こうして僕は水面に浮かぶ
バルバルさん
あ、でも痛くしないでね?
ある山道。あまり手入れのされていない、土と雑草で出来たその獣道のような山道を、僕はヒイヒイ言いながら歩いていた。
道端に転がっていた長い枝を杖代わりに、登山用の装備とはかけ離れた格好で。
日は傾いてきて、やや薄暗い。正直、とても怖い。
だけどこの先に、僕の目当てのものがある。幼い頃、祖父から聞いた、石笠地蔵が。
「いいか雄田。もし石笠地蔵様の笠を動かした後、最初に話しかけられた相手がいたら、そいつはお前の恋人になる――――――」
その言葉を信じて僕は山道を歩いているのだ。全く、自分でも馬鹿らしいと思う。
でも、仕方がないじゃないか。僕には、それしか縋るものが無いのだ。
どれだけ歩いただろう。2時間? 3時間? 山道の先に、一体の小さなお地蔵様が現れた。
そのお地蔵様は、石でできた笠を頭にかぶっている。
「これが、石笠地蔵様……」
なんというか、小さいお地蔵様なのに、異様な雰囲気を感じる。
本当に、近寄り難いというか、触れ難いというか、そんな妖気めいた雰囲気を感じる。
だけど、僕はぎゅっとこぶしを握り締めて、石の笠に触れた。
とても冷たい。
そしてゆっくりと右に、笠を少しだけずらし、僕はその場を後にした。
登山道とも呼べない道を進むのは大変だったが、戻るのも大変だった。
靴は直に石ころなどの感触を足裏に伝えてくるし、既に周囲は暗い。薄暗いではない、ものすごく暗い。
でも、これで僕には恋人ができる……かもしれない。
そう思うと、足取りは軽く……などはならないが、心は少しスッキリしたかもしれない。
まあとにかく、早く山を下りよう。でも、勝手に部屋を抜け出して、母さんとかめちゃくちゃ怒るだろうなぁ……と思うと、スッキリした心も曇る。
はぁ、明日が憂鬱だ。
そう思いながら歩いていると、山道の出口だろうか?小さな灯りが見えてきた。
その下には、女性が立っていた。手には、布で大切そうに包んだ何かを抱えている女性。
山道を出て、その女性の前の灯りを通り過ぎようとすると。
「すいません。少しいいでしょうか」
そう、話しかけられた。どくん、と心臓が跳ねあがる。まさか、この女性が、僕の……僕の、恋人になってくれる人、なのか?
「はい?」
ドクン、ドクンと久々に正しい意味で高鳴る心音を相手に悟られないか心配しつつ。僕は返事をした。
「この子を、抱いてくれませんか?」
そう言って、女性は布にくるまれた何かを、差し出してきた。
◇◇◇
とある山道の出口。あちらこちらに進入禁止の札や、バツの書かれた標識の立つそこから、雑草を書き分けて現れた男性に、病的なまでに青白い、長いしっとりとした髪の女性が話しかけた。
「この子を、抱いてくれませんが?」
冷え冷えとする声を響かせながら、その何かを包んだ布を渡す女性。
それを、怪訝な顔をしながら男性は受け取る。
「……この子は……」
その布の中には、すやすやと寝息を立てる赤子がくるまれていた。
その瞬間、女の唇が少しだけ上がったことに、男は気が付かない。
「……軽い」
ぼそり、男性が呟く。軽い、なんて軽いんだ。
自分ですら軽いと感じるのなら、もしかしたらこの子は。
そう思った男性は、女性に向かうと。
「近くに病院があります。この子、もしかしたら栄養失調かもしれない。そこで診てもらいましょう」
そう言った。すると、何故か女性は目を丸くしていた。
「軽い……ですか?」
「はい、とても軽いです」
「重く、無いのですか?」
「軽すぎて心配になるくらい、この子は軽いですよ。貴女も一緒に来てください」
「え、あ、え?」
そのまま、片腕で軽い赤子を抱きかかえ、もう片手で女性の手を取り、病院への道を歩く。
男は、ゆっくりと、だけど男性らしい力で女を引っ張る。
男の中では、恋人がどうのの話より、女性と、この子のことが心配な気持ちになっていた。
しばらく歩くと、大きな灯りが。
病院の前には、男の母親や、医者、看護師が心配そうに立っていた。
そして、男を見つけると、母親は駆け寄り、涙を流しながら頬をはたく。
「馬鹿!」
「……ごめん」
「みんな心配したんだよ! 明日、アンタ手術なのに……」
母親の言葉に、バツの悪そうな顔をしつつ。ハッと思い直す。
「あ、そうだ! そんなことより、この子を!」
「え?」
「この子、栄養失調か……も……?」
そう言って、男は布を渡そうとして、止まる。
その布は、何も包んで否かった。
どころか女性も、男と母親の会話中に、消えていた。
◇◇◇
男が不思議な体験をした数日後のことだ。
男は、病室でテレビをぼんやりと眺めていた。
手術は成功した……それは素直に喜ぶべきなのだろうが、男が思うのはあの女性と赤子の事。
別に一目ぼれしたとか、そんなわけじゃない。ただ、不思議な経験が、あの女性への興味を強くしただけ……という言い訳の元、もしかしたら、あのミステリアスな女性に一目ぼれしたかもしれない男は。ぼんやりと過ごしていた。
ふと、部屋の隅に視線を移す。蜘蛛だ。
最近、この病院……というか、病室には蜘蛛が良くいる。
別に蜘蛛なんて珍しくも無い……とも言い切れない。この病院は田舎にあるとはいえ、そこそこに設備は整っているのだ。
だから清潔感もしっかりしていて、昆虫などはいる隙などない……ハズである。
あと、最近なんだか、見られている気がする。
病院で謎の視線か。なんか、怖いなぁ……
なんて思いつつ、テレビに視線を戻す。その時、蜘蛛がいなくなっていることに男は気が付かなかった。
コンコン
戸が軽く叩かれる。
「どうぞ」
からりと戸が開けば、そこには、大切そうに赤子を抱いた、女がいた。
「あ」
「こんにちは。雄田さん? で合っていますか」
「あなたは、この間の」
「はい、先日は失礼しました。少々、人の多さに驚いてしまい……」
「いや、そんなことはどうでも良いんですが……お子さんは、ちゃんと診てもらいました?」
「……はい、今ではこんなに元気ですよ」
そう言いながら、ベッドに座る自分のお腹の辺りに、赤子を置く女。
だが……やはり、男には軽く感じてしまう。
「やっぱ軽い気がしますねぇ……おっとっと」
きゃっきゃと赤子は男を見ると嬉しそうにはしゃぐ。
軽いが、元気そうだ。
そして赤子から視線を女に移せば、女はその端正な顔で複雑な表情を作っている。
「どうされました?」
「……いえ、何でもありません」
「この子、軽いけど元気ですね、名前は?」
「え」
「この子にも、名前あるでしょ? 教えてください」
「え、えと……そう、スイ。スイコと言います」
「へぇ、スイコちゃんか……」
変わった名前だが、女の子だろうか?
だが、どこか女の面影があって可愛いな。なんて思う。
そこから、少し話していると、食事のチャイムが鳴る。
もうすぐ配膳の様だ。
「では、私はこれで」
「あ、はい。では」
「また、来させていただきます」
「え」
「あと、私の名は……クモキと呼んでください」
もしかして。もしかするのか?
クモキとは変わった名前だけど、雲来とか書くのかな?
なんて、男が胸を高鳴らせていると、いつの間にか、女はいなくなっていた。
◇◇◇
今日も蜘蛛が男の病室にいる。
初めて女が病室にきてから1カ月が経過した。
それから3回ほど部屋にやってきては、お琴の腹の上に赤子を置き、そして少し話していなくなる……を、女は繰り返していた。
そして、今日も女はやってきて。男のお腹の上に赤子を置く。
「すいこちゃん、ちょっと大きくなったか?」
なんて、男が赤子と一緒に笑っているのを見て、女は複雑そうな表情を深める。
「あの、雄田さん」
「はい」
「そういえば……貴方は、なぜあの山にいたのですか?」
「え」
「あの山は……昔から、物の怪や怪しい噂の絶えない、危ない山でしょう?」
「……そうですね、僕は、恋人がほしかったんです」
「恋、人」
「はい。そのために、伝承に頼って、山に入ったんですよ」
恋人という言葉に驚く女に向かい、まあ、バカな真似をしましたと言って、恥ずかし気に頭を掻く男。
「でも、先の無い命だったんです。それくらい許されても良いでしょう?」
「先の無い?」
「はい、ついひと月ほど前、僕は手術を受けたんです……正直、成功する可能性なんて無きに等しい手術をね」
「そう、だったんですか」
「心臓の弁の手術だったんですが……奇跡的に成功して、こうして今に至るわけです」
そして、男は女をじっと見る。
長く、艶めかしい髪、少々病的な青白さの肌。だが、とても美しく感じる。
「あの、もうすぐ僕、退院なんです……よければ、僕の連絡先、教えさせてください」
「え?」
「なんか、この縁……途切れさせるのは、もったいない気がして」
「…………」
「あ、もちろん! 無理にとは言わないので。きっと、旦那さんも……」
「ええ、教えてください」
「いると思いますしっ……てえ?」
「旦那たる人はいません。私は、この子と一人なので……ですから、連絡先を、教えてください」
「は、ハイ!」
そして男は、実家の連絡先を女に教える。心臓を、正しく高鳴らせながら。
◇◇◇
それから、さらにひと月経った。
男は実家に戻り、療養に努めている。
あれから幾度か女は、男の母親のいないときにやってきては男と交流した。
交流、と言っても、男が近況を話し、女が頷く。そしてスイコと遊び、そして別れる。
その繰り返し。だが、それがたまらなく男には嬉しかった。
本当に、恋人ができたような気がしたのだ。
今まで、病気のせいで人と交流しにくく、恋人どころか、深い関係に慣れた女性なんて、20数年できたためしはなかった。
だが、今は違う。こうやって、自分を女性が訪ねてくれる……それが、いや、それだけでもうれしかった。
今日は久々に、読書する気分だったので、地方の伝承などの本を読んでいる。
そこには、石笠地蔵様の話も載っていた。あの地蔵様には、感謝しかない。
そして、蜘蛛に関する怪異も載っていた。蜘蛛鬼、絡新婦、橋の上の子を抱えた……
蜘蛛の怪異も、色々あるんだなぁ……と思う男。
そういえば、家の周りにも最近、蜘蛛が良く出るという。
もしかしたら、なんかクモに好かれてしまっているのかな?なんて苦笑しながら、本をぱたんと閉じた。
こんこん、こんこん
戸が叩かれる。
「ごめんください」
女の声だ。慌て玄関に向かう。
今日も玄関には蜘蛛がいる。
女を、男は出迎えた。
◇◇◇
もうすぐ、手術から三か月が過ぎる。
そして、女との交際? と、男が思っている関係もそれだけ続いている。
そうか、もうすぐ三か月かぁ……なんて、カレンダーを男が眺めていると。
ぴろろろろ……ぴろろろろろ……
携帯に連絡が来る。どこかの公衆電話からの様だ。
このご時世に珍しいな。と思いながら、出ると。
「雄田さん」
「雲来さん!」
「すいません、いきなり連絡して」
「いえいえ、それどころか、待ってたというか、なんというか……」
「ふふふ。ところで、私達が初めて会った場所。その近くに、滝がある事、知っていますか?」
「滝?」
「はい、そこへ、ご一緒出来たらな、と思い」
「ぜひ!」
そう言って、男は急ぎ身支度をする。
最近、心臓の調子も良いので、親も反対しないだろう。多少の運動はした方が、リハビリにもなるかもしれない。
そして、男はバスに乗って、病院付近へ、そこから、山の方へと歩く。
そこには、少し大きくなった子を抱いた、女がいた。
「こんにちは」
「こんにちは。雲来さん」
「では、少し歩きましょうか」
「そうですね……あ、そうだ」
「はい?」
「今日は貴女に、プレゼントがあるので、期待しててください」
そこから、ぽつり、ぽつりと話をしながら二人は滝へと向かう。
主に、男が話し、女が優しく笑みながら頷くだけだが。
そして、山道に入り、少しすると川があり、そこからさらに進むと滝が見えてきた。
「はぁ……はぁ……」
「もうすぐです、頑張ってください」
「は、はい……」
そして、滝の側に、二人はむかう。
「ここが、雲来さんが、見せたかった滝ですか?」
「はい、では、スイコを抱いて、一緒に」
相変わらず、羽のように軽い感じのする子供を抱き、女に手を引かれるまま、滝壺の側の水に、足を漬ける。
冷たい。
……………
「あの、雲来さん?」
「……んで」
「え」
「なんで、貴方は……お前は死なないんだ!」
そう言いながら、女は顔を歪ませ、男に詰め寄る。
「この子を抱けば、人の子は皆、重いと言う。そして、この滝つぼまで連れて行けば、人の子はその子を放そうとし……命を、私が喰らうはず……なのに、なぜお前は!」
そう、まくしたてながら男に詰め寄る。
「…………」
「病院でもそうだった、私が水子を腹の上に置けば、普通は圧死するはずなのに……」
「あぁ、そういう事……だったんですか」
「何を」
「石笠地蔵様の話は、知っていますか?」
「え……」
「その石笠を。僕は動かしたんです、」
「な、に?」
「祖父から聞いたんです」
「いいか雄田。もし石笠地蔵様の笠を動かした後、最初に話しかけられた相手がいたら、そいつはお前の恋人になる――――――そして三月の後、お前の命をその相手が奪うんだ。だから、決して石笠を動かすなよ」
「……と」
「な、な……石笠を動かしたのか! お前は……」
「はい。だって、恋人は欲しかったし、何より……あの時点で、手術に失敗して死ぬより、恋人と一緒の三か月の時間という猶予がもらえたほうが、良いかなって思って」
「だから、私はお前を喰らえなかったのか……」
「そういう事です。さて、クモキさん……いや、蜘蛛鬼さん」
そして、男は蜘蛛鬼の片手で手を握る
もう片手に抱いた水子の重さが、どんどん重くなっていく。
「三か月の間、僕の恋人になってくれて、ありがとうございました」
「え、あ」
「今日で、貴女と出合って、三か月目の記念日です」
――――――プレゼントに、どうぞ僕の命を奪ってください。
そう、ふわりと男は、優しく笑った。
こうして僕は水面に浮かぶ バルバルさん @balbalsan
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