第十六話
むかしむかし、雨の少ない暑い夏の日のこと。
水無川の周辺で木こりをしていた村人達は、手間のかかる樹木の伐採などやめて、魚を容易に捕獲するために根流しをすることを目論んだ。
根流しとは木々の皮や根と一緒に、灰を煎じて煮詰めた毒を川に流すことだ。
後日、根流しの毒を作っている最中、ひとりの僧侶がやってきた。
そのようなむごい行いをやめるように諫める僧侶だったが、木こり達は聞く耳をもたない。
やむを得ず僧侶を追い返すために、改心したように見せかけて持参していた団子や酒を僧侶に振る舞い、その場を後にした。
しかし木こり達は予定通りに根流しを行う。
水無川の下流ではなく、更なる収穫を求めて上流の巨大な沼地に向かった。
日照り続きで水位も下がれば根が希釈されず、逃げ場を失った魚たちを一網打尽にできるからだ。
沼に根を流してしばらくすると見た事もないほどに巨大な岩魚がぷかりと浮かぶ。
喜び勇んで持ち帰った木こり達はその晩、岩魚の腹を割いた。
岩魚のはらわたからは見覚えのある団子がぽろぽろとこぼれだす。
その正体がすぐにあの僧侶だったと知った木こり達だったが、一人、また一人と奇怪な病に侵されて動けなくなる。
それ以来、村では二度と水無川で根流しをすることは無くなったとさ――。
「……無くなったとさ、という話だったはずだよ」
高校生にもなって改めて昔話を披露するなんて、気恥ずかしさに堪えきれない悠亮であったが肝心の恵は彼の語りの最中、手元のコピーを何度も見比べてはクスクスと笑いを抑えきれない様子だ。
悠亮の物語が終わると、恵は乾いた拍手をしながら彼を嘲笑う。
「ブー。木嶋悠亮くん、れーてん」
「はぁ? ほとんどこんなもんだったろ」
そこで恵は教員よろしく、勿体ぶって回答となるコピー用紙を見せてきた。
「いぃ? 正解を教えるからしっかり聞いててね」
むかしむかしのこと。
田ノ原にはたいそう美しい娘がいた。
娘は庄屋のせがれに嫁いできたが、娘には想い人がすでにいた。
しかし彼とは決して結ばることのれない、儚い恋。
自分の運命を哀しんだ娘は、水無川のほとりをとぼとぼと歩いた。
するとどこからか自分を呼ぶ声が聞こえる。
娘が恋焦がれる彼の声だ。
彼女はその声の主を必死に探した。
そこには間違いなく彼がいた。
娘は満面の笑みをこぼす。
陰鬱な心の中まで晴れ渡るようであった。
彼は娘に伝えた。いつもここで待っていると。
それ以来、娘は水無川に向かうのが日課になった。
あの優しい声で自分を慰め、逞しい腕で自分を包んでくれる。
人知れず逢瀬を重ねるうちに、娘は庄屋のせがれとの縁談から逃れ、田ノ原を捨てる覚悟で彼と共にすることを選んだ。
ある晩、庄屋の主人が仕立てた白無垢を盗んだ娘は、それを着付けて水無川に向かう。
そして彼と手に手を取りながら歩き出した。
翌朝、水無川のほとりには変わり果てた娘が見つかった。
川天狗に魅入られた娘は妖怪に嫁ぎ、人の姿を脱いで一匹の岩魚になった。
しかしその事実に一番驚いたのは彼女の死を知った想い通じ合う青年だ。
彼は気が触れて床に臥せるようになり、やがて町の人々を呪い、娘への未練を唱えているうちに彼女の後を追うように亡くなっていたとさ。
「いや、なにそれ? 俺しらねぇよ。マジで気持ち悪いんだけど」
納涼の怪談話と呼ぶには余りの薄気味悪さや後味の悪さに、悠亮は止まらない鳥肌をせわしなく両の掌で擦り、ゆったりとした店の半纏を上半身に巻き付けた。
「それはホントに田ノ原の昔話か? 一ミリも聞いたことねぇし」
「図書館の本にちゃんと書いてあったんだよ? こうやってコピーしたもん」
「川天狗ってたしか関東の方だったはずじゃん」
「実際に川に天狗が居るのかな?」
「違うよ。川天狗ってのは要するに河童のことだ」
「だとしたら岩手県じゃないの? 宮沢賢治のお話であったはずでしょ」
「芥川龍之介だろ?」
授業で習った程度のあやふやな知識で互いに意見するも、確信の持てない二人。
現国の成績はとんとんといった具合だが、家業が酒蔵であるためか悠亮は古い話題や知識に関しては、恵よりも若干の優位性がある。
「オマケにホントに白無垢で繋がっちゃったし……あぁ、やっぱ気持ち悪いなぁ」
「でしょ? だからすごいんだよ、これ。あたし達で謎を解明しちゃったら田ノ原の歴史を変えるかもしれないよ」
「別に過去に実際にあった事かもしれないだろ。歴史を掘り起こすとか蒸し返すって言い方が正しいんじゃね?」
「やっぱ悠亮もそう思う?」
「昔話に残ってるっていうのはある意味、皆への戒めだよ。それがマジで神社に封印されてたとしたら、あの白無垢はその女の人の怨霊を鎮めるためって意味じゃん。恵さぁ、これホントにヤバいやつかもしれねぇから、もうやめとけって」
「だとしたら鎮魂って意味でも、あたしが白無垢の持ち主の悲しい運命を明らかにしないといけないよ」
「もう歴代の宮司さんが充分に鎮魂してくれてるはずだよ。面白半分でホラースポットに行ったりすると呪われたりするから。もっかい言うけどやめとけって」
「それ言ったら、宇迦神社がホラースポットになっちゃうよ」
父や杜氏、蔵人の付き添いで、悠亮も濁酒の仕込みや大杯回しの神事などで神社を訪問する機会も多い。
だとすると今後、社務所の奥深くには常にいわくつきの白無垢が眠っている事実と隣り合わせの未来を考えただけで、またしても身震いする。
「そんでこれから悠亮を誘って交流館の図書室に調べものに行こうと思って」
「はあっ? 俺いま店番してるの見えるだろ。それに午後から塾だぜ?」
「あたしと一緒に自習することにすればいいでしょ。うちはそう言って出てきちゃったもん。口裏を合わせるためにおばさんに挨拶させてよ」
「おいおい、俺はまだ納得したわけじゃ……」
「もちろん悪いと思って、悠亮のおべんと用意したから。今朝あたしが作ったやつ」
恵がカウンターに置いたのは弁当と呼ぶには余りにも味気ない、ラップに包まれたおにぎりが三個。しかし中身がすぐにわかるよう三角形の頂点には具材も添えられている。
辛子明太子、昆布の佃煮、野沢菜と沢庵と白胡麻の和え物。
「お願いだからあたしと一緒に図書館に行こうよ」
女子からそう言い寄られれば、まんざら悪い気がしないのも事実。
悠亮も自身の男としての情けなさに肩を落としつつも、怖い物が得意ではないから全く気が乗らないのもまた事実だ。
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