福島の次代を担う君達へ
最終話
夏休みの半分を消化した八月のある日の午後。
相も変わらぬ受験対策で、悠亮は塾に午前から夜遅くまで通い詰めていた。
加えて蔵の後を継ぐための酒造りの練習。
そして簿記や経営の勉強にも追われる日々。
高校生最後の夏休みも体感的には、あっという間という程に時間は早く流れる。
蝉が騒々しく鳴き続ける田ノ原の町並みの中で、権現酒造の店先に掲げられた杉玉は枯れて色褪せ、茶褐色へと姿を変えていた。
例の事故があった夏至の頃と比べれば日没も早くなり、高原の盆地は一足早く秋の準備を始めつつある。
悠亮が店番を兼ねて受験勉強をしていると、店先には何やら久しぶりに会う同級生の見慣れたシルエットが浮かび上がった。
恵だ。
彼女は自動ドアを開けると、カウンター奥に座る悠亮の元に脇目もふらず歩み寄る。
「あーもう、疲れた。今日は移動ばっかり」
恵はやおら店内を横切ると、麻のトートバッグをカウンターに置いた。
佐藤家では何らかの家族会議が行われたと、彼も風の噂で聞いていた。
加えて莉緒からは、一緒に通っていた塾を恵が退学したとの報告も受けている。
しかしそれはどうやら、今までのように迷いや逡巡に任せて、後ろ向きに選択したものではない。
恵には目指すべき方向がなんとなく見えているようだ、それを彼女が自身の口から語るまでは敢えて触れないようにして欲しい、と莉緒から念を押されている。
なので悠亮も以前と変わらぬ対応をした。
「よう。祭りぶりだな。今日はどうしたんだよ?」
「悠亮にキチンと伝えとこうと思ってさ。あたしやっぱ田ノ原を出る事にしたの」
淡い期待や微かな願望もあった悠亮にとって、それは彼を落胆させるに充分な言葉であった。
それでも恵の背中を押すために努めて平然を装う。
「そっか……やっぱ田ノ原は嫌だったか?」
「違うよ。あたしやりたいことが見つかったから専門学校に行きたいんだけど、一番近くても郡山なんだもん」
そう言うと彼女は、麻のトートバッグから写真入りの冊子や資料を取り出した。
「調理師専門学校?」
「そうだよ。今日も願書を取りに行くだけで会津鉄道と磐越西線で三時間よ? これじゃ通学なんかぜったい無理だから、そこに通ってる二年間だけ一人暮らししようと思ってね」
「確かに恵は俺にも弁当とか作ってくれてたけど……料理の道に進みたいのか?」
「ちょっと違うかな。あたし独立開業したくてさ」
「えっ! マジか? それは郡山か? それとも横浜で?」
「違うよ。田ノ原に来てくれた観光客の人に、田ノ原の宣伝を出来る場所がここにあってもいいなって。料理を習うのと食品衛生責任者の勉強も一緒に出来るから、調理師学校に行こうって決めたの。お父さんもすごく喜んでて応援してくれたし、お母さんやおばあちゃんを説得してくれたよ」
「ホントに恵が店を持つの? この田ノ原に?」
「そうだよ、あたしのお店。南会津の蕎麦粉を使ったガレットや、会津産の米粉のパンケーキ、ソースかつサンドとか、トマトとシーフードの洋風こづゆとか、田ノ原や福島の特産品とか、地元の食材や調味料を使った田ノ原を応援できるカフェをやってみたくてさ。あとはスイーツね。酒粕のバニラアイスとか会津の森で取れたトチノキの蜂蜜のパウンドケーキも美味しそうじゃない?」
まるで自分が食べるためと言わんばかりに夢を語るうち、恵はつい口元が緩んでしまい慌てて手の甲で拭う。
「なんだってまぁ、急に調理の仕事にしようって目覚めたんだよ?」
「そう、まさにそれ。最初はお料理が仕事になるなんて、あたしじゃたぶん無理だって思ってもいなかったんだけど、あたしなりに色々考えたら結局は悠亮の言う通りだったかもね。好きなことや苦にならないことなら、そのスキルを伸ばすのもアリかなって。それに智津子ちゃんにも悪いなと思ったの。白無垢が無くなったからって過去のことまで無かったことにはできないでしょ。あたしや悠亮まで智津子ちゃんのことを忘れたら可哀想だよ」
「まぁ、確かにそうだな……」
「だから次はあたし達が新しい田ノ原を作る番。どんな人が田ノ原の町に来ても、ご近所になっても、お党屋に加わっても、みんなで受け入れる場所にしたいの」
「俺達で作る田ノ原かぁ。いつか必ずそういう時が来るもんな。そうなるといいな」
恵は遠からず訪れる未来に思いを馳せる幼馴染に向けて力強く頷く。
「そしたらあたしがお店を始めるときは悠亮も手伝ってよ。あたしはお店の内装とかお洒落なインテリアにはこだわりたいんだけど、場所選びとかDIYは苦手だから」
最初の不安はどこへやら。
彼女が田ノ原に残ると聞いて随分と嬉しそうに話を聞いていた悠亮だが、いつもと変わらぬ幼馴染の距離感に戻ると、親しい彼女へ言葉の対戦を申し込む。
「俺は自分の勉強と蔵のことで忙しいんだよ。どうせ自由業になれば暇なんだから、お前が毎日コツコツやってればいいだろ? でも恵のガサツさじゃDIYなんて到底無理だろうな。出された料理がこぼれちゃうような斜めの店になってるかもな」
「ふーん、もしあんたの代で蔵を潰すようなことになったら田ノ原じゅうの笑いものになるかもね。路頭に迷ったらあたしの店で皿洗いならさせてあげてもいいよ?」
「だったら俺は、お前の店なんか簡単に買収できるくらい、蔵をでっかくしてやるよ!」
「それじゃあたしもチェーン店をどんどん増やして田ノ原を牛耳ってみせるから」
ひとしきり会話を終えた二人は、互いの顔を見返すと我慢しきれずに吹き出す。
「まぁ夢はでっかい方がいいよな」
「あたしも自分が食べたい料理しか作ってこなかったから、いざフレンチやイタリアンを作るとなるとやっぱ不安だけどね。お母さん達はいつも渋い顔をするし、お父さんは何を食べても『美味い』しか言わないから。それを実際の客商売にしたら、もっと大変だと思うよ」
「何事も経験と練習だよ。それにしても恵が居なくなると寂しくなるな」
「たった二年だし、その後はまた戻って来るから。ていうかまだ卒業まで半年以上あるんだからさ。もう今すぐあたしが居なくなるみたいな言い方しないでよ」
とは言うものの、やはり幼馴染の女子と二年も会えなくなると寂しいのは事実。
本音では単に寂しい以上の感情があるのも否めない。
それは先月の水無川で、間違いない気持ちであったと確信していた。
この機会を逃さずにどうだと言うのか。
悠亮は伏し目がちに視線を彷徨わせると、なんとも硬い表情を浮かべて頭を掻く。
「あのさ……俺んちの使ってない蔵をいま倉庫にしてるんだけど、そこをリノベーションして恵が使えばいいじゃん。そしたらどっかの貸店舗を使うよりも節約できるだろ? そうやって俺んところでずっと商売してもいいんじゃねぇの?」
「ホント? じゃあ莉緒も呼んで一緒にお店やろう。フィナンシャルプランナーにお金と将来の相談が出来るカフェで、社長おススメの日本酒も飲めるの。面白そうじゃない?」
少し気障な雰囲気で回りくどく想いを伝えてみた悠亮だったが、相変わらず無邪気でお天気な恵の反応に、がくりとカウンターに崩れ落ちて頭を抱える。
「なんで莉緒まで来るんだよ!」
「みんなでやれば怖くないって言うじゃない!」
「俺は恵に提案したつもりなんだけど?」
「だからそのアイデアを、あたしがもっと良くしてあげたんでしょ?」
やはり恵は自由きままな岩魚の姫。
その姿を追い縋っても、いつもするりと逃げられる。
だからこそ敢えて釣り人は、渓流の王女を求め続ける――。
さて、田ノ原には一体どのようなカフェが新たに構えられるのであろうか。
それを知る者はまだここには居ない。
だが、恵も仲間達に遅れてようやく走り始めた。
未来を自分の手で確実に掴むために。
岩魚の姫は今日も駆け抜ける。
福島県南会津郡田ノ原町、今宵も星は燦然と輝く。
岩魚ヶ姫 邑楽 じゅん @heinrich1077
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