第14話 臆病な私は彼を助けられなかった

「おじゃまします」


 放課後、恭子と孝介は、隼人の家へとやって来た。

 定期テストが近いということに孝介が頭を抱えていたところ、勉強会をしようという話になったのだ。

 三人は隼人の部屋の机に教材を広げる。


「隼人くんはあまり焦っていないようだけれども、自信があるのかしら」

「うむ。隼人氏は常に学年上位をキープする実力の持ち主。日頃から余裕を持って勉強をしているのであろう」

「…ま、そういうことですね」

「へぇ、それは知らなかったわ。流石ね」


 そう言う恭子が常に学年一位の成績を取っているというのは、周知の事実である。

 そんな二人に囲まれて、孝介は若干の焦りを覚える。

 誰一人として会話をすることなく集中していると、『お兄ちゃんたっだいま〜!』と美咲が勢い良く扉を開けた。


「…美咲、急に入って来たらびっくりするじゃないか」

「ありゃ、なんか靴が多いと思ったらそういうことだったんだ。めんごめんご。あっ、御沢くん退院したんだってね、おひさ〜」


 美咲はひらひらと手を振る。


「美咲氏、久しぶりだな。元気そうで何よりだ」

「……っと、お兄ちゃんの隣の人は…前言ってた部活の先輩かな?やっぱりすごい綺麗な人だねー」


 見覚えのあるヘアピンが目に入り、先日の話を思い出す。


「ええ、正確にはもう部活の先輩ではないのだけれども…私は葵恭子よ。初めまして」

「は、初めましてっ。お兄ちゃんの妹の美咲です!葵…先輩はどこの中学校だったんですか?」

「ん、鹿ノ宮中学校よ?」

「……鹿ノ宮かぁ。ちょっと遠いんですねー」


 一瞬、美咲が表情を曇らせたかのように見えた。しかし、彼女は言葉を続ける。


「ほらっ、男二人は買い物に行ってきて!せっかく来てくれたお客さんなんだから、お菓子くらい出しなさいっ!」

「むっ、俺も客人なのだが…」


 孝介が不満を漏らすが、美咲はその背中を無理やり押して男二人を部屋の外へと追い出した。


「買ってきて欲しい物は、後でメールするからちゃんと見てよね〜」

「はいはい…」


 結局二人は大人しくスーパーに向かった。

 そして美咲と恭子は、ひとつ屋根の下で二人きりになる。

 美咲は隼人の部屋に戻り、先程まで彼が座ってた位置に腰を下ろした。


「……葵先輩ってすごい美人ですよね。髪も綺麗で羨ましいです。長いとケアが大変なのに」

「そうね。中学の頃はショートヘアだったのだけれども、それから伸ばして…毎日お手入れするのが大変ね」

「そのヘアピンも中学生の頃から使ってるんですか?」

「これは小学生の頃に母から貰ったの。それからはほとんど毎日使ってるわ。…なんだか私の話ばかり聞かせてごめんなさいね」

「いえ、とても為になります。もうひとつだけ質問しても良いですか?」

「ええ、いくらでも構わないわよ」

「…………葵先輩って、『オーク強姦未遂事件』の被害者ですか?」


 空気が凍りつく。

 突然の発言に驚き、恭子は背筋をぴくり、と伸ばして俯いた。そして美咲は、無言の彼女に追い打ちをかける。


「……お兄ちゃんにこれ以上近付かないでください」

「…っ、確かに…確かにあの事件の被害者は私よ。けど、どうして気付いたのかしら…っ」

「当時私は、多くの人から情報を集めました。その時に被害者の女の子は鹿ノ宮中学の生徒かもしれないという噂を聞いたんです。それに流出した写真の画質は少し荒いですが、その子がショートヘアで、先輩みたいにヘアピンをしていることくらいなら分かります。正直確信はありませんでしたが、当たったようで幸いです。というわけで、これ以上お兄ちゃんとは関わらないでください」


 冷たい声でそう言い放ち、机の下で美咲は強く拳を握り締める。

 その瞳は異常に水分を含んでおり、今にも涙が溢れ落ちそうになっている。


「…あなたの言いたいことは分かるわ。けれども…どうしても私は、隼人くんと一緒に居たいの」


 恭子のその言葉を聞き、美咲は両手の平で強く机を叩いた。


「……っ!あなたは!あなたはお兄ちゃんを苦しめた!どれだけお兄ちゃんが辛い目に遭ったか知ってますか⁉︎それを見た私がどれだけ悲しかったか分かりますか⁉︎いつも優しくて明るかったお兄ちゃんを、あなたが壊したんです!今更返してなんて言いません!でも!どうしてあの時…お兄ちゃんは犯人じゃないって…言って…くれなかったんですか…っ‼︎」


 抱えてきた想いとともに、溢れ出した涙が机の上の教材に跡を残す。

 何度も嗚咽しながら、美咲は恭子を見つめる。

 八つ当たりなのかもしれない。これが正しい言葉なのかも分からない。今更誰かを責めたところで過去が変わるわけでもない。それでも、美咲は吐き出さずにはいられなかった。

 恭子は罪悪感に襲われ、表情を曇らせる。


「……ただ、怖かったの。当時クラスメイトの女の子の恨みを買って、私はあんな目に遭ったわ。それを彼に助けられた。でも、臆病な私は彼を助けられなかった。謝って済むことではないことは理解しているけれども…それでも言わせて。……本当に、ごめんなさい…っ!」


 恭子はそう言って頭を下げた。

 しかし、それで美咲の心が晴れるわけではない。やるせない気持ちを抱き、その気持ち悪さに、自分の醜さに嫌気がさす。


「本当は分かってるんです…。葵先輩だけが悪いわけじゃないって…。でも…それなら私はどうしたら…っ!」


 恭子は、涙を流し続ける美咲の隣に腰を下ろして彼女をそっと抱き締めた。

 恭子の柔らかい温もりとともに、小さな震えが美咲に伝わる。


「……初めて彼が部室にやって来た時、とても気怠そうな、力のない目をしていたわ。けれどもそれは孤独で苦しんでいるような表情ではなかった。…だから、今まで隼人くんを支えてくれてありがとう」


 優しい声で伝える。すると、美咲はとうとう声を上げて泣き出してしまった。

 そんな彼女が落ち着くまで、恭子は小さな頭を撫で続けた。



「私…葵先輩に八つ当たりなんてして…ごめんなさい」


 満足するまで泣き終えた美咲は、赤くなった瞳を恭子に向ける。


「あれは八つ当たりなんかではないわよ。だから、気にしないで。それと、ね…私隼人くんのことが好きなの。だから、その…これからも一緒に居ても良いかしら…」


 もじもじと問い掛ける恭子に、美咲は笑みを返す。


「その言葉は、お兄ちゃんに言ってあげてください。…ヘタレなんで逃げちゃうと思いますけどね」

「……ふふっ、そうね」


 そんなやり取りをしていると、ちょうど帰って来た隼人たちが部屋の扉を開けた。


「メールが無かったから、俺たちで勝手に選んで買ったぞー。…って、二人で何話してたんだ?」

「お兄ちゃんたちには秘密だよ〜。ねっ、葵先輩」

「そうね。内緒よ」


 恭子と美咲はそう言って、二人顔を合わせて微笑みを交わした。

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ひねくれオークは、夏が好き。 TMK. @TMK_yoeee

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