第八話

「うわぁっ!」


 桐箱の中を覗いて驚いた悠亮が狭い押入れで飛び上がるものだから、仕切りの木板に頭部をしたたか打つ。

 だがそんな痛みなど微塵も感じない程に彼は狼狽していた。


「マジかよっ! 気持ちわりぃっ!」

「なに? なにか入ってるの?」

 そんな彼の反応に興味を示したのか箱の蓋を持ち上げようとする恵を、悠亮はうわずり震える声で制止した。

「ダメダメダメ! もうやめてくれって!」


 その訴えも虚しく恵が蓋を上げた途端、悠亮は思わず両の掌で目を覆う。

「うそぉ、ホントにあるんだ」

 あっけらかんと返す恵の反応に、悠亮は声を絞り出すのも精一杯だった。

「いや、お前よくそれ見てて平気だな?」

「なんで? ただの花嫁衣裳じゃない」

「その上に髪がびっしりあるだろ。お前には見えないのかよ」

「どこに?」


 そこまで言われて、ようやく悠亮は自身の指の隙間から、ちらと桐の箱を見る。

 先程見た光景はいったい何だったのか、確かに恵の言う通りただの折り畳まれた白無垢だ。


「さっき見た時はすげぇビッショビショに濡れた長い髪の毛がウジャ~って絡み付いてたんだけどな……」

「いや、悠亮ビビり過ぎでしょ? ただの綺麗な花嫁衣裳じゃないの」

「おかしいなぁ……マジであったんだってば」


 頭を掻いたり首を傾げながらも、悠亮はつぶさに白無垢を観察する。

 改めて見ると、細かい生地のほつれや色落ち、虫食いと思われる穴もあった。

 相当に時間が経過したものだというのは彼らでも容易にわかる。

 仮にレンタル品だとしても、最近の祇園祭では使用されてなさそうだ。


「そういえば恵、さっきの『ホントにあるんだ』ってどういう意味だよ?」

「だって七行器の花嫁行列は、みんなカラフルな現代的な感じの着物で、如何にもな白無垢って無いでしょ? だから昔おばあちゃんに聞いてみたんだけど、あやふやな事しか言わないから気になってたのよね」

「ん、まぁ、そう言われりゃそうだな」


 祇園祭の花嫁行列では極彩色の花嫁衣裳を来た数十人の女性が、絢爛豪華に町内を練り歩く。その色は数多あれど、ある意味、順当な白無垢を着ている者は居ない。

 無論、限りなく白に近いとか白が配色された着物も無い訳ではないが、いずれもアイボリーかオフホワイトとも呼べる見映えに加えて、差し色や刺繡が入っている。


「視覚的に祭りを盛り上げるためじゃねぇの?」

「それにしても、その年のシンデレラ的な感じでメインに白無垢の人が居たっていいような気がしない?」

「どっかのタイミングで廃止されたんだろ? それがこれってことだよ。あくまでも行事の中の花嫁行列だから、ガチのやつに似せると観光客を混乱させて問題があったんだよ、きっと」

「全員が白無垢だと『え』ないから、カラフルにしてったのかな?」

「うん、俺もそういう理由だと思うけどな。カラーリングの技術が発展してだんだんオシャレになってきたから、逆に白無垢が廃れていったんじゃないか?」

「じゃあこれは町の記憶を大切に残してるって感じなんだ」

「うーん、記憶なぁ……」


 恵の言う通り記録として後世に残すのであれば、すぐ近くには観光客向けの祇園祭の資料館もある。そこに収蔵されていてもおかしくはないはずだ。

 そうかと思えば『祓』の文字と共に桐箱ごと厳重に封緘している。

 それに先程の大量に濡れた髪の毛の幻覚というおまけ付き。

 どこか異様な有り様に悠亮もすんなりとは納得できずにいた。


「ねぇ、これの事を調べてみたら面白そうじゃない?」

 そんな彼とは対照的に、恵は新たな楽しみを発見したという風情であった。

「お前さ、小学校の自由研究じゃねぇんだから」

「あれ? なんだろ、これ?」

 またしても食い入るように白無垢を見る恵の反応に、悠亮は二歩、三歩と後ずさりする。

「ほらな、やっぱ長い髪があるだろ」

「うぅん違うの。なんだか……」


 それきり恵は黙って桐の箱に納まる古ぼけた白無垢を見ていた。

 若干くすんだ白色のそれは枯山水庭園に敷き詰められた玉砂利にも似ているし、それらが川底に沈んでいるとするならば、絶え間なく水が流れる場所ではない。

 天候に水量を左右される事がない溜水の中にあるもの、それは――。


「魚だ」

「はあっ? 魚?」


 悠亮は恐る恐る桐箱に近づくと、恵の肩越しに白無垢を見た。

 取り立てて刺繍で鯉をあしらったり差し色などのワンポイントも無い、ごく普通にありふれた純白で和風な花嫁衣裳というだけだ。


「特に魚の模様なんか染めても縫い付けてもないだろ」

「なんか今、この中を魚が泳いでいた気がするの」

「この中って水も無い桐箱の中をか?」

「違うよ。着物の柄の中。この白い色の中って言った方がいいかな」

「やめろよ。俺そういうオカルトとか信じてねぇからな」


 もはや悠亮は信じないというよりも恐怖から認めたくないといった素振り。

 情けなく振る舞う彼には構わず、恵はじっくりと純白の花嫁衣裳を見た。


「なんだろこれ……たぶん海で獲れる魚じゃないよ」

「鯉とか金魚?」

「そういうのじゃないよ。きっと川魚だと思う」

「おいおい恵、正気か。大丈夫かよ」


 至って真剣な様子の級友を見ているうちに、悠亮はむしろ不安になる。

 しばらくは言葉も無く桐箱の中を見ていた恵だったが、やがて満足そうに白無垢を納める箱の蓋を丁寧に重ねた。 


「この中身はいつか、おばあちゃんにちゃんと聞いてみよっと」

「おい恵、ちょっとは頭を使えよ。俺がさっきも言ったろ。封印されてた箱を勝手に覗きましたって自分からバラすつもりかよっつーの」


 つい反射的に腹を立てた恵だったが、どこか近視眼的な姿勢を悠亮に小馬鹿にされたような物言いも確かに今のは自分が短慮であったと、その点ばかりは反省する。

 だけどそれだけでは気持ちをすぐに切り替えられないので、今は自分の怒りを収めるために彼を肘で小突いた。

 腹部を抉ったその一打で、悠亮は小さく呻く。


「そしたら町の図書館で調べてみよ。確かなんか古いお話で、川魚が出てくる民話があったような気がしたのを思い出したから」

「それは後にして、とにかくこれを元に戻して、他の箱も綺麗に直そうぜ」


 とりあえず散乱させたものは原状回復して、他の荷物も移動させて、外見上は充分に役目を果たしたと言える具合に持っていくことにしようと決めた。

 するとその矢先に宮司が顔を出す。

「なにか大きな物音がしたけど大丈夫かい?」

 驚いた二人は互いの身体をぴったりくっつけると、背後にある桐箱が宮司に見えないようにした。


「はい! もうすぐ終わります!」

「ちゃんと整理整頓してきちんとやっておきますから!」


 宮司は周囲を見回して、祇園祭で用いる祭礼具や備品類の荷物が手前に移動されているのを確認すると頷く。

「そうか、ありがとう。二人ともご苦労様だったね。これは奉納品のおさがりものだ。片づけが終わったら家で食べておくれ」

 そう言うと授与品を頒布はんぷする際に入れる小さな紙袋を手渡された。

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