第十三話

 昨日会った子だというのは、すぐにわかる。

 長い黒髪に透明な肌。そして白い日傘。


 だが今日の彼女は白い七分袖のワンピースを着ていた。

 あまり見かけない流行りと異なる型のもので、恵にしてみれば、お世辞にもお洒落と呼べる代物とは言い難いものの、それを着ている少女の容姿と相まって、とても画になる雰囲気を醸している。

 白一色に染め上げられた彼女の姿は周囲の景色に溶けたみたいで、淡くも美しい。

 膝の上に三毛猫がうずくまる。

 今日も彼女は片手で日傘を押さえつつ、もう片方の手で猫の背中を撫でながら川の先を見ていた。


「また会えたわね」


 今度は彼女の方から恵に声を掛けてきた。

 ただし振り返るでもない。日傘が動く素振りもない。

 あくまで水無川を眺めながら、背中越しに後方の恵に向けて呼ぶ。

 それを受けて恵は彼女のすぐ後方まで歩み寄ると、背を丸めて相手に声を掛けた。


「あなたも田ノ原の子だよね? 先にここに来てたってことは学校サボったの、それとももうお休みなの? 多分あたしたち歳は同じくらいだと思うんだけど」

 純白の彼女への興味から恵は矢継ぎ早に質問を重ねた。


「……べつに学校なんか行ってないわ」

「もしかして、お休みしてるの? 言いにくい事だったらごめんね」

「あなたの過ごした時間をわたしはもう終えたのよ」

「あっ、じゃあ年上なんですね。すいません、あたし勝手に勘違いして」


 つまり彼女は既に高校を卒業しているのだろうと知った恵は、年長者に対する反射的な恐縮から軽い謝罪をしつつも、もっと距離を縮めようと隣の少し平らな丸石に腰掛ける。

 すると相手は日傘を少しだけ傾けて恵から顔が見えるようにしてくれた。


「あなたとさして年齢は変わらないと思うわよ」

「なに、やっぱタメなんだ? あたし高三だけどあなたも? あ、そっか。学校に行ってないから年齢なら十八ってことだよね?」

「そうとも言えるわね」


 今度は安堵から急に馴れ馴れしい言葉遣いにしてしまったからか、やや淡白な相手の反応に恵は急ぎ過ぎたと反省した。もしかして鬱陶しがられているかも、と日傘の主の顔を覗き込む。


「あたしは佐藤恵っていうんだ。あなたは?」

「……智津子ちずこよ。支倉はせくら智津子」

「そっか。智津子ちゃんっていうんだね」


 とりあえず名乗ってくれたのだから、少なくとも相手はそこまで不快に思ってないだろうという妙な確信を得た恵であった。

 日傘の子はその服装と相まって、中々にレトロな雰囲気を持っていると思わなくもなかったが、それを口にも表情にも出さない分別くらいは恵自身も持ち合わせているつもりだ。

 なので恵の興味はすぐに彼女の内面へと向かう。


「智津子ちゃんはなんでいつも水無川を見てるの?」

「もうじき祇園祭でしょ? それが早く終わるのを待ってるだけよ」

 素っ気ない物言いだったが、これには恵も我が意を得たりと笑顔になった。

「わかる。あたしんちも今年はお党屋当番だから年明けから準備で大変だったよ。それに本番では花嫁衣裳を着て七行器行列に参加しろって言われてて面倒なんだよね。もしかして智津子ちゃんちもお党屋なの?」

「そういう町のあり方も含めて嫌って意味ね」

「そこまで言い切れるんだ。すごいね」


 恵は自身やクラスメイトの一部にある意見として、単なる若者特有のものぐさとは異なり、智津子は祭りそのものの廃止を熱望する、かなりの過激派だと推察した。


「じゃあ恵はこの町の何を憂いて、町に何を望むの?」


 初めて名前で呼ばれた事は、着実に相手との距離が縮まった証左でもあると、恵も嬉しくなった。


「あたしは受験して県外の大学に行きたいんだよね。元々おばあちゃんちがこっちに在るから来ただけで、あんまし来たくなかったってのが正直なところ」

「恵は田ノ原を出るの?」

「うん。そうしたいと思ってる」

「そう……それは立派なことね」


 しかし言葉とは裏腹に智津子の反応は芳しくないものだった。

 彼女は視線を恵から正面に戻すと、物憂げに水無川を見ている。

「智津子ちゃんはなんか嫌なことあったんだ?」

「恵が羨ましい。わたしも自由になりたいわ。そう願ってやまないの」

「親が許してくれないの?」

「許さないのは世間も同じだわ。ここに居ると息が詰まりそう」


 智津子の言葉には微かな怒りが感じられる。

 表情は崩さず凛としているのもの、口元に力が入っているようだ。

 恵もその言葉を聞けば聞くほど、相手には田ノ原への憎しみに近い何かを見て取れるが、肝心の部分まで突っ込んで聞くべきかどうか、まだ出会って日の浅い自分達の間柄では躊躇してしまうのも事実。


 ただし息が詰まる、という点は非常に共感できるものであった。

『よその子』の恵は一挙手一投足を観察されているような感覚がある。

 これは莉緒や悠亮には理解されない点であった。

 彼女達、田ノ原の人間にしてみたら祇園祭のお党屋制度に代表されるような町の区分けがあり、その中で他愛ないお節介や向こう三軒両隣こそ人情という風情があるが、恵には個性を抑えて、出過ぎず目立ち過ぎず、均一かつ横並びであることを強要されているかのようだ。


「あなたももう少し自分に正直になってみたら、恵?」

「あたしも?」

「敢えて理解されようと思わないことが大事よ。そうじゃないとわたしのように退屈な日々を送ることになるわ」

「理解されなくてもいいのか……とは言ってもなかなか難しいね。もう自分のことは放っておいてっていきなり伝えるのも」

「徐々にで良いのよ。祇園祭のその時までにね」


 智津子は膝の上に居る三毛猫の背中を軽く叩く。

 催促された猫はあくびをしながらおもむろに膝の上から飛び降り、背の高い草の間を縫いながら消えていった。


「また会いましょうね」

 やがて智津子も静かに立ち上がると、日傘で顔を深く隠した。

「あっ、待ってよ!」

 恵も反射的に立ち上がり、智津子の左手を掴む。


 梅雨を忘れた夏の盆地の気候が続くと言うのに、なぜか彼女はその透明な肌のように体温というものを感じさせないかのようであった。

 ひんやりとした柔らかな肌とも表現できるのだが、まるで死者みたいに血が通っていないとも形容できる。

 智津子と肌を重ねた瞬間こそ、はっと息を呑んだ恵であったが、それから先は自分の想いを優先することを選ばずにはいられなかった。


「あのさ……水無川に伝わるお話って智津子ちゃんは知ってる?」


 だが智津子の反応は全く無い。

 まるで恵が自身の左手首を握ってくるのも、恵が何を問い掛けてくるのかも、全て知っていて、むしろ待っていたと錯覚する程に落ち着き払っていた。


 永遠とも退屈とも呼べない恵の緊張感を経て、ようやく智津子は言葉を発した。


「この水無川に?」

「うん、あたしが小さい頃にたぶん、おばあちゃんか誰かに聞いた話だと思うんだけど、この水無川には岩魚のオバケが出るって何かの話。きのうクラスのお父さんから『岩魚の怪』ってタイトルだって聞いたばっかりなんだよね」

「それがどうかしたの?」


 変わらず智津子は日傘で自身の顔を覆うため、恵はその表情を窺うこともできない。非常に淡白な物言いであったが、別に彼女はその話題に興味が無いという風情ではないと、恵は妙な確信を得た。


「そのお父さんに物語の内容を聞いてもわかんなくてさ。でも昨日、智津子ちゃんに会ってから水無川と岩魚のことを突然思い出したもんだから、もしかしてさっき言ってた祇園祭とか田ノ原の歴史と関係あるのかなって思って」

「さて……どうかしら。気になるのなら恵が調べてみれば?」


 それは彼女が何かを言い含んだように聞こえた。

 悠亮は小学生の自由研究じゃあるまいし、受験に集中しろと諫められたが、恵にはむしろ背中を押された格好となった。


「やっぱそうだよね。気になった事は調べないと……あっ、智津子ちゃんってば!」


 智津子は飼い猫を追うように築堤の道路に向かって歩き出す。

 恵も彼女についていきたいはずなのに、何故かその一歩が出せずにいた。

 しばらくすると、彼女は揺れる夏草の茂みの奥に消えた。

 ようやく恵が自分の右脚を踏み出すと、もう既に智津子の姿は無かった。

「また居なくなっちゃった……」


 いつも泰然自若としているが、どこか掴みどころがなく、それでいて彼女なりの考えがある。

 恵にとっても日傘の子は非常に興味ある存在であったが、しかしそれ以上に気になるのは、いつもあっという間にその姿を消しているところ。


 単なる照れ屋だとか恥ずかしがり屋という訳でも無さそうだ。

 だとすると、日傘に白いワンピース姿で必死に恵の視界から隠れていく様子を想像すると妙に可笑しくなった。


「なんだか不思議な子だな……いつも水無川で何やってるんだろ?」

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