【短編】ドラゴンズ・エルドラード ~少年と魔女、奴隷契約を結びて共に竜殺しを為さんとす~

緑青セイヤ

第1話~第3話(掴み終わりまで)

 早朝、孤児院の狭苦しい屋根裏部屋で目覚めた少年は粗末な洗面台で顔を洗う。

 薄汚れた鏡に映っているのは、やさぐれて目つきが悪い童顔。苔色をした右目の中心で、瞳孔を囲む黄金のリングが怪しげな輝きを放っていた。


 彼の名はゼファー。小人族ピースリングスと人族のハーフの十三歳男子である。


 瞳の黄金のリングと相反して、彼の髪は美しい銀の長髪だった。

 自分で雑に切ったからか、前髪や毛先は不揃いで長さはまちまち。

 しかし、後ろ髪は腰の辺りまで伸び放題な上、一切手入れがされてない様子。一流の美容師などがこの惨状を見れば、悲鳴をあげること間違いなしの荒れ様であった。


 そんな長髪を雑に縛っておさげにすると、上半身裸の貧相な体が露になる。

 それは十三歳の男子にしてはやや小柄で華奢。おおよそ身長は140cmくらいで、平均身長が100cm前後の純粋な小人族ピースリングスと比べると十分マシな部類ではある。


「えっとお……今日で十三歳だろ~?」


 ゼファーは指を折って数を確かめる。


「ってこたあ……ついに俺も冒険者になれんのかぁ。んじゃ、慣れ親しんだここともおさらばってことだな」


 慣れ親しんだと言うが、ゼファーはこの孤児院と全くの無関係である。

 ただ勝手に住み着いて、借り暮らし生活をしていただけ。言ってしまえば、野良猫みたいなものだ。


「俺が散々盗み聞きした情報をまとめるとだ……冒険者ってヤツらは何不自由なく贅沢に暮らしてるらしい」


 そう言って、軽く埃を払って使い古されたボロボロの衣服に袖を通す。


「冒険者になりゃあ……キレーなお姉さんと温かい飯食って、フカフカのベッドで添い寝してもらって。んで、手ェ繋いでデートとかも出来んだろうなあ。ハハッ、夢が広がるぜえー!」


 ゼファーは部屋の隅に置いてあった荷物を肩に担ぐ。


 そして、屋根裏部屋から外へと通じる窓に手をかけながら高らかに言う。


「よし、キレーなお姉さんとの夢物語を追い求めて――出発だ!」




   §    §    §




「申し訳ございません。あなたは冒険者にはなれません」


 俺に対して、冒険者ギルドの受付嬢のお姉さんが申し訳なさそうに頭を下げていた。


「はぁ~?」


 想定外の返事が返って来て、思わず間抜けな顔でポカンとしてしまった。


「えぇ~っと、そのですねぇ……」


 受付嬢のお姉さんは俺を可哀想な者を見る目で見つめながらも、冒険者ギルドの顔としてその職務を全うする。


「実はここ数年、冒険者になった孤児や若者の死亡率が大変問題になっていまして……。去年からこの水の都シャリオンでは、二十歳未満の若者が新規の冒険者登録を行うことを禁止する法律が出来ちゃったんですよ~」


 そう懇切丁寧に説明してくれたものの、バカな俺には難しい話は理解できず、


「はぁ~~~?」


 と間抜けな声を上げることしかできなかった。


 そんな俺を哀れんでか、受付嬢のお姉さんは子供に言い聞かせるように――面倒な法律が出来てしまった経緯について、簡単に説明してくれた。


 それをまとめるとこうだ。


 ここ水の都シャリオンはアル・メル銀砂漠の中という辺鄙な場所に建てられた巨大都市。そのためまともな陸路がなく、堅牢な円形城壁に囲まれたこの都市に出入りするためには、船を使った水路か割高な飛竜便を使った空路しかない。

 そういった事情があるにも関わらず、地下に氷の魔界キュケロスを擁するおかげで世界第一位の規模までに大発展。今や、世界中の国や地域から冒険や出会い、一攫千金を求めて沢山の人や物が集中するほどに大成長した。


 そして、ここで出会った男女が命懸けの冒険を経て、男女の関係になり子供をもうけ、増えた食い扶ちを稼ぐために更なる危険を冒し――命を落とす。


 結果、両親を失った孤児が大発生し、その孤児が自立して生きていくために未熟な冒険者になって死亡する。という最悪の悪循環が社会問題と化していたので、それの対策として二十歳未満の若者は新規の冒険者登録を禁止された、ということらしい。


 つまり俺は――冒険者にはなれない。


 ようやくそれを理解したことで、俺の脳内に描かれていたキレーなお姉さんとの夢物語がガラガラと崩れ去っていく。


「じゃ、じゃあ……俺のキレーなお姉さんは?」

「えーっと、仰ってる意味がよくわからないのですが……モテたい、という解釈でよろしいですかね? そういう意味でしたら、はい……ご愁傷様でした」


 俺は頭が真っ白になってしまった。


 それは口から魂がまろびでるほどの衝撃だった。

 夢破れた今、希望という道標無くしてこの先どう生きればいいのだろうか。


 受付で呆然とたたずむ俺を見て、ギルドに併設された酒場で飲んだくれるおっさん冒険者たちが笑っていた。


「残念だったな、嬢ちゃん。これは嘘でも夢でもねえ。紛れもねー現実なのさ」

「身の程知らずはさっさと失せろ。ここは乳くせーメスガキが来る場所じゃねぇんだ」

「ママのおっぱいでも飲んでねんねしてな! ガキは大人しくお留守番してるのがお似合いだぞ?」


 何で昼間っから酒を飲むクズが冒険者になれて、希望と可能性に溢れた俺がなれないんだ? 全くなんてふざけた現実だろうか。こんなの絶対に間違ってやがる!


 そう大声で叫びたいところだったけど、俺はグッと喉を締めて我慢する。

 だって、文句を垂れた程度でクソッたれな現実が変わるなんてわけがないことは、今までの経験で知っていたから。


 とは言っても、ある一点だけは訂正しなければならない。


「俺は嬢ちゃんでも、メスガキでもねー。れっきとした男だ!」


 そう啖呵を切ると、一人の泥酔したおっさんが酒瓶片手に近づいてくる。

 そいつは俺よりも遥かに身長が高く、威圧感のあるアフロ頭の男だった。


「メスガキだろうが、クソガキだろうが大して違わねえ――」


 この時、俺とアフロ男の目がバッチリと合っていた。


「――その目……ッ! てめぇ~ッ、小人族ピースリングスだったのかッ!?」


 小人族ピースリングスの有名な種族特徴は、瞳の中にリング状の輪っか模様があること。


 いわく、それは魔眼で人を催眠状態にしたり、恐ろしい幻覚を見せたり、人の心の内を覗いたりできるらしいが所詮は噂。全部嘘っぱちだ。

 だって、俺の瞳にはそんな能力なんてなかったのだから。


 また普通は両目に模様が入るらしいけど、俺の場合は右目だけ。

 模様は人によって千差万別で、俺のは丸いリングが瞳孔を囲む様に円を描いて、それの線上に重なるように短い直線が無数に刻まれたもの。

 しかも、よりにもよって金色なせいでかなり悪目立ちする模様となっていた。


 俺は舐められないよう、虚勢を張りながら言い返す。


「何? なんか文句でもあるわけ?」

「あぁ、俺はなぁ……小人族ピースリングスのクソ共が大ッ嫌いなんだよ!」


 怒号と共に放たれた鋭い膝蹴りが俺の腹に刺さる。


「ぐふッ!?」


 崩れ落ちそうになる俺の胸ぐらを持ち上げながら、小人族ピースリングスへの嫌悪を口にする。


「俺が見てきた小人族ピースリングスは皆どうしようもねえ、クズだった……組織の金を懐におさめる小汚ねぇ盗っ人、薄っぺらい言葉で同情を誘おうとする詐欺師、約束や掟を平気で破る人でなし。テメエはどの種類のクズだ? ほら、黙ってないでなんか言ってみろ!」


 そう言って、今度は俺の顔を二度も平手打ち。


「ぅぶッ! あぐッ! 俺は……俺はッ、クズなんかじゃねえ!」

「噓をつくな! 俺にはわかる、小人族ピースリングスは全員生まれながらのクズなんだよ!」


 突然、パッと手を離されたせいで俺は地面に落ちる。

 そんな俺の顔を思いっきり足で踏んづける。


「ぉぶッ」


 口内が切れたのか口の端から出血。地面にポタポタと滴り落ちる血を何となく見ていると、それがスローモーションに見えだし、沸々と腹の底から怒りが込み上げてくる。

 やられたらやり返さねーとだよなぁ!


 そう決意を秘めて、俺が睨み返した時だった。


「おい、流石にやりすぎだ」


 仲間だろうか。別の厳つい顔をしたおっさんがアフロ男の腕を掴んで仲裁していた。


「止めんじゃねーッ! まだ殴り足り――」

「――あっち見てみろ」


 あっちとは受付カウンターの方で、受付嬢のお姉さんがこの騒動をジッと注視していた。


「ぐぅッ……だけどよッ!」

「お前、冒険者ギルドから罰金刑くらいたいのか? 今度は建て替えないぞ?」

「……」

「もし払えなかった場合、お前は奴隷労働を課されてファミリー、ひいてはパーティに穴を空けることになるワケだが……そこまでしてコイツをぶん殴りたいのか? もしそうしたいのなら、俺は無理に止めないが……」

「すまん、カルロ。酒の飲み過ぎでまた迷惑かけちまうとこだった……」

「分かってくれたならいいさ」


 ポンポンとアフロ男の肩を叩きながら、厳ついおっさんが俺に一枚の金貨を投げつけてくる。


「迷惑料だ。拾ってとっとと失せろ」


 地面を転がる金貨、俺に背を向けて席に戻ろうとするおっさんたち。

 それを眺めながら、俺は考えていた。


 四発もぶたれたっつーのに、まさかたった一枚の金を恵んだ程度で終わりのつもりなのか。


(四と一じゃあ、全然釣り合ってねーじゃんかよお!)


 出来るだけ音を立てずに起き上がり、アフロ男の背後に素早く近づく。

 狙うは男にとって一番の急所であり、一番屈辱的な部分。


 そう――金玉だ!


「隙だらけだぜ、オラぁ!!!」


 思いっきり蹴り上げた右足は見事に金玉を直撃。ぐにっと嫌な感触と手ごたえを感じたのと同時に、情けない悲鳴が上がる。


「おひょッはほッひへほぉおおお~~ッ!??」


 股間を両手で抑えて、膝から崩れ落ちるアフロ男。


「まだまだァ~、オラぁ! オラぁあ! オラぁあああ!」


 ちょうど蹴りやすい位置に股間が降りてきたのもあって、つい連続で金的をぶち込んでしまった。ただこれ以上の追撃はまずい。厳つい顔のおっさんがポカンとしている内に逃げた方がいいだろう。


 気持ちよく憂さ晴らしを終えた俺は脱兎の勢いで冒険者ギルドの出口へと直行し、一度振り返っておっさんたちを指さす。


「聞け! 床に落ちてる金は俺からの迷惑料だ、取っときやがれ!」


 そう捨て台詞を残して表に飛び出した。


 最後にやり返したのは俺だから俺の勝ちだぜ。なんて思っていると、扉越しに怒り狂った声が聞こえてくる。


「――とさかに来たぞッ!? おい、お前ら! 俺らガムラン・ノブレスファミリー全構成員に号令だ! あのクソガキをとっ捕まえてホームに連れて来いとな!!!」


 その声は恐らくカルロと呼ばれていたボスらしきおっさんだろう。


「ここにいる冒険者ども、聞け! あのクソガキに懸賞金として、金貨六十枚出す! これは早い者勝ちだ。金が欲しいヤツは追え! 追えぇー!」


 どうやら俺はやり過ぎてしまったらしい。


(でも、今更どうしようもねーし……まいっか)


 なんて思いながら、冒険者ギルド前の長い階段を駆け下りる。

 左右を見渡すが辺りに人の姿はまばらで、人ごみに紛れて逃げる作戦は不可能。だからといって、真っすぐ逃げても大人の脚力には敵わないだろうし。

 とりあえず、石畳が引かれて丁寧に舗装された道路――地竜がけん引する荷車専用の道――を渡ると、目の前には舟が行き交う水路があった。


「いたぞぉ~ッ! まだあそこだ、追え追えー!」


 背後を振り返ると、冒険者ギルドから腹の出たおっさんどもがぞろぞろと湧き出していた。

 ただどいつもこいつも酒が入っているせいで、足取りは重くふらふらの千鳥足。その上、転んだヤツが周囲の奴らの脚を引っ掛けたものだから、おっさんの雪崩が発生するという酷い有り様だった。


 しかしそんな中、たった一人のおっさんだけが二本脚で立っていた。

 やけに内股でプルプルしてると思ったら、そいつは俺が金玉を蹴り上げたアフロ男だった。


「あははっ! 金玉無事だったみてーだなあ!」

「ククククソガキャぁあ~ッ!? そこを動くんじゃねぇぞぉ~、テメエにもこの痛みと屈辱を味合わせてやるからなぁ~ッ!」


 その声を合図に、アフロ男が階段を駆け下りる。


「こっわ! こりゃ捕まったら俺の金玉、無事じゃすまねーな……」


 上から水路を見下ろすとざっと大人三人分くらいの高さがあり、すぐ近くには水路に降りるための階段、それと結構遠いけど対岸に渡るための橋もあった。


「ん~どうすっかなあ……お? 舟がいっぱい並んでらあ」


 俺の目に飛び込んで来たのは大勢を運ぶ大舟に、少数が乗れる小舟など大小様々な舟だった。

 それらは岸に横付けしていたり、ゆらゆらと行き交っていたり――その手があったか!


「ハハッ、いい事思いついたあ! 舟の上を飛んで渡っていけばショートカットできんじゃん! 天才かよ、俺ぇ~ッ!」


 少しは動けるマシなおっさんどもが、俺を追いかけ迫りくる。


「「「ま、待ちやがれぇーッ!」」」

「待つもんか、バーーーカ!」


 俺は手すりに乗り上げて、大舟の屋根に飛び移る。

 その際、バキッと足元から嫌な音。俺の軽い体重でこうなるということは、どうもこの屋根は意外と薄いらしい。


 次の瞬間、フッと俺に大きな影が重なり上を見上げると、こちらに飛び乗ろうとするおじさんどもの姿が見えた。


「やべっ!」


 とっさに前転すると、俺がいた場所におっさんどもは続々と着地――と同時に屋根をぶち抜きながら、大舟の中に落ちて行った。


「あっぶねえー!」


 それから、小舟から小舟に飛び移ること数回。大体五、六隻の小舟を経由して見事、水路をショートカットした。


 これで逃げ切るのは楽勝だなと確信し、対岸の様子を伺う。


「おいクソガキィ! まさか、俺らガムラン・ノブレスファミリーから逃げきれるとでも思ってんのかー!?」


 手すりの前で、アフロ男が大声で喚き散らしていた。


「なんちゃらファミリーが何か知らねーけど、余裕っしょ?」

「おいおい……一体、何を根拠に逃げ切り宣言してんだ?」

「だって、誰も俺に追いつけてねーじゃん?」

「仕方ねぇッ……冒険者を舐めてると痛い目に合うってこと、俺が直々に教えてやるか」


 やれやれといった様子のアフロ男は、しゃがみ込んで脚に力を溜める。

 すると次の瞬間、高々と大ジャンプし水路を飛び越え、なんと俺の背後に着地した。


「う、嘘だろお~ッ……!?」


 俺の目の前にはアフロ男。背後には水路。

 俺は完全に逃げ場を失ってしまった。


「さあ、金玉とおさらばする覚悟はでき――」


 ドンという衝突音と共に、アフロ男は竜車に跳ね飛ばされていた。


「ははッ、俺ってラッキーに愛されてんなあ!」


 俺はこの隙に逃走を図り、少しでも距離を稼ごうと脚を動かす。

 しかし、一体どこへ逃げればいいのだろうか。そう考えていた俺の視界に二対の摩天楼が見えた。


「とりあえず、あれ目指して走っかあ!」


 チラリと背後を振り返ると、ちょうどアフロ男がよろよろと起き上がっていた。


「バーカ! 周りをよく見てねーから轢かれちまう――」


 俺がそう言い放った瞬間、横からドンと強い衝撃が加わり体が宙を舞う。

 どうも俺まで竜車に轢かれて跳ね飛ばされたらしく、そのまま放物線を描きながら、店のショーウインドーを突き破ってダイナミックな入店を決めてしまう。

 杖や本、とんがり帽にローブが陳列されているため、多分ここは魔法関係の店みたいだ。


「ぎゃああああ、ウチの店がぁあああ!」


 この店の主らしき女が頭を抱えて悲鳴を上げていた。


「いてて、なんてざまだ。ダサすぎんだろ俺……」


 事故を目撃し周囲がなんだなんだと大騒ぎする中、すぐに起き上がって逃げ道を模索する。

 確実にアフロ男の気配が近づいているため、怪我の具合なんて気にしてる場合じゃない。


「あれは……裏口か」

「おい、大丈夫か?」


 背の高いキレーなお姉さんが俺を気遣って声をかけてくれていた。

 顔は深く被ったフードで見えないけど、体はローブのような漆黒の魔法衣を着崩しているため、肩からたわわな胸元にかけてローズグレイな褐色肌が露出していた。


 何となくだけど、その褐色のお姉さんは俺の右目をジッと見ているような気がした。


「あぁ、多分大丈夫。こんなのかすり傷だぜ」


 軽く返事をしてその場を後にしようとする俺に、一つの小瓶を手渡してくる。


「受け取れ。回復ポーションだ」

「え、で――」

「――気にするな。ただの気まぐれだ」


 そう言ってポイっと投げられた小瓶を受け取り、俺は裏口に向かいながら感謝する。


「ありがとう! やっぱキレーなお姉さんは最高だなあ!」


 ポーションを飲みつつ裏口から外に出たちょうどその時、店の中でアフロ男の声が響く。


「だあー! 何で床がツルツルなんッ、ああああああ!」

「嫌ぁあああ、もうやめてぇえええ!」


 ガラガラガッシャーンと派手にズッコケ、店をめちゃくちゃに荒らす音。

 それに加えて、女店主の嘆き声もこだましていた。


 裏道を抜けた俺は二対の摩天楼を正面に捉え、長い坂道を前に立ち止まる。

 結構な傾斜があるため体力の消耗は避けられない。そう思った時、青い果実が積まれた竜車が坂を上っているのが目に入る。


「ちょうどいい、あれの後ろに乗せてもらうか」


 荷車の扉がある背面部分に手をかけ、ぴょんとしがみつく。


 坂道の終わりに差し掛かった辺りで、アフロ男が下の方に現れる。

 その呼吸は乱れ、膝に手をついて酷く疲れ切った様子だった。


 これはもう完全に逃げ切れるな、と判断した俺は高みから煽る。


「どうしたあ、もう降参かあ~! 金玉のおっさーん!」

「誰が金玉のおっさんだあー!? はぁッ……はぁッ……いい加減諦めやがれッ! 仮にこの場を逃げ切れたとしても、テメエはいずれ必ず捕まることになるんだぞ!」

「その根拠はぁ~?」

「いいか!? 冒険者にすらなれなかったクズが、この陸の孤島から抜け出せるワケねーだろうが! つまり、籠の中の鳥なんだよ! テメエに逃げ場なんぞはねぇ!」


 なるほど、確かに一理あると思った。

 と同時に受付嬢のお姉さんが言っていたことを思い出す。


『水の都シャリオンはまともな陸路がなく、堅牢な円形城壁に囲まれたこの都市に出入りするためには、船を使った水路か割高な飛竜便を使った空路しかない』


 俺の額からたらりと冷や汗が垂れる。


(あれ? もしかして俺――ヤバイか?)


 今更ながら詰みかけた状況を理解したけど、果たしてここから助かる方法はあるのだろうか。


 俺はビビってると悟られないよう平静を装いつつ尋ねる。


「そ、相談なんだけどさぁ……今捕まったら、デコピンくらいで済むかなあ?」

「アホ! 済むわけねぇだろうが! 最低でも金玉とおさらばは覚悟しとけ。だが、俺に免じて命だけは助けてやると約束してやろう!」


 そりゃないぜ~と思いつつ、脳みそをフル回転して自己保身の道を模索する。

 まず大人しく捕まるのは絶対にナシ。流石に金玉とおさらばは勘弁願いたい。

 あと交渉も無理そうだし、こうなったら死ぬ気で逃げるしかないか。


(ま、とりあえずは逃げ切った後、落ち着いて考えるか)


 結論、問題は先送りにしてしまおう。


「俺、痛いの嫌だからさあ……頑張って逃げ切れる方に賭けるわー! バイバーイ!」


 そう言って、荷車の扉を解放し積まれていた青い果実をばら撒く。

 これで坂の下は大混乱になるだろうから、多少は時間が稼げるはずだ。


「……はぁ、よぉ~くわかったぜ。テメエが救いようのない大バカってことがよお……!」


 それから、死の追いかけっこをすること数十分。


「は、離しやがれぇ~!??」


 俺はアフロ男に捕まり、組み伏せられていた。


 ここは二対の摩天楼のふもとにある大広場。

 大勢の人々が俺のことを不思議そうに眺めながら行き交っていた。


「観念しろ。テメエの運命は、ここでもうお終いだ」

「う、うそだあぁ~~~!」


 すると突然、四人の男たちが近づいてくる。

 口を開いたのは青白く不健康そうな顔のおじさんだった。


「すまないが……その少年をこっちに渡してもらおうか」

「はあ? 何だテメエら?」

「実はその少年と闇ポーター契約をしていてな? これから、荷物持ちとして働いてもらう予定だったんだよ」


 そう言いながら、不健康そうなおじさんが手の甲に刻まれた黒バラの刺青を見せる。


「そ、そいつはッ……!?」


 おっさん二人が俺に聞こえないように密談すると、アフロ男が俺をあっさりと解放する。


「約束したこと……絶対に忘れんじゃねぇぞ!」


 そう念押しすると、あれだけしつこかったアフロ男はここから去っていった。

 一体、この不健康そうな男は何者なんだろうか。


 そいつが身分証らしき金属の板を見せながら言う。


「俺はラーク、銀等級冒険者だ」




   §    §    §



「災難だったな少年」


 銀等級冒険者と名乗ったラークが俺に手を差し伸べてくる。


 状況がよく分からないけど、どうやら俺は助けられたらしい。


「助かったぜ。けど、闇ポーター契約とか言ったっけ? そんなもんした覚えは――」

「――まぁいいじゃねぇか、細かいことは! それより、俺たちはこれから一稼ぎする予定なんだが、どうだ? 荷物持ちとして雇われてみないか?」

「いや急に言われても……ってか、闇ポーターって何だ?」


 そう聞く俺のことを、驚いた顔で見ながら言う。


「なに? そうだな……普通にポーターやるよりも簡単に稼げて、楽ないい仕事さ」


 そう言って、ニコッと不格好な笑みを浮かべるおっさん。

 どこか不気味に見えるその笑顔からして、このおっさんは絶対に不器用な人だ。


「ふぅ~ん?」

「当然、人気ある仕事だから早い者勝ちだぜ?」

「……何すりゃいいんだ?」

「特段、難しいことを要求するつもりはない。ただ荷物持ちをするだけでいい」


 間髪入れずに、ラークが懐から何かを取りだし手渡してくる。


「前金として金貨三枚やろう」

「マ、マジかよッ!?」

「なんなら、成功報酬も出すぞ? 少年はこのシャリオンから脱出するために金がいるんだろう?」


 俺の事情を察して、稼ぎのいい仕事を紹介してくれるなんて――このおじさんはなんて親切なんだろうか!


 ここはおじさんの善意に従って、仕事を受ける一択だな。


「わかった。俺、荷物持ちやるよ」

「契約成立だな。じゃあ、早速行こうか」


 俺は二対の摩天楼へと歩いていくラークたち四人を追いかけながら、心の中で思う。


(一時はどうなるかと思ったけど……やっぱ俺ってばめちゃくちゃラッキーだなあ!)




   §    §    §




 二対の摩天楼ドルジャ・ザラハは水の都シャリオンで最も有名な建築物である。

 新市街の東端にそびえ立ち、大小二つの連なった巨塔はやや歪な形状で天に向かって伸びる。

 その役目は魔界へと通じる大穴に蓋をすること。


 ドワーフが持つ最新建築技術が詰め込まれた最高傑作の一つである。


 また摩天楼の地下には、大穴を降りるための巨大螺旋階段があった。

 直径数百mの大穴に作られたそれには、巨木の木の根がいたるところに絡み付いていた。

 まるで蜘蛛の巣のように陣が張り巡らされているおかげか、数万人が同時に階段を降りても崩れない、頑丈な構造となっていた。


 そんな階段を抜けると――白い世界が広がっていた。


「さっむぅ~……」


 ゼファーの口から言葉と共に白い息が吐きだされる。


 巨大螺旋階段から出た先は小高い丘の上だった。

 頭上に見える岩肌まではおおよそ10mと低めの天井、背後には反り立つ岩壁。また階段のある小高い丘を起点に地形は扇状に広がっているので、左右に広く視界が開けていた。

 その上、段々畑のように降っているため、高低差も凄まじい。


 つまり、魔界第一層は奥に行けば行くほど上下左右に広くなる地形であった。


 空模様や降り積もる雪はもちろん、風に舞う氷の結晶やあちこちに転がる氷の塊、果ては樹の葉っぱまでもが全て白。白じゃないのは、その中をぞろぞろと歩く大勢の冒険者たちだけ。

 当然、それなりに寒いため誰もが寒さ対策にマントの様なものを羽織っていた。


 それはゼファーも同様で、ラークから貸し出された耐寒マントを着ていた。

 もちろん、背中には荷物持ちらしく大容量のバックパックを装備済みである。


「俺たちが今から向かうのあそこだ」


 ラークが指さす先はこの第一層の中央部分。

 そこには巨大な穴が開いて、大量の水が下の階層へと流れ落ちていた。


「な、何アレ?」

「大瀑布ハイ・シオン。あそこから一気に第三階層へとショートカットする」

「……はぁ?」


 それから一時間後、ラークたちは大瀑布ハイ・シオンに到着する。

 大瀑布という名の通り、ゴゴゴーッという大量の水が流れ落ちる轟音が響き渡っていた。


 近くから巨大な穴を見ると流入する大量の水が、いくつもの滝となって下の層へと落下。滝は途中で霧状の白いカーテンと化し、第二層上空をゆらゆらと漂っていた。

 そのさらに下には、第一層同様に第二層の中央にも巨大な穴が開いているものの、その先は暗く見通せない。


 そんな自然が作り出した雄大な光景に、ゼファーはただただ圧倒されていた。


 一方でラークたちはゼファーのバックパックから大きな樽を取り出して、何かの準備を始める。

 周囲の冒険者パーティも同様の準備をしていたがその数は少ない。これはほとんどが正規ルートに向かったためである。


「まさか……ここに飛び込んだりしねーよな?」


 恐る恐るそう言うゼファーに、真ん丸と太った肥満体型の男ゲロッグがこっちにこいとジェスチャーする。

 ここは轟音響く大瀑布。聴覚よりも視覚の方が確実に伝わるのだろう。


「……?」


 困惑しつつ大樽の側に来たゼファーに、樽側面にある固定具を装着する。

 その対面ではラークが痩せ型高身長の男ビーロンに同じく固定具を装着していた。


 固定具の装着が終わったので、ゲロッグがゼファーにハンドジェスチャーをする。

 右手でグーを握ってから、指を開いてパーの形に。実はこれから起こることを説明したものだったが、残念ながらゼファーには一切伝わらなかったようだ。


 全員が装着し終わったため崖に近づくと、なんとぴょんと軽い感じで大穴へと飛び込んでしまう。


「うッ……うわぁあああーーーッ!?」


 ゼファーただ一人が慌てふためく中、天地がひっくり返り真っ逆さまに急降下。第二層の中央に開く大穴をあっという間に通り過ぎ、第三層上空に到達。

 ゼファーたちの頭上にはだだっ広い氷の樹海が広がっていた。


「今だ!」


 ラークの合図と共に、バンッと大樽の蓋が開いて巨大な落下傘が飛び出す。

 それのおかげで急激に失速し、人が豆粒に見える天高き空をふわふわと漂うゼファーたち。


 つまり、この大樽はパラシュートだったのだ。


「と、飛んでんのか?」


 ゼファーは忙しなく上下左右に頭を振って周囲を確認する。


 上には大穴の周りにつららのような薄水色の結晶が密集し、淡い光を放つ。

 本来、地下にある魔界は太陽光が届かず暗いはずだが、これらが光源となっていたから明るかったのだ。


 また遠くにぼんやりと外壁と山々が反りたちぐるりと一周。上空には雲らしきもやが薄っすらと広がる。それぞれ、第三層の広さを物語っていた。


 下には小高い丘を頂点に扇状に奥行きのある地形が見え、階段から降りてくる豆粒大の冒険者たちの姿が見て取れた。

 他にも、川や湖、白い森林や氷の樹海、起伏の激しい雪原が広がっていた。


 そして、ゼファーたちの足元に広がるのは氷の樹海。

 本当なら柔らかい雪原に着陸するのがセオリーだろうが、落下傘を操作するラーク的には予定通りの着地点らしい。

 そのまま樹々の枝をバキバキと折り、半透明の氷でできた葉っぱを砕きながら、激しく強行着陸。途中で落下傘が樹に引っかかったおかげで地面に激突することなく、ゼファーたちはぶらぶらと宙吊り状態ながらも着陸に成功した。


 ゼファー以外は落ち着いた様子で手際よく固定具を外すも、一方で何もかも素人なゼファーは外し方が分からず、一人もたもたと固定具と格闘していた。


 それを見かねて、弓を背負った中肉中背の男ベスが手投げナイフを投擲し紐を切断する。


「ぐえぶッ!?」


 汚い声と共に頭から真っ逆さまに落ちるゼファー。

 上半身が雪の中にすっぽりと収まり、ジタバタと脚をもがいて苦しんでいた。


「……ったく、世話の焼けるガキだな」


 そう言って、ビーロンが脚を引っ張り上げて救出する。


「ぷはーッ……助かったぜ」


 ここは氷の樹海のど真ん中。歪に隆起した地面に合わせて雪が波打ち、雪が薄い場所から木の根が顔を覗かせる。

 また辺りは背の高い樹々のせいで薄暗く、隙間から降り注ぐわずかな光だけが頼り。時折吹く風音は甲高くいやに不気味な上、氷の塊や岩などの障害物も多いせいで死角も少なくない。

 そのため、魔物や魔獣といつ不意の遭遇をしてもおかしくない状況であった。


 そんな状況で、ビーロンが不満げに愚痴を漏らす。


「毎度毎度、こんなとこを受け渡し場所に指定しやがって……貴族様のわがままは困ったもんだな。ここ数年、魔界はピリピリしてるってのによ……」

「私語は慎め、ビーロン」


 そう言ってたしなめるラークに、ゼファーが尋ねる。


「今って何かヤベーの?」

「気にするな。少年には関係のないことだ」

「ふぅ~ん?」


 地上の時と打って変わって、ラークはゼファーを冷たくあしらっていた。


「合流場所の三又大樹はどっちだ?」

「あっち」


 ラークの問いに、ゲロッグが口数少なく指を指して答えた。


 それからすぐ、ラークたち冒険者は武器を手にする。

 ラークは長剣を、ビーロンは戦斧を、ゲロッグは杖を、ベスは弓を。


 魔物を警戒しながら雪中行軍すること数分で、目的地へと到着する。

 そこは地面が露出した荒れ地の様な場所で、開けた空間の真ん中にポツンと一本の巨木――樹の幹が途中で三つに別れた――が生えていた。


 これこそが三又大樹であり、合流地点の目印であった。


 その真下には人影が四つあり、全員がゆったりとしたローブで全身を隠していた。

 ちなみに先頭に立つ者だけが白で、その他三人は灰色であった。


「くそっ、何で俺らの時に限って……!」


 彼らを視認したラークが思わず愚痴を漏らしながら、駆け足で向かう。

 そんなラークの後に続いて、仲間たちも駆け足で追従する。


「も、申し訳――」

「――遅い! わたくし、待つことが嫌いだと言ってなかったかしら?」


 苛立った高い声音は若い女性のもので、その話し方からして身分の高さが伺えた。


 とっさにラークが膝をついて謝ろうとするが、


「おやめなさい! そんなことをすれば、身分の違いがあると知られてしまいますでしょう?」


 と言ってラークの軽はずみな行動を諫めつつ、自由気ままに話を続ける。


「全くこれだから冒険者は……まぁ、いいですわ。とにかく納品物を見せなさい。もしそれが素晴らしければ、この不手際は全て不問にして差し上げます」


 白ローブの女の指示を受けて、ラークがビーロンに目配せする。

 その意味はゼファーを納品しろという合図。それを察してバックパックを脱がして羽交い絞めにして拘束する。


「なッ、何するんだよおっさん!?」


 抗議するゼファーだったが、ずるずると白ローブの女の前に引きずり出される。


「少年、世の中の上手い話にゃ決まって落とし穴があるもんなのさ」

「だ、騙しやが――」


 ラークがゼファーの口を塞いで言う。


「――いい勉強になったな? まぁ、少年の今世はここでお終いだから、来世にでも生かせ」


 白ローブの女が両手でゼファーの顔を鷲掴みし、親指で両目を強引に開く。

 どうもゼファーの目を品定めしているらしく、上下左右と様々な角度から隅々を確認していた。


「まあまあまあ! 黄金の紋様なんて初めて見ましたわよ! あぁ、なんて美しいのかしら……」


 そう言って見惚れていたが、ただ一点に限り不満を漏らす。


「ですが……片目だけなのがとても残念ですわね。両目揃ってこその美しさですのに。とは言え、ここには癒しの使い手がいますし……大人しく我慢致しましょう」


 白ローブの女が背後に控える仲間に向けて手を差し出すと、その手に短剣が手渡される。

 それをゼファーの右目に差し向け、優しく頭を撫でながら告げる。


「安心なさい、痛いのはほんの一瞬ですから。それにわたくし、目玉をくり抜くの――得意ですのよ?」


 ゼファーは生きたまま目をえぐられる痛みを想像してか、涙を流しながら暴れる。

 しかし抵抗空しく、あっという間の早業でゼファーの右目は摘出され、背後に控える仲間が持つ小瓶の中へと収められる。


「ぅむんんんんーーーッッ!!!」


 ゼファーは右目に走る激痛に苦しんでいた。


 確かに切断の痛みは一瞬かもしれない。

 だが、その後のジンジンと脈打つ熱を伴った痛みは別だ。


 白ローブの女が布でグルグル巻きにされた杖を持つ仲間に言う。


「では、彼の右目を癒してもらいましょうか」

「承知しました」


 指示された仲間が呪文の詠唱を始める。


「汝は喜びの園に咲く一輪の徒花あだばな燦々さんさんと降り注ぐ日輪の下で返り咲くだろう、永久とわに儚く――ソーラレイ・ベネディクション!」


 魔法が行使された瞬間、ゼファーの右目をピカッと眩い黄金の輝きが包む。

 その輝きはわずか一瞬であったが、視界を奪うには十分なくらいの強い光だった。


 ゼファーがゆっくりと目を開くと、そこには奪われたはずの右目があった。

 右目付近に血が付着していることから、時が戻るような魔法ではなく、再生回復の類いの魔法なのは間違いない。


 白ローブの女が再生したゼファーの右目を確かめる。


「どれどれ……傷一つありませんね。やはり神聖魔法の力は偉大ですわ」


 そうして、再びゼファーの右目に短剣が差し向けられる。

 手間をかけてわざわざ再生させたのは複製のため。鑑賞用、保存用、同じ愛好家に売る用と沢山あることにこしたことはない。


「さあもう一度……」


 しかし、白ローブの女は突然手を止める。


「……わたくし、気が変わりましたわ。この子、地上に連れ帰って手厚くしましょう。あぁ、もちろん生きた状態で、ですわ」

「保護、ですか。いつものように、ここで処分された方がリスクは少ないかと愚考しますが?」


 背後の従者らしき女が諫めるようにそう発言した。


「バカね、あなたは。身体に黄金の色を持つ人間など勇者エインフェリアを除くと、極めて稀なのはご存じない? もちろん、この様に極一部に少々入っているのが大半ですが……とは言え、特別な価値があるこの子を処分してしまうのは損だとは思いませんこと?」

「た、大変失礼いたしました。私めのような浅慮な頭ではそこまで考えが回らず……いつも姫様の慧眼には感服の極みでございます」


 などと過剰に敬い、女従者はわざとらしくよいしょしていた。

 恐らくはこれが、仕える主のご機嫌をとるための処世術なのだろう。


「おーっほっほ! わかればよろしいですわ。それでは、保護して差し上げなさい」

「はっ! 直ちに!」


 そんなやり取りを間近で見ていたゼファーは、甘い誘いに乗ったことを心底後悔していた。


 だがその時、運命を変える好機が訪れる。


 周囲に広がる氷の樹海の一部がざわざわと不穏な気配を帯びたその刹那、樹々についた氷の葉っぱが弾ける。

 と同時に、アンデッド系の魔物の集団が雪崩のように押し寄せた。


「なッ、何事ですの!?」


 その異変はまさに絶好のタイミングで発生した。

 ちょうどラークたちがゼファーを女従者に引き渡そうと手を離した瞬間であり、女従者がゼファーを抑える直前だったのだ。


 つまり、今のゼファーには誰の手も触れていない。


 ゼファーはその隙を逃さず、魔物が来た方と逆側に向かって脱兎の勢いで駆ける。

 対して、白ローブの女とその仲間やラークたちはわずかに反応が遅れてしまう。

 当たり前だが、魔物の対処をしなければ自分たちの命が危ういからだ。


「おバカ! 何してるのよあなたたちは! わたくしのコレクションが逃げちゃったじゃない!」


 白ローブの女に怒鳴られ、ラークが冷や汗を垂らしながら指示を出す。


「おいベス! お前が少年を追え! 俺たちは魔物を片付けてから向かう!」

「わ、わかりました!」




   §    §    §




 俺はがむしゃらに氷の樹々の間を駆け抜けていた。

 きっとこれまでの短い人生における最速記録を更新しているに違いない。


「クソッ! せっかく金玉守り切ったってのにッ……目玉イかれるなんてあんまりだぜ、ちくしょう!」

「待ちなさーい!」


 俺の背後から、弓を背負ったベスが追いかけて来ていた。


 大人と子供じゃ脚力の差は歴然。何もしなければ追いつかれるのは確実だ。

 俺は身にまとう耐寒マントを脱ぎ捨て、ベスに向かって投げる。


「おらぁ!」

「むぐぐっ」


 うまい具合に距離を稼ぐことに成功したけど、現実は無情だった。


「嘘だろ、行き止まりかよッ……」


 俺の目の前に広がっているのは青紫の彼岸花が咲く花園。

 そして、その先にあったのは――断崖絶壁だった。


「ぐふッ!?」


 背中に衝撃を感じたのと同時に、俺はうつ伏せで地面に押し倒された。


「やっと捕まえました。もう逃がしませんからね」

「離せッ! 離しやがれぇ~ッ!」

「暴れても無駄です! 大人しくしなさい!」

「誰かぁッ! 誰か助けてくれぇーーー!」

「えぇい、往生際が悪いで――」


 カラカラカラと謎の音が聞こえた瞬間、ふっと背中に乗っていた重みが消え去る。

 と同時に腕の拘束も解けたので、仰向けに寝返りを打つように起き上がると、そこには誰の姿もなかった。


「は? え? はあ?」


 俺の脳みそは困惑で埋め尽くされていた。


 一応、頭を振ってもう一回周囲を見渡すけど、どこにもベスはいない。

 たった一瞬で、跡形もなくどこかへと消失してしまったのは確実だった。


「よ、よくわかんねーけど……さっさと逃げねーと」


 そう呟きながら立ち上がった時だった。


「いいや、逃がさねぇよ」


 花園の入り口で通せんぼするように、ラークが立ち塞がっていた。

 その背後にはビーロンやゲロッグの姿もあった。


 前に大人三人、後ろに断崖絶壁と完全に袋のネズミ状態になってしまった。


 ラークが周囲を見回しながら訊いてくる。


「おい、ベスはどうした? お前を追いかけさせたはずだが……」

「さあ? どっか小便にでも行ったんじゃねーの?」

「テメエ……」


 額に青筋を浮かべて睨んでくるラーク。

 せめて誰か一人でもいいから、ベスを探しに行ってくれたらと思ったけど、あちらさんを伺う限りその気はないらしい。


 大人三人が俺を囲む様にじわじわと近づいてくる。


「あぎゃあッ!??」


 それは突然だった。何の前触れもなくゲロッグが宙を舞っていた。

 そのまま放物線を描きながら、なんと断崖絶壁の向こうへと消え去ってしまう。


 異変を前に、俺はただぼうっと突っ立ってることしかできなかった。

 どう考えても何かしらの攻撃を受けて吹き飛んだはず。なのにその元凶となる魔物らしき姿は一切なし。

 明らかに異常なことが目の前で起きていた。


 そんな俺と違って、冒険者であるラークとビーロンは即座に反転し、氷の樹海の方を睨んで敵の気配を伺いながら臨戦態勢を取る。


「おッ、おいラーク! 一体何が起こってやがるんだ!?」

「俺にもわからん! ただ、俺たちの命がヤベェってのは確かだッ……」

「ちくしょうッ……ちくしょう! こんなとこで死んでたまるk――ん?」


 ビーロンが異変を感じて下を見たその瞬間、フッとビーロンの姿が消える。


「うわぁぁあああああーーーッッ!??」


 悲鳴が聞こえた方を見ると、何かが高速で移動しながら青紫の花吹雪を派手に舞い散らせていた。


 よく見るとそれはビーロンで、花園の中を何かに引きずられているようだった。

 脚をピンと揃えた姿勢からして脚を掴まれていることは確かなはずだけど、またしても敵の姿はどこにも見えない。


「たッ、助け、助けてくれぇえええーーーッ!?」


 必死に助けを求めるビーロンだったけど、あちこちに点在する岩の塊に何度も頭をぶつけるうちに静かになり、ぐったりしたまま氷の樹海の中へと消えていってしまった。


「うぁッ、ぁあぁあああ~~~ッ!」


 半狂乱になったラークがたまらず逃げ出そうと足を踏み出したけど、その足が地面に付くことなかった。


「何だアレ! おっさんが、う……浮いてる!?」

「うあッ、なんッ……動けねぇッ!?」


 なんとラークの体がふわっと宙に浮かび上がっていた。

 またしてもラークの周りには敵の姿は見えず、直立不動の体勢からして動かせるのは辛うじて首と手足の先だけらしい。


 次の瞬間、正体不明だった化け物が姿を現す。

 まるで褪せた色が鮮やかさを取り戻すかのように。


 それを見て理解する。

 体を透明化して周囲の景色に溶け込んでいたから、姿が見えなかったのだと。


 俺は目の前の化け物を見上げながら、嫌悪感を抱いた。


(気持ちわりぃ……)


 全身を覆う黄金の竜鱗、四本の手足に大きな翼、大蛇のように長い胴体までは別にいい。でも、それ以外がとにかくおぞましすぎた。


 どこか人に近しい相貌は苦悶に歪み、大人を丸呑みできそうな大口は不気味に口角を上げ、後頭部から背中を通り尻尾までを老婆の様な長く白い髪が覆い、それに背骨が丸々付属した人間の頭蓋骨がいくつも結び付けられていた。


「あッ……あがッ、あがァアアアーーーッ!??」


 苦痛の声と共に、バキバキッとラークの全身の骨が折れる音が響く。

 その音源はラークの体を拘束する化け物の両腕。祈るように合掌する手で、無慈悲に押し潰していた。


 すると化け物が大口をパカッと開く。

 現れたのは整然と並ぶ真っ白な歯の数々。意識を失い瀕死のラークを頭から丸呑みし飲み込んでしまった。


 それから、化け物は頭を垂れながらドシンと両手を地面に付くと、グググッと顔を近づけてくる。

 ギョロリと開かれた黄金の竜眼には、恐怖に慄いた俺の顔が映っていた。


(これが……俺の死に顔か)


 短い人生だったと死を覚悟した時、俺以外の何かが映り込む。

 それは漆黒のローブに身を包み、フードで顔を隠した長身の女だった。


「馳せ参じよ――ホワイトナイト」


 長身の女がそう言った瞬間、地面から生えた氷の棺が化け物の顎をかちあげる。

 刹那、砕け散った氷の棺から氷の白騎士が飛び出し、化け物を強引に押しやった。


「……あ、あんた誰?」


 そう言った後、先に助けてくれたお礼を述べるべきだったと後悔したけど、今の俺にそんな余裕はなかった。

 

 化け物が大口を開いて咆哮を上げたことで、風圧によって女のフードが捲れる。

 露になったのは地面に付きそうなほど長い髪。それは毛先まで全てが黄金だった。


 その女は俺と同じく身体に黄金の色を持つ特別な人間だった。


「私か? ただの通りすがりの――魔女だ」




   §    §    §




 自らを魔女と名乗った長身の女は、金髪碧眼のダークエルフだった。


 黄金の髪は一切癖がないストレートロングで、毛先はパッツンと切り揃えられた横一直線。ゆるく内巻きに跳ねた前髪も同様にパッツンとしていて、左目を覆い隠していた。


 いわゆる、片目隠れというやつである。


 そんな前髪からチラ見えするのは、どこか気だるそうで憂いを帯びた儚げな双眸。

 トロンと半分閉じたまぶたから見えるのは、澄んだ大空を思わせる空色の碧眼。

 目鼻立ちは凛々しい美人系であるものの、顔自体は小顔で童顔と幼げな雰囲気が漂う。


 おおよそ十七歳といった年の頃に見えるが果たして?


 またダークエルフらしく長く尖った笹穂耳と褐色肌であったが、肌の色合いはあまり見かけないローズグレイな灰褐色肌であった。


 絶世の美貌を誇る魔女に対して、黄金の化け物がギロリと睨んで対峙する。

 明らかに魔女を警戒しており、完全に狙いをゼファーから魔女へと変えたようだ。


「アイシクル・エッジ」


 魔女がそう言葉を発した瞬間、右手に持つ短杖の先から氷柱が放たれる。


 黄金の化け物はそれを器用に回避すると、色を失うようにして透明化してしまう。


「無駄だ。それはもう


 そう言って、今度は魔法の詠唱を始める魔女。

 さっきと違って、左の手のひらの上に浮かぶ大きな水晶球が淡く水色に輝く。


「幾千の蒼銀が刺し貫く、冷酷なる捕食者に一切の慈悲は無し――アイス・キングフィッシャー」


 天に掲げた水晶球から、氷でできた無数の小鳥が現れる。

 それらは鮮やかな水色の羽と鋭く尖ったくちばしが特徴的で、花園の中をグルグルと群れになって旋回するため、嵐の様な風が巻き起こっていた。


 風に煽られて、魔女が着る漆黒の魔法衣のあちこちがはためく。

 ローブの様なそれはお腹にある氷の結晶を象った金具を境に上下に分離。上はマント付きの羽織といった感じで、着崩されているせいでほっそりとした肩からたわわな胸元にかけて露出。下は足先まで覆い隠すロングスカートと一見すると露出はそこまで多くない。

 しかし、ふわりと舞ったマントの隙間から見える魔法衣の中は、タイトなレオタードのみであった。


 その肢体は幼げな相貌と違い成熟した淑女の様で魔女の正確な年齢を掴ませない。

 それと年頃の乙女特有の処女性と神秘的な幼さが交じり合うことで、魔女の美貌は蠱惑的なミステリアスさをまとい美の極致へ至る。


 一言で表すならば――魔性。


「……そこか」


 魔女の左腕が指揮者の様に振るわれ、繊細な指先――空色の碧眼と同色の爪が美しい――がある一点を指さした。


 その瞬間、群れをなした氷の小鳥たちが一斉に殺到し、たまらず黄金の化け物が姿を現す。


「白き薄氷は死の接吻、永久とわに眠れ、哀れな彷徨い人よ――スカディドレス」


 新たな魔法によって、薄い氷の膜が幾重にも重なり黄金の化け物を包む。

 白いドレスの如き薄氷に覆われたことで、化け物は身動きを封じられてしまっていた。


「さて、そろそろ終わりにしようか」


 魔女がしんしんと言葉を紡ぎ始める。


「雪よ来い来い、あられよ来い来い」


 黄金の化け物の頭上に白い雪や霰が集い、質量を増していく。


「雪玉ころころ重ねて二つ」


 小さい雪玉が上、大きい雪玉が下にとどんどん形作られていく。


「枝に手袋、石にニンジン、帽子をかぶせてさあできあがり、あなたは可愛い雪だるま――ス・ノーマンプレス」


 そして魔法で出来た雪だるまが落下し、黄金の化け物をぐしゃりと押し潰す。

 そのあまりの重さは地面まで粉砕。地割れした花園が崩落し、なんとがけ崩れが発生してしまうほどであった。


「え? え? うわぁあああーーーッ!?」


 足場が崩れて慌てふためくゼファー。

 魔女がそれをひょいと小脇に抱えると、宙に浮く水晶球に腰掛けふわふわと空中散歩のように漂う。

 そのまま崖の崩落を見下ろしながらゆっくりと降下していき、脚が付く高さまで降りたところでぽいっとゼファーを放り投げた。


 ゼファーは目の前の崩落した土の山やそれに埋もれた黄金の化け物の残骸と、背後の謎の多い魔女を交互に見てから言う。


「色々と聞きたいことはあるけど……ありがとう。助かったぜ」

「気にするな。ただの気まぐれだ」


 その言葉を聞いて、ゼファーの脳裏にあることが思い浮かぶ。


(今の言葉。つい最近どっかで聞いたような……あっ、魔法具店でポーションくれたお姉さんはこの人だったのか!)


 ゼファーとしては謎の多い魔女の目的が分からなさ過ぎてずっと警戒していたが、親切にしてくれた優しい人なら大丈夫だろうと警戒心を解きつつ思う。


(まっ、キレーなお姉さんならさっきの奴らと違って悪い奴じゃねーだろ)


 そう楽観主義極まる思考にふけっていたその時だった。


 土の山からにじむ様に湧き出していた黄金のドロドロ。

 元は黄金の化け物の死骸だったそれが、突然八本ほどの黄金の触手となりて襲い掛かる。


「ちッ……往生際の悪いヤツだ」


 とっさに反応した魔女が氷のつぶてを飛ばし迎撃するが、二本だけ撃ち漏らしてしまう。


 その黄金の触手はゼファーを標的に襲い掛かり、ゼファーが体を庇うために出した両腕に絡み付いた。


「あっづッ、あっぢぢぢッ……ぐぁ゛あ゛あ゛あ゛ーーーッ!」


 二本の黄金の触手は役目を果たしたのか、ジュクジュクと溶けながら滴り落ちる。

 まとわりついた黄金の液体が消え去り、露となった両腕には――黄金の痣が刻まれていた。


 それは濃淡二色のまだら模様で、手首から肘にかけて蛇が巻き付いたかのような痣だった。


「なッ、何だよコレェッ……いぎぎッ! ぜ、絶対ヤバい奴だってコレ! 命に関わる奴だってコレェ!?」

「見せてみろ」


 魔女がゼファーの袖を破り捨てると、黄金の痣は二の腕に向けてじわじわと浸食し続けているところだった。


 それを見て、魔女の美しい相貌が歪む。

 魔女が判断する限り、この状態は一刻を争うほど危うい状況らしい。


 魔女は指先に作った氷の爪で己の黄金の髪を一部切り取ると、それをゼファーの口へ指ごと強引に押し込む。


「生きたければ飲み込め――」


 ごくりと喉が嚥下したのを見て言う。


「――歯を立て喰らいつけ、そして血をすすれ」


 何も分からずただ状況に流されるままに、ゼファーは魔女の指を食いちぎる勢いで噛みつき、流れる血をごくりと喉奥に流し込んでいく。


 刹那、痛みで顔をしかめる魔女だったが構わず首筋にそっと口づけをすると、そこに黄金の紋章が刻印される。

 まるで刺青のようなそれは氷の結晶を象ったもの。誰の目から見ても明らかに、何かしらの契約の証なのはまず間違いない。


 ゼファーの口から指を抜いた魔女は黄金の痣について確かめる。

 一連の儀式的な行いのおかげか黄金の浸食は止まっていた。


「これで当面の間は心配はない……はずだ、多分」


 そう言いながら、どこかから取り出したポーションで指の傷の手当てをする魔女。

 断定を避けるように仮定の言葉を付け加えるあたり、魔女としても絶対の確信は持てないらしかった。


 そんな魔女の不安が伝わったのか、ゼファーが思わずつっこむ。


「いやいやいや、そこは多少嘘ついてでも安心させてくれよ!」 

「無理だ。私は筋金入りの正直者だからな、嘘をつくくらいなら死を選ぶ」

「えぇ~めんどくさぁ……」


 このお姉さんだいぶ変わり者だな、と思いながらもゼファーはさっきのやり取りの意味を尋ねる。


「ま、まぁいいや。ところで、俺がやらされたのって何だったんだ?」

「あぁ……あれは契りだ。私の故郷に伝わるとても古いやり方のな。とは言え、急だったせいもあって大分不完全なものになってしまったから――契りのようなもの、と言った方が正しいかもしれない」

「あのさ、契りって契約のことだよな?」

「そうだ」

「だったら、俺は一体なんの契約を……?」


 魔女は言いずらそうに顔を逸らしながらも、正直に言う。


「…………奴隷契約だ」

「ど、どど奴隷って……まさか自由と尊厳を奪われるとか噂のあれか!?」

「勘違いするな。これはそこまで拘束力のあるものじゃない。というかそもそも、アレをしていなければお前は――」


 魔女が何かを言いかけた瞬間、二人の背後にある土の山が大きく爆ぜる。

 そこから二体の黄金のゴーレムが這い出て来ていた。


 それらを指さしながら魔女が言う。


「あぁ、なっていたんだぞ?」

「……マジ?」

「もう忘れたのか? 私は嘘をつくくらいなら死を選ぶ、筋金入りの正直者だぞ?」

「なら、マジかあ……」


 魔女がゼファーの両腕に刻まれた黄金の痣について語る。


「聞け。お前の体に刻まれた黄金の痣とは呪いだ。そして、黄金の痣に侵食された人間は二つの末路を辿ることになる。一つは黄金のゴーレム。そしてもう一つはついさっき私が倒した黄金のドラゴン――デュラトゥスだ」


 鈍重な黄金のゴーレムがゆっくりと近づく中、魔女はさらに続ける。


「あっという間に浸食されれば黄金のゴーレムになり、九年の月日をかけてゆっくり浸食されればデュラトゥスになる」

「九年か……長いような短いようなって感じだな」

「はぁ、理解できていないようだからハッキリと言わせてもらうぞ? 九年というのは――お前の寿命だ」

「……はあ?」


 ポカンと間抜け顔を晒すゼファーに、魔女が告げる。


「だが、その代償として……お前は黄金の力を得た」


 そう言うと、ゼファーの背中をポンと押し出す。


「試しにあの黄金のゴーレムを倒してみろ」

「え? ちょっ、急に言われてもさあ!」

「黄金の痣に意識を集中しろ。おのずと力の使い方が理解できるはずだ」


 ゼファーは魔女に言われた通り、両腕に刻まれた黄金の痣を見る。

 ハッとして何かに気づくと、手のひらを開いて両腕を前に突き出す。


「天のつるぎは生者が為、魔のつるぎは死者が為――アンフィスバエナ!」


 そう言葉を紡いだ瞬間、黄金の痣が黄金の粒子となりて物質化していく。

 眩い輝きを放つ粒子は一点に収束し、大きな剣へと変化。物質化が終わると、黄金の武器が地面に突き立っていた。


 それは柄の両端に刀身が付いた双刃刀ダブルブレードだった。

 やや幅広の刀身は剣先が丸く流線的な形状で、ゼファーの身の丈よりも高い。小柄なゼファーには到底扱えなさそうな見た目だが……。


 ゼファーは地面に突き立つ双刃刀ダブルブレードを両手で引き抜く。


「あれ? 何か……軽いぞ?」


 至って自然な動作で、それでいてどこか慣れ親しんだような手つきで武器を構える。

 右足を一歩前に踏み出し、グッと腰を落として低重心姿勢を取る。その際、右手に掴んだ双刃刀ダブルブレードは弓のように地面と平行に横たえる。


 その立ち姿は、双刃刀ダブルブレードを長年使い込んだ達人そのものだった。

 明らかに剣を極めた者の所作であり、ともすれば剣神の如き覇気さえ感じる佇まいであった。


「ハハッ……今なら誰にも負ける気がしねー!」


 高揚感に包まれたゼファーが風の様に舞い、黄金のゴーレムへと剣を振るう。

 瞬く間に走る剣閃の連撃によって、ゼファーを掴もうとする黄金の腕がまるで紙切れかの如くスパッと切断されていた。


 その光景を眺めながら、何故か自慢げな顔で魔女が言う。


「この世には絶対の原則がある。黄金の力なくして、黄金の化け物を倒すことはできない。つまり――黄金には黄金を、というワケだ」


 しかし、ゼファーには魔女の言葉など届いていなかった。


 もはや風の化身となったゼファーが目にも止まらぬ速さで右へ左へと飛び跳ねる。

 風のように舞う度に黄金のゴーレムの体が斬り刻まれ、その破片が細切れになって飛び散っていく。


「ヒィヤァーーーアッハッハッハァーッ! 悪ぃヤツをギタギタのメタメタにすんのは最ッ高の気分だぜぇえええーーーッ!」


 絶大なる力を得て、ゼファーは完全に調子に乗っていた。

 なんとまあ、わかりやすい溺れ具合であろうか。とはいえ、ついさっきまでは無力な子供だった少年が大きな力を急に授かればこうなるのも仕方ない。


 あっという間に二体の黄金のゴーレムを片付けたゼファー。

 しかし、まだまだ満足がいかない様子。荒々しく肩で呼吸しながら息を整えようとするが、体にこもった熱気は毛ほども発散できず。ただただ暴力がもたらす破壊の快感の余韻に浸っていた。


 そんなゼファーを冷ややかな目で見つめる魔女は呆れながら言う。


「落ち着け、力に振り回されるバカほど見苦しいものはない」


 魔女にそう言われた途端、ピタリとゼファーが落ち着きを取り戻す。

 なんと一瞬で荒れた呼吸が治まり、興奮による汗がさっと引いていた。


「ふぅ~落ち着いたぜ」

「いや待て、急に落ち着きすぎだろッ……って、まさか――これは奴隷契約の効力なのか?」


 その効力を確かめるべく、魔女は試しにある命令を出してみる。


「尻を振って踊れ」

「はあ? 何で俺がそん――」


 口では拒否するゼファーであったが、体は珍妙で卑猥な踊りを披露していた。


「――うわぁあああ! 体が言う事聞かねー!?」

「命令形の言葉を口にするだけでこうなるとは……全く、面倒な契りを結んでしまったものだ」

「とッ、とりあえず止めてくれよお~!」

「それもそうだな。もうやめてもいいぞ」


 そう言ってから何か考え込む魔女に対し、いきなり理不尽なことをさせられたゼファーは抗議する。


「そこまで拘束力はないって話だったのに……やっぱ自由と尊厳が奪われるヤツだったじゃねーか!? 何が筋金入りの正直者だよッ……ただの嘘つきじゃねーか!」


 ゼファーが放った嘘つきという言葉に反応した魔女はキッと睨んで感情を露にし、ゼファーの胸ぐらを掴み上げる。


「私が言及した拘束力云々の話は、生殺与奪の権までは奪ってないということだ」

「はあ? どういうこと?」

「つまり、生き死に関わる命令は出来ないという意味だ。だからあの時、そこまで拘束力はないと言ったんだ」


 そう言うと、魔女はパッと手を離した。


 一度はなるほどと理解を示したゼファーだが、諦め悪く食らいつく。


「で、でもさあ!? あの変な踊りは尊厳を――」

「――軽いお遊びじゃないか? あの程度」

「あれ、お遊びだったのかよ……」


 愕然とするゼファーを置いてけぼりにしつつ、魔女が話を進める。


「とにかく、このままではまともに会話もままならないからな」


 顎に手を当てわずかに逡巡した後、簡潔に解決策を出す。


「こうしよう、事前に決めた口上を述べた時のみ命令とする。そして、今後はそれ相応の対価を支払おう」

「今後って……さっきのは?」

「あれは取り決め前だからな、ノーカンだ」

「クソッ……踊り損じゃねーか!?」


 悔しがるゼファーに対して、魔女が釘をさすように言う。


「先に言っておくが……私が命令するのは、これで最初で最後だ」

「は?」


 魔女が右手の手袋を外すと、その手を差し出しながら宣言する。


「魔女ユイドラ・ディジーヴルが言い渡す。少年よ、私と共に竜殺しを為せ」


 魔女の言葉が、魔女の命令が聴覚を経由し、ゼファーの脳みそに刻まれる。


「あぁ、いいぜ」


 そう答えるゼファーに自由意志はなく、ほぼ脊髄反射で返された。

 無意識にゼファーが魔女の右手を握り返すも、その行為は握手とは言い難いものであった。


 ゼファーに冷ややかな視線を向ける魔女が興味なさげに訊く。


「一応、聞くだけ聞いておこうか。少年は対価として何を望む?」

「対価……何でもいいのか?」

「私に叶えられる範囲だったら……な?」


 頬を赤らめたゼファーがもじもじしながら言う。


「んじゃ、俺と……その、手ェ繋いでデートしてほしいっ」

「……は?」


 想定外の対価を要求されたせいか、魔女はポカンと素っ頓狂な顔で呆けていた。

 それは魔女が初めて見せた動揺であった。


「は? って何だよ!? ダメなのかよッ、手繋ぎデート!」

「い、いや、ダメってことはない。ただ、少しびっくりしてしまっただけだ。しかし、そうか……手繋ぎデートと来たか――ふふっ」


 とっさに口元を抑える魔女だったが、その含み笑いは隠せていなかった。


「笑うなよ!? せ、せっかく勇気出して言ってみたのにさあッ……!」

「悪い、あまりにも……その、なんだ。可愛らしい対価だったものだから、ふふふっ」


 きっと法外な金銭を要求されるか、または性的に邪な行為を要求されると予想していたのだろう。そうして身構えていたところに、随分と可愛らしい対価を要求されたのだ。

 ああして、ポカンと呆けてしまうのも納得であろう。


 正直に対価を要求したゼファーが魔女に強く抗議する。


「わ・ら・う・な! っつーか、いいのかダメなのかハッキリ――」

「――いいぞ」


 魔性漂う声音で、魔女がそう言った。


「ッ!? ぜ、絶対だぞ!?」

「あぁ、約束しよう」


 握手した手を離しながら、魔女が訊く。


「少年、名は?」

「ゼファー」


 それから、魔女は自然な笑みを浮かべながら告げる。


「私の名を口にすることを特別に許す。これは光栄なことだぞ、ゼファー?」

「いや、そう言われてもさ……お姉さんの名前、知らねーんだけど」


 一瞬、苛立ちを見せる魔女ユイドラだったが、すぐにあることに思い当たる。

 ついさっきの命令口上は恐らく、命令内容の方が優先されて魔女ユイドラ・ディジーヴルという名前は抜け落ちてしまうのだろうと。


 改めて、魔女ユイドラは名を名乗る。


「ユイドラ」

「へ?」

「さあ呼べ、ユイドラと」

「……それって、今じゃないとダメか?」

「ダメだ」

「いや、でもさあ――」

「――いいから呼べ」


 ぐいぐいと迫る魔女ユイドラの圧に負けて、とうとうゼファーが名を口にする。


「ユ、ユユユイドラ……」


 女性の名を口にするのが初めてなゼファーには荷が重かったらしい。


 それを見て、何故かしたり顔な魔女ユイドラが拍手をしながら言う。


「ん……童貞にしては上出来だ、ぷふふっ」

「なッ、何だよドウテイって!? とりあえず、バカにされてることだけはわかるぞ!」


 ゼファーが魔女ユイドラを見上げながらそう叫んだ。

 わざわざ見上げる必要があったのは、ゼファーの身長が140cmで魔女ユイドラの身長が181cmと身長差があるためである。


「知らないのか? お前のように、未熟な男を指す言葉だ」

「くそぉ……俺をバカにしやがってェ! ぜってー見返してやるからなあ!」

「いい心意気だ。その調子で竜殺しも頼むぞ? 童貞クン?」

「上等だぜ、コラァアアア!?」


 こうして、少年と魔女の竜殺しの物語が始まったのだった。

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【短編】ドラゴンズ・エルドラード ~少年と魔女、奴隷契約を結びて共に竜殺しを為さんとす~ 緑青セイヤ @rokushoseiya

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