第三十七話
明けた七月二十二日。
空は雲ひとつない晴天。
これから三日間に及ぶ会津田ノ原祇園祭が、いよいよ催行される。
昨晩の騒動もあってか御神酒開きの直会も急遽、本日実施される例大祭の後に合同開催にされるなど、一部の予定を変更したことで、お党屋当番衆に慌ただしさはあったものの、まずは宇迦神社で例大祭が行われることとなった。
だがそれよりも前に宮司は時間を設けて、神殿で恵と悠亮のお祓いを受けていた。
七行器通りを中心に町内の至る所には祭り灯籠とのぼり旗が立ち並び、通行止めとなった旧街道ではたくさんの屋台や出店が軒を連ねる。
町全体が祭り準備に夢中になっているなか、拝殿の裏手にある敷地の一角では神前で灯された種火を用いた焚き上げの準備が行われた。
これは悠亮たっての願いであった。
拝殿での祈祷を終えた宮司に対して、悠亮は頭を下げる。
「ここの裏に干してある、あの白無垢のお焚き上げをしてください」
「なんだって? あの白無垢を? それは果たしてどうすべきだろうかね……」
宮司は困惑して、彼らの両親や氏子に視線を配る。
それでも悠亮は一歩も引かなかった。
「あれをこのままにしておくのは、田ノ原にとっても、あれの持ち主にとっても絶対良くないと思うんです。こんな目に遭うのは俺達で終わりにしたいです。どうかお願いします」
それを受けて、すぐに恵も隣の悠亮に倣った。
「あたしからもお願いします」
宮司は諦めたように、何度も頷く。
「あぁ、わかったわかった。次の田ノ原を担うキミ達のためにも、私の代でなんとかしようじゃないか。時間が無いから、すぐに準備するよ?」
過去の忌まわしい記憶や田ノ原を縛る因習を断ち、次の時代を担う彼らが前を向いて進んでゆくため、一旦の清算としての焚き上げが始まる。
彼の脇には折り畳まれた白無垢が置かれている。
水無川の濁流であちこちが汚れ、一昼夜を経て乾いたそれはどこか禍々しさを増しているようにも見えた。
神職が
煤と火の粉を巻き上げながら投入された白無垢は、やがて火が回ると徐々に全身を黒に染めて身を揺らし続けた。
処分しようとすると祟りがあると言われていたが、恐れられたような異変は起こらなかった。
最終的に智津子ちゃんは、田ノ原の皆を許してくれたのかな――。
そう思うと、恵も溢れてくる涙を幾度も拭う。
煙は境内の樹々の隙間からわずかに覗く青い空へ立ち昇ると、風に巻かれてあっという間に霧散していった。
翌朝、悠亮は八時半に開始する予定である、七行器行列のスタート地点の町の一角へと向かった。
町の顔役でもある権現酒造では、彼の父と杜氏の井上が朝早くから夜遅くまで忙わしなく動き回っており、悠亮も多くの仕事を分担していたが、その最中に合間を縫って恵の姿を見にいくことにした。
「あっ、あれ悠亮だよ。おーい、悠亮!」
まずは莉緒が彼に気づいて手を振る。
それを受けて恵も悠亮を見返すが、どこか気恥ずかしそうにしていた。
二人は普段の長髪をわざわざ黒に染め戻したら文金高島田に結い上げ、白粉と紅を塗り、カラフルな花嫁衣装に身を包む。
莉緒は黄色の刺繍の差し色が鮮やかな青の着物。
対する恵は淡い紫と白がグラデーションを描く落ち着いたものであった。
「なんか恵も莉緒もすげぇ変わったな」
「でしょ? あたしとめぐは着付けとお化粧をするために午前二時に集合だからね。寝不足で行列前にもうヘロヘロ。それに着物の中って超暑いんだよねぇ。これから神社まで歩くと思うだけで疲れるわ」
好天に恵まれ、朝から気温が上がる田ノ原の町。
早くもぐったりとした様子の莉緒は、世話役の女性から蓋を取ったペットボトルを預かると、それにストローを挿して化粧が落ちないように慎重に水を飲む。
一方の恵はなんとなくいつもの元気な彼女とは違い、どうにもしおらしくして少し下を向いている。
悠亮に見られるのが嫌なのか莉緒の背後に回ったり背を向けたりと落ち着かない。
「恵もすげぇ似合ってるじゃん」
「そう? なんか自分が自分じゃないみたい」
「そんなことねぇって。
「そうかな。そんなに言われると、ちょっと恥ずかしいな」
「いや、別に褒め言葉じゃねぇからな」
いつもの二人はいつもの距離感でいつものように会話をするが、その佇まいに若干の違和感も覚えた莉緒は、級友達を交互に見ていた。
彼女らが水無川に転落したというのは、もう町じゅうが知るところであり、加えてここ最近は口数も減って奇行が目立った恵もすっかりと元に戻り、しかしどこか悠亮を以前よりも頼るような素振りもあるから。
『やっぱこの二人、いいと思うんだけどな~』
そんな事を考えているうちに、笑みを抑えきれなくなっていた。
やがて一向は旧街道から七行器通りを経て、朱に輝く大鳥居の先、宇迦神社を目指す。
両脇にはたくさんの観光客がカメラやスマートフォンを構えて、楚々と歩く彼女らをファインダーに収めようと居並ぶ。
更にコロナ禍を経て四年ぶりとなった会津田ノ原の伝統行事を撮影しようと、地元のテレビクルーやマスコミと思われる集団の大型カメラが恵達を見守っていた。
それがまた気恥ずかしくて、恵は終始はにかみながらも、先を歩く莉緒の姿だけを見るようにしていた。
「おーい恵! こっち向いてくれ! 莉緒も!」
悠亮も行列について回り、自分のものと恵と莉緒から預かった三台のスマートフォンを交互に操りながらその雄姿を写真に収めていった。
「あーもう疲れた。やっぱ出るんじゃなかった」
化粧を落とし髪をおろしてすっかりと普段着に戻った恵と莉緒は、恵の祖母が差し入れてくれた冷やしあめを飲みながら、路傍のガードレールに腰を預ける。
寝不足と緊張からの解放で、もはや疲労困憊といった様子だったが、大役を果たした彼女らはどこか晴れ晴れとした雰囲気を表情に湛える。
「これでお祭りが終わったら夏期講習だよ? めぐはこっから頑張らないとね」
「受験かぁ……そうだね。成績も落ちちゃったから、どうしようかな?」
「どうしようって何をどうするの?」
「いや、おばあちゃん達にはこれから話をするけども、あたし、受験を諦めようかなって思ってる」
恵の言葉に驚いた莉緒は冷やしあめを溢してしまい、口元を何度も拭う。
「まさかもう早々に浪人するつもり? それほど行きたい大学の学部が見つかったとか? それとも就職するの?」
「それもそこまで決めてないんだけどさ、ほら、あたしって……」
だが恵は今までのようになんとなく流されて、田ノ原を出るという結果に拘り続けている訳でもなく、まだ手探り状態ではあるものの、彼女が何かを掴もうと模索しているのは莉緒にもわかった。
日没が迫る山あいの田ノ原の町を、夕刻からは四つの大屋台が練り歩く。
「オーンサーン、ヤレカケロ!」
子供達の囃子言葉に乗って、大人達が一斉に大きな屋台を曳く。
徐々に日が陰りだすと、屋台に下げられた提灯や通りに並ぶ灯籠の明かりが煌々と輝き、旧街道は幻想的な光に包まれていた。
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