第34話 4月28日と祝宴


 そして運命の4月28日、大味久五郎は東京行きの船に乗るため、洋装をした妻子と共に那覇港に来ていた。那覇港には大味の秘書である鮫島孝太、対立関係だった井上肇、沖縄警備隊区司令官にして陸軍歩兵中佐の梅田岩樹うめだいわきがいた。実はこの時代で肇は梅田の部下として働いていたのだ。

 またそこには当時の沖縄県警察部の部長である堀口満貞ほりぐちみつさだという眼鏡に口髭を生やした一重の男と山下隆平がいた。


「本当は『沖縄県産業十年計画』という農業から畜産業、工業までの計画を実現させようと思ったが、それは潰えたという事だ。ではさらばだ」


 こうして奈良原繁ならはらしげると並ぶ横暴な県知事として知られた大味久五郎は船に乗り、沖縄を去ったのである。


 大味が去った県知事官舎では帝国機関のメンバーや沖縄警備隊区司令官、沖縄県警察部部長までもが祝宴を挙げていた。


「いやぁー大味県知事が去ってせいせいしましたわ。これであの『琉新』のしつこい記者から取材が来なくて済みますなー」


 肇は酒を飲みながら笑顔で岩樹に話しかけていた。


「はて?谷口君『琉新』とは何ぞや?」


 岩樹は肇の偽名を呼んだ。どうやら「琉新」の事がわからなかったようだ。


「何ってあの『琉球新報』の事ですよ。ほらですよ」


「何を言っているんだね谷口君。『琉球新報』は。まさか君は『琉球新報』の記事を見ていないのかね?」


 岩樹の一言に「え?」と驚いた肇であったが、当時の「琉球新報」は現在の「琉球新報」と資本形態も違い、社説もどちらかというと日本本土への同化に推進的な社説であった。現在の「琉球新報」の前身は戦後に出来た「うるま新報」である。

 肇は当時の「琉球新報」と現在の「琉球新報」と混同していた。(それ以前に現在の「琉球新報」に対して「反日的」と言うもの失礼だと思うが・・)


「あっあーそうでしたね。ははは」


 肇は自分の無知がこの時代で露呈してしまった。


「うむ。後は小田切磐太郎おだぎりいわたろうが赴任してくるのを待つのみだ」


 梅田は酒を飲んで小田切の赴任を待ち望んでいた。


「樺山君、君は内務省の小田切君が来ると思うかね?」


 満貞は隆平の偽名である樺山と呼んだ。年の近い2人は酒を飲みながら談笑していた。

「私は来ると信じていますよ」隆平がにっこりと笑って酒を飲んだ。


 しかし、それは帝国機関の思い通りにはいかなかったようだ。東京の内務省では山形県知事から転出し、沖縄県知事に任命された小田切磐太郎が激怒した。


「部下の不祥事のせいで沖縄県知事に任命だと!?これではまるで私が左遷されるようなものではないか!」


 久五郎の上司である磐太郎は「沖縄には赴任しない」と言い出した。その知らせは帝国機関にも届いた。


「何!?小田切磐太郎が沖縄に赴任しない!?」


 肇はは沖縄に赴任しない磐太郎に怒り心頭だった。


「ええ。本人からの手紙で部下の後任を務めるなど左遷に等しいと怒っておりました」


 孝太の忠告に肇は胸ぐらを掴んで「おい!それは本当なのか?」肇は普段閉じているように見える糸目を開くと、三白眼の目つきで孝太を睨んでいた。


「ほっ・・本当です。副部長、胸ぐら掴むのはやめてください!」


 孝太は少しビビりながら肇に通告した。


「よしわかった。本当だな。5月4日まで待とう」


「はい」


 肇は知事官舎を去り、人力車に乗って沖縄警備隊区司令部の官舎へ向かった。

 

 帝国機関は当時の松尾山まちゅーやまにあった司令部の官舎を知事官舎に並ぶ、1つの拠点として置いており、肇はそこを寝床としている。


「谷口君、そんなに怒ってどうしたのかね?」


 司令官の岩樹が肇に尋ねると、肇はむしゃくしゃした表情で「小田切が来ないです」と言って自身の寝床がある部屋に戻った。


「たっ谷口君、それは本当なのかね?」


 岩樹が肇を追うと、肇は振り向き、「本当です。詳しい事は後で話します」と言って寝床へ戻った。



 知事官舎にいる孝太も混乱し、帝国機関の本部長とされる人物に電話を掛けた。


「もしもし、本部長ですか?鮫島です。県知事として赴任する予定だった内務省の官僚小田切磐太郎がまだここに来ておりません。どうしたらよろしいのでしょうか?」


「どうした鮫島、小田切がこちらに来ないことはわかっている。代わりに鈴木邦義すずきくによしと呼ばれる男が赴任する事になっている」


「えっ、そんな。じゃあ小田切さんは赴任しないまま辞めったって事ですか?」


「そういう事だ。鮫島、その間に鈴木氏と電話してくれたまえ。電話を切るぞ」


 本部長は電話を切ると、孝太は「はぁーまた仕事が増えるな」とかなり落ち込んでいた。


 すると、柿沼が知事官舎に来ていた。柿沼のまた束髪に銘仙の着物を着た女性だった。


「柿沼さん来ていたんですか?」


「来ていたよ。郵便局でやっている交換手の仕事を途中で切りあげたよ」


「途中で切り上げていいのですか?」


「いいの。それに孝太、ますます鳴海に似てきたね」


「江口さんにですか?」


「そう。やっぱり鳴海は産みの親だから他人行儀なんだね」


「あっ江口さんって確か・・僕の本当の・・」


「そうだよ。鳴海は孝太の実の母親。あまり言いたくないけど、鳴海は10代であんたを産んで鮫島さん所に養子に出したの」


「それは父から聞きました。『本当の子供じゃない』って。でも、どうしてそれを柿沼さんが知っているんですか?」


「鳴海があんたを産む時、取上げたのは私だからだよ!」


「え!?僕を取上げたんですか!?助産師の資格無いでしょ!!」


「私も好きで取り上げた訳じゃ無いよ!私が居なけりゃ鳴海は孤立出産していたからねぇ!はい!この話は終わり!知事官舎の掃除するよ!」


 柿沼は官舎内にあった掃除用具を取りだして掃除をしだした。


「あっあ・・わかりましたよ・・代理の知事が来るかもしれないですからね」


 孝太は柿沼と共に知事官舎の掃除をした。


 2人が掃除をしていると、孝太は「あの、ちょっと話してもいいですか?」と顔を赤くしながら掃き掃除をしていた柿沼に話しかけた。

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