日傘の子

秘された白無垢

第六話

 暦は六月末。


 田ノ原町に坐す宇迦神社では夏越なごし大祓おおはらえを控え、茅の輪が飾られた境内には参拝客や氏子で溢れていた。


 もちろんそれだけではない。

 四年ぶりに再開される祇園祭に備えて、各所で打ち合わせや準備を行っていたためだ。

 京都八坂の祇園祭、福岡櫛田の祇園花笠と並ぶ日本三大祇園祭と評され、三日間に及ぶ祭りでは子供歌舞伎や神楽が披露されるが、特に一番のメインは青空の下、花嫁衣裳に身を包んだ女性達が神前に献上する供物を運ぶ七行器行列である。


 それを取り仕切るのが町内を九つに分けたお党屋組。

 党本を中心にお党屋番になった者や氏子衆が祭りの準備から全てに携わる。


「また大変な日々になるねぇ」

 直会など神事で振る舞う料理や花嫁行列のための着付け等、主に裏方を支えるのは女性衆であり、苦労も数多くあるものの彼女達はそんな愚痴っぽい会話とは裏腹に、深い皺を幾重にも刻んだ顔をほころばせる。

 町の人々の表情は輝いていた。

 四年もの歳月を分断と孤立に向かわせたコロナウイルスへの恐怖は鎮静化しつつあり、自粛の外圧は徐々に取り払われて、日本各地はありふれた日常を少しずつ取り戻してきた。


 またあの祭りがこの町に帰って来る――。

 大変な思いも沢山するし年齢を重ねれば重ねる程に身心ともにきつい時期もあるが、当日を迎えればそんな気分も吹き飛ぶくらいの充足感に満たされる。

 そんな慌ただしくも賑々しい空気が神社の境内を、そして町全体を包む。




 忙わしなく人が行き交う宇迦神社の境内に恵はぽつんと佇んでいた。

 別に自分から進んでここにやって来た訳でもなくて単に祖母や母が、お党屋の仕事の打ち合わせのついでに合格祈願も兼ねて参拝をしようと提案されただけである。


 恵もこの春からは高校三年生。

 まだマスクは手放せない日々ではあるが、それでもこうして家族で気兼ねなく外出できるようにはなった。

 受験については家族の了承を得られたものの、その対価は祇園祭に参加すること。なにやら足元を見られたようで恵自身は腑に落ちない感情が残ったが、来春には新たな街で新生活を送れるかもしれないと思えば、彼女もまた受験結果を神頼みするしか無かった。

 せっかくの参拝なので自腹でおみくじを引いてみる。

 結果は小吉。

 学問の項目には『自己の甘さを捨て勉学せよ』とある。

 あたしの百円返してと露骨に腐っていた恵の耳に、よく知った者の声が聞こえた。


「あれ? 恵じゃねぇの?」

 おみくじが小吉であった以上に、思わぬ遭遇に虚を突かれた恵は、眉をひそめると良く知る男子に向きあう。

「なんで悠亮がこんなとこにいるのよ」


 てっきり悠亮だけだと思っていた恵だが、彼の近くにはその父や蔵の杜氏の姿があった。

 すぐに表情を戻して笑顔を作ると、ぺこりと頭を下げる。

 対する悠亮は、近くに彼女の母や祖母の姿を見止めていたので、すでによそゆきの顔で会釈をしていた。


 なんとなく出し抜かれた気持ちから気恥ずかしさもあり、恵はすっと彼に近づくと肘で小突く。

「そういう、いやらしいビジネス顔はいいから、どーして悠亮がここに居るの?」

「ビジネス顔って失礼なやつだな。今年の祭りで使うどぶろく用の樽や水桶の様子を見に来たんだよ。逆に恵こそどうして宇迦神社に居るんだ?」


 その脇で二、三の立ち話に興じる両親達を尻目に、恵は悠亮に対してもぼやかずには居られない。


「買い物の前にまず、お党屋の打ち合わせがあるからって、でもその前に、わざわざあたしの合格祈願だってさ」

「ふーん、信仰心のかけらも無いお前が神頼みとは、成績がそうとうヤバいんだろうな」

「あんたの英語よりは全然いいじゃないの」

「俺は理系の学科を目指すから文系科目は別にどうでもいいんだよ」

「それにしたって必須科目じゃない。そっちこそヤバいんじゃないの?」


 付き合いが長いぶん、互いにどうしても軽口を叩かずにはいられない二人。

 そうやって他愛ない会話をしているうちは良いが、だいたい険悪になるのがお決まりだ。

 悠亮は嘲笑を浮かべながら恵の顔を指差す。


「お前も他の連中と同じように、素直に若松市内の大学に行けばいいんだよ。背伸びして外部受験したのに、もし留年や浪人したらそれこそ恥ずかしくて田ノ原には居らんねぇよな」


 頬を膨らませながら黙って悠亮を睨みつけていた恵だったが、そこで無言の反撃。


「いってぇ!」


 恵の靴のつま先は確実に彼の右脛を捕らえた。

 苦悶の表情で堪える悠亮に対し、勝ち誇ったような薄ら笑みを浮かべる。


 小学生の頃から変わらない、いつものやり取り。

 でも決して女子に反撃をしないのは悠亮の矜持でもあるし、耐え続けることで場の空気を自分に有利にしようという打算も彼にはある。

 しかしいささか主張が強すぎるので、その結果が自身に跳ね返ってこようとは予見できない甘さもあるのが玉に瑕だ。


「こらこら、キミ達なにやっとるんだね。境内ってのは神域だぞ」

 なのでその様子を目撃していた宮司に諌められているのが、何故か自分とわかるや否や、悠亮はすぐに不利益を察して彼を味方に付けようと発言した。


「俺が蹴られたの見たでしょ? こいつとんでもない暴力女なんすから」

「いずれにせよ彼女に手を出させたような物言いをしたのだろう? キミは男なんだからもっと紳士に振る舞わねばならないよ」

「いや、それはひでぇっすよ! 俺が被害者なのに!」


 ただし大人が女子に甘い傾向にあるのも事実。

 こうしてほろ苦く酸い経験をしながら、悠亮少年も学んでいく。

 そんな我が子を親達も呆れながら見守っていた。


「さぁ仲直りして貰わないと神様も困っておられるよ。さて、どうする?」

 穏やかながらも何らかの腹積もりがあるのか、宮司の笑みに恵と悠亮は訝しそうに互いの顔を見返す。

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