第十四話

「恵。あんた二日も塾にも行かずに、水無川で何をやってるんだい?」


 佐藤家が囲む夕げは、まず恵に向けられた祖母の小言から始まった。


「おまけに木嶋さんのご主人にまでご迷惑を掛けて。あんたが県外の大学に行きたいからって無心されたんで、ばあちゃんも少しばかり応援してやろうと思ってたのに、これで成績も下げたり試験に落ちたらどうするんだね」


 彼女が町の中心から離れた水無川のほとりに居ただけでなく、仕事中の悠亮の父に送迎して貰ったということまで把握されていた。

 こうしてあっさりと犯行が明るみになる情報の早さと閉塞感。

 ご飯を口に運ぼうとしていた恵も、驚いて箸を止めてしまった。


 だがそれも一瞬のこと。

 咄嗟に恵から言葉が溢れ出す。

 佐藤家の女性達は口巧者くちごうしゃがその場を制すのだ。


「同い年くらいの女の子と友達になってさ。そこで待ち合わせして勉強してたの」

「ほう? 勉強かい。それは塾や学校ではできない勉強なのかい?」

「そうだよ。本物の現役学生が言うんだから、もうとっくに卒業したおばあちゃんにはわからない話なの」


 混ぜられた事実は半分以下の嘘だったが、自信満々に振る舞う恵。

 ここで言う勉強とは学問ではなく人生勉強だが、敢えて語るまいと誓いながら。


「それがね、田ノ原の子だとは思うんだけど、うちの学校の生徒じゃないの。でも凄い考えがしっかりしてる子だから、話していると楽しかったし勉強になって。だから全然その子と一緒に塾をサボろうねって言ってた訳じゃないんだよ、本当だってば」

「なるほどね。その子と会う時間が楽しくて塾にも行かなかったって訳だね?」


 孫の話も半分未満といった具合で勘定した祖母は白々しく茶を飲んでいた。

 若干ひるんだ恵だったが、さらに言葉を続ける。


「それだけじゃないよ。田ノ原の古い話もしたんだから。そう、なんかおばあちゃんに聞いた話を思い出してさ……水無川の怪談みたいなの。『岩魚の怪』ってやつ」

 ここで恵は話題のすり替えを狙った。

「はて、わたしがそんな話したかね?」


 祖母はまんまと術中に嵌まったと内心安堵する恵だったが、むしろその答えが想定外ゆえにすぐに混乱した。

「えっ? じゃあ小さい頃にあたしに教えてくれたのって誰?」

「その勉強のできる子から、どんな話だったか聞いたんじゃないのかい?」

「違うよ、おばあちゃんが教えてくれたんじゃないの?」

「わたしが知らない話とか、あんたに言い聞かせた事を忘れている話なら仕方がないけれども、知ってる話なら思い出せるくらいには老いてはいないつもりだよ」


 祖母が話をはぐらかすような態度ではなく、噓偽りなく知らないと述べている様子だと思う程に、恵の頭の中には逆に記憶を覆い隠す霧が現れて思考を霞ませる。


「あれ、そうだっけ? 岩魚のお話は、おばあちゃんじゃないのか」

「もしかしておじいさんじゃないのかね? 恵のことを一番かわいがってたんだし、そういう話を一緒にしていたかもしれないよ」



 祖父はまだ建て替える前の古い家に住んでいた頃、恵が横浜の幼稚園に通ううちに亡くなった。

 初孫である彼女の誕生が嬉しかったのか、目に入れても痛くない程に可愛がり、母の実家への帰省の折には、幼い恵も厳しい祖母よりも優しい祖父のそばにずっと居た記憶がある。


「おじいちゃんかなぁ? 確かにすごい小っちゃい頃だったと記憶してるけど」

「恵にそんな古い話をすると言えば、たぶんおじいさんだろうね」

「そうかなぁ、おじいちゃんじゃないような気がするんだけど」


 どこか腑に落ちない恵は過去の記憶を確かめるために無言になる。

 その隙ができたと知るや、祖母は孫娘に畳みかけるように諭した。

「いずれにせよ明日はちゃんと塾に行くことだね。そうでないと、わたしやお母さん達が出資しなくなれば大学受験も一人暮らしもできなくなっちまうよ?」

「今更そんなこと言うのやめてよ、おばあちゃん!」

「学生なら勉強が勤めだし本分だよ。素直になりなさい」


 それきり家族との会話はやめて、せわしなく食事を口に運んだ恵は、居心地の悪いリビングを早々に後にした。



 そんな娘を見て恵の母も溜息交じりに味噌汁を飲む。

「あの子が何を考えているのか、たまにわからなくなるわ」

 だが、孫の対応に苦慮する我が娘に向かって、祖母はぴしゃりと言ってのけた。


「そうかね? あんたもあの子くらい風変わりだったんだよ。一人娘が突然に東京に行きたいとか言ってこの家を出て行って、結婚してまた郷里に戻ってきただけのことだよ。わたしからしたら、もう何も驚かないよ。だからあの子の考えるように好きにさせたらいいんじゃないのかい?」


 途端に自分が矢面に立ったとわかると、実の娘はムッと口元を曲げる。

 やはり親子であって、その仕草はつい先程の孫娘によく似ていた。

「それにしても『岩魚の怪』とはねぇ。恵はずいぶん古い話を引っ張り出してきたもんだね」

「どうして母さんはそれを恵に知らないフリしたわけ? 単なる昔話なんだから教えてあげても良かったでしょ?」


 佐藤家の女性同士が会話をする上で、大事なことはもうひとつ。

 弁が立つだけではいけない。芝居の巧みな者が最後に勝者となる。


「今の時代には敢えて語る必要もない物語さ。特に水無川に関してはね」

 そう言うと祖母は茶をもう一口。

 これ以上の会話は終了という、いつもの合図だ。




 翌朝。

 頬杖をつきながら参考書を眺めている悠亮は教室内に恵が入って来たのを見止めると、すぐに彼女の元へと向かおうと栞がわりに下敷きを挟んだ。

 しかし相手も同じく脇目もふらず自分の元へと向かってくる。


「恵。お前さぁ、なんで莉緒の塾に……」

「ねぇ、悠亮のお父さんはどこまで知ってるの?」 


 発言に発言を被された悠亮は呆気に取られて瞬きを何度もする。

「……どういうこった? 俺の親父が?」


 これがまだ寝坊したせいで朝食も摂らず教室に駆け込んだ状況なら、悠亮も不機嫌極まりない様子であっただろうが、今日は早めに起床できて朝食もしっかり食べることができたからか、頭も冴えていてすぐに恵に反応できた。


「例の『アレ』のことと岩魚の怪談、悠亮のお父さんは何か隠してるでしょ?」

「なんだっつーんだよ、やぶからぼうに」

「あたし、岩魚の怪談のことをゆうべじっくり考えててさ」

「岩魚の怪談?」

「おばあちゃんは知らない感じだったし、おじいちゃんから聞いたとも思えないんだけど確かにおじいちゃんもそばに居たような気もするし……そしたら悠亮のお父さんは割と知ってる風だったからきっと悠亮んちだと思って」

「あぁ、おととい親父が恵を家まで送った時の話か……だとしてもずいぶんと乱暴な結論だろ。そもそもあの髪の毛がウジャ~ってなってた『アレ』と、岩魚の怪談の何が繋がるんだよ?」

「最近仲良くなった、あたしの友達が調べてみろって」

「ふーん、その友達に調べてみろって言われたから、闇雲な推理で勉強してる俺の邪魔をしに来たんだな」

「だって悠亮と約束したじゃない。あの白無垢の謎を……」

「バカッ! 静かにしろよ!」


 神社の社務所に秘匿されていた白無垢は、口外無用の秘密事項。


 慌てて口元に人差し指を当てる悠亮に、恵も同じ仕草をしながら辺りを見回す。

 むしろその行為はかえって目立つのだが、クラスメイトはいつもの仲良しの会話という風情で、取り立てて話に割り込んだり聞き耳を立てたりする者も居なかった。

 ほっと胸を撫で下ろした恵に向けて、悠亮は机の上に置いたペンを握ると、先端でトントンと叩きながら注意を促す。


「例の『アレ』が少なくともヤバいもんだっていうのは、あの状況でわかるだろ。無闇に口に出して他の奴に聞かれたらどうするんだよ?」

「思い切って悠亮のお父さんや、あたしのおばあちゃんに聞いてみる?」

「今はやめとけって。それなら素直に調べるだけ調べてみて、証拠を積み上げた方が相手も腹を割るかもしれないだろ」

「それしかないか。あとその岩魚の怪談だけどさ、あたしどこで聞い……」


 その会話はすぐに親友の登場で中断した。

「あ~めぐ! 心配したんだよ? いったいどうしたのよ」


 登校した莉緒は声を掛けようとした親友と、共通の幼馴染である悠亮が幸いにも一緒に居たので、すぐにそこへ駆け寄ってきた。


「ねぇ、めぐ。このままじゃ受験だけじゃなくて今度の期末テストもヤバくなるよ? 今日は一緒に塾行こうよ」

「あっ莉緒。ごめんね。実はあたし調べてたことが……」


 よもやこの勢いで莉緒にも白無垢の話題を出すのではないかと焦った悠亮は、無言で掌や頭を振ったり口元をぱくぱくと開閉させていたが、そこで会話の終わりを告げる予鈴が鳴る。


「とにかく今日はあたしと一緒に塾ね。めぐのおばさんにも心配されたんだから」

「……うん、わかった」

 それだけ言うと恵はすぐに自席に戻る。

 そんな彼女の後姿を見ながら悠亮と莉緒は溜息を漏らす。


『祭りが嫌だの、この町が嫌だの言ってたくせに急に気になりだすとか、あいつは何を考えてるんだよ。それに岩魚の怪談って水無川のアレだろ?』


 予鈴で伝えるタイミングを失ったが、その昔話を恵に伝えたのは悠亮自身だということはよく憶えておる。

 肝心の話がどのようなものであるのかは、田ノ原の生まれ故によく知っているが、一体いつ彼女に伝えたのかは悠亮もはっきりと思い出せない。


『あんまし白無垢とは関係ない気がするけどな……だいいちあの長い髪の毛と、どう関係があるって言うんだよ』


 記憶を反芻していたせいか、あまり思い出したくない光景まで蘇ってしまい、悠亮は身震いをする。

 今が陽の差す明るい時間帯の、午前中の学校で周囲にクラスメイトが居る状況が何より良かったとつくづく感じる。

 これが夜の自室でひとりぼっちだったならばと思うと、就寝のために早々に忘れた方が良いと、彼は授業に集中することにした。

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