十二年前の3.11
第二十一話
「この祇園祭を中止してた五回のうち、大正十二年だけはただ一年だけお休みしてたんだよ。これ、おかしいと思わない? ちょうど百年くらい前なにが起きたと思う? まさにコロナウイルスの時と一緒だよ」
「……日本史で習ったスペイン風邪か」
「みんなでマスクをしろって国中で騒いだみたいだし、感染して亡くなった人も大勢いたでしょ?」
「ネットやスマホが無くても大正時代なら新聞ですぐに広まっただろうからな。自粛って方向に行っても仕方ないよな」
しかし白無垢との繋がりをいまいち見いだせない悠亮は、自分のスマートフォンで大正時代の歴史を検索した。
ある特集記事を発見すると、手首を返して画面を恵に向ける。
「スペイン風邪のピークは大正七年だってよ。ちょっと時期がズレてるな」
その他に百年前のニューストピックスは無いか、調べていた悠亮はある情報が目に留まる。
「なるほどな、関東大震災か。まさに大正十二年だな」
「だとしたらこの『会津日刊』の記事のコピーと重なるね」
「仮にそうだとしても祇園祭は七月二十二日から二十四日に固定されてるだろ? 昔はもう少し日にちがズレてたけど、関東大震災は九月一日だぜ。日本がグレゴリオ暦を採用したのが明治六年ってネットに書いてあるから、祇園祭は震災より前に中止しなきゃいけない理由があったんだよ。それに関東で起きた地震だから、田ノ原に影響があったとは思えねぇや」
「きっと大正十二年に田ノ原で忌まわしき何かが起きて、白無垢を封印したのよ」
「そしたらニュースに残ってるかもしれないな」
「それってやっぱりさ……」
この地に流れる河川の名は水無川。
地質学的に差す水無川とは扇状地の地中深くを通る伏流水を表し、大雨になるとその姿を現すことに由来する。
言い換えて当地の水無川もまた普段の水量はわずかではあるが、高地に位置し、さらに上流で雨があれば一気に下流へと流れてくる。白いコンクリート造りの堰堤が幾段も設置されていることから、ここが昔は暴れ川だったことは容易にわかる。
「根を流すってそれが毒じゃないって可能性は?」
すなわち人身御供。
川は龍神とも繋がる。
大量の雨は山を滑らせ大地を削り、田畑や家を破壊する。その有り様を猛り狂う龍の化身と考えた民は龍の怒りを鎮めようと各地に龍神信仰を残した。
「まさかイケニエってことか?」
「例の『アレ』を女の子に着せて、その年の水無川に沈めて……」
「そんで『むごいことはやめなされ』ってか? そんな野蛮な風習が残ってたらネットの無い時代でもすぐにニュースになっただろ」
「だから戒めとして民話に残したんだよ。そういう酷いことをしてきた村人は結局、疫病にかかって倒れちゃうの」
龍が実在するか否かは信仰なので敢えて語らないにしても、少なくとも宇迦神社の神事や祇園祭には関与している権現酒造の息子でもある悠亮だ。
岩魚もまた龍や川天狗と同じく渓流の主だと考えたら、巨大岩魚が化けて出てきて忠告したと錯覚する者が現れたとしても、さもありなんだと思える。
「そりゃあ、すげぇ大昔ならあるかもしれないよ。でも近代日本でそんな風習が残ってたとは思えないんだよな」
「わかんないよ? だってこの新聞のコピーは大正十三年じゃない。まだ百年以上前だったらそういう因習とか習わしが残っててもおかしくないもん」
「それが政府か何かにバレて、祇園祭を中止したってのか? そんなバカな」
「じゃあ、お祭りを維持してた当時の名家ってどこよ? 今は完全に自治運営になってるじゃない。それともまさか権現酒造さんがどぶろく造りを手伝ってるからって、あんたは自分ちを名家とか言ったんじゃないでしょうね?」
「それこそバカ言うなだよ。うちも古い方だけど全国的に見ればもっとデカい酒蔵はたくさんあるって。それに俺は謙虚な子なんだぜ? 恵と違うっつーの」
これ以上の自分の話題は御免被りたい悠亮は、早々に話を切り替えるように掌を彼女の眼前でひらひらと降る。
「イケニエじゃないなら、その名家への奉公に捧げられたんじゃないかな? 可哀想な女の子が選ばれた証しが例の『アレ』で、お祭り行列の中心で見世物にされた挙句に名主の慰みものにされるんだよ、きっと」
「そういう悪い風習を断ち切って、一旦謹慎してから活動再開したってことか?」
「たぶんショックで自殺しちゃった女の子とかも居たと思う。だから歴代の女の子の怨念とか恨みつらみが残ってるんだよ。その呪いが町の人をどんどん殺して……」
「おらが陣屋の殿様が、って昔の推理小説じゃあるまいし」
「そうじゃなかったら忌まわしくないじゃない」
もはや完全に恵の論理は、例の新聞記事ありきの妄想になっている。
最初こそ乗り気であった悠亮だが、次第に逸脱する話題に、気持ちは午後の塾へと傾いていた。
「ぼちぼち俺はおいとまするよ。後はまた恵だけで調べものしてくれよ」
「なに? あたしを置いていっちゃうの?」
「お前が強引に誘ってきたんだろ。夏休みのレポート課題じゃあるまいし」
「待ってよ」
和室スペースから立ち上がろうと片膝を立てた悠亮に対し、恵は彼のシャツの袖を引っ張る。
まだ用事がある時に、彼を催促する恵のいつもの癖だ。
幼馴染の無自覚な行為でも、やはり男としてはどぎまぎしてしまうのも事実。
加えて昨日の一件から彼女の存在や容姿、仕草の全てが気に掛かって仕方がない。
「……なんだよ?」
精一杯に平静を装う悠亮。
思わず彼女のか細い指先を握り返してしまおうかと逡巡した自分にも驚く。
しかし恵はいつも掴みどころの無い岩魚の姫。
追えば逃げるし、そうかと思えば釣り人を挑発するように悠然と泳ぐ。
「せっかくだから、今日の話を最近仲良くなった子に聞いてみようと思うの。岩魚の怪談や白無垢の話を聞いてみたかったんだけどさ。途中でうやむやにされたから今日は悠亮にも、その子に会って貰おうと思って」
「またこれからか? 俺、この後は塾って言ったろ」
「別にまだ少し時間はあるでしょ? 田ノ原高の子じゃないっぽいんだけど、たぶん田ノ原の子。すっごいキレイな女の子だから会うだけ会ってみれば?」
「冗談じゃねぇよ。俺は忙しいんだっての」
「あれぇ? 悠亮は女の子に興味ないの?」
いま俺の目の前にいるお前も女子だろ――。
しかも小学一年生の時からずっと両親の顔馴染みとして、一緒にいる女子。
健全な男子として意識しない方がおかしいのは、つい今しがた納得したことだ。
「まぁな。俺は勉強と家業ひとすじなの。お前みたいにすぐ悪態や暴力に訴える女とは考え方も異性の好みも違うから、やっぱ恵の友達って言われると少しビビるな」
それでも素直になれない思春期の男子らしく、見栄を張る悠亮。
相手を腐した途端に、若干の後悔をするまでがいつものワンセット。
だが彼女はやっぱり相変わらず。
子供の頃から変わらぬ佐藤恵そのままであった。
「別にあんたにカノジョ候補を紹介してあげるって意味じゃないんだけど。ちょっと気持ち悪いから会わせるのやめとこうかな」
「おいおい、普通そこまで言ってやめるか? 俺だってここに住んで十八年だからな。田ノ原の話ならどんな子とでも馴染めるぞ。せっかくだからいいじゃん」
今度はすかさず下手に出て相手の機嫌を取る悠亮。このあたりが恵に足元を見られる所以でもあるし、彼の心根の良さでもある。
「うーん、でもねぇ……ちょっと会える場所が限られてるっていうか。水無川でしか会った事ないんだよね」
「水無川で?」
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