二十四、蔑如

 頭が真白に、熱くなる。動揺のあまり息すら止めて硬直した左慈を置いて、仲間たちはどっと笑った。

「それもそうだ。羨ましいこった」

「お花がかい?」

「馬ァ鹿、殺すぞ」

「案外、慈郎の方を相手したがるんじゃねえか、あのアマ」

「慈郎は昔の兄貴二人よか愛嬌もあるしな」

「夜の相手にゃ、三男坊はまだションベン臭えガキだろ」

 当の左慈がいるにもかかわらず、いやむしろ、だからこそ面白いとでもいうように、好き放題に下卑た話が繰り広げられていく。


「————」

 屈辱、怒り、自嘲、羞恥、傷心のないまぜになった混沌が背筋を迸り、白い思考がじわりと赤く染まる。道具を放って腰を上げ、最初に左慈を茶化した網子仲間へと一歩迫る。ぬらり、背後に差した長い影に気づき、網子仲間はぽかんと口を開けて左慈を見上げた。その間抜けな顔を蹴り上げてしまおうと足を浮かせかけた時、

「————よっ、猪口余ってねえか」

 どっと背中に衝撃が走り、隣に一路が並んだ。

「酒はこっちにまだあるからよ。器だけ——なっ」

 そう言って、一路は左慈の背を再び強く叩いた。

「…………ああ」

 どろりと赤い気持ちが、潮の引くように胸の奥底へと姿を晦ましてゆく。それでも僅かに残った蔑みを込め、左慈は冷たい眼光で相手を見下げた。

「あ、ああ。そういうことかよ。ほらよ、左慈」

 網子仲間は狼狽たように声を揺らして、彼の膝下に転がっていた猪口を突き出してきた。怯んだのは左慈に見下ろされた彼だけで、他の者たちの話題は、最近抱いた娘の話や、他集落と潮見の女との違いなどに移っていた。


「飲むふりくらいしとけ」

 部屋の隅に戻って提燈作りを再開しようとすると、徳利を片手にした一路が隣に腰を下ろした。一路は自分と左慈の分の酒を注ぐと、猪口を口に寄せた。

「ひやっとしたじゃねえか。まさかほんとに殴っちまうつもりだったんじゃねえだろうな」

 殴るのではなく、蹴るところだった。とまでは訂正せず、左慈はただ「助かったよ」とだけ伝える。

「あのよう、お前がそういうの嫌いってのはわかるけど」

「苦手なだけだ」

 反射的に口を挟むと、「なんにしてもだよ」と一路は苦笑した。

「あいつらがおかで口にすることなんざ、大半が冗談なんだから。適当に聞き流せよな」

 一路はそう言うが、ここに左介がいたら、きっと彼らはそんな冗談すら口に出さなかっただろう。そのことが何より、左慈の神経を逆撫でした。

 だが一方で、仲間たちが酒の肴にしている話題は嘘でもなんでもない。女の寂しさを受け止める都合の良い器にされたことはどうしようもなく事実で、それを揶揄されて憤慨しても惨めなだけだ。考えているうちに、聞き流せない己の方が矮小である気がしてきて、左慈は煩悶を呻き混じりのため息に込めて吐き出した。勢い余って、猪口の酒を一気に煽る。酒が喉を焼く久々の感触に顔をしかめると、一路が「そうそう、飲んで忘れちまえ」とまた左慈の猪口に酒を垂らした。


「それで、お前に聞きたいことがあんだけど」

 二人の間の会話が途切れ、頃合いを待っていたように一路が口を開いた。

「おミッちゃんのこと、振っちまうなんて勿体ねえよお前」

 左慈は猪口に口を運ぼうとした手を、一瞬ぴたりととめて、

「俺が振られたんだよ」

 また一気に中身を喉に流し込む。貧乏な海村の百姓が手に入れられる酒など質の知れたもので、舌がぴりぴり痺れる上に、辛いような甘いような風味が鼻から抜けると目の前が少しふわりとした。悪酔いを予感したが、一路から酌をされれば、左慈の手は作業の合間に猪口へと伸びる。

「振られたって、そんなはず」

「俺がまずいこと言って引っ叩かれたんだよ。……俺が傷つけて、袖にされたようなもんさ」

 そういう庇い方しか、左慈はできなかった。実千との間に何が起きたかなんて、一路には言えない。実千の沽券に関わる。というのは建前で、すべて話して軽蔑されたくないという保身のためだ。改めてそう認めると、ますます自分に嫌気がさしてくる。左慈は少し胡乱になってきた手先に目を落とすと、煩悶を紛らわすべく提燈作りに集中しようと努めた。


「そうかあ? 泣いてはいたが、そんな風には見えなかったがなあ……」

 一路は訝しげにしつつも、酔いもあってあまり深くは考えきれない様子で、仲間たちの酒宴を眺めながら酒を舐める。彼はそれ以上、左慈を問い詰めることはしなかった。きっと実千のことも、そんなふうに何も聞かずおおらかに慰めてくれたのだろう。

「まあ、おミっちゃんは今年の祭にゃ来ないみたいだし、今朝方芋だけ置いて波間に帰っちまったから、しばらくは互いにきまり悪い思いはしなくて済むだろ」

「いっそ、俺のことなんかひどく言って回ってくれてもいいのに」

「馬鹿なこと言うな。あの子はそんなことしねえよ」

「分かってるさ」

 だからこそ、誰に対しても板一枚隔てたような関わりしか持つことのできない自分を、そしてそれを赦してくれる者に依って立つしかない自分を咎める何かが、足りないと思った。仲間たちの賑わいから出来る限り距離を置こうと、左慈は柱に背を押し付けるようにして凭れた。一路が大仰なため息をつく。


「やめてくれよ。辛気臭いのはここンとこの海だけで十分だ。今日の波、海が呼吸しているみてえな、不気味な縦波だったよな」

 こちらが気乗りしないことを察したのか、一路は話題を変えて左慈に同意を求めた。

「それだけじゃねえ。崖の下なんか、岩場に波がべったり張り付くみてえに後を引いてさ」

 一路の言う通りであった。影海神社の真下の岩場は、白く泡立つ潮水が岩場を滑り疾さを伴って流れ込んでは、ずるずると引きずられるように戻っていくのを繰り返していた。さほど高さはなかったが、妙に乱暴で粘ついた動きは、確かにこれまで見たことがない類のものであった。

「そういやあ、あの辺って、ガキがたまに度胸試しする洞穴があったよな」

「ああ、柊木犀のある」

 ついそんな相槌を打つと、一路がきょとんとして首を捻った。

「そうだっけ、よく知ってるな。お前、近頃あそこに行ったのか」

「…………慈郎から聞いたんだ」

「ま、とにかく、しばらくはあの岩場にガキども近づけないよう皆に伝えた方がいいな」

 ふむふむと、ひとり納得して酒に口をつける一路。左慈はほっと胸を撫で下ろし、出来上がった提燈の型に半紙を張るべく、のり刷毛はけに手を伸ばした。

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