ボーダーブルー
復活の呪文
ボーダーブルー
「誰よ、こんな事したの!」
急に冬が来たようなツンとした寒さの廊下に、女子生徒の声が響く。
僕、篠崎涼は、マフラーを巻く手を止めて立ち止まった。
音源は廊下奥の教室だ。声の主は怒りが収まらないのか、甲高い声で叫び続け、宥める声と啜り泣きが、薄暗い廊下の闇から這い出てくる。
————この状況、あなたならどうする?
野次馬根性で教室をチラ見して帰るか、聞かなかった事にして帰宅するか。
答えを出す前に、一つ、僕の人生哲学を紹介しよう。
「青春は呪いで溢れている」。
僕たち高校生は、部活動に勉強、恋愛に友情と、多くの場面で人と関わる。その際に、相手から受け取った何気ない一言や態度が、呪いとして一生尾を引くのだ。
逃れる方法はたった一つ。
『勝者であり続ける事』。
だから、このまま帰宅して来年の受験対策をするのが正解。けれど、同じ位に、青春には笑顔がなくてはいけないとも思う。何も考えずに笑っていられるのは、今だけだし。
だから答えは、『迷わずにGO』。
廊下にも暖房をつけて欲しいなあと思いながら、叫び声に近づき、扉を勢いよく開ける。すると、女子生徒達から、『誰だよ』という敵意と好奇心が混じった視線が向けられた。予想通りの手厚い歓迎だ。
「喧嘩なら、僕が相手だ!」
こういう時は、大袈裟に馬鹿を演じるのが一番。
「……誰、あんた」
仰々しいファイティングポーズの僕に、ショートカットの女子が鋭い声をかけた。
「二年七組、篠崎涼です。てっきり喧嘩しているのかと思って、飛び込んでしまいました!」
女子生徒は目を見開いた。
「篠崎って、サッカー部の……」
「お、いい評判ですか!」
「イケメンだけど馬鹿な二年生」
「……喜ぶべきか悲しむべきか、分からないすっね!」
先輩達は小さく笑った。そう。それでいい。
「正直、パニックになっていたから助かったよ。私は、川上葵」
その名前に聞き覚えがあった。
「葵先輩って女子バスケ部の主将ですよね。全日本選抜に選ばれているとか」
確か学校新聞だった。関東大会を制覇し、百人近い部員の中央でトロフィーを掲げる姿を覚えている。しかし、写真の豪快な雰囲気とは打って変わって、目の前の先輩は隈が目立ち、アンニュイな雰囲気さえある。
「正解。あんたも関東選抜、だっけ? 今の内に実績積んでおけば、指定校推薦でいい所狙えるから頑張りなさい。何があっても迷っちゃダメ。私みたいになっちゃうから」
「はあ……」
何故、急に進路の話をするんだろう。意外と打算的な人なのかな。
「いい……? どうせ推薦なんて————」
「わ、私は、竹田咲子です。教壇に座っているのが、嶺田可奈です」
横の女子が、割り込むようにお辞儀した。黒髪を一つに括り、太縁の眼鏡をかけている。活発さと知的さが不安定に思える。
お辞儀を返し、教室を見回す。受験を控えるこの時期、3年生は自由登校期間であり、彼女達以外に生徒はいない。津々浦々にある普通の教室だ。
ただ、教室の後ろ、生徒用の低いロッカーの上に、花弁のない花がある事を除いて。
「……これは酷い」
ゆっくりと近づく。
丁寧に梱包されたフラワーポットに、『誕生日おめでとう』というメッセージカードが差してある。しかし、元々存在しなかったかのように、花弁が一枚残らず綺麗に剥ぎ取られていた。唯一変化のない瑞々しい緑色の葉が却って悲痛だ。
「……誰かが、花びらを取ったのよ!」
可奈先輩が鼻声で叫んだ。セミロングの茶髪に、涙が滲んだ大きな目。ただ、なんだろう。整った顔だけれど、どこか違和感を感じる。
ピアスだ。左耳に、鉄玉が幾つも貫通している。うちは校則に厳しいわけではない
が、流石にこの数はまずいのでは。
「可奈先輩、ピアス開けているんですね」
「そうよ。悪い?」
ぶっきらぼうな返事。
「別に文句つけるわけじゃないですよ。ただ、校則やばいんじゃないかなって」
「……もう指定校で受験も終わったらからいいのよ。別に」
「そうですか」
それきり、可奈先輩は、耳を髪で覆った。気まずい沈黙が流れる。
「今日は、カナの誕生日なの。それで、誕生花のシンビジウムを渡す予定だったんだ」
煮え切らない表情の葵先輩が沈黙を破った。
「高校最後の誕生日だし、『学校でサプライズで祝おう』ってなったんです。それで、私の実家で花を用意して、予めロッカーに仕込んでおいたんですけれど、いざ放課後にロッカーを開けたら、こんな有様に……」
咲子先輩が、伏し目がちに語った。そのまま手を伸ばし、緑色の葉に優しく触れる。
「……質問してもいいですか」
頷く二人。可奈先輩は以前、遠くにいる。
「誕生花ってなんですか?」
誕生花とは、365日ごとに設定された、誕生日の人に送るべき花であり、11月7日の今日、立冬の誕生花として、シンビジウムを選んだのだと、先輩達がげんなりした顔で教えてくれた。
「……先輩達は、犯人を見つけたいんですか」
「勿論よ。見つけ出して、後悔させてやる!」
叫ぶ可奈先輩。ヒステリックな女性は嫌だなという心と、怒るのも無理はないという思いが混ざりつつ、僕は断言した。
「僕も手伝います。先輩達の知っている情報を、共有して貰えませんか?」
すると、少し渋った素振りを見せた後、葵先輩が口を開いた。
「……なんで、そこまでしてくれるの」
「青春に、後悔は残しちゃダメだからです!」
力強い俺の言葉に、先輩達は頷いた。
————————————————
————さっぱり分からない。
その後、机を長方形にくっつけて事件を纏めたけれど、プロユースチームと試合したような気分だった。文字通り、手も脚も出ない。
サプライズは葵先輩が提案し、実家が花屋を営む咲子先輩がシンビジウムを準備した事。
既に進路が決まった可奈先輩と咲子先輩はよく遊ぶらしいが、一般受験を控える葵先輩も含めて集まるのは久しぶりだった事。
先輩達のクラスは三人を除いて、全員が自宅学習だった事。
花を管理していたロッカーには鍵がかかっておらず、誰でも開けた事、などが分かった。
しかし、どれだけ頭を振り絞っても、犯人を特定できそうに無い。ただ、横から差し込む陽の光が心地いいだけ。あの子がこの惨状を見たら、『情報収集が不十分』って言いそうだなあ。
「そういえば、花弁は見つかったんですか?」
その声に反発するみたいに、僕は質問した。
「……どこにもないの。犯人がそのまま持っていったのかも」
葵先輩は、責任を感じているのか、髪の毛を捻っては解いている。
「そういえば、シンビジウムの花言葉って何なの?」
可奈先輩が遮るように言った。どうやら彼女は、部外者の僕が不快でならないらしい。先輩達はどう思っているのか視線を巡らすと、
「……そ、それは」
葵先輩が青ざめていた。隈の酷さも相まって、ノイローゼ患者みたいになっている。
「『飾らない心』よ。ずっと吹奏楽部で頑張ってきた貴方にピッタリじゃない?」
咲子先輩がキッパリと答えた。さすがは花屋の娘。
「確かに良いチョイス。尚更、見たかったなあ」
再び涙目になる可奈先輩。その姿に胸を痛め、何か言い出そうとすると、そんな僕を笑うように下校チャイムが鳴った。
「勉強しなくちゃだから帰るね。また今度」
葵先輩が立ち上がり、駆け足で帰っていった。バイトがあるらしく、可奈先輩も帰宅。足早に帰った二人の事を侘びつつ、咲子先輩が二人きりの教室でゆっくりと語りだす。
「ごめんね。二人とも余裕がなくって」
「俺の方こそ、何の力にもなれなくてすみません」
「気にしないで。きっと明日には、可奈、笑顔になっているはずだから」
無力感に頭を下げた僕に微笑むと、咲子先輩は茜色の廊下に消えていった。
————本当に、このままでいいのか?
高校最後の誕生日が、汚されたままでいい筈がない。それに、この時間ならまだ彼女がいるはずだ。
————————————
教務引用出口から下校すると、道路を跨ぎ、校舎横の桜並木へ。一際大きな桜の横を抜け、廃屋に囲まれた草原を、枯葉を踏みながら進むと、軽快なサックスとスネアの音色が聞こえてきた。僕は足を早め、木々の間に潜む、公衆電話ボックスを見つける。
電話線は断たれ、通電すらしていない忘れられた箱。
その室内に人影があった。セピア色に変色したガラスに、美しい制服姿の少女が映っている。物憂げな表情で文庫本を捲る姿は、さながら古い映画のワンシーンのようだ。
「音が漏れてるよ、西園寺」
軋む扉を引いて声をかけると、
「ごめんなさい。『セプテンバー』、好きだったから」
僕の契約相手、西園寺薫がこちらを振り返った。
純白の肌に、シンメトリーに配置された切れ長の瞳。この黒曜石みたいな瞳に見つめられると、僕はいつもキャンバスを連想する。僕と言う「絵」が彼女の漆黒によって塗り潰されていくイメージ。
「契約時間外にここに来るって事は、また何かに首を突っ込んでいるのね」
スピーカーの音量を下げながら西園寺が言う。
「例の『呪い』に関する考え方は一理あるけれど、逐一助けていたら、いつか自分が呪われるんじゃないかしら」
「その時はその時。とにかく、力を貸してくれ」
「判った。話してみて」
僕達は、『ある事件』を境に契約を結んだ。契約の内容はこう。
彼女の知恵を借りる代わりに、実家が厳格で、帰宅時の寄り道さえ許してもらえない彼女に、コンビニ寄り道から遠出に至るまで、『青春活動を提供する』と言うもの。
こんな美少女と逢引きできるならメリットしかないと言う人もいるだろう。実際、僕もその内の一人だったけれど、初回の『報酬』で、その考えは霧散した。
社会的経験に乏しい彼女は、感情が欠落しているのだ。特に、『楽しさ』を感じることができない。何を食べても、何を話しても、人形みたいに精巧な顔つきを一切変えない。僕の爆笑必至鉄板エピソードを冷静に分析された時には、彼女をおいて逃げようかとすら思った。
「『カラオケオール』ね。それで、この話は終わるわ」
そう言い切ると、西園寺はレコードを止め、見慣れない保管箱にしまった。
一応、ここは全て僕が準備したんだけどなあ。
偶然見つけた公衆電話ボックスを、僕は秘密基地として改造した。太陽光バッテリーを扇風機やヒーターと繋げ、レコードプレイヤーやラジオを持ち込み、夏も冬もいける、僕だけが知っている都会のオアシスを作り上げたのだ。
けれど、西園寺にこの場所を教えて以来なんだか物が増えている気がする。レコードは言わずもがな、いつの間にか、棚は文庫本や参考書で一杯になっている。
「判った。僕の美声に酔いしれるがいいさ」
西園寺は無機質に頷くと、黒い絹の様に艶やかな長髪を揺らして電話ボックスから出た。
「道中で話しましょう。教室に着くまでには終わると思う」
それきり前を歩くご令嬢。僕は慌てて、その細い背を追った。
「犯人を特定するなら、『花弁だけが消えた事実』に着目すると一番早いわ」
昇降口で、高そうなローファーから運動靴に履き替えつつ、西園寺が語り始めた。
「やっぱり、嫌がらせじゃないかな。花弁だけが消えているのはショッキングだろうし」
「嫌がらせの為だけに、わざわざ花弁を一枚一枚取るかしら。他人の気分を害するなら、もっと雑に、丸ごとゴミ箱に捨てるほうが効果的じゃない?」
「た、確かに」
前から思っていたけれど、このお嬢様は、悪意に関する解像度が妙に高い。
「それに、手間取って犯行現場を目撃される危険性もあるし」
西園寺は振り返ることもないまま、能面みたいな表情で進んでいく。僕もランニングシューズに履き替えて後を追う。夕日が沈み始め、彩度の低い映画みたいに燻んだ校庭を横切ると、遠くから部活動中の野球部の掛け声だけが聞こえてきた。
「これで第三者の線は消える。犯人は、三人の内の誰かになるわ」
「そ、そんな訳が……」
僕は足を止めて、反論しようとするけれど————
「『嶺田可奈は恨まれていてもおかしくない』、でしょう?」
振り返った西園寺に、僕は何も言い返せなかった。
指定校推薦が決まり、その安心感からハメを外しすぎている先輩。あの姿を切羽詰まった受験生が見たら負の感情を抱かないはずがないだろう。
「つまり、受験のストレスを抱えた葵先輩が、誕生花を滅茶苦茶にした……?」
「正解を急ぎすぎね。もう一度、『花弁が消える事で何が起きるか』を考えてみて」
僕の答えに、西園寺は大きくため息を吐き、再び歩き始める。
「確か、シンビジウムの花言葉は確認したのよね」
「咲子先輩が言うには、『飾らない心』だって」
「それは、シンビジウムの花自体の花言葉ね。花弁の色によっては、花言葉が変わるの」
「そうなの?」
「オレンジは『高貴な美人』。白なら『深窓の麗人』。そして緑は、『野心』」
「あっ!」
思わず声を上げてしまった。校舎の外れにある学校庭園。無数の花壇に囲まれた大きな噴水に、緑色の花弁が浮いている。これは先輩達と調べた、シンビジウムの花弁だ。
「花弁が剥ぎ取られた事によって、『花言葉が判別できなくなる』のか……!」
「大正解よ。篠崎君」
瞬間、電流が走った。
「正解。あんたも関東選抜、だっけ? 今の内に実績積んでおけば、指定校推薦でいい所狙えるから頑張りなさい。何があっても迷っちゃダメ。私みたいになっちゃうから」
誕生花を準備したという葵先輩。
今日初めて話した時、感じた違和感が二つあった。
一つは、校内新聞で見た姿との差だ。今日会った先輩からは、写真にあった快活さと自信が消えていた。二つ目は、僕を知っていた事。我が校はそこまで多くの生徒がいる訳では無いから、後輩の名前を知っている事はあるだろう。けれど問題はそこじゃない。彼女は、僕が関東選抜に選ばれている事を知っていたばかりか、僕の進路に関するアドバイスを初対面でしてきた。
そして、目の前の緑色のシンビジウムの花弁。その花言葉は『野心』。
「ここまできたら、事件の原因は判るわね?」
試すような視線の西園寺。
ここから導き出される推論。それは————
「葵先輩は、可奈先輩の野心によって推薦を取り消す羽目になってしまった。そして、その意趣返しとして『緑色のシンビジウム』を送ろうと計画したんだ」
西園寺は、満足そうに頷いた。
「けれど、これは事件の前段階であって、犯人の特定には至らないわ。葵先輩の計画に気付き、それを阻止した人物こそが、今回の、花弁消失事件の犯人」
それ以上は言う必要がないと判断したのか、彼女は無言で噴水の花弁を見つめている。 ここまで助けて貰えたのなら、流石の僕でも判る。
「葵先輩の計画に勘づき、唯一実行する時間と能力があった人物。そして、花弁をこんな綺麗な方法で処理する、花への愛がある人物」
一拍おいて、僕は断言した。
「咲子先輩が、花弁を盗んだ犯人だ」
西園寺は少し悲しそうな顔で口を開いた。
「そしたら行きましょうか。3年2組の教室へ」
————————————
結論から言うと、シンビジウムは教室から消えていた。
代わりに、大きなユーカリが、誰も使っていないロッカーに準備されていた。
「なぁ西園寺。ユーカリの花言葉って何なんだ?」
一晩中歌い続けた肺に、朝の池袋の少し匂う空気を満たしながら、僕はゆっくりと口を開いた。寝不足と硬いソファのせいで、全身が痛む。
「『思い出』と『再生』」
西園寺はあくびをしながら答えた。
「そうか……」
「ねぇ、篠崎君」
「どうした」
「……もし、貴方が助けようとした人が悪人だったら、どうするの?」
少し言い淀んだ後、僕は口を開いた。
「そりゃあ、忘れるしかないんじゃないか? 西園寺の歌声の酷さみたいに」
蹴りを入れる西園寺と笑う僕。そうだ。青春には笑いがなければいけない、けれど。
僕にもいつか出来るのだろうか、忘れてしまいたいと言うほどの嫌な記憶が。
咲子先輩は昨日言った。
『気にしないで。きっと明日には、可奈は笑顔になっているはずだから』
きっと今日、咲子先輩はあのユーカリを渡すのだろう。そして可奈先輩はそれを笑顔で受け取り、高校生活最後の誕生日を慎ましく祝い、数年後、数十年後も今日のことを思い出すのだろう。けれど、その時、その場所に葵先輩はいるのだろうか。
青空はどこまでも続きそうな程澄んでいるけれど、その境目は、黒黒しいビル群の影になってしまって見えなかった。
ふとため息をつくと、息が白んでいた。
「冬が来るね」
西園寺が身を震わしながら言った。
ボーダーブルー 復活の呪文 @hukkatsunojumon
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