第九話
「やれやれ……労働の対価が、かりんとうだなんて子供の使いじゃねぇんだから」
身体的、精神的な疲れから背を丸めてぼやく悠亮に対し、恵は満足そうにかりんとうを一本、また一本と食べる。
女子が相手ならば和も洋も立派なご褒美スイーツになる。
今は食べる気にもなれない悠亮は、がさがさと紙袋を振りながら歩いていた。
結局、買い物を終えて迎えにも来ずにそのまま帰宅した家族への怒りすら忘れている様子の隣の同窓生を見て、呆れずにはいられない。
そういう無頓着さが恵の良さでもあると知ってはいるが何事もケースバイケースだ。田ノ原という閉ざされた町で、個を出し過ぎるのも如何なものかとも思える。
『この子が恵ちゃん。悠亮は同い年なんだから仲良くしてあげてね』
悠亮は彼女と最初に出会った際、随分と長い時間を対話した幼少の記憶が蘇った。
彼女が横浜からこの町に来たのは東日本大震災の翌年。
互いに幼稚園を卒園した直後であった。
それ以来、親に言われたから成り行き上、恵と行動を共にする事も増えた。
だがそれだけではない。
同じ田ノ原出身の莉緒とは何度も確認し合っている。
『めぐが寂しくならないようにしないとね』
単に彼女が町のコミュニティから浮かないように、孤独を感じないようにとの親からの言い付けと感じていたが、年齢を重ねる程に、恵の町の常識に縛られない発言や自由な行動に驚かされるばかり。
それが横浜譲りの都会っ子らしさなのだとは割り切れない部分もありつつ、結果として彼女をフォローせざるを得ない悠亮にとっては、やはり恵が都市部から来た奔放な娘とも見られかねない事に危惧していた。
「ねぇ、こんど図書館に行くときは悠亮も付き合ってよ?」
そんな事を考えていた時に恵からの突然の発言に、悠亮は驚き肩を震わせる。
反射的に『付き合う』という言葉にどきりとした彼だったが、すぐにそれは例の白無垢の謎を解きたいという好奇心から来る発言なのだろうと察したものの、いちいちこうして感情が乱れる自分も情けなく思う。
なので手で前髪をうしろに流しながら、努めて平然を装いつつ相手を諫めた。
「俺を巻き込むなよ。それにもう俺ら高三だし受験だぜ?」
「秘密を共有したんだから、あたしたち共犯だからね?」
思春期の男子であれば近しい女子に気が向かないはずもないが、彼女やその両親に義理立てて、敢えて目を伏せているところがあるのも事実。
加えて互いに新たな共通項が出来たという事で、また恵を意識せざるを得ない悠亮であったが、そこで露骨に便乗する下心は無いと自分に言い聞かせる。
「まぁそれは別に夏休みとか、祇園祭が終わってからでもいいだろ」
「それじゃ間に合わないかもしれないじゃない」
「たとえ白無垢だからって別に祭りそのものとは関係ないだろ?」
「うーん、そういう物とは違う気がするんだよね。なんだろ? 女の勘?」
どこか呆れや諦めに似た空気を纏いながら歩く悠亮であったが、踏切までやってくるとその前で足を止めた。内心もっとじっくり恵と話し合う時間が欲しかった。
つい友人らと立ち話に興じてしまう、いつもの踏切。
もちろん今日も今日とて列車の接近を知らせる警報器は鳴っていない。
宇迦神社の大きな朱色の鳥居から一直線に続いたこの道は『七行器通り』と呼ばれており、道はこの踏切を越えた旧街道でT字路となっている。
振り返れば緩やかな下り傾斜の先に先程まで居た神社が見える。山からの湧水を運ぶ水路のせせらぎ以外の物音はほとんど聞こえない。
「そう言えば恵さぁ、なんでそんなに県外に出たいわけよ?」
改まって聞かれた恵は、両親や学校の担任に向けた台詞をまた繰り返すだけだ。
「だってもともとあたしは、よその子だもん。やっぱり昔の横浜や東京の便利な生活に戻りたいなって思っただけ」
「俺ら、別にお前をよその子とか思ってないぜ? 除け者にしたりしてるつもりはないんだけどな。もしそれが理由なら受験しなくてもいいんじゃねぇの?」
「あたしもここの学校に通ってみんなにも会えて良かったと思ってるよ。でもそれとこれとは別じゃない?」
「ん……まぁ、恵の言う通りかもしれないけどさ。横浜が便利な暮らしって言ってもショッピングモールやデパートが近いだけだろ? クラスの連中や町の人が意地悪した訳じゃないじゃん」
変わらず踏切の前で会話する彼らの横を地元の車が通り過ぎる。
それは停止線で一時停止したが、当然ながら通過する列車は滅多になく、するりと線路を渡ると視界の奥に消えていった。
厳冬の降雪に耐えて、やや錆びついた鉄路は赤茶けた素顔を見せていたが、少ない列車が磨いた表面は陽光に晒されて微かに輝いている。
「お前の親父さんにはウチもすごい世話になったからさ。俺らもなんか恩返しって訳じゃないけど手伝えることあるなら、やるつもりなんだけど」
「それとクラスのみんなに会えて良かったって話と、あたしがよそに行きたい理由とはどれも全然違くない?」
婿養子に入った恵の父は田ノ原への転居にあたり、地元のスーパーに転職した。
元は神奈川で商社の営業職に就いていた際に、妻の実家の縁で権現酒造に挨拶をしたのが始まりで、東日本大震災後で観光需要が落ち込んだ地元の酒をアピールしたいと、悠亮の家業である蔵の酒を売り込むために奔走し、打算無しに動いた。
このことを恩義に感じた権現酒造の皆は、佐藤家の娘である恵に対して、ひとかたならぬ想いがあるのも確かであった。
だからこそ、悠亮にとって彼女の発言は恩を仇で返された感覚も否めずにいた。
しかし恵にとって自分も父も同じ、よその子である。
そのために父が随分な気苦労をしてきたのも今となっては薄々感じ取っている。
「恵はこの町が嫌いなのか?」
「うぅん。別に嫌いじゃないよ。でも好きにもなれなかった。おばあちゃんちがここにあって、言われたからここに住んだってだけのこと」
至極平然と言ってのけた恵の言葉に、悠亮は若干の落胆を禁じ得なかった。
この町を否定されたということは、自身の家業でもあり、祇園祭と共に在り、この町に根付く産業、文化、伝統でもある日本酒造りまで否定されたような気持ちも僅かながら有ったから。
やがて何の役割も与えられず佇んでいた踏切は甲高い声を上げながら、ゆっくりと黄色と黒の腕を下げた。
「なんだよ。好きでもなかったのか……」
こんな風に不便を感じながらも当然のように日々の生活をしている田ノ原の我々は狭視野な人間なのだろうか。
むしろ彼女のように外地を知っていたり町を出る願望があるからこそ、当然にその道を選んでいく者が異端なのだろうか――。
「だったら俺も莉緒も無駄なことしてたのか?」
「ねぇなにが無駄なの? 莉緒や悠亮には感謝してるってば」
恵がよそから来て県外への進学を望んでいるのであれば、所詮我らは通過点にすぎなかったという無力感に苛まれるし、閉ざされたコミュニティで生きている悠亮にしてみれば、変わらず飄々としている彼女の鈍感さに腹を立てなくもない。
短い編成の列車が通り抜けるけたたましい音はわずかな時間であっただろうが、彼らの会話を中断させるには充分だった。
文字通りに遮断機が会話の終息を告げると、悠亮に先んじて歩き出す恵。
線路の向こうへと歩く彼女の背中を見ているうちに、悠亮には得体の知れない感情が芽生えだす。
それから次第に視界が歪んでいく。
一時的な霞み目かと思った悠亮は目を凝らして焦点を合わせようと試みた。
両目の焦点がぼやけたように恵の姿がふたつに分かれてずれて重なっていたが、もうひとつの残像はその形を徐々に変えていく。
何かを着ている。
長い布のように見える。
しかし布と呼ぶには厚みがそれとは全く違う。
強いて言えば平安時代の女性のような帯で締めていない着物のようである。
そしてその色は白。
まるでつい先程見たばかりの白無垢――。
「どうしたの? ぼんやり立ってないで早く帰ろうよ」
悠亮は恵の問い掛けで我に返った。
「あぁ……なんでもねぇ」
なんとなくすっきりと晴れない心の中で澱む何かが彼の思考を遮る。
しかしそれもきっと自分の思い違いだろうと、悠亮はすぐに小走りで彼女の後ろを追った。
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