運動してるとか」
「…………」
「公安と教育委員会にマークされてるとか」
「どっちかにしてくれ……」
知らない間に随分有名人になっていたらしい。嬉しくて涙がでるね。
「ちなみにほんと?」
「公安にはされてないが防衛省にはされてる」
「…………え?」
「冗談だ。気にするな」
国家の存亡に関わったこともあるのだ。顔と名前を押さえられるのも仕方ない。まぁ色々やったからね。しょうがないね。
「それで、そんな妙な噂の尽きないこの部活にわざわざ入りに来たのか?」
「うん」
「しかし何故? スパイならお断りなんだが」
「あはは、まさか」
「じゃあなんでこんな部活に」
「ただのひとめぼ……」
頭を掻きながらそこまで言いかけて、そのポーズのまま夜海さんは硬化した。未神が冷ややかな視線を向けている。
「……」
「どうしたんだ? 時間でも止まってんのか?」
「べ、べべべべべ別になんでもないよ! 何にも言ってない!」
「いや、質問してるのだから何かは言ってほしいのだが」
異様にあたふたしてらっしゃる。想像以上の慌てっぷりである。これはまさか……
「もしや本当にスパイ……?」
「違うと思うよ」
「なんでだ」
「自分で考えたら」
やけに未神がつっけんどんだ。仕方ないので自分で考えてみることにする。夜海さんはあたふたし続けている。
さっき夜海さんがいいかけた言葉はなんだろうか。……ひとめぼ……ひとめぼ……ひとめぼれ。まさかひとめぼれか? 何たることか、そんなまさか。
けほんけほんと咳払いし、夜海さんをしっかりと見据える。言わねばならないことがある。
「な、なな、なにかなっ!」
「俺のひとめぼれをあなたに渡すわけにはいかない……」
「えっ、ええっ?」
彼女が赤くなって湯煙を上げた。
「あれはいいものだ……炒飯に向いている」
「……ん?」
夜海さんは水でも掛けられたのかの様に顔色が落ち着いた。未神に至ってはドライアイスのような視線をこちらに向けている。
「持っていくならせめてコシヒカリにしてくれ。あれは美味いが炒飯に向いていない」
「……ああっ。うん。よかったぁ」
何故か安堵の息を吐いている。コシヒカリのほうが好きなのか?
「そのバカは放っていいよ。話を続けてくれるかな?」
未神が俺を非難しながら話のもとに戻す。
「あ、入部したい理由はね。何か楽しそうだったし。昨日助けてもらったし。見学だけでもできないかなーって」
なんだ、聞いた感じごく普通に興味を持っているだけらしい。コメ泥棒ではないようだ。
「どうする? 未神?」
「そうだね、まずはこの部がどんなことしてるか知ってもらうとこからじゃないかな」
未神がこほん、わざとらしく咳払いする。あまり見ない仕草だった。
「ここは思春期同好会。思春期真っ只中の若者が、「青春欲」を満たす為の部活」
「青春欲?」
「うん。アニメやマンガみたいな大冒険がしたい、眠っているはずの自分の才能を見つけたい、主人公になりたい。そんな厨二病じみた欲求さ」
「うーん……夢見がち?」
随分的確にナイフを投げてくる子である。
「そう。本来、こんなものは夢に過ぎない。だがそれを叶えちゃおうというのがこの部活なんだ。具体的な活動内容だけど…………」
未神が表情を変える。何かに気が付いたように。
「……直接見たほうが早いかもね」
「……異界か?」
「うん」
「いかい……? なにそれ?」
立ち上がる。
「着いてきてくれるかな?」
「えっと……どこに?」
「ちょっとした散歩ですよ」
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