第4話 返納祭始まり : 3
琥珀の少女は義手の男へ口を開く。
「上に投げてよ」
「わかった」
「えなんか違う」
義手の男は琥珀の少女の右足首を左手で掴んだ。
「えうそ!」
琥珀の少女は雑巾のように塀の上へと横に回りながら放り投げられた。
「ああああああああああ!」
「楽しようとするからだ」
赤毛の男は鼻で嗤う。
「ロス先行くからな」
義手の男は弾けるように跳び上がり、塀を超える。
「追っかける」
赤毛の男は、先人たちが平らだった塀に残した足跡、そのくぼみに足をかけて跳び登る。
「いやあああああああ!」
琥珀の少女は横回転しながら顔を白くする。塀に立つ弓者ら十数名のその定めは、塀の下から回りながら現れた少女。
矢は光の尾を引いて放たれた。琥珀の少女は強く目をつむる。
その少女の前に義手の男。塀の下から現れた義手の男は全ての矢を義手で受け、弾き、砕いた。
義手の男の腰に取り付けられた、四角い
腰に下げたその四角い金属の道具が片手で構えられた。
その道具、起源を辿れば国から貸し与えられたものであり、そして先祖代々受け継がれてきたもの。四角いそれは、取手が握られ、使用者の腰から離れたとき、鎚の形と成す。
鎚を持つその姿、それは刺々しい目を向けられた。
「ぶきを捨てればけがはない」
発音の拙いその言葉は、太陽教会の血のにじむ努力によって定められた、世界の公用語。
義手の男はその鎚で弓者らを撫でるように頭部以外を狙って叩く。その素早さ、斜面を流れる濁流のよう。義手の男が通り過ぎた後、塀に立つ者らはその濁流になぎ倒された木のように体を折る。
叩かれた者の魔力はその鎚に奪われ、その者には“己を守れる最低限の”
「皆さんお覚悟してくださいよお!」
琥珀の少女は回転する自らの体を整え、着地する。
腰の道具を手に取り、鎚と成した。塀に立つ弓者らへ琥珀の少女は殴り掛かる。
ある弓者のうちのひとりが動き出すその前に、琥珀の少女はその者の二の腕を叩き、崩れる体を片手で掴んで無理やり体勢を保たせる。それは盾として。
弓者のひとりが琥珀の少女へ矢を番え照準を合わせた。
それを枯葉色の目で捉えた琥珀の少女、矢を放たれないよう、他の弓者を障害物とするような身のこなしで鎚を振るい、
「はいへたくそ人生やり直せ!」
弓を構えた者の横腹を琥珀の少女は叩き殴る。それを見た近くの者は手にしている弓と矢筒を琥珀の少女へ向けて投げ捨てた。琥珀の少女はそれを鎚で払いのけ、弾かれたそれらは地面を滑る。
少女は一呼吸の間に3人を叩いて地に伏せさせた。
男の声が響く。
「遅えよこんなんじゃ日が暮れて間に合わん」
赤毛の男が塀の下から駆け上がって現れた。
赤毛の男は琥珀の少女を駆けて追い抜き、弓者ひとりの腹を右足の裏で前へと突き飛ばし、直線状に連なる弓者らを横倒れにする。赤毛の男は腰の道具を鎚に変え、彼らが立ち上がる前に、流れる動きを活かし、鎚の頭は下にそえるだけ、その体を叩いていく。
「いちいち相手して立ち止まってんじゃねえよ」
赤毛の男は、塀を登る前、止まる止まらないという“もめごと”を皮肉った。
「………うるさい」
琥珀の少女は上下の犬歯をこすりながら赤毛の男を睨む。
塀の上の弓者の統率が乱れ、秩序を欠いた動きを始めた時。それは決定的となった
「来たれよ。我らが同胞」
古びた流浪の民の言葉。
多くの流浪の民が塀を上り超え、その鎚を手に現れて塀上を飲み込む。
その流れは弓者らを根こそぎ薙ぎ倒した。
その中に、開祭を宣言した壮年の男。
その男は鎚を掲げて叫ぶ
「ご照覧あれ!ご先祖様が見ておられる。力を示し、証を立てい!」
氾濫する流れに飲み込まれていくように次々と弓者は倒れ伏す。濁流の中で残っているのはただひとり、人丈超える杖を持っただけ女だった。
赤毛の男は最後の弓者を叩き伏せながらそこを見る。
その女は杖の先から半透明の薄緑に輝く魔力の曲刃を生成。回り踊って流浪の民たちと武器を交え、大小さまざまの丸い術陣を頭上、足元に展開し、そこから光の槍
杖持ちの女は目を吊り上げた。
「盗人め」
高貴さをうかがわせる、作られた訛りのその言葉。
杖持ちの女は薄緑の刃を大きく増幅させ、一帯を水平に薙ぎ払う。
流浪の民たち、いくつかは身をかがめ、いくつかは飛び退き、いくつかは大きく上へ跳んでそれを躱した。
“上に逃げる間抜けども“
侮辱的な笑みを浮かべる女の口はそう呟くようだった。
杖持ちの女は上へ飛び退いた無防備な流浪の民へ向け、丸い術陣を生成。そこから伸びた、頭蓋並みの太さを持つ
それを見た杖持ちの女は目を大きく見開いた。
空中にいる流浪の民たちは猫のような身のこなしで体を捻り、その大槍を避けた。
“くれてやる魔力なぞない”
その言葉を知らしめるように女の口が歪んだ。
杖持ちの女は、その杖の両端に、塀上の壁端にまで届く長さの大きな刃を生成。地に対し水平に頭上でそれを構え、回しながら上から足元まで薙ぎ払う。元の長さを変えた、間合いを攪乱するその奇襲の刃は多くの流浪の民たちを切り裂いたはずだった。
それを完璧に躱した流浪の民たちは何もなかったように動いている。
表情に険が増した杖持ちの女。
その女は塀上全体に対してその半分、頭上と足元に丸い術陣を生成する。
「死ねくそがああああ」
変わって、女の生まれ育った地をうかがわせる訛った方言。
その術陣は地から槍を飛び出させ、空から槍の雨を降り注いだ。突き立つ槍は割れてきらきらと散る。そして流浪の民たちは反発する磁石のように降り注ぐ槍を避けた。
結果血は一滴も落ちず。
全て流浪の民は槍の雨を濡れずに過ごした。
「くっ………」
杖持ちの女は顔を青くし、よろける。
それは隙だった。
その女に最も近かった流浪の民は鎚でその腹を殴る。
鎚の青い光は強さを増して青緑へと変じ、杖持ちの女は叩かれた勢いに背中から倒れた。頭の打ち方を見て、大けがもあり得ると考えながら赤毛の男は目を離す。
塀上は全て制圧された。
壮年の男は腰に留めた鞄から皮の球を取り出し、
「今から時を数える。風吹くまで塀から降りてはならない。守られねば(“睥睨する法”から)落雷があるぞ[絶対になにがあっても守れ]」
多くの流浪の民たちは塀上で腰を下ろしながら、右手の甲に刻まれた棒の数を数える。赤毛の男、琥珀の少女も同じく。
「おれたちゃ盗人か………」
赤毛の男は口をほとんど動かさず呟いた。
「何か言った?」
立っている琥珀の少女は風を浴びるため、汗で濡れた琥珀色の短髪を耳にかける。
しかしぴたりと風がやんだ。
少女の言葉を無視して、赤毛の男は背を向ける。琥珀色の髪が苛立たし気に人差し指で巻き取られた。
「でかい杖のぶさいく女に強盗呼ばわりされたのが気に入らなかった?馬鹿じゃん。ナーシェたちは法の下で許されてる」
「聞こえてんじゃねえかめんどくせえ」
赤毛の男は立ち上がり、街の方面へ向かって塀上を歩く。
「それどういう意味」
琥珀の少女は横目で睨み、赤毛の男は人影を探して目を動かす。
「あいつどこいった。無双してんのは見たけどよ」
赤毛の男は左右を見て、体の向きを前へ後ろへときょろきょろ回る。
「ロス」
義手の男は大農地の方面、街とは反対方向、その塀の下から跳び上がって現れた。
「どこ行ってた」
「え!誰それ」
義手の男へ琥珀の少女は近づく。
義手の男はひとりの男と、その男と同じ大きさをした長い木箱を肩に抱えていた。
「ナーシェに見てもらおうと連れてきた」
「……!ナーシェのことわかってる!」
肩に抱えられた男が投げ出された。琥珀の少女は小さな顎に手を当て、腰を曲げてその男を見る。
その時少女の服の中から砂時計の首飾りが落ちた。琥珀の少女は自然な所作でその首飾りを服の中へ戻す。
薄緑の目がそれを捉えていた。そしてもうひとつ首飾りがあることに、赤毛の男は気づいた。
「うーん?……あ!この腕のやつ知ってる」
琥珀の少女はその男の腕飾り、形が不揃いであり磨かれた石を紐で繋げたそれを指す。
「ちなどっから?」
琥珀の少女の言葉に、義手の男は尻を手で掻きながら頷く。
「ああ、違和感あるとこ行ったらこいつが。向こうのほう」
義手の男はえぐれた大農地のうねる地平線向こう、薄くかすれた遠くを指す。赤毛の男はその方向へ目を細め、首を緩やかに振った。
「お前ほんとすげえな」
琥珀の少女はうなり声をあげ、顎を人差し指の腹で叩く。
「やっぱあれかな~」
琥珀の少女は小さく呟いた。
「この箱は?」
義手の男は肩から箱を降ろし、留め具を外してその蓋を開ける。
「なにこれ?」
金属製の筒が木製の箱に入っている。琥珀の少女はそれを持ち上げようと筒に付いた取手ふたつへ、それぞれ手を掛けた。
「重いいいいぃ」
「いいいいい!」
琥珀の少女はふらふらと箱から取り出し、その金属の筒を地面へ両手で立てた。
「はあ、はあ、これも知ってるかも」
「はん」
赤毛の男は鼻で嗤う。
「何よ」
「どんなあてずっぽうかと思ってな」
「あっそ」
義手の男はそれを見聞きし片眉を緩やかに引き上げた。
「ねえこれちょっと使ってみてよ」
義手の男は両手の平を上へ開いて軽く肩をすくめる。
「(力を)注いで。して、(この取手にある)くぼみ押してみて」
義手の男は取手を掴み、軽々と片手で持ち上げ肩に担ぐ。筒は黄色の光を帯び始めた。
「いけそうだね[充填済みだね]。上にどかーんしてみて。あ、こっち(のくぼみ)押すはず」
少女は声で、もうひとつの取手にあるくぼみを指す。
「こうか」
くぼみで義指がかちりと沈む。
どかん。
爆音とともに筒から黄色い魔力の丸い塊が放たれた。
空気を切り裂く音が響く。その塊は空へ吸い込まれるように小さくなっていった。
音のもとにいる3人へ、周囲の注意が一度に集まる。特に少女へ、力劣る者に対する邪険の目がつぎつぎと刺さった。この場で最も
「あ………だい…じょぶかな」
「そんなよくわからんもんで何がしたい。なんか知ってるような面しやがって」
赤毛の男は琥珀の少女の鎖骨近く、その肩を攻撃的に指で突く。
「だから何?」
琥珀の少女は赤毛の男の胸を片手で突き返した。
「ナーシェ、何か他にも知ってるのか」
義手の男は琥珀の少女へ歩み寄る。
「別にえっと……そんなあんまり……」
「ナーシェ」
義手の男は蜜色の目で、少女の、枯葉色の目を見透かすように見つめた。
「えっと……どれも聞きかじっただけで確信なくて……その裏付けもちょっと弱いというか。でも自分の中では絶対そうだっていうか、うまく言葉にできないけど、知ってる。うーんなんか違うなあ。自分でもよくわかんなくなってきちゃったよ」
琥珀の少女は額を手の掌でこすり、口端を大きく下へ歪める。
「わかってんじゃねえか。黙ってろくそ。にやにや適当しゃべりやがって」
「お前返納祭終わったら………はあ、相手にするのがあほらし。所詮赤毛ね」
がちん。
殴られそうになり、身を縮こませる琥珀の少女は顔を青ざめさせる。
琥珀の少女の目の前、義手の男は、赤毛の男の殴打をその手の平で受け止めていた。義手の男は赤毛の男から、少女の二の腕を押して遠ざける。
「やめろ。昔のように返納祭中の私語は禁止されていないが、限度がある」
私語厳禁。かつて、
赤毛の男は血走った目を閉じ、大きく息を吐いた。赤毛を散らすように頭を掻きながら歩いて塀上の端に立ち、街を眺めはじめる。
「ナーシェ」
義手の男は蜜色の目で、じっと少女の枯葉色の目を捉える。その少女の目は、イシュの人々と同じような色に思えた。
「ごめん」
少女はうつむいて声を出さず、口だけを動かした。
「話の続きは?なんなら知ってる?お前の知ってることを長と共有したい」
琥珀の少女は左の二の腕を右手で掴む。
「えっと、たぶん、さっきも言ったけど、よその国の人たちがイシュに入り込んでる。そのよその人たちここからなかなか出ないから宿屋も巡礼者用の宿舎もいっぱいで。立ち退きも突っぱねてるみたいなんだよ。お金積んだり(拳でおしゃべり)話し合ったり」
「誰から聞いた」
「………又聞きの又聞きだから」
「そうか。だがまずお前の話伝えに行ってくる」
「待って。えっと、それでね。確かめたいことあって………」
「あれ[法の術陣]のことだな?」
琥珀の少女は小さく頷く。
義手の男は腕を組む。
「だがな………」
「わかってるよ。でもなるべく早く確かめとかないと……嫌な予感する」
「それは俺も感じてる」
義手の男は街へ目を向けた。
「行きたいとこ[気になる場所]があちこちある」
琥珀の少女は顔を曇らせた。
義手の男は表情を和らげる。
「俺たちは流浪の民。流浪の民たらんとするだけだ。そうすれば何事も些末なこと。ただ己の力を証明すればいい」
義手の男は組んだ腕を降ろした。
「おい、お前たち」
壮年の男の声。近づいてきている。
義手の男は敬意を込めた頷きを一度男へして、少女に言葉を続ける。
「勝手にやるなよ。長に判断を委ねる。それとロスとはもう少し……俺たちは兄弟みたいなものだ。もっと歩み寄ってくれ」
「うん………」
義手の男は壮年の男のもとへ歩き出す。
「ノアーム!」
義手の男は琥珀の少女の声に振り返る。
「………ありがとう」
義手の男は柔らかな笑みで頷き、背中を向ける。
琥珀の少女は肩を落としてそれを見送った。
女を見る男の目は、今よりも2、3秒視線を合わせる時間が長い。
肩にかかるか、かからないか程度の長さの髪が好きだと、酒の場のうわさで聞いていた。
「はあ……だめか。(あたしって)けっこうかわいいのになぁ」
あたりを見回す。所狭しと皆腰を下ろしており、誰も少女のために隙間を作る気配はない。
琥珀の少女は離れの赤毛の男を見て、義手の男を見て、次に大農地方面、塀上の端へ向かって歩く。
全ての流浪の民は街の方向を見ていた。
琥珀の少女はそれに背を向けている。
声なく、口だけが動いた。
「−−−−−−」
高所の強い風が吹き、少女の隣、透明な空気が僅かに揺らめく。
小さく口を開く琥珀の少女は塀の手すりへもたれかかり、顔の表情を消した。
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