第二十話

 時は遡ること鎌倉時代。


 当時、源頼朝の家臣であった長沼宗政ながぬまむねまさは奥州合戦に参加したのち、恩賞として陸奥国南会津領を与えられたことに端を発する。彼の祇園信仰によって牛頭ごず天王すなわち素戔嗚すさのお尊は当地の鎮守であった宇迦神社に合祀されて、京の都に倣った祇園祭が形成されてゆく。

 中世の戦乱期を経た後は会津藩の庇護によって祭りは脈々と続き、明治維新では旧幕軍として政府から厳しい弾圧もされたが、幕臣や侍がこの世から消えた後も、田ノ原の民は祇園祭の存続を政府に訴え続け、やがて宇迦神社が主催、幕末から残る当時の名家が運営し、お党屋組という町を区分けした当番制度で祭りを補助するという、現在の形に近づいた。

 時を越え、形を変えながらも祭りは優に八百年の歴史を繋いできた。



「祇園祭ってそもそもなんで始まったと思う?」

「牛頭天王って言えば『蘇民将来そみんしょうらい』っつって疫病退散のご利益があるんだよ。当時の都で疫病が流行ったから、それを鎮めるために祇園祭が始まったんだ。京都の八坂神社が発祥だったはずだ」


 自分で尋ねておいて悠亮の立て板に水の説明に、恵も唖然と彼を見返す。


「悠亮はなんでそんなことまで知ってるの? あんたオジサンくさくない?」

「日本の伝統って言ってくれよ。酒蔵の息子なんだからそういう豆知識はたくさんあるんだよ。それに古典と日本史と世界史はお前より成績いいからな」

「だったら理系じゃなくて得意な文系の学部に行けばいいのにね」


 ふんと胸を張る悠亮をにわかに襲う言葉の矢。

 狼狽を隠せない彼には見向きもせず、恵は押さえていた書籍の頁を見やる。


「それで話をお祭りに戻すけど、疫病を鎮めるための祇園祭っていう発端と、岩魚の怪談。似てるところがあると思わない?」

「うーん、さすがにノーヒント過ぎてわかんねぇよ」

「実際に根を流して、和尚おしょうさんに化けていた岩魚は死んじゃったでしょ? そのあと木こりの人達が呪いでバタバタ倒れてさ。人が倒れていったその理由は……?」

「……疫病って意味か?」

「そう。つまり巨大岩魚のオバケが疫病の例えだとしたら、木こりの人達がどんどん倒れていくのって言い換えたら疫病だと言えない?」

「なるほどな。そこで祇園信仰と蘇民将来に繋がるんだ。信仰の無い人間だけが鬼に襲われるって話だったもんな。木こりイコール疫病で倒れる人だとしたら『根流しはやめなされ』って言うのも信仰を無くすなって戒めに聞こえるよな」

「それだけじゃないよ。根が疫病を暗に喩えているなら、根を流すっていうのは人を媒介して感染していくウイルスとも言えない?」

「うん、なかなか面白い説だと思うぞ」


 三年前に猛威を振るった新型コロナウイルス感染症に繋がる仮説に、悠亮も思わず膝を叩く勢いであった。


「仮に恵の言う通りだとしたら予言説とまでは言わないが、元々の祇園信仰が由来だと考えるとその都度、流行る疫病に対して根を流すな、つまり規則正しい生活で己を律して他人に感染させるなとも取れるわな」

「そうだよ。インフルエンザとかペストだって、当時は未知の病気だったんだから。今みたいにスマホも無い時代なら天の災いとか神の怒りってなるでしょ」


 珍しく話題に乗ってくれた悠亮の反応も嬉しくもあり、闊達な議論に満足していた恵だったが、会話が一段落したところで視線をテーブルの本に落とす。


「もともと疫病退散を願って始まったお祭りが、コロナ禍で三年もお休みしちゃうなんて結局、信仰やご利益って意味ないんじゃないんかなって思っちゃうよね」

「いや、それも時代の変わりようだと思うぜ。目に見えないものを怖がるから神や仏にすがる時代だったと思うし、現代ならスマホやパソコンやテレビで自分で無意識に探して選んだ情報を信じる時代だろ。信仰の自由があるなら、信仰しない自由っていうのもしょうがないんだよ。それに田ノ原の者じゃない外部の声も大きかったんだろうな。『こんな時に祭りをやってるなんて、あの町は非常識だ』って好き勝手なこと言うやつがいるんだよ」



 悠亮には当然ながら家業の酒造りがあるので、自宅にも神棚を祀る。

 それ自体が現代では古めかしいことだというのは充分理解しているが、それでも彼は田ノ原に生まれた者として、祇園祭が四年ぶりに開催されることは商売にはプラスに働くと、肯定的に捉えていた。

 やはり観光客あっての田ノ原でもあるし、飲まれてこその日本酒でもある。


 しかし恵と中学、高校と同じ学校で過ごしたため、コロナウイルスの蔓延によって中止された行事がたくさんあったのも経験している。

 たくさんの我慢も強いられている。

 それが単なる政府発表ひとつで途端に前後して、目に見えない恐怖で無くなったり神経過敏にならなくても良いと多くの大人が判断しているのには内心、理解できずにいた。



「そういう意味じゃ、信仰っつーのも自分の気の持ちようひとつなんだな。神様のために三年も我慢してきたのか、三年もほったらかしにされて神様が怒ってるって思うのかは結局、祭りに参加する、あくまで個人の見解ですって感じだわな」


 あぐらをかいた姿勢のまま両の掌を畳に置いた悠亮は、天を仰いでぼやいていたが向かいに座る女子の反応が薄いことに気がついた。

 案の定、恵は浮かない顔をしている。

 彼女との付き合いは長い。

 悠亮にはわかりやすい、お天気娘だ。心に雲が差している。 


「あっ、別に外部のやつの声って、お前のこと言ったわけじゃないからな」

「うん」

「いや、恵が前に『自分はよその子』って言ってたからさ。俺達はお前のことそんな風に考えてないから」

「知ってる」


 やはり物憂げで不機嫌そうでもあり、大きくテンションを下げた彼女が何に引っかかっていたのかが、わからない。

 この場をどう取り繕おうかと、悠亮も二の句を継げず困っていた時だ。

「うーん、だとしたらあたしのコピーした白無垢のお話とどう繋がるんだろう……」


 なんだそっちか――。


 やや拍子抜けした悠亮であったが、いつもの彼女らしい振る舞いで安心もした。


「根を流すって言っても、蘇民将来とは全く別物だぞ『例のアレ』は」

「もちろんそうだろうね。じゃなかったら神社の白無垢……」

「シーッ!」


 悠亮は以前と同様に人差し指で自分の口元を押さえて、向かいにいる恵を諫める。

 談話が可能な和室スペースと言えど、田ノ原にある公共の図書館だ。

 誰がどこで聞いているかわからない。


「『アレ』ね、例の『アレ』」

「そうだよ。『アレ』だ」


 なにせ神社の奥深くに封印されていたものである。

 呪いや都市伝説のたぐいが面白おかしいオカルトという名の娯楽だとしたら、彼女たちが見たものは正真正銘の本物に近い、ただならぬ雰囲気を纏う。


「間違いなく田ノ原の祇園祭で使ってた物だとは思うけど、『岩魚の怪』とは関係が無いんじゃねぇの?」

「それでも黙っていられなかった人達が、なんらかの形を変えて民話とかに残していると思うのよ」


 そう言うと恵は先日コピーした古新聞の紙面を取り出した。

「まぁ仕方ないけど、その点はあたしも予想できたから悠亮には別の視点から考えて欲しいの。今度はこっちを見て」

 次に恵が用意したのは地元、田ノ原の歴史・文化・風俗・暮らしを纏めた町史だ。


「この項目の、このあたりのページに祇園祭のことが書いてあるんだけど」

「祇園祭の歴史?」



 概ね先に悠亮が述べた通りの内容が記載されている。

 その中で恵が指し示すのは八百年続く祇園祭が中止もしくは大きな変更を余儀なくされた際のことだ。


 それはおよそ五たび。

 最初は戦国時代に領主であった長沼氏が去り伊達氏が統治したとき、次が戊辰戦争によって会津藩が新政府軍に敗れたのち、さらに近世では昭和時代の太平洋戦争の戦中・戦後の混乱期、そして令和の新型コロナウイルス禍のさなか。


 その他に大正十二年とある。

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