ふたりきりのお泊りはNGだったのに!

「いい加減にしなさい!」

 燕が特大の雷を落としたのは、とある日の帰り道だった。あたしと織音がケンカするのはいつものことだし慣れたものだけど、この日はちょっとだけ激しく言い争ってしまったのだ。だから燕がプンプンになってしまった。

「あのねえ! わたしとお泊り会がしたいのはよくわかったけど、取り合うことはないでしょ!? 三人でやればいいじゃん!」

 燕は正論のつもりなのだろうけど、織音は頬を染めながら唇を尖らせる。

「そんなん、ふたりきりがいいに決まってるやん……」

「織音さんはスケベなことしたいだけだよね!? ふたりきりは絶対NGだから!」

 あたしも織音に便乗するかたちで挙手する。

「はい! あたしもふたりきりがいいです!」

 続けて織音も首を横に振って主張する。

「右に同じやわ。燕とのお泊りに聖良はいらん」

「あたしも織音はいらない」

 なんだかものすごく腹が立つ言い方をされたので、あたしも真似して乗っかった。その直後、燕の目が吊り上がった。

「その発言は絶対にダメ! わたしたち友達なんだよ!? なんで平気な顔して『いらない』なんて言えるの!?」

 まあ、うん、たしかに「いらない」は言いすぎだったかも……?

 ご立腹の燕に縮こまりながら隣を見れば、織音と目が合ってしまった。あたしたちは気まずさに耐え切れずにうつむいた。

 すると、燕の冷ややかな声が頭上に振ってきた。

「じゃあもう、こうしようか」

「え、何……?」

「聖良ちゃんと織音さんがふたりでお泊り会してきて」

「なんで!?」「なんでやな!」

「『ふたりきり』がいいんでしょ?」

「そうじゃなくて燕とふたりきりがいいんだけど!」

 あたしが必死に主張すると、隣の織音もコクコクとうなずいた。

「できないの? できるよね? ちゃんと仲良くお泊り会できたなら、わたしがふたりきりでお泊り会してあげてもいいけど?」

 あたしは歯を食いしばりながら織音と視線を交えた。織音も顔面のいたるところにしわを寄せて複雑そうな顔をしていた。

 あたしと織音がふたりきりでお泊り会をすれば、燕からご褒美……。

 燕とのお泊りデートのためならやるしかない、と。

 こうしてあたしと織音は、その場で予定をすり合わせて金曜の夜にお泊り会を開くことを決めたのだった。

 あたしは素直に観念してスケジュールのアプリに「織音とお泊り会」と入れたけど、織音のほうは諦めが悪かった。

 織音は燕の機嫌をうかがうように控えめな声で訊ねる。

「……よかったらやけど、燕も来うへん?」

 最後にもうひとつ、燕が雷を落とした。

「行くわけないでしょ! ちゃんと仲直りしてきなさい!」



 そんわけで週末の土曜日、あたしは織音のマンションのインターホンを鳴らした。

 ぱたぱたとせわしない足音に続き、玄関が開かれる。

「聖良ちゃん、いらっしゃい! 久しぶりやなー」

「お姉さん! お久しぶりです!」

 出迎えてくれたのは織音のお姉さん。見た目も中身も大人っぽくて、理想的な大学生というかんじ。

 あたしと織音は現在こそ不仲だけど、中学生のときは何度か織音の家には遊びに来たことがあり、お姉さんとも面識があった。

「めっちゃうれしいわあ。また聖良ちゃんがうちに遊びに来てくれる日が来るなんて……」

 お姉さんは涙をぬぐうフリをしたりして、リアクションがちょっと大げさだった。でも歓迎されるのは素直にうれしい。

「あたしもお姉さんに会いたかったです!」

「またまた、えらいお世辞を言うやん」

「お世辞じゃないですよ! お姉さんを見てるとあたしも素敵な大学生になりたいって思えてくるので」

「ほんまに? ぜんぜん大学生としてちゃんとしてへんけどなあ」

 やっぱりお姉さんは大人ってかんじがして素敵だ。それと比べて妹のほうは、いつも不機嫌だしめんどくさいし子供っぽいし、遺伝子というのは性格には影響しないのかな。見た目の雰囲気は姉妹で近いものがあるんだけど。

「聖良。いま失礼なこと考えたやろ」

 お姉さんの向こう、織音が仁王立ちしていることにいまさら気づいた。

 あたしは動揺を悟られないように視線を外す。

「あ、いや、別に失礼なことなんて考えてないけど……?」

「どうせ『このふたりが姉妹とは思えない』とか考えてたんやろ」

「いや、そこまでは考えてないって。ふたりともめっちゃ美人で姉妹ってかんじがする」

 そう告げると、なぜか織音は頬を緩ませた。照れてるのかな。

「でも姉妹で性格は似てないよね」

 おまけに一言付け足すと、織音の表情が急転した。

「聖良はいつもほんまにお喋りやな!」

「あ、ごめん」

 思ったことはなんでも素直に言えばいいというわけではないのだ。燕と関わるなかで最近気づいたことだ。

 あたしは内心で反省していたけど、織音は知ったことかと猛獣みたいに牙をむいていた。どうしたものかと思っていたら、お姉さんがあいだに入ってきた。

「ふたりとも、とりあえず晩ご飯を作ったら? もう夕方やし遅なるで?」

 その言葉を聞いて、あたしは右手のレジ袋の重みを思い出した。食材の詰まった大袋だ。

 あたしたちは今回のお泊り会で、燕に対して仲良しアピールをしなくちゃいけない。そのためにふたりで夕食を作ると決めていたのだ。

「織音、とりあえずご飯つくろ?」

「しゃあないな。細かい文句は料理しながら言うわ」

 こうしてあたしは、やっと観月家のリビングに入れてもらえたのだった。



 あたしの料理の腕前は、たぶん中級者くらい。ときどき家族の手伝いをしたりはするし、簡単なものならレシピを見れば作れる。聞けば織音もそのくらいの実力みたいだったので、失敗しないようにカレーを作ることにした。

 というわけであたしは買ってきたものをキッチンに並べていたのだけど、横の織音は冷え切った目で具材を見下ろしていた。

「……なんやそれ。カレー作るっていう話やったやんな?」

「え、うん。カレーの具材だけど」

「ナスとトマトとオクラがカレーの具材なん……?」

「夏野菜のカレーって食べたことない?」

 訊ねると、もともと白い織音の肌がいっそう青白くなって見えた。

「知らん。そんなカレー知らん。私が知ってるのは肉とジャガイモと玉ねぎが入ってるやつだけや」

「そのメンツならニンジンも入れてあげてよ」

「……ニンジンもいらん」

 真っ白になって震える織音を見て、やっとあたしは思い出す。

「そうだ、織音って苦手な野菜が多いんだったよね?」

 距離を置いていた時期が長いから忘れていたけど、織音はことあるごとに野菜に対して容赦ない言葉を吐いていた気がする。

 しまったな。織音の好みを気にかけていなかった。

 またひとつ反省を重ねようとしていると、急に織音がうなるように低い声を出した。

「は? 子供あつかいせんといて。野菜が苦手とか、勝手に決めつけんといてや」

「あれ? 平気なんだっけ? よかった。じゃあ野菜きるね」

「そういうことちゃう!」

「どういうこと? 苦手なの? 食べられるの? どっちなの?」

 いつにも増して織音の言うことがわからない……。あたしは何カレーを作ればいいの? もうルーだけにする? ルーだけカレー? あまりおいしくなさそう……。

「野菜は入れても大丈夫やで」

 不意にお姉さんから声がかかった。リビングのテーブルであたしたちを見守りつつ、ニコニコして言う。

「織音ちゃんは苦手なものでも出されたら食べるし気にせんでええで」

「あ、そうなんだ。織音、えらいね」

 わがままを言っているのかと思いきや、存外に大人だった。あたしは率直に敬意を表したつもりだけど、織音は真っ赤になって怒った。

「ふたりして子供あつかいせんといてや! だれでも苦手なものくらいあるやん!」

 いまにも地団駄を踏みそうな織音に、あたしは慌ててフォローを入れる。

「いや子供あつかいなんてしてないって! むしろあたしのほうが子供だって。苦手な料理とか減らしてもらったりするし。ふつうに食べられるなんて、あたしからすれば本当にすごいことなんだから」

 織音は即座に何かを言い返そうと口を開いたけど、結局言葉が見つからなかったのか大人しくなった。

「包丁とまな板ってどこ?」

 織音は無言でキッチン下の棚を開けて指さした。あたしはそれを取り出しながら訊ねる。

「小さく切ったほうがいい?」

 あたしが幼くて苦手な食べものがたくさんあったとき、お母さんはいつも細かく刻んだりして食べやすくしてくれた。その優しさを思い出していた。

「……く……って」

 織音の返事は消え入りそうな声だったので「なんて?」と訊き返した。すると今度は控えめだけど聞こえる声で答え直した。

「……小さく切って」

「ん、わかった」

 ふだんからこれくらい素直だったらかわいいのに、と思いつつ声には出さないようにして、あたしはナスのへたを切り落とした。



 完成した夏野菜カレーはとてもおいしそうだったので、写真を撮って燕に送った。あたしと織音が仲良くしていることをアピールするためにはちょうどいい写真だった。

 もちろん見た目だけじゃなくて味も絶品。最後に味をととのえるときにお姉さんが手伝ってくれたのが大きかった。おかげで織音は文句ひとつ言うことなく完食していた。

 それからはぐだぐだと雑談したりして過ごし、順繰りにお風呂に入った。いちばん最後のあたしが髪を乾かし終えてリビングに戻ると、なぜか織音は不機嫌そうに膝を抱えて丸まっていた。

さっきまで割と上機嫌だったのに、めんどくさくなってきたな……。とはいえ無視するわけにもいかないので訊くだけ訊いてみる。

「どしたの?」

 織音はちらとあたしに視線を向け、大きなため息をついた。

「姉さんが出ていったんや。『ふたりでゆっくりどうぞ』とか意味不明な気の遣い方して、友達の家に行きおった。しかも聖良の布団を勝手に私の部屋に敷いてったし」

「そうなの? お礼を言うタイミングがなくなっちゃったな」

「気にするのはそこちゃうわ! 姉さんの態度が腹立つんや! 勝手に私と聖良が仲良しに戻ったと勘違いしてるんやで!? なんで聖良と同じ部屋で寝なあかんねん!」

「寝る部屋は同じでいいでしょ……」

 たしかにあたしと織音をふたりきりにしたのはお節介だなあと思うけど、お姉さんの気持ちも少しわかる。

 上京してすぐの織音には、友達があたししかいなかった。それなのにあたしたちは決別してしまった。そのとき織音は、たぶん孤独を経験している。お姉さんもそのことを知っているはずだ。

 でも、あたしは織音とお泊り会をするためにこの部屋に戻ってきた。織音はもう独りではない。お姉さんにもそう見えたはずだ。

「ねえ、織音」

「……なんやな」

「ツーショ撮ろ?」

「は? 私の話きいてた?」

「聞いてたよ。聞いたうえで、ツーショ撮りたい」

「意味わからん」

「いいから撮るよ! あたしたちのかわいいパジャマ姿を燕に送りつけないと!」

「そういうことなら、まあ……」

 渋々といったふうに腰を上げる織音。ふわふわのネグリジェの裾が流れるように落ちる。織音のパジャマは意外とかわいい系だった。でも本物のお嬢様だからよく似合う。

 あたしのパジャマは、着心地重視でダボっとしたTシャツにショートパンツ。

 携帯を取り出し、あたしたちの全身が収まるように写真を撮り、燕に送った。ついでに「パジャマパーティ」とメッセージも添えておいた。

 そのあとは特にやることもないので早々に布団に入ることになった。

織音は最後まで同じ部屋で寝ることを嫌がっていたけど、それではお泊り会にはならない。燕に対して仲良しアピールするのだという当初の目的もある。だからあたしは、素直にお姉さんが敷いてくれた布団にもぐった。

 電気が消えた部屋と、いつもとちがうにおいがする布団。すぐ横のベッドには、いつしかの因縁の相手が横になっている。

 織音の静かな息遣いと寝返りの音がやたらと耳に残る。

 なんだろう。落ち着かない。

「織音、もう寝た?」

「起きてる」

「そう……」

 暗い部屋に、女どうしでふたりきり。その事実をいやに意識してしまう。

 隣のベッドにいるのが男だったら絶対に意識せざるを得ない。だって間違いが起きてしまうかもしれないから。

 でもあたしは知ってしまった。女どうしでも間違いが起こることはあるのだ。燕と出会ったことで、あたしの内側は見事に作り変えられてしまった。

 もちろんあたしは燕のことが大好きで、燕としかそういうことをする気はない。でもいま、織音が一時の気の迷いであたしを襲ってきたら? あたしの脆いところだけを執拗にいじめてきたら? 腰が砕けるくらい気持ちよくなってしまったら?

 そのときあたしは……ちゃんと抵抗できるだろうか。織音はめんどくさいやつだけど、とてもきれいな女の子であることは事実なのだから。

「なあ、聖良」

「な、何!?」

 急に織音が声をかけてきたから飛び跳ねそうになってしまった。

「さっきから何をもぞもぞしてるん。うるさいねんけど」

「うそ!? そんな動いてた!?」

「他人の家やと寝られんタイプか?」

「いやいや、そんなことはないんだけどね? ほら、いまふたりきりじゃん?」

「だから何なん」

「いやあ、織音に襲われたらどうしよう、と思って……」

 口にしたあと、馬鹿馬鹿しい仮説だなと冷静になった。織音もあたしと同様に燕のことが好きなのだ。あたしを手ごめにする理由がない。

 そのとき、もぞりと織音が身体を起こした。ベッドの上からあたしを見下ろし、暗い部屋のなかでその瞳が妖しく光るのが見えた。

「お望みなら、ほんまに襲ったろか?」

 予想外の言葉に、心臓がびっくりして飛び跳ねた。

 視線が交わり、あたしは布団のなかで固くなって身構える。捕食者と獲物。そんな構図。

 あたしは織音が「冗談に決まってるやろ」と言ってくれるのを待ち続けた。なぜだか、自分の口から「変なこと言わないで」と突っぱねることができなかった。

 そのまま何秒経っただろう。ひょっとしたら何十秒も経ったかもしれない。お互いに身じろぎひとつしないまま膠着状態。

 しかし、この均衡を崩したのはあたしでも織音でもなかった。唐突にインターホンが鳴ったのだ。

 あたしはその音を聞いて、やっと呼吸の仕方を思い出す。無意識に息をとめていたらしく、鼻から息を吸ったとたんに脳が冷えていくのを感じた。

 変な勘違いをした。あたしと織音が間違いを犯すわけないんだから。

 織音は部屋の電気をつけ、玄関へと向かった。

「どうせ姉さんが忘れ物したんやろ。しかも鍵を忘れたうえで」

 あたしもなんとなく布団から出て玄関に続く。織音がめんどくさそうにチェーンを外して戸を開ける。しかしそこにいたのは、お姉さんではなかった。

「燕!」「燕!?」

 気まずそうというか恥ずかしそうな顔をした燕が、そこにいた。

「どしたん!? 来うへんのとちゃうかったん?」

 織音は嬉々として扉を全開にして燕を迎え入れる。燕は玄関に立ったまま、赤くなった顔を隠すようにうつむいた。

「だ、だって、ふたりともすごく楽しそうにしてるし……」

 燕の反応を見てあたしは得心する。

「あー、寂しくなっちゃったんだ。ごめんね」

「さ、寂しくなんてないもん! ふたりとも写真を送るだけ送ってぜんぜん返信してくれないから腹が立っただけだから! さっきもわたし『やっぱり参加してもいい?』って送ったのに既読すらつけてくれなかったじゃん!」

 言われてみれば、ちゃんと携帯を見ていなかった気がする。ちょっと反省。

「要するに寂しくなったってことやんな?」

 織音が容赦なくいたずらっぽい声で指摘すると、燕の顔がいよいよ真っ赤になった。図星みたいだった。

「も、もういい! 帰るからね!」

 本当に燕が玄関先でUターンしたので、あたしと織音は素早く連携して燕の両脇を抱えた。逃がすわけにはいかない。

「帰るにしても、もう終電ないんじゃない? せっかくなんだし泊まろうよ」

「寂しい思いさせてごめんな。三人でお泊り会しよな」

「あ、お風呂はまだだよね?」

「そうだけど……」

 燕が不貞腐れながら応えると、織音はいやらしい顔で笑う。

「ほないっしょにお風呂入ろっか」

「入らないよ! っていうか織音さん、もう入ったあとでしょ!?」

「固いこと言わんでええやん」

 織音の左手が燕のシャツの内側に潜り込み、燕が悲鳴をあげた。

「ちょ、脱がすな! ばか!」

 はだけた燕を見て、ついあたしも言葉を漏らす。

「かわいいパンツ履いてるね」

「ばか! 変態! もう帰る!」

 燕の主張を無視し、脱衣所へと引っ張っていく。その最中、不意に織音と目が合った。

 たしかにあたしは燕とふたりきりでお泊り会がしたかった。でも「織音はいらない」というのは言いすぎだった。

 でもまだ素直に「ごめんなさい」を織音に言うのは気恥ずかしい。だからその代わりに、あたしは笑って告げる。

「三人でいると楽しいね!」

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