第5話 イシュの都

角笛の低い音鳴り響く。


壮年の男が腰に携帯していたその角笛を吹いている。


「おしいくぞ」


腰を下ろしていた赤毛の男、義手の男は立ち上がった。


そのふたりの元へ、琥珀の少女は、吹き始めた強風に琥珀の短髪を揺らしながら歩いて近づく。


流浪の民たちは、足を踏み出せばすぐに飛び降りられる塀端まで体を寄せた。


彼らの眼下には、木材と石材でできた街並みと、その遠く街の中央に背の高い石造りの街並みが広がっている。異界の目を通せば、それは高層ビル街に見えただろう。


「進め!」


壮年の男は空高く皮の玉放り投げ、それは黒く濃い煙を吐き出して爆発。


塀上から全て流浪の民は跳び下りる。


その時だった。


塀の上、丸い術陣が数珠つなぎのように一線に生成された。それは流浪の民だけでなく、街の大きな塀も飲み込む大きさ。


見上げる義手の男は眉根に皺を刻む。


「無理(だな)」


術陣の発生、完成まで一秒足らず。


その義手が鏡のようにきらめくその前。


眩く黄色に輝く光の柱が、丸い数珠つなぎの術陣からまっすぐ降り注いだ。光は全ての流浪の民たちを飲み込み、地へ叩きつけ、塀を消滅させる。


眩い光は細まって消失し、まりょくの熱が一帯に漂った。


「止まるな。行け、行け、行け!」


這いつくばった流浪の民たちは、まるでただ転んだだけのようにすぐさま立ち上がる。


「ああくそなんだこりゃ!」


赤毛の男は立ち上がりながら自らの手の甲を見る。


そこには二本から一本へと減った棒線。


見回すと、これで死んだ者はいないことがわかった。


「ほら立てばか………っていうか………おい」


「ナーシェまた死んだ……?」


「んなのわかってんだろさっさと立て」


先を行く赤毛の男の背中を琥珀の少女は伏せてじっと見る。


「何見てんだ」


背中を見せないようにする動きで赤毛の男は振り向く。


「頭の中(で)滅多刺してたのさ」


赤毛の男は肺を大きく膨らまし、鼻から熱のこもった息を吐く。


その様子を見た義手の男、冗談っぽく忍び寄るように赤毛の男の肩を後ろから叩いた。


「ロス。(このまま)後手に回れん」


「うお!ちっ。びっくりしたぁ。殴るとこだったじゃねえか」


赤毛の男は握りしめた拳を開く。


琥珀の少女はその様子を、目を鋭くして見て、顔を伏せ、立ち上がって塵を手で払い義手の男の傍へ歩いた。


「ああーすまん。話を戻すがしばらく外れる」


琥珀の少女は顔色を悪くした。


「ノアームなしでどうすればいいの」


「問題ない。片づけするだけだ」


少女は片眉をみみずのように歪めた。


「分かるように説明する時間は作ってやれないが、裏方は任せてくれ」


義手の男は赤毛の男へ目線を送る。蜜色の目と赤毛がかぶさった薄緑の目が交わる。赤毛の男は後頭部をがりがりと掻いた。


義手の男は手を叩く。


「俺たちが組みになったのは何かの縁だ。互いに助け合ってイシュの返納祭を切り抜けよう」


「なにを今更……」


義手の男は付近の建物の屋根まで風のような速さで移動すると、離れ離れの屋根屋根をひと繋ぎの地面であるかのように走り出した。


「行っちゃった………」


「お前と組みになったのが人生運の尽きだわ」


琥珀の少女は神妙な顔で片眉をつりあげた。


「おいお前たち」


この場には壮年の男、赤毛の男、琥珀の少女だけが残っていた。


壮年の男はふたりへ射抜くような視線を横目で投げた。


「早く行け。(届けた帳簿の巻紙を)失くした(て担当区域がわからない)わけではあるまいな」


「すまねえすぐ行く」

「すみません!」


ふたりは駆け出す。


街の通路、人並みの体格をした動物が引く荷車二台と人の行列がたやすくすれ違うことのできるその石畳の通路に、硬い足音が響く。


閉じられた街々の扉はすでに開けられ始めていた。


いくつかのところでは鎚を手にした流浪の民が、街々の扉を開け放ち、いくつかがその扉から出てくる。


流浪の民が鎚を手に建物へ入ると、人の悲鳴がつんざき、彼らが出てくるころには静かになった。


「ここじゃ強い抵抗もないか」


「…………」


琥珀の少女は口を閉ざしている。


「ねえ、言葉にしたら悪いことが口寄せされるって聞いたことない?」


赤毛の男は顔をしかめる。


「どういう意味」


「どこの国でも似たようなことわざあるよね。口は禍の元って」


赤毛の男の表情は硬い。


琥珀の少女は鼻で嗤う。


「だったら黙ってろ」


赤毛の男は唾を地面へ吐き捨てる。


「最初の余裕どこいったのかな~、あ何かいる」


琥珀の少女は小さく呟く。


前方の四角い広場に人影。その人影は声を張り上げる。


「盗み働く賊者を討伐せよ!!」


その訛りは、騎士階級の者が好んで使う言葉。


正方形の兜を身に付けた甲冑がその広場の中央で、片手剣に近い長さの刃を持つ旗槍を振り回している。


その甲冑の丈は人の平均より頭三つ大きい。


「なんでこんな………しかもひとり??」


従者のいないその騎士に、琥珀の少女は頭に疑問符をふたつ浮かべる。


「俺たちが最初だな。死体がない」


「いやあんなのに時間と体力かけて絡む奴って馬鹿だと思うんだけど」


赤毛の男は腰の道具まどうぐを鎚に変え、速度、石畳に足を突き刺す勢いでその甲冑へ弾丸のように迫る。


「程度が甘い!」


甲冑は迫るそれに合わせ槍を横なぎに払い、赤毛の男を牽制。


赤毛の男は振るわれた槍の一寸先で止まり、脚を蟹のように広げて腰を落とす。


「ふん!」


甲冑は赤毛の男が止まると直ちに槍の石突で地面真下を砕く。ぐらぐらと大きく崩れる石畳の道、それに体勢を崩された赤毛の男は甲冑へ突進できず踏みとどまる。


流れる繋がった動きで甲冑は一歩踏み込み、叩くように槍を赤毛の頭へ斜めに降り下ろした。


赤毛の男は鎚を棒のように斜めに構えそれを横へ受け流そうと試みる。振るわれた槍は、振られた勢いに反し構えられた鎚の柄に弱くぶつかった。


広げられた槍の旗は赤毛の頭に被さり視界を妨げる。


甲冑人間の、体勢を崩す巧みな槍捌きと旗の重みに赤毛の男は、尻餅をつくようによろめいた。


甲冑は槍を手放し、拳を握りしめて一歩前へ踏み込む。なおも赤毛の頭に重く張り付く槍旗。


すると赤毛の男はそのまま後ろへ倒れ込み、甲冑の腹へ足裏を突き出した。


苦し気に息を大きく吐き出す音。甲冑は、くの字に体を折り吹き飛ぶ。


「何て言ってたんだ?」


首を傾げる赤毛の男は、イシュの言葉を知らない。


「瞬殺じゃん……」


蹴り飛ばされた甲冑は広場の端にある建物へ、子供に投げられた人形のような勢いで衝突する。蹴られた鎧の部分は紙のように皺よれ、甲冑の男はその壁にもたれてうなだれた。


「弱いふりされてかわいそう。“強き者の心得”って(礼儀)知らない?」


赤毛の男は目を鋭くして周囲を見回す。


「ひとりに使われるくらいのまりょくは総税収に比べれりゃ誤差だが、積もれば山になって(税収は)減る。今礼儀より大事なことは契約通りに返納祭を終わらせることだ。それ以外知ったこっちゃない」


「何か気に入らんけど、契約きっちりこなそうとするとこ好感持てる」


赤毛の男は後頭を強く掻いた。


「お前がやれ」


赤毛の男は周囲を見回し続ける。


「りょかい」


周囲を見回す目はすぐに琥珀の少女へ定まった。


淡々と、少女はうなだれる甲冑の肩を鎚で叩いた。慣れたようにも見える動き、しかし赤毛の男はそれに違和感を覚えた。まるで鎚の扱いを知り始めた新人のよう。粘土の化け物を鎚で殴ったときもそうだった。扱いを知っていればそういうことはしない。


世に知られた鎚は頭が重い。しかし徴収の鎚は殺傷力を低めるために頭を軽く、取り回しをよくするために頭ではなく柄の下に重心が寄っている。少女の動きはそれに慣れていなように見えた。


男の薄緑の目が、鎚から発された弱い光にきらめく。少女の持つ鎚は青の光を薄め、水色になった。


「よぉし。てかほんとに一人だったね。ほかもこれくらい楽になるかな」


「どうだろうな」


男は腕を組む。


「ナーシェ、お前いくつだ」


「え?18だけど……」


赤毛の男は目を細めた。流浪の民の間では、年齢を尋ねることは無礼にあたる。


少女の表情はきょとんとしている。


「なぁに……?」


「いくぞ」


離れた距離を保ってふたつの人影は広場から去った。

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