南会津の歴史

岩魚の怪

第十五話

 二〇二三年七月八日、土曜日。

 週末を迎えた会津田ノ原駅にほど近い、上町地区。


 やや閑散とした商店街で店を構えているのは、地域の顔役でもある権現酒造だ。

 趣ある木造の黒塀には夏限定の新商品を宣伝するポスターに加え、町の広報や会津田ノ原高校の活動などが貼られている。


 酒蔵に隣接するこじんまりとした商店では、悠亮が店番をしながらカウンターで参考書を読み耽っていた。

 一応は店番なので屋号を冠した藍色の半纏をつけているが、黒のTシャツにハーフパンツ、靴下も履かず素足にサンダルと、自宅と変わらぬ楽な格好をしていた。

 祇園祭は再来週の二十二日に始まるが、祭りのスケジュールに合わせて一学期の期末テストや終業式も少し早く実施されるため、悠亮も試験対策に余念がない。



 やがて彼の視界の隅で商店の入口越しに人影が見えたかと思うと、自動ドアが横に滑り客が入店してきたので、悠亮は急ぎ参考書に付箋を挟んで、椅子から立ち上がった。


「はい、いらっしゃい……ってなんだ、恵かよ」

 今年の梅雨は晴天が続き、気温も高い。

 なので恵も悠亮同様に半袖シャツに裾幅がゆったりとした白のロングパンツ。

 麻織りの涼しげなトートバッグを肩から掛けている。


「その態度。あたしが来ちゃいけないって言うの? それに悠亮もうちのお父さんと同じ小売販売業なんだから、もう少し愛想よくした方がいいんじゃない?」

 相手が客ではないとわかると、彼はまたおざなりに椅子に座ると、片足を組んで本を開く。


「俺は恵みたいに暇じゃないんだ。午後には塾にも行かないとならねぇし、祭りが始まる前にはどぶろくの仕込みでお党屋のみんなが来るんだぞ? 相手してる暇ねぇっつーの」

「あたし今日はちゃんとお客としてきたんだけど」

「親父さんのお遣いか? ありがてぇけど恵のことを知ってる以上、未成年には売れないよ。昔みたいにじいちゃんばあちゃんの手伝いで酒や煙草を買ったら『エライわねぇ』なんて褒められる時代じゃないんだ。蔵や商店街のみんなに迷惑がかかるから、また今度……」

「あっそ。お父さんがお中元でお友達へ贈るお酒の宅配便なんだけど、それも売ってくれないのね? そしたらたまには他の蔵屋さんに行くわ」

「毎度あり。お前そういう事は早く言えよ。水臭いやつだな」


 自分に言われた通り今度は愛想よく振る舞う悠亮なのだが、どこか小芝居じみた、いやらしさを感じる恵であった。


「ねぇ、まとめて値引きとかしてよ。そしたらあたし達で中抜きできるじゃん」

「お前たまにとんでもない事を言い出すのな。それに俺ひとりの判断じゃできねぇよ」

「権現酒造の跡取り御曹司でしょ?」

「蔵の息子だからって、なんでもかんでも勉強できる訳じゃねぇんだから」

「そうだよね。勉強できない悠亮は理系の学部に行きたいのに、あたしより数Ⅲと物理の成績が悪いから大変だよね」

「違う、値引きって意味だっつーの。お前わかってて言ってるだろ? そうやって俺をからかうなら勝手にひとりで遊んで来いよ。どうせ親父さんのお遣い以外の用があるんだろ」

「さすがにそういう時の勘だけはいいよね、悠亮って」


 すると恵は一枚の手書きのメモを取り出した。


「ちなみにこれがお父さんに頼まれた宅配便ね。配達先の住所が書いてあるから全部お中元の熨斗のしを付けといて。それとは別に悠亮に見せたいのはこれなの」


 改めて恵がカウンターに置いたのは、A3サイズに縮小された古い新聞記事のコピーだった。

 ある記事の見出しには会津田ノ原にて催された祇園祭が紹介され、神事のひとつ、七行器での花嫁行列の様子を収めた写真もあったが、それをまじまじと見ていた悠亮は首を捻る。



「なんだこりゃ、『会津日刊』? こんな新聞みたことねぇな」

「そりゃそうだよ。だって大正時代末期には休刊になったみたいなの。でも図書館に縮小版が少しだけ残ってたからコピーさせて貰って」

「これをわざわざ交流館の図書室で見つけてきたってのか。努力の賜物だな」

「しかも館内のコピー機でカラーコピーしたから五十円も掛かったんだから」

「恵はわざわざモノクロの時代のものをカラーでコピーしたわけ?」

「その方が解像度が上がるような気がしたの。なんとなく鮮明に見えるでしょ?」


 彼も知る限り、ここ最近の恵は渋々、莉緒と一緒に塾へ行っていたはずだが、しっかりと調べものの時間まで割いていたことになる。


 もはや呆れを通り越して感心せざるを得ない悠亮であった。

 彼は文字も写真もざらついた当時の複写記事を眼前に寄せると、目を凝らしながら音読してゆく。


「なになに……『来たる祇園祭に於いて、田ノ原集落の者は前年に発生せし関東での大地震への鎮魂とすべく集落一丸となり祭祀に望まんとする。陛下の御憂慮と御祈念虚しく、未だ多くの民臣が生活の困窮を訴えし現状は、聴衆にく耳を傾けぬ政府の無策も当然と、甚だ遺憾と言ふに至るなり』……ふーん、この時代にしちゃあ、なかなかリベラルな新聞だな」

「案外それが理由で廃刊になったりしてね」

「んで、これがどうしたって?」

「記事の終わりの方を見てみなよ」


 悠亮はまた眉間に皺を寄せて、再び粗い紙面の中を読み進める。


「えーと、『忌まわしき記憶を過去に捨て、新しき田ノ原の記録となるを多くの者が願ふ』……要するに、関東で起きた地震の復興をお手伝いしますよ、嫌な過去は忘れて未来志向で行きましょう、っていう同情とかお悔やみみたいなものだろ?」

「だったら、わざわざここに『田ノ原の』なんて書くと思う?」

「そう言われるとそうだな」

「つまり、田ノ原にも忌まわしい何かが起きたってことだと思うの」


 ここまで一連の会話を重ねてきた悠亮には、彼女の結論はやや突拍子ない物に聞こえた。


「うーん……ちょっと飛躍し過ぎじゃね?」

「きっと大人が隠してる何かがあるんだよ。じゃないとあの白無垢が神社の社務所の奥に封印されてた意味がわかんないもん」



 そもそもの話の発端はあの花嫁衣裳を神社で目撃したせいでもある。

 それを思い出した悠亮は、二度と見たくも無いあの光景も蘇ってしまった。

 白無垢を覆うかの如く巻き付いた長い濡れ髪を――。


「だから悠亮もこの謎解きを手伝ってよ」

「うぅ、俺やだよ。なんか気持ち悪いもん。世の中の全てを知ろうなんて思わない方がいいと思うけどな。多少はわからないことがあるくらいが丁度いいんだよ」


 新聞のコピーを置いた悠亮は、椅子に腰かけて参考書を胸元に抱える。

 自分はこれから勉強がしたいという、彼なりの精一杯のアピールだ。


「もしかしたら岩魚の怪談が語られなくなった理由と何か繋がる気がするんだよね。あの白無垢を神社に封印したのも『忌まわしい記憶』が原因で、きっと一緒に葬られたんだよ」

「お前、そういう想像力はホント凄いのな」



 すると恵はもう一枚のコピー紙を取り出した。

 文章のほとんどは平仮名で書かれており、ごく簡単な漢字にもルビが振られている。


「こっちは結構簡単に見つかったの。日本の昔話を集めた本」

「恵はその情熱を勉強に向けた方がいいんじゃねぇの?『岩魚の怪』だろ」

「なに? 悠亮は知ってるの? なんでそういうのすぐに教えてくれないのよ」


 悠亮に先を越されて、思わずムッと頬を膨らませる恵。

 この後にまたカラーコピー機を利用した料金のくだりを再現したかったからだ。

 むしろ一笑いを失い、彼にコピー代金を返して欲しいと訴えようかと思っていた。


「あたしんちは誰も知らない感じだったけど、悠亮は誰から聞いたの?」

「たぶんじいちゃんだったと思うけど。それでも小さい頃に一回か二回くらいだよ」

「だとしたら、あたしは悠亮のおじいちゃんかお父さんから聞いたのかな?」

「俺だってば。お前忘れたの? 小学校の入学式が終わった日だかなんかのタイミングで一緒に喋ったじゃん。二人とも黒い一張羅いっちょうらを着ててさ」

「黒い一張羅?」

「周りに大人がいっぱい居たじゃん。どこだか思い出せねぇけどそこだよ」

「あー、その時の方ね……じゃあもう一回聞かせてよ」


 素直に忘れていたと自白しない恵の相変わらずのマイペースぶりに悠亮も唖然とするが、今の彼女はそれどころではない。手招きするように彼を煽る。


「あれは確かだなぁ、え~と、むかしむかし……」

 いざ語り始めようとした悠亮の目の前に掌を伸ばした恵が、彼を制止する。


「待って! せっかくだから、このコピーに書かれている内容と悠亮の記憶が合ってるか、確認してみようよ。それじゃ改めて木嶋悠亮くん、発表してください」



 溜息を漏らしながらも、かしこまって咳払いをしてから言葉を続ける悠亮。

 両親同士の交流があるがゆえに恵は腐れ縁だし、いつも相手にペースを乱されては何かにつけてトラブルに巻き込まれる、自分は不運な役回りだと思いながらも、いつだって彼は恵の理解者であることには、本人も気づいていなかった。

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