第七話
「いったい、なんであたしがこんなことしなきゃいけないのよ……」
「それはこっちの台詞だっつーの。恵のせいで仕事が増えたんだからな」
恵と悠亮はぶちぶちと不平不満を垂らしながらも大きな茶箱をいくつも動かす。
二人は社務所の押入れや納戸に収納されていた祭りの道具を整理させられていた。年越しの大祓や新年祈祷で用いた祭具をいったん奥に押し込め、もしくは適宜、倉庫へと移動させてから、夏の祭りで使用する必要なものを手前側に動かしていくという作業だ。
若さも言い換えれば、その体力や腕力も立派な神への捧げものとなる。
例えそれが神域で口論をした罰であろうとも。
ただし若者の信仰心という点では氏子や党屋の大人達に勝るものではない。
やや腐った様子で気怠そうに荷物を運ぶばかりだ。
親に言われて渋々持参してきたマスクが防塵用に機能したのは幸いであった。
「お母さんやおばあちゃんなんか打ち合わせが終わったら、ホントにあたしを置いて買い物に行っちゃうんだもん。ちゃんと迎えに来てくれるのかな?」
「お前な、俺だって会社のバンで一緒に来たのに、たぶん帰りは徒歩だぜ?」
「あんたんちは駅に近い
などとぼやいていては作業も一向に終わらない。
この時間を早々に切り上げるために、そのうち二人は黙々と荷物の移動を行っていた。
「なんか奥の方は凄い平べったくて、横に箱が大きいんだけど」
「あぁ、あのへんは七行器で使う漆器じゃなくて、たぶん花嫁衣裳だな」
恵が田ノ原に引越してくる前、幼少期の記憶の断片として残っているのは、祖父が健在の頃に遊びに行った昔の家は如何にもな古い日本家屋で、大きな黒の仏壇がなんとなく怖くて嫌だったし、桐
今の時代は防虫剤の薬効や品質向上も見違えるばかりで、両親と自分が越してくるときに建て替えられた現在の自宅もそうだが、最初はどこか構えていた恵も、神社も自宅もほぼ無臭なことに安堵していた。
「着物なんてみんなレンタルか購入してるんじゃないの?」
「さすがに町の祭りだし、何十人も女の人が出るんだから全員がそういう訳にもいかねぇだろ? だから町役場で予算組んだり、神社や奉賛会で負担してる分があるはずだよ」
「ふぅん、花嫁衣装かぁ……あたし、こんな格好したくないな」
「マジで? 恵も七行器行列に出るの?」
「そうすれば受験してもいいっておばあちゃんが」
「そうは言っても恵んちの西町
「なんかさ、髪も黒くして白粉を塗って唇にちょんと紅を差してってのが、古臭くて恥ずかしいじゃない」
「そういうもんだろ、伝統なんて。ルーティーンで盛り上がるからテンションも維持できるんだよ、町民も観光客も」
悠亮自身も家業が酒蔵であり、古くから祭りに供する濁酒の指南をしている家に生まれたという自負や義務感、酒造りに対する誇りはあるが、町の風習というそれ自体はあくまで商売の延長と考えるのが発言に滲み出た形だ。
「伝統だっていうならコロナのせいで大規模なお祭りは三年間もやってなかったのに、復活させる意味ってあるの? 神様の前でマスクしてるのは失礼じゃなかったの? 規模を小さくしたり中止させてて神様は喜んでたと思う?」
「俺はどんな形でも維持するってのが伝統だと思うけどな。どぶろく造りも伝統だぜ?」
「時代に合わせていっそ止めるのも伝統でしょ?」
「だとすれば時代に合わせて変えていきゃいいんだよ」
「それなら価値観もアップデートが必要だよ。手指消毒やマスクも当たり前になったんだし」
これ以上の議論は時間の無駄だと思ったのか、悠亮はそれに対する返答はしなかった。
むっと頬を膨らませて怒りをアピールしてみる恵だったが、マスク越しでは伝わるはずもない。すぐにそれも萎ませて黙々と作業に勤しんでいた。
やがて肝心の桐箱のあたりに差し掛かると、恵は数回顎を振って悠亮に指図する。
「ちょっと悠亮、手伝ってよ。さすがにこの辺のは重いから。か弱い女の子ひとりでやらせるつもり?」
「はぁ? すぐにキックしてくるような暴力女のどこが、か弱いんだよ」
つい挑発してしまう悠亮だが、口先とは裏腹に恵の持つ桐箱の端に手を添える。
このあたりの振る舞いは彼の人柄の良さであるし、恵も信頼している部分だ。
「やだ、なにこれ。重すぎる」
「おいおい、お前なんで一番下から全部持ち上げようとするんだよ! 普通一箱ずつだろ?」
「ちゃちゃっと終わらせた方がいいに決まってるでしょ!」
幾重にも積まれた桐箱を無理に持ち上げようとした恵によって、重量が自身の両手にのしかかった悠亮は反動でバランスを崩すと、尻もちをつくように後ろに倒れた。
その拍子に桐箱はいくつか滑り落ち、収納されていた花嫁衣裳がばさりと広がる。
「あ~あ、どうすんだよこれ……」
「他と同じようにしておけば大丈夫じゃない?」
さも何事もなかったかのように膝を折り、着物を見よう見まねで畳み始める恵の胆力というか図々しさに思わず天を見上げる悠亮。
すると手前の衣装箱が無くなったために、押入れの一番奥にある箱が目に入った。
「こっちの古ぼけたのはなんだ? なんか取れちゃったじゃん」
蓋と本体とを和紙で封緘していた少し色褪せた桐箱がひとつ。和紙には一文字だけ『祓』と書かれている。それは彼らの散乱させた花嫁衣裳が広がり落ちた弾みで片方が剥がれ落ちて、ゆらゆらと舞っていた。
「これも元に戻しておかないと、宮司さんやお党本さんに怒られるな」
「また取れないようにセロテープかガムテープで貼らないと」
「バカだな。大切に封印してた神具だぞ? 痕跡を消さないと俺らのせいだってすぐにバレるだろ」
悠亮は口で恵を腐しつつも、慎重に桐箱の蓋を持ち上げると中を覗き込む。
「……んん?」
初めはそれが何かが理解できずにいた彼だが、すぐにわかった。
わかったからこそ有り得ない事態であるし我が目を疑わざるを得ない光景。
箱の中には白無垢の花嫁衣裳が丁重に収納されていた。
しかしそれだけではない。
髪だ。
女性の髪が纏わりついている。
優に一メートル弱はあろうかという髪は、しっとりと濡れていた。
ウィッグや人工毛髪とも違う。
手入れをされていれば艶やかなはずの濡れ髪はまるで深淵のような黒色に染められていた。それは光の透過を一切も許さない、ただ暗く澱んだ黒一色のみ。
「うわぁっ!」
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