ボーダーブルー

復活の呪文

ボーダーブルー


「誰よ、こんな事したの!」


 急に冬が来たようなツンとした寒さの廊下に、女子生徒の声が響く。おそらく、音源は廊下奥の教室だろう。声の主は怒りが収まらないのか、甲高い声で叫び続け、時折、彼女を宥める声と、啜り泣きが、薄暗い廊下の闇から這い出てくる。


 ————この状況、あなたならどうする?


 野次馬根性で教室をチラ見して帰るか、それとも、聞かなかった事にして帰宅するか。


 答えを出す前に、一つ、俺の人生哲学を紹介しよう。


「青春は呪いで溢れている」。


 俺たち高校生は、部活動に勉強、恋愛に友情と、多くの場面で人と関わる。その際に、相手から受け取った何気ない一言や態度が、呪いとして、一生尾を引くこととなるのだ。


 この呪いから逃れる方法はたった一つ。


『後悔を残さないように、努力を徹底し、逃げない事』。


 だから、答えは、『迷わずにGO』だ。


 俺は、マフラーを外して踵を返すと、高い学費を払っているのだから、廊下にも暖房をつけて欲しいと思いつつ、依然叫び声を上げる3年2組の教室へ向かった。


 扉を開けると、予想していた通り、女子生徒達から、『お前は誰だよ』という、敵意と好奇心が混じった視線が向けられた。


「喧嘩なら、俺が相手だ!」


 こういう時は、大袈裟に馬鹿を演じるのが一番だ。


「……誰、あんた」


 仰々しいファイティングポーズをとった俺に、ショートカットの鋭い目をした女子生徒が声をかけた。少ししゃがれた声は、先ほどの叫び声と同じだ。


「2年7組、篠崎涼です。てっきり喧嘩しているのかと思って、飛び込んでしまいました!」

「篠崎って、サッカー部の……」

「お、いい評判ですか!」

「イケメンだけど、馬鹿ってヤツか」

「喜ぶべきか悲しむべきか、分からないすっね!」


 お茶を濁すと、女子生徒達は小さく笑った。そう。青春には笑いが溢れていないとダメだ。


「正直、パニックになってたから助かったよ。私は、川上葵。教壇前に座っているのが、嶺田可奈。もう一人の眼鏡のコが竹田咲子」

「竹田咲子です。よろしく」


 川上葵の横、メガネの女子生徒がお辞儀をした。真っ黒な髪を一つに括った活発さと太縁の眼鏡が、ややアンバランスだ。


 俺もお辞儀し、そのまま教室を観察する。この時期、3年生は自由登校期間のため、彼女達三人以外に生徒はおらず、一見、整然と机が並べられた普通の教室だ。


 ただ、教室の後ろに、花弁が取り除かれた花がある点を除いて。


「……これは酷い」


 思わず、近づく俺。

 フラワーポットに、『誕生日おめでとう』というメッセージカードが差し込まれている。しかし、花弁は一枚たりとも無く、瑞々しい緑色の葉が、却って悲痛に感じられた。


「折角、葵と咲子が用意してくれたのに……誰かが花びらを取ったのよ!」


 嶺田可奈が教壇に座り込んだまま、鼻声で叫んだ。セミロングの茶髪に、涙が滲んだ大きな目。ただ、なんだろう。整った顔だけれど、なぜだか違和感を感じる。


「今日は、可奈の誕生日なんだ。それで誕生花として、シンビジウムを用意していたんだけれど、いざ渡そうと確認したら、この状態だったの」


 川上葵は、煮え切らない表情だ。


「高校最後の誕生日だし、折角だから、学校で、サプライズで祝おうって話になったんです。それで、私の実家で花を用意して、あらかじめ朝からロッカーに花を仕込んでおいたんですけど、いざ放課後にロッカーを開けたら、こんな有様に……」


 竹田咲子は、伏し目がちに、小さな声で語った。優しく花に手を伸ばし、緑色の葉を指先で優しく触れる。


「……質問してもいいですか」


 頷く二人。嶺田可奈は以前、遠くにいる。


「誕生花ってなんですか?」


 先輩二人は、ゲンナリとした顔の後、365日それぞれに、誕生日の際に送るべき花が設定されていると語った。加えて、今日、11月7日、立冬という季節区分に該当する日の誕生花として、二人はシンビジウムを選んだとのことだった。なんてロマンティックな事だろう。そんな最後の青春劇に水を差した輩には、鉄槌を下さなければならぬ。


「……先輩達は、犯人を見つけたいって話でしたよね」

「勿論。問い詰めてやらなきゃ、気が済まないもん!」


 強く叫ぶ嶺田可奈。ヒステリックな女性は嫌だなという心と、怒るのも無理はないという思いが葛藤しつつ、俺は断言した。


「俺も手伝います。先輩達のわかる範囲の情報を、共有して貰えませんか?」


 すると、少ししぶったそぶりを見せた後、川上葵が口を開いた。


「……なんで、そこまでしてくれるの」

「青春に、後悔は残しちゃダメだからです!」


 力強い俺の言葉に、三人は優しく頷いた。


 俺たちは、窓際の机を四つ長方形にくっつけて、事件の経緯をまとめる。先輩達が言うには、嶺田可奈へのサプライズは、以下の役割と手順の元、敢行されたという。



 6日:川上葵が贈る花を選定し、実家が花屋を営む竹田咲子へ注文。竹田咲子がシンビジウムを両親と共に用意する。


 7日午前:竹田咲子が早朝に登校し、教室後ろの誰も使用していないロッカーに花を隠す。ロッカーには鍵が無く、誰でも開ける状態だった。


 7日正午:指定校推薦の二次面接があった嶺田可奈が遅れて登校。授業に加わる。


 7日午後:放課後に、誕生日ケーキと花をサプライズで提供しようと試みる。ロッカーを開けると、シンビジウムの花弁は全て取り払われていた。


「シンビジウムの花弁は、どこかで見つかったんですか?」

「……どこにもないの。犯人がそのまま持っていったのかも」


 川上葵は、神妙そうな顔つきだ。自身の落ち度と責任を感じているのだろうか。先ほどから左側の髪の毛を指先で、くるくると、捻っては解いている。


「花弁だけ盗む事に意味なんてないのに。きっと、私に対する嫌がらせよ。態と花弁だけ盗むことで、悦に浸っているのよ!」


 嶺田可奈は、怒りが冷め切らない様子だ。そればかりか、俺を部外者として敬遠している節さえある。一度もこちらと目を合わせないのが、その証拠だ。


「……ん?」


 ピアスだ。嶺田可奈の耳たぶに大きな鉄玉がいくつも貫通している。

 先ほど感じた嶺田可奈の顔の違和感に納得。我が校は、校則に厳しいわけでもないが、流石にこの数は生徒指導を喰らうのでは、と心配が浮かんだ。


「加奈先輩、ピアス開けているんですね」

「そうよ。悪い?」

「……別に文句つけるわけじゃないですよ。ただ、校則とか、やばいんじゃないかなっって」

「……もう、指定校で受験も終わったらからいいのよ、別に」

「そうですか」


 それきり、嶺田可奈は、耳に刺さった大きな鉄玉を髪で覆った。その後、校舎内での不審な人物やクラスメイトの様子などを確認したが、めぼしいアイデアは浮かばなかった。


 いつの間にか夕陽が差し込んでいる教室。未だ受験戦争の最中である葵先輩を慮り、早めの解散となった。


 足早に帰った二人の事を侘びつつ、竹田咲子がゆっくりと語り始めた。


「ごめんね。可奈も葵も、余裕がなくって。指定校推薦が決まってから、可奈はずっとお気楽モードで、受験のストレスを抱えたままの葵も、その態度にイラついているみたいなんだ。嫌になっちゃう」


「とんでもないです。俺の方こそ、何の力にもなれなくて、すみません」


 無力感に頭を下げた俺に菓子を渡すと、竹田咲子は寂しい笑顔のまま、茜色の廊下に消えていった。その姿を見送り、校門でローファーには着替える途中で、俺は手を止めた。


 ————本当に、このままでいいのか?

 高校最後の誕生日が、汚されたままでいい筈がない。それに、この時間ならまだ彼女がいるはずだ。


 道路を跨ぎ、校舎の側面にある桜並木へ。一際大きな桜の横を抜け、廃屋に囲まれた草原へ進むと、軽快なサックスとスネアの音色が聞こえてきた。


 慌てて足を早めると、木々の間に潜むように公衆電話ボックスが顔を出した。


 電話線は断たれ、通電すらしていない室内に人影があった。セピア色に変色したガラスに、美しい制服姿の少女が映っている。物憂げな表情で文庫本を捲る姿は、さながら古い映画のワンシーンのようだった。


「音が漏れてるよ、西園寺」


 軋む扉を開いて声をかけると、


「ごめんなさい。『セプテンバー』、好きだったから」

 俺の契約相手、西園寺薫がこちらを振り返った。



 先輩たちから聞いた情報を全て聞くと、西園寺はレコードを止めた。


「『カラオケオール』ね。それでこの話は終わるわ」

「分かった」


 西園寺は満足そうに頷くと、黒い絹の様に艶やかな長髪を揺らして歩き始めた。


「道中で話しましょう。教室に着くまでには終わると思う」


 それきり前を歩くご令嬢。僕は慌ててその細い背を追った。

「この件を解決するなら、何故、花びらだけが消えたかを考えると一番早いわ」


 昇降口で、高そうなローファーから運動靴に履き替えつつ、西園寺が語り始めた。


「やっぱり、嫌がらせじゃないかな。花弁だけが消えてる画はショッキングだろうし。というか、なんで運動靴?」


「土で汚したくないから。とりあえず、庭園のほうに行きましょう」


 西園寺は振り返ることもないまま、能面みたいな表情で進んでいく。


「篠崎君達は、さっき、シンビジウムの花言葉は確認したのよね」

「咲子先輩が言うには、『飾らない心』だって」

「それは、シンビジウムの花自体の花言葉ね。花弁の色によっては花言葉が変わるの」

「そうなの?」

「オレンジは『高貴な美人』。白なら『深窓の麗人』。そして緑は、『野心』」

「あっ!」


 思わず声を上げてしまった。校舎の外れにある学校庭園。その中央にある噴水に、見慣れない緑色の花弁が浮いている。これは先輩達と調べた、シンビジウムの花弁だ。


「篠崎君がいうように、『嫌がらせ』でこんな事をするかしら。他人の気分を害そうとする人間なら、もっと雑に、教室のゴミ箱にでも捨てるほうが効果的じゃない?」

「……確かに」


 瞬間、脳内に電流が走った。


 そうだ。咲子先輩が言った様に、指定校推薦の合否発表以降、二人は揉めていたらしい。なら————


「指定校推薦を批判して、葵先輩が花弁を引きちぎった……?」


 俺の答えに、西園寺は大きくため息を吐いた。


「正解を急ぎすぎね。言ったでしょう。もう少し、他人の立場に立って考えて」


 言われて僕は思い返す。

 花を準備したのは、葵先輩。彼女は、可奈先輩の態度に不満を感じて、緑色のシンビジウムを誕生花として注文した。しかし、花屋として花言葉を知っている咲子先輩がそれを渡すのを阻止した……?


「分かった、分かったよ西園寺……!」


 俺が振り返ると、西園寺は少し悲しそうな顔で口を開いた。


「そしたら行きましょうか。3年2組の教室へ」




 結論から言うと、シンビジウムは教室から消えていた。

 代わりに、大きなユーカリが誰も使っていないロッカーに準備されていた。


「なぁ西園寺。ユーカリの花言葉って何なんだ?」


 ひとしきり歌い終え、朝の池袋の少し燻んだような空気で肺を満たしながら、俺はゆっくりと口を開いた。寝不足と硬いソファのせいで、全身が痛む。


「『思い出』と『再生』」


 西園寺はあくびをしながら答えた。


「そうか……」

「ねぇ、篠崎君」

「どうした」

「……もし、今回以上に、貴方が助けようとした人が悪人だったら、どうするの?」


 少し言い淀んだ後、僕は口を開いた。


「そりゃあ、忘れるしかないんじゃないか? 西園寺の歌声の酷さみたいに」


 蹴りを入れる西園寺と笑う俺。そうだ。青春には笑いがなければいけない、けれど。

 僕にもいつか出来るのだろうか、忘れてしまいたいと言うほどの嫌な記憶が。

 青空はどこまでも続いていそうな程、澄んでいるけれど、その境目は、黒黒しいビル群の影になってしまって見えなかった。


「冬が来るね」


 西園寺が身を震わしながら言った。

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