二十三、同調
今日の波は海底から
左慈たち若い漁夫は、潮見の集落の年長者たちから指図を受けて、昼過ぎより社務所で祭具の修繕に当たった。しかし、若者が寄り集まって、只ひたすら言いつけに従い真面目に作業するばかりとはいかない。不漁への不安を紛らわせようと、景気付けに皆で酒を酌み交わしながら、今朝の波の恐ろしさを語り合う。祭具修理は、その手慰み程度といったところだ。
むさ苦しい男たちの体臭と熱気で、戸を開け放っていても少し暑いくらいの板間。左慈は角の柱に背を預け、酒宴を眺めつつ黙々と、提燈の古くなって棄てた分を新しく作っていた。火袋の型に黙々と竹籤を巻いて骨組みを作っていると、
「そいやあ、一路!」
誰かが粗野にそう呼んだ。すると左慈の斜め前あたりで、二三の若衆と円を囲んで太鼓の修理をしていた一路が、「ああん?」と応じた。
「もう
自分には関係のない雑談だと聞き流していた左慈は、ふいにそんな話が耳に入ってきて人知れず目を丸くした。左介は大縄担ぎとして祭りの大舟に乗るはずだが、そんな話は聞いていなかった。
「まあな」
一路の表情は左慈からは窺い知れないが、声音から苦笑を浮かべているのだろうと思われた。
「ほら、巳浦の巫女婆がよ、海をあるべき姿に戻すにゃあ、欲に溺れず穢れを遠ざけるべしとか何とか、そんな判示をしたんだと」
一路は目線を上向けて、胡乱な記憶をたぐるように説明した。
「そんで、庄屋やうちの網元共、あとは他集落の有力者の間で、こもりで一段と厳しく精進すりゃあいいのかって話になったみたいでさ。そういう風に、年寄り共は占いを大袈裟に取り沙汰すわ、俺んちは庄屋の言いつけを破らねえよう親父が目を光らせているわで、全く息苦しいったらねえよ」
わざとらしく肩を落として嘆息して見せる一路。周りの男たちの中でも、同じように囃舟の舟乗りに選ばれた男は、一路の心境に理解できるところがあるのか、一人苦笑している。それ以外は、そりゃあ残念だったなとどこか他人事で笑った。
「左慈ィ、左介は占いのこと何か言ってたか? おめえの兄貴も他の爺共みてえに祟りだなんだを信じてんのかよ」
酔っていっそう口調の荒くなった一人が、隅っこで大人しくしていた左慈に不意に声をかけた。
あいつが? 左介のことだ、一笑して終わりじゃないか。いやいや案外古臭えやつだ。と、ここにいない兄の話題で、若い漁夫たちは楽しげに笑った。
左慈は手元から顔を上げる。あちらから悟られぬよう、ゆっくり細い溜息をつき、「さあな」と答えた。
「間に受けちゃないみたいだが、あいつの立場もある。言いつけには従うんだろうさ」
言いながら、実際に左介が夕餉でそんなことを話していたのを思い出していた。間に受けていないくせに、兄は庄屋含む年長者のことを冷笑することもなく、ただ「今は何も言わずに従った方が信頼されやすい」と言ってのける。
兄には昔から、そういうところがあった。父とよく似て明朗で仲間内の義を重んじるが、それだけでない。父にはなかった淡白な賢しさや器用さが、ふいに顔を覗かせる。なんにしても、しょっちゅう懊悩し神経をすり減らすわりに、解を出さずに立ち尽くしてばかりの左慈とはまるで正反対で、腹立たしいほど頼りになる兄だ。
漁夫たちは、祭具の修理そっちのけで管を巻き続けている。
「そんじゃあ、左介もおあずけかあ」
「おあずけはお花の方じゃねえのか?」
「ははっ、そんだけ求められてんなら、左介が羨ましいねえ」
「あいつぁ、昔っから左介に執心だったからなあ」
「あの男ぶりだからな」
「いや、んだけど案外、お花だって人恋しいわけでもないだろうぜ」
「まあ、三日くらいなら女はそうだろうよ」
「いやいや、違うさ————なあ、左慈」
考えてもしようのない思案の沼に沈みかけていた左慈は、再び話題をふられたことで我に返った。話が解らずうろたえて返事に詰まると、声をかけた男、左慈と同じ網組の網子仲間のまなじりが卑しく下がった。
「聞いてねえふりか? 堅物ぶって」
彼は酔いが回って少し気が大きくなっているようだ。左慈は網子仲間の言い様に、ぴくと片眉をひくつかせる。一路が何か口を挟もうかとするように、心配げにちらと振り返ったが、左慈はこれに気づかなかった。
「別にそうじゃ……堅物ってなんの話だよ」
低く尋ね返すと、相手はハンと鼻を鳴らした。
「だからよ、羨ましいったらねえって話だよ。また兄貴の代わりにお花の相手ができるじゃねえか」
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