大発情時代‐1


 吾妻高校、教室。

 暖かな春の陽が差し、窓はあいも変わらず狂い咲き真っ只中の桜を映している。あたりを見渡せば見知った顔や見知らぬ顔がめいめいに自己紹介やら挨拶やらを済ませていた。

 そんな、出会いの季節さながらの明るい騒々しさが辺りを包んでいる。

 ……唯一、俺とその背後を除いては。

「…………はぁ」

「初日から溜息だなんて随分縁起が悪いじゃないか」

「お前のせいだろうよ」

 昨日は卒業式だった。校長の長い挨拶を聞き流し、証書も授与された。

 となれば今日、こうして学校に来るはずはない。それどころか二度とこの学校の敷地に足を踏み入れることもなかったはずだ。

 しかし、俺は今この学校にいる。明らかに教室に着席している。

 何でかって? そんなのは言うまでもない。未神蒼……俺の後ろで優等生ヅラしているこいつのせいだ。別れの悲しみや新天地への期待も全ての破壊し尽くされてしまった。

 想像主ストーリーライター…………世界を書き換える、未神の力によって。

「おう、お前ら。HR始めるぞ」

 担任がやってくる。もう二度と見ることのなかったはずのHRが再び始まった。

「さて、今日から新学期、つまりお前らは高校4年生になったわけだ。今年で卒業になるんだな」

 事も無げに担任はそう言った。

 俺達は今、高校4年生なる謎の身分になっているらしい。きっと日本の教育制度が実際に変更され、高等学校が4年制になってしまったのだろう。そんな妙ちきりんなことになっているのは当然あの女の邪悪な企みのせいである

「要するに、今年お前らは進路を決めなければならないはずだ。進学にせよ就職にせよそれは人の岐路になるというわけだな」

 しかし、何故未神はそんなことを……?

「……が、進路などそんなことは別にいい。問題なのは青春の総本山たる高校生活がこの一年で終わりそう、ということだ。お前ら、よく聞け」

 思考が中断される。……聞き間違いか? 今、進路がどうでもいいとか聞こえたような。いやいや、教員がそんなこと言うわけ……

「…………恋だ。恋をしろ。男女で、いや男男でも女女でもいい。ときめききらめき八代亜紀、精一杯青春するんだぞッ!」

「うおおおおおおお!」

 生徒たちが雄叫びをあげる。俺は言葉を失っていた。どうしたんだ、こいつら……

「そういうわけだ。校則はフリーでリバティで無問題モーマンタイ

 授業はグループワーク、私語完全解禁、風紀委員会は今日で解散とするッ!」

「うおおおおおおおおお!!」

「不純異性交遊バンザーイッッ!!!」

「バンザーイッッッ!!!!!」

 だめだ。イカれちまった。教育は敗北した。我が学び舎は既に猿たちのラブホテルと化している。何故こんなことに……

「よーし! 先生も今からとなりのクラスの雛子先生に告白してくるからなぁッ!」

 担任が職務を放棄し隣の教室へすっ飛んでいく。生徒たちが手当たり次第近くの異性やら同性やらにコナ掛け始めた。

「……なぁ、未神」

「なんだい、依途くん」

「これはお前が書き換えた結果か?」

「そうだね」

 異常だ。確かに未神は世界を書き換える力……想像主ストーリーライターを持っている。だがこんな妙な使い方をしたことはない。

 こいつはあくまでこいつなりに、人類だとか世界だとかを考えて力を振るってきたのである。それが今回はどういうわけか、高校中が大発情時代に陥っていた。

 とうとう少子化問題にまで手を付けるつもりなのか? こいつは?

 ……分からない。何故、何のためにこいつがこんなことをしているのか。後ろを振り返るといつもの様に微笑みを浮かべる未神がいる。

「理由を教えてくれ」

「分からないかい?」

「全く分からん」

「なら、考えるしかないね」

 そのうえで分からないから聞いているのだ。

「新学期初日から隣がいないのは俺が嫌われているからか?」

「それも自分で考えてくれ……ていうか、それはそもそも知らない」

 左は壁、右はいない。前は発情ザルと化し、後ろは諸悪の根源。詰んでいる。

「なぁ、未神」

「なんだい」

「この3年間でお前のことはだいたい分かった気がしていたが……違ったようだな」

「うん。きみはぼくのことなんか全く分かってない。だから、青春は終われないのさ」




 部室のドアを開ける。

 教室の裏側……南棟の最上階、その端の空き教室。校舎の末端、場末と呼んでいいだろうここが我らが思春期同好会のアジトであった。

 もう見ることも無いのだろうとノスタルジーを感じたこの部屋に、結局こうして舞い戻って来ることになったわけだ。

 嬉しいような、何か違うような。

「どうなっちまったんだ、本当に……」

 本来、授業中の時間であるのだが。

 担任が全時間保健体育の授業にするだなどと宣い始めたので脱兎の如く逃げ出してきたのである。誰も責めまい。

「やっぱり落ち着くね、ここは」

 未神がいつもの椅子に腰掛ける。見慣れた光景が続いていることに新鮮さを覚えた。俺も腰掛けると、机を挟んで向かいにやつが笑っていた。

「まさか、4年目があるとはな」

「ぼくもびっくりだよ」

 この動揺で忘れそうになるが、これまでの3年間は実に素晴らしいものであった。未神と共に状況を変えていくその毎日はまるで主人公になれたような、そんな充実感に満ちていたのだ。

 言うまでもなく人生最高の3年間と言っていい。この前にも後にも、こんな時間は無い。だから、続きがあると解った時は実は結構嬉しかったのである。

「びっくりって、お前が始めたことだろう?」

「少なくとも今までこういう風にしようとは考えてもいなかったんだ。が、状況が変わった」

「状況?」

「不遜で不埒で不届きな男がいてね。そいつに正しく現状を認識させ、目先の青い鳥の価値を正しく把握させなきゃいけない」

 ふむ…………こいつがそこまで言うのだ、不貞な輩なのだろう。しかし青い鳥というのは一体何のことなのだろうか。

 顎に手を当て考えていると未神が溜息を吐く。

「依途くん。ぼくは昨日の卒業式振られたんだ」

「振られた……?」

 ……つまり、未神が誰かに告白した?

 そうだったのか。そんな様子を見た覚えはない。あの日記憶にあるのは未神がやけに怒っていたことだけだ。

「悪いけど、このまま卒業なんて出来ない。ぼくの気持ちを受け止めてもらうまでは……」

「…………はっ!」

 脳の電圧が瞬間的に跳ね上がったような感覚。そうか、分かったぞ。親友よ。全て繋がった。

 要するにこうだ。昨日、未神は俺の見てないどこかで誰かに告白したのだ。当然この告白というのは恋愛感情を打ち明けたり交際を求めるような告白である。

 しかし、その想いは脆くも崩れ去ってしまった。相手は告白を断ったのだ。

 思い返せばあの時未神は相当に激昂していた。俺には何が理由か全く察しがつかなかったが、きっと拒絶された悲しみや怒りを抑えられず俺に当たったのだ。

 未神に想い人がいるというのは聞いたことが無いが、考えてみれば未神は花の女子高生でありあの日は卒業式だった。何ら不思議じゃない。

 あの日告白が受け入れられなかったのなら、二度と会うことも無い。普通なら泣いて終わりだろうが……未神には選択肢があったのだ。

 まだお別れじゃない。そういう風に書き換える力が。

 さっき言っていた青い鳥というのは自分で、不届き者はその男のことなのだろう。

「そうかそうか」

「?」

 こいつにも中々可愛いところがあるじゃないか。惚れたやつとやらの面を拝んでみたい気もするが……流石に悪趣味だな。

「まぁいい、依途くん。今日の活動についてだが……」

「何をするんだ?」

「ぼくたちのこの部活、名前の由来を覚えているかい?」

 随分懐かしいことを聞いてきた。思春期同好会の由来は、入部したての頃に聞いたのをはっきり覚えている。

「ああ。思春期の短い青春を可能な限り楽しんで過ごして、「青春欲」を満たそう、そんな感じだったな。……まぁ実際にやったのは怪物やら人間やらとの手に汗握る熱いバトルだったわけだが」

「ライトノベルの様な青春だ。最高だろ?」

「まあ確かに」

「しかしだ。ぼくたちのこの青春にはあっっっとうてきに不足しているものがあるんだ」

「……なんだ?」

「ラブコメだよ」

 奇しくも昨日、思い浮かべた単語をこいつはが述べる。

「思春期なる名前を掲げておきながら、これは如何ともし難い欠陥だよ、依途くん」

「欠陥なのはこの色狂いの世界だと思うが」

「私語は慎んでくれ」

 発言は許可されないらしい。

「そういうわけで、今日はデートを行う」

「…………は?」

 沈黙は十秒も保てなかった。

「何故?」

「思春期である以上、恋愛は必須だ」

 反論しようとして、考え込む。……なるほど。

 さっきの不届き男に振られた鬱憤を晴らそうというわけだ。八つ当たりとか代償行為とかそういうのである。

「そういうわけだ。ほら行くよ」

 未神が立ち上がって歩き出す。

「おい、一応授業中だぞ」

「6時間保健体育なんてやってられないもん」

 お前が言うのか、それ。

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