らぶりん

澤群キョウ

第1話

 つんつん、と誰かの指が背中を突付いている。


 その呼びかけに振り返ると、仲良しの健二がニヤニヤと笑いながら手に隠したものを見せてきた。

「優くん、これ」

 その手の中にあったのは最近発売されたばかりのTCG、「ファンタジー バトルフォレスト」の、特に珍しくもなくキラキラ感もない地味なカードだった。

「お兄ちゃんのやつ?」

 プリントされているのは最も弱い、キングオブ雑魚と言って良いであろうモンスター。

「そう。昨日見せてもらってる時に、思ったんだけど」

 わざわざこんなものを学校へ持ってきた理由。それを話そうとするも、健二は笑いをこらえきれないのか、口元を押さえてプウっと音をたてている。

「なに?」

「これさ、呉羽くれはそっくりじゃない?」


 手の中に隠されたカードの中に描かれているのは、ゴブリン。

 教室の後ろにいるのは、呉羽くれは鈴子りんこ。クラス一、顔の造詣がよろしくない女子だ。


「健二っ! バカ、それは言ったらダメだろ……!」

 咎めておきながら、優も我慢できずに笑ってしまう。

 楽しそうな二人に気が付いて、友人達が寄ってくる。

「なになに、なにしてんの健ちゃん。あ、それって?」

「バトルフォレストのカードじゃん」

 わらわらと集まる男子小学生たちは、学校に持ち込んではならない愉快な遊びのアイテムに一瞬目を輝かせたものの、それがたいして価値のない雑魚中の雑魚カードだったことに揃ってガッカリした。

「違うんだよ、これ、ほら」

 コソコソと健二のミラクル大発見が友人達に告げられて、今度は全員が一斉にゲラゲラと笑い出す。

 

 放課後が訪れたばかりの教室の後方で、女子達は眉をひそめている。

 また、アホな男どもがなにかくだらないことで笑っているぞと。


「おい、見てるぞ……、ゴブリンが!」

「バカ、聞こえるだろ?」

 どうやら誰かが笑いものにされていることに敏感に気付いた女子の学級委員である住田のぞみが、腕組みをして、吠える。

「ちょっと男子! なに笑ってるの?」

「なんでもないよ!」

 健二が叫ぶ。そのはずみに、ゴブリンのカードがひらりと落ちた。


 ヒットポイントは八。攻撃力は二。全身が薄汚い緑色で、ギョロリとした目でまっすぐ前を睨み、手には棒を持って構えている。知性は低い。


「あ、それなあに? 学校にこういうもの持ってきたらいけないんだよ!」

 床にヒラリと舞い落ちる一枚に反応し、のぞみは駆けた。

 健二の隣に立っていた陽介と奪い合いをした挙句、見事に打ち勝ち、高々と掲げてみせる。

「先生に言うからね!」


 みんなで仲良くしようね、という時代の低学年。

 男女がお互いの性差を意識し出し、離れたり恋しちゃったりする高学年。


 そんな年代の挟間を生きる四年一組のみんなは、男女で対立していた。

 男子はガサツでやるべきことをやらない。女子はこうるさくて、生意気だ。

 そういう意識で何か火種があれば爆発する季節を迎えていた。


「返せよ!」

 なので本日も、一枚のカードをきっかけにして戦争が始まった。返せ、ダメ、健二のだぞ、ルール違反だ、教室は押せ押せ揉め揉めの大騒ぎ。

 散々ああだこうだ揉めて、最後にカードを拾ったのは鈴子だった。

 普段なら、お前、返せよ! と男子が乱暴な一撃を加え、女子が泣く。それで、担任の介入があって終わる。

 だが今日は、いつものパターンにはならなかった。鈴子がどうだ、まいったかと言わんばかりの勝ち誇った笑顔でカードを掲げたその姿に、男子が一気に爆笑したからだ。


 ゲラゲラと笑うばかりで宝物を奪い返しに来なくなった男子たちに、女子軍団はきょとんとして固まっている。

 全員が鈴子を指差し腹を抱えているその理由に、とうとう、ちょっとおませで目ざといタイプの相沢香澄が気がついてしまった。

「うっぷ」

「どうしたの、かすみん」

 笑うわけにはいかない。大事な友達だ。まさか、そこに書かれている雑魚モンスターとりんこ、超似てるよね! なんて口が裂けてもいえない。

 しかしその態度が逆に、何人かに正解を示すことになってしまった。ほとんどの男子と一部の女子が顔を真っ赤にして笑いをこらえている理由は明らかに自分だと気がつき、鈴子は掲げていたカードを降ろすと、それをまじまじと見つめた。

「なにがおかしいの? このカード、なにか書いてある?」

 我慢の限界が来たのだろう、男子の一人がついにこう叫んだ。

「お前だろ、ゴブリン!」

 男子は堂々と笑った。女子のうち、我慢していた者は激しくむせはじめた。気がついていなかった女子は笑ったり、そして、怒ったり。

「ちょっと……、なに言ってるの? りんちゃんがそれに似てるってこと!?」

 さすがは学級委員というべき精神力をのぞみが発揮した。しかしそれは逆効果だったようで、かえって場は盛り上がっていくばかり。

「えっ、私……これ……」

「りんちゃん、気にしちゃダメ!」

 この発言はまずかった。せっかく否定した「ゴブリン似」を一転認めることになってしまったのだから。

 焦ったのぞみはゴブリンのカードを鈴子から取り上げ、その場で破く。

「あ、健二のだぞ! こら!」

 今度は弁償しろだのなんだの、男子軍団がいきりたつ。しかしそれもすぐに収まった。


「ううっ……、うぐうぅ……」


 鈴子の嗚咽が教室に響いたからだ。

 その姿はまさに、カードに描かれたゴブリンだった。そう、全員がちょっと思った。

 女子達が鈴子を囲み、慰めの言葉をかけていく。バカな男子の言う事なんか気にしちゃダメだよ、そうだよそうだよ、と。しかし何人かは顔が引きつり、笑いをこらえているのがまるわかりだ。


 鈴子はとんでもない形相で涙を流しながらしばらく仁王立ちしていたが、自分を取り囲む女子が一人ぶうっと噴き出したことで、とうとう耐え切れなくなってしまったらしい。怒りを丸出しにした荒々しい歩き方で自分の席へと向かい、筆箱をむんずと掴むと「キエーッ」と叫んで自分を嘲笑している男子の軍団に向け、思いっきり投げつけた。


 筆箱が、瞬の胸に当たって、中身がバラバラと弾け飛ぶ。

 

 鉛筆とキャップ、ものさし、そして消しゴムが床に散らばる。

 瞬が「痛えっ!」と叫んで男子は怒り、女子は仲間の悲しみに慌てる。

 が、次の瞬間、厚が叫んだ。

「あっ!」

 ファンシーなクマのイラスト入りのケースがズレて、ピンク色の消しゴム本体に何か文字が書かれているのが見えていた。

「おい、なんか書いてあるぞ!」

 厚は知っていた。それが、「好きな人の名前を消しゴムに書いておくと、恋が成就するおまじない」であることを。厚の姉が去年試していたそれを、鈴子もまたお年頃の女子らしく信じて実践していたのだ。

「やめてーっ!」

 ゴブリンの叫びも虚しく、厚は容赦なくそれを拾い上げて書かれている名前を確認した。そしてすかさず消しゴムを頭上に掲げ、大声でこう叫んだ。

「おい、優、呉羽はお前の事好きらしいぞ!」


 ピンク色のゴムの塊には「優」の文字。油性マジックで書かれた文字は少し滲んで、可愛らしい十歳の乙女の恋心を恥ずかしそうに披露している。


「うげっ」

 慌てる優をよそに、男子の軍団はヒューヒューと盛り上がる。今日は刺激的なネタが次々と沸いてくる特異な一日のようだ。女子の「やめなよ!」「可哀想でしょ!」というシャウトも虚しく、悪ふざけを止める紳士のいない教室は祭りの如くそのボルテージを上げていく。

「キースッ! キースッ!」

 いやらしい笑いと手拍子、最悪としかいいようのない囃し立てに優は歯を食いしばった。焦り、驚き、恥ずかしさ、苛立ち、「何故自分が」という理不尽な悲しみ。


 そして視界の先に立つ、鈴子。


 そのどれにも耐えられなくなって、優は急いで荷物を詰め込むと、ランドセルを掴んで教室を飛び出した。

 昇降口で自分のスニーカーを取り出し、床に放り投げる。

 かかとの部分に指を差し入れてしっかりと履き、扉へ向かおうとした時、足音が響いてきた。

 誰かが追ってきたのか。優が億劫な気持ちで振り返ると、そこには鬼のような顔をした鈴子の姿があった。


 ハアハアと息を切らし、真っ赤な顔でこちらを睨む……ゴブリン。


 その姿にどうしようもなく恐怖を感じて、優は走った。

 ランドセルをブンブンと左右に揺らしながら、ひたすらに駆ける。そして聞こえてきた「ウワオーゥ」という声。

 走りながら振り返ると、後ろからゴブリンが追いかけてきていた。

「うわあああああああああああ!」

 これ履いたら誰でも早く走れるよ、というキャッチコピーのスニーカーで地面を蹴散らしながら走る。しかし、優を追う足音はやまない。真っ赤な顔のゴブリンが追いかけてくる。

 スニーカーの力を持ってしても振り切れない追跡者に、焦る。


 そして優は、自宅よりも少しだけ近い健二の家へ駆け込んだ。ちょうど角地にある一軒家の門の中に入りこんで、モンスターをかわす。

 ゆっくりと塀にそって進み、庭の方へ移動するとちょうど健二の母が優に気がついてくれた。

「どうしたの」

 名前を呼ばれてはマズイと慌ててシィっと指を口の前に立て、優はようやく安息の地へ足を踏み入れていた。



 お水とちょっとしたお菓子をもらって一息ついているところに、石原家の息子も帰宅して、二人は顔を合わせた。

「優くん、なにやってんの、うちで」

 健二は心配そうな顔をしようとしたものの、すぐに友人の疲れた顔を指差してケラケラと笑った。

「追いかけられたから、しょうがなくさ」

「なんで追いかけられたの?」

 健二の母の質問には、とても答えられない。

 しばし、男子小学生たちの無言の牽制は続いた。お前のせいだぞ、いやごめん悪かったでもすっげえ笑った、的なやりとりを表情だけで交わしていく。


 一時間ほどの寄り道を済ませ、優は健二の家を出た。

 お詫びにと健二も一緒についてきて、夕暮れに照らされたオレンジ色の道の上、今日は大変な事になったなあ、なんて話しながら優の家を目指して歩いていく。


 すると家の前に、ゴブリンが二匹待ち構えていた。

 放課後、優を追いかけた乙女のゴブリンと、それよりも一回り大きい、雄のゴブリンが。

「あっ……」

 そう言ったのは誰だったのか。その声で、動き出す。ゴブリンが、追ってくる。


「ホブゴブリンだーっ!」


 健二が叫び、弾かれたように走り出す。優も大慌てで一緒になって逃げる。

 

 どこをどうやって走ったのか、家にたどり着いた時に優はまるで覚えていなかった。

 健二といつ別れたのかもわからない。が、とりあえず無事に逃げ切ることができたようだ。


 ホブゴブリンとは、ゴブリンよりちょっと強い、上位のモンスターである。とはいえ、ゴブリンに毛が生えた程度でやっぱり雑魚なのだが。

 ちなみにヒットポイントは十で、攻撃力は三。


 そしてホブゴブリンの正体は、鈴子の兄だった。


 次の日の朝、登校しようと家を出ると、鈴子が待っていた。

 昨日はごめんなさい。あれは自分の兄です。私が泣いていたから心配してついてきてくれたんです。消しゴムにかいていたのは名前じゃなくて、「優しい女の子になれるように」という願いを込めていたんです。

 ゴブリンは悲しげにそう話すと、林の中へ消えて行った。いや、もちろんその後教室で会ったわけだが。


 この事件は色々とデリケートな部分に触れすぎたと全員が感じていたのか、その後わあわあ囃し立ててくるものはいなかった。

 四年一組に起きた悲しすぎる事件は、二度と口にしてはならない黒歴史として葬り去られたのである。



* 



 そんなことがあったなあ、と優は思い出していた。

 しみじみと思い出していた。


 目が覚めると、とてつもなく気分が悪かった。頭がガンガンと痛んで重い。それを、そういえば酒を飲んだんだった、そのせいだな、と考え、何故そんなに飲んだのか、きっかけを思い出してうなだれた。重い頭を持ち上げ、更に気がつく。ここはどこだろう。そして、隣で寝ている女は誰だろう。


 あやしげな暗い部屋。ベッドの上で、自分は一糸まとわぬ姿だ。隣の女もそう。

 昨日フラれた意中の女性ではない。彼女は、明るい茶色のロングヘア。隣で寝ているのは……黒い、ショートカット。いや、ショートというか、短い、乱れた髪の持ち主だ。

 痛む頭を抱え、そっと女の顔をのぞく。時刻は早朝五時。部屋に、悲鳴が響いた。


 優はゴブリンに追われていた。ずっと、追われていたのだ。小学校で葬り去られた、忌まわしいあの日――「放課後ゴブリン事変」の時から。いや、実はその前から。


 呉羽 鈴子は、鈴本 優に恋をしていた。だから、恋のおまじないをしたし、彼の姿を追い続けていた。小学校、中学校、高校、大学。高校からは同じ学校ではなくなったが、彼のことを追い続けていた。


 そして巡ってきた運命の日。


 恋に破れ、ヤケ酒に溺れる彼。ぐでんぐでんになって正体をなくした優を介抱し、やってきたアタックチャンスを逃さなかった。


 そして、ゴブリンの先制攻撃は見事にクリティカルヒットを決めたのだ――。


 知らない間に痛恨の一撃を決められていた優はしみじみと考えた。

 恥ずかしそうに頬を染めるゴブリンと二人で夜明けのコーヒーを飲みながら。

 まだ追われていたなんて、気がつかなかったと。





 そんなことがあったなあ、と優は思い出していた。

 騒がしい自宅のキッチンで、コーヒーを飲みながら。


 家の中では子供たちが暴れている。みんな母親そっくりのゴブリン顔だ。

 まだ小さい三人の子供たちはキャアキャア騒いで、休日で家にいる父親と遊べることを喜んでいる。

「ちょっと、家が片付かないから外で遊んできて!」

 ゴブリン・マザーなんてモンスターいたかなあ、と優は考えた。

 いるとしたら、多分カードの下の方に「驚くべき繁殖力がある」って書かれているだろうな、なんて思いつつ、近所の公園へ出かける。

「何して遊ぼうか?」

「追いかけっこ!」

 パパが逃げて、子供たちが捕まえるのが鈴本家の追いかけっこのスタンダードだ。


 優は逃げる。今日も逃げる。


 三匹の小さいゴブリンに、追われる。

 

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らぶりん 澤群キョウ @Tengallon422

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