ふじかわ2号

増田朋美

ふじかわ2号

その日は、本格的に秋の到来だなと思われ、涼しいなと感じさせる日であった。いつも通り、製鉄所では、朝刊が届けられていたのだが、何気なくそれを開いたジョチさんと杉ちゃんは、目の玉が飛び出すほど驚いた。

「支援施設、ふじかわの職員、遺体で発見される。」

見出し文句にはそう書かれている。文字のうまく読めない杉ちゃんが、ちょっと読んでくれというと、ジョチさんはわかりましたと言って、読み始めた。

「富士駅近くのショッピングセンター近隣のマンションの一室で、男性の遺体が発見された。遺体は持っていた免許証から、静岡県富士宮市在住の、大川操さんと判明し、死因は、体の数カ所を刃物で刺された事による失血死と見られる。凶器はまだ見つかっていないが、かなり大型の刃物であったと見られ、」

「なるほどね。そうなると、かなりの恨みもあるんだろうね。めった刺しなんて。」

ジョチさんが読み上げると、杉ちゃんは、困った顔で言った。

その日は、別の場所で、知的障害者や精神障害者の支援施設をやっている、八重垣麻矢子さんが、来訪する日であった。八重垣さんは、予定時刻に来訪し、一応、打ち合わせ内容を確認したあと、

「でも、困りますね。ああして報道されるのは良いんですけど、それで、わたしたちのような施設が、みんな悪いことをするように見えちゃうじゃないですか。」

と、杉ちゃんたちに言った。

「あたしは、別の新聞を取ってるんですけどね。その新聞によると、大川さんという方は、谷山由香子さんのもとで働いていたらしいですよ。」

「谷山由香子。」

ジョチさんは、腕組みをした。

「あの、著書や講演などで有名な女性ですね。時々テレビにも出てるような。確か、僕らと同じように、障害のある人を集めて、集団生活をさせて立ち直らせる施設をやっている女性だったと思います。そういえば先日、支援者団体の会合がありましたね。その時、谷山さんも一緒だったような。」

そういえばそうだった。もともとこういう支援施設というのは偏見の目がどうしてもつきまとってしまうので、いくつかの施設経営者や職員などで、グループを作るという例は多かった。そういうわけで、つきに一度位の頻度で、会合が行われている。こういう会合に出ると、他の施設ではどんな利用者がいて、どんな問題が起きているかわかるので、改めて、利用者さんたちに対する課題や、目標などがわかってくるというものであった。

それと同時に、

「おーい杉ちゃん!ちょっと話を聞かせてくれないかな。どうしても聞きたいことがある。」

と言う声がして、製鉄所の引き戸がガラッと開いた。富士警察署で警視をしている華岡保夫であった。

「ああ良いよ。入れ。」

と、杉ちゃんが言う前に、華岡はどんどん部屋の中へ上がってきていた。そして、勝手に食堂へ入ってきて、杉ちゃんたちの前に座った。このときは、杉ちゃんもジョチさんも、いきなり座るなと注意はしなかった。

「それで、お前さんの聞きたいことってなんだよ。」

杉ちゃんがいうと、

「俺が来たからには、殺人事件の捜査に決まってるだろ?ちょうど、八重垣さんもいるから、いい話を聞かせてもらおうじゃないか。実はなあ、あの、谷山由香子のもとへ勤めていた、大川操のことなんだけど。」

と、華岡は話し始めた。

「実は、事件の直前にあった、支援団体の会合に、谷山由香子が出席していたことがわかった。そのときに、ふたりとも、出席しているよな?そういうわけで、その時、なにか変わったことはなかったか、教えてほしいんだ。」

「そうですね。」

とジョチさんは、そういった。

「確かに、僕もその会合には参加していましたし、八重垣麻矢子さんも参加していました。そのときに、谷山由香子さんが講師で、講演を行っていました。」

「ええ。そのときは、谷山さんは、普段と変わらなかったわよね。確かに谷山さんは、私達より、規模の大きな視線施設をやっているということで、あたしたちは、お手本にすべき人だと思って、聞きに言ったんですよ。まあ内容は、そこで暮らしている利用者さんのことや、精神疾患のことについてとか、そういうことでしたけど?」

八重垣麻矢子さんはそう付け加えた。

「つまり普段と変わらなかったわけですね。谷山由香子さんは。」

華岡は確認するように言った。

「はい。変わりませんでした。大川操さんは、なにか谷山さんの施設でしでかしたのでしょうか?」

麻矢子さんが聞くと、

「なんでも大川さんは独立して、新しい施設を作るつもりだったらしい。」

と、華岡は言った。

「確かに、いろんなところで支援施設ができてますよね。一番儲かる商売だと、聞いたことがあります。」

ジョチさんは、そうため息をついた。

「それでは、大川と、谷山の間で、なにか問題があったとか、そういうことは知っていますか?」

華岡がまた聞くと、

「いや、そこまでは僕らもまだ知らないんですよね。どんな人が来ているとか、そういうことは、あまり詳しく聞いたことがありません。たまに彼女の講演を聞いたところ、ひどい引きこもりだった者が、会社で働き始めとか、弁護士の秘書になったとか、そういう話は聞いたことがあります。」

ジョチさんは知っていることをしっかり喋った。

「そうですか。それでは同業者であっても、あまり知らないということか。いや、あのね、俺達も谷山の施設ふじかわのことを調べているのだが、悪い評判は全く出ていないんだよ。あの殺しかたは、よほど恨みがある人でないと、できないと思うのでね。」

華岡は、「現状」を言った。

「まあ仕方ないじゃないですか。それに、僕らを含めてこういう施設は、口コミである程度繁盛するかが決まってますから、悪い口コミは出さないようにしているのかもしれませんね。華岡さんも慎重にやった方が良いですよ。利用している人たちに、強引な取り調べをして、悪い影響が出たら、それこそ困りますよね。」

ジョチさんがそう言うと、華岡のスマートフォンがなった。

「もしもし。ああ、もう捜査会議の時間か!わかったよ、すぐ戻る。」

と言って、華岡はスマートフォンをカバンにしまい、急いで製鉄所を出ていった。全く、警察は忙しいですねと言って、ジョチさんも、麻矢子さんも、呆れた顔をした。

「あ、それからね。理事長さん。あたしのところに来ている子なんだけど、もしかしたら、そっちへ行くかもしれないわ。」

と、麻矢子さんがいきなり言った。

「それはどういうことですかな?」

ジョチさんが聞くと、

「ええ、軽い精神障害のある子なんですが、うちでしばらく働かせたんですけど、まだ働くには、症状が重いのかなと思ったので、それなら、お宅でお願いしたほうが良いと思って。お願いできるかしら?」

と、麻矢子さんは言った。

「わかりました、良いですよ。どんな症状の方なのか教えてもらえませんかね?」

「ええ、すごく優秀な方だったらしいんですけど、疲れてしまったんでしょうね。うつの症状がすごくひどくて、数分働いたら、もう疲れてしまうような感じなんですよ。でも、本人なんとか直そうとしたいと思っているようで、間違いないです。なるべく早くそちらへいかせますね。次の参議院選挙も必ず立候補しますから、よろしくお願いします。」

ジョチさんに、麻矢子さんは、にこやかに言って、製鉄所を出ていった。

それから数日後のことである。製鉄所を利用したいと言って、一人の女性がやってきた。

「えーと、増本恵理子さんですね。年は、33歳。出身地は、静岡県の御殿場市ですか。」

ジョチさんは、彼女の自己紹介を繰り返した。

「それで、うつ病と診断されてどれくらい経ちますか?」

「はい、もう13年になります。短大を出て、少し働いたんですけど、そのときに人間関係がうまくいかなくて、辞めてしまってからずっと、引きこもってしまっています。」

増本恵理子さんは言った。

「その顔を見ると、本当につらそうだなあ。ご飯はちゃんと食べてるの?どんなに辛くても、ご飯は食べないとね。」

杉ちゃんにそう言われて恵理子さんは、

「もうご飯なんて、全然食べる気にもなりません。」

と答えるのであった。杉ちゃんはカラカラと笑って、

「そうか。きっとインスタント食品とか、そういうもんばっかり食ってきたんだろうな。だから、食べる気にならないんだ。そういうことなら、本物の味を知ることが必要だね。任しておけ。カレーを作ってあげるよ。」

杉ちゃんは、すぐに車椅子で台所に移動してしまった。びっくりしている恵理子さんに、

「大丈夫です。杉ちゃんの作るカレーは、栄養満点で、ものすごく美味しいんです。」

とジョチさんはにこやかに言った。間もなく、うまそうなカレーの匂いがしてきてジョチさんは恵理子さんに台所に行くように促した。

「はいどうぞ、カレーができましたよ。精神的に辛くて、悪いことを考えるやつは、腹が減っているんだよ。思いっきり食べてね。」

杉ちゃんはそう言って、彼女の前にカレーをドシンとおいた。

「じゃあ、しっかり食べろ。」

恵理子さんは、カレーをはじめのうちは拒絶するような感じの顔で見ていたが、そのうまそうな匂いに我慢できなかったらしい。お匙を取って、むしゃむしゃと食べ始めた。

「はははは。うまいかい。まあ、ありあわせで作ったカレーだけど、少なくともインスタント食品とか、そういうものよりはうまいと思うよ。」

杉ちゃんはにこやかに言った。

「本当、本当に美味しいですね。こんなカレー食べさせてもらったの、初めてと言ってもいいと思います。あたしは料理なんて何もしてこなかったですし。まず初めに、他人をあまり信用することができませんでした。支援施設にも通わせてもらったけど、そこも辞めてしまいましたし。」

恵理子さんはとても悲しそうに言った。

「はあ、施設というとどこの施設かな?」

杉ちゃんが何気なくそう言うと、

「はい、ふじかわ号で行くんですけど。」

と、恵理子さんは答える。

「どこで降りるんかな?悪いけど僕、答えが出るまで質問をやめられない性分なもんでさあ。」

杉ちゃんがそういうので恵理子さんはちょっと引きつった顔をした。

「ふじかわ号って言うと、身延線の特急列車ですね。身延線と言いますと、結構田舎駅も多いところですね。何も怖がることはありませんよ。杉ちゃんの喋り方は、こういうものですから。」

ジョチさんがそう付け加えた。

「下部温泉ってとこだったと思います。あたしはあんまり鉄道には詳しくありませんが、富士駅からですと、一時間くらいだったんではないでしょうか?」

恵理子さんは、静かに答えた。

「わかりました。下部温泉駅近くにある、支援施設に通われていたのですね。そうなりますと、谷山由香子さんが、主宰しているところですかね。」

ジョチさんはタブレットを開きながら言った。

「どうして分かるんですか?」

恵理子さんがいうと、

「聞いていないんですか?そこの職員が先日刺殺されたって、報道番組は大騒ぎですよ。」

と、ジョチさんは言った。

「ええ、確かに、大川先生という人がなくなったのは聞きました。ですが、先生は、事故にあって亡くなられたと聞いています。あの施設は、あたしも少々、やりすぎたのではないかと思います。」

と、彼女が言うと、

「はあ、やり過ぎとは、そういう意味ですか?」

とジョチさんは聞いた。

「すごい怖い人がいるっていうか、この世界でお前のことを見てくれるのは、この施設だけだとは、そういう事を、平気で言うんですよ。」

「はあなるほどね。」

杉ちゃんとジョチさんは顔を見合わせた。

「それがうまくイケる人は、うまく更生できるみたいなんですけど、あたしは、そういうことについていけなかったのです。だから、ふじかわ一合に乗って、帰ってきてしまいました。」

恵理子さんは、そういうのであった。

「そうですか、恵理子さん。誰にも言いませんから、本当の事を話してください。谷山由香子さんの施設で、なにか重大なことがあったのでしょうか?なにか、そういう事件があったのなら、教えていただきたいです。」

ジョチさんがそう聞いてみると、

「私、あの人を助けて上げることができませんでした。なんであの人のことをなんとかしてあげようと思えなかったんでしょう。なんで私、あのとき、そのままでいたんだろう。」

恵理子さんは激しく泣き崩れた。ジョチさんも、杉ちゃんも、彼女から話を聞くのは、難しいなと思った。

「本人から話を聞くのは、難しいようですね。それにしても、こういう施設で事件が起きてしまうと、それを隠蔽しようとするからたちが悪いんだ。まあ、仕方ありません。他の人に話を聞きましょう。」

その日一日、恵理子さんはないたままでいた。これでは、自分の事を信用してくれないのではないかと思ったジョチさんと杉ちゃんは、先程は失礼いたしましたと、彼女に話しかけたが、彼女は、何も言わなかった。

その翌日、ジョチさんと杉ちゃんは、特急ふじかわ号で下部温泉駅に行き、そのままタクシーに乗って、支援施設ふじかわに行ってみた。ふじかわと描かれた看板の建物の玄関先に行くと、一人の女性が、玄関を竹箒ではいていた。

「あの、失礼ですが、利用希望の方ですか?」

女性に言われて、

「僕は、影山杉三で、商売は和裁屋。こっちは、親友のジョチさんで、本名はえーと。」

と、杉ちゃんが答える。変な顔をする女性に、

「すみません。こちらの法人の責任者の方はいらっしゃいませんか?僕は、富士市内で、同業をしております曾我というものです。次回の参議院選挙に立候補する、八重垣麻矢子さんの補佐役をしております。実は今日来訪しましたのは、彼女が、こちらを視察したいというものですから、その下見にこさせていただきました。」

とジョチさんが言った。

「そうなんですか。わかりました。国会議員さんの補佐役をしていらっしゃる方ですね。それではお待ち下さい。」

と女性は、箒を持ったまま、建物の中に入っていった。しばらくすると、別の中年の女性が現れて、

「曾我さんと仰っていらっしゃいましたよね。こちらの施設を視察したいということでしたら、ご案内します。こちらへどうぞ。」

と、二人を、建物に招き入れた。杉ちゃんとジョチさんは、彼女について建物に入らせてもらった。建物の中では、なんにんかの女性たちが集まって、治療者と思われる人物の話を聞いていた。何をしているのかとジョチさんが聞くと、集団精神療法をやっているのだと、女性は答えた。よく話を聞いていると、感情のコントロールの仕方とか、そういう講義を受けているらしい。それだけだと、ずいぶん良い内容の講座を受けているなと思ったのであるが、ジョチさんも杉ちゃんも、喜んだ顔はしなかった。

杉ちゃんたちが、またふじかわ号で、製鉄所に帰ってくると、水穂さんが、恵理子さんと話しているところだった。水穂さんが、そうですかと、彼女の話を聞いていた。それによると、

「そうですか、では、その、谷山由香子さんは、あなたに、自分しかあなたの事を、うけとめてくれるひとはいないんだといったんですね。それで、言うことを聞いて、自分に従えと言ったのですか?」

水穂さんはそう言っていた。恵理子さんも、そればかりを繰り返して話すということは、そこでよほど傷ついていると言うことだろう。

「でも、あたしだけではありませんでした。」

と、恵理子さんは言った。

「他にも、そういう病気の子がいて、その子たちにも、谷山先生は、そう言っていたんです。私の言う事を聞けば良いと。それでうまく立ち直れた子は立ち直れるんですけど、それ以外の子は、こうして、私みたいに、ひどくなってしまうんですね。」

恵理子さんはそう言っている。

「その人物の名は、どういう名前だったんでしょうか?例えばどんな特徴を有していたとか、そういうことはありましたか?」

水穂さんは、そう彼女に聞いてみた。

「ええ、私も、はっきり覚えていないんですけど。母からは忘れろと言われているのですが、どうしても忘れられなくて、困っているんです。確か、石塚達夫さんとか、そういう名前だったんじゃないかな。ごめんなさい。私がはっきり、話を聞いていれば。」

「石塚達夫。」

ジョチさんは、思わず言った。

「確か、資産家の子供さんであって、何日か忘れてしまいましたが、自殺して亡くなられたと聞いています。その石塚達夫さんと、あなたが、支援施設ふじかわで、仲良くされていたんですか?」

恵理子さんは、静かに頷いて、ごめんなさいといった。

「ごめんなさいなんて言わなくて良いんです。しかし、重い経験をされましたね。自殺を、目撃してしまったんですからね。」

ジョチさんは、腕組みをしていった。

「そうですか、それは確かに大変だったでしょう。本当に大変な事をされましたね。」

水穂さんが、そう言ったのであるが、また恵理子さんは涙をこぼして泣き出してしまった。

「良いんです、自分のせいだなんて思わなくても。ただ忘れようとするのも、難しいでしょうし、気にするなと言われても、本当に難しいところでしょう。」

不思議なことに、そう言われると、彼女はハイと小さな声で言ったのであった。

「でも、乗り越えていかなければ前へ進めていくことも、できないでしょうね。本当にお辛いことだとは思うんですけど、今できなくて、ほんとうに悲しいことでしょうね。そういうときは、静かに休んで、時間の経つのを待つしかないのかもしれません。そういうときに、僕たちがお役に立てれば良いのではないかと思いますけどね。」

水穂さんは、静かに彼女に言った。

「本当に、新しい生活を始めるしかないんですよね。なにか、切り替えるっていうのは、きっかけがあるとできるものですが、昔であればそれが色々あったんですけど、今は、そうじゃないから。」

ジョチさんもそう言うと、杉ちゃんが、

「どっかで新しい生活を始めたらどうだ?」

と、言った。

「八時ちょうどの、、、。」

思わず杉ちゃんがそれを口ずさむ。あずさ2号、どこかで新しい生活を始めるという内容の歌だった。




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ふじかわ2号 増田朋美 @masubuchi4996

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