第3話 返納祭始まり:2

赤毛の男に掴まれた矢は力任せに折られる。


「あの杖持ち誰だあんなんありか違法だろ舐めてんのか!」


赤毛の男は唾を飛ばして、屈辱に怒鳴った。


塀へ向かって走る流浪の民たち。彼らのいくつかは矢を砕き、大鳥の風の刃にあおられた流浪の民は矢によって手の甲の生命線を失い、次の矢で貫かれる。


「よそであったあれじゃない?共和主義が偽もんの(法典の)写し渡したっていう。改訂書出たんでしょ?」


「それはない」


「なんで?」


「誰もそんなところは見てない」


「本当ってんならこんなのが(“睥睨へいげいする法”に)見過ごされる理由あるんか……?」


3人は見上げた。


返納祭の宣言とともに、地平線まで広がった覆いつくす術陣は、時計の歯車のように、規則正しくその複雑な幾何学仕掛けを動かしている。


「壊れてんのか?あ?」


塀の上から、二の矢が放たれた。その光の尾は重い糸が波打つような模様を描く。


「そいえばというか、なんか前キモイ術師が法の塔入ったっていうのを見たっていう話をどっかで聞いたような気がする?」


琥珀の少女は言葉に疑問符を付けた。


流浪の民の言葉に由来しない、“キモイ”という、攻撃的なよそ言葉に眉間を皺寄せる赤毛の男。この周辺の国や地域の言葉や訛りアクセントが似ている。


「きもい……?てか話の続きは?」


口を動かしながら義手の男は迫る矢を腕で弾き、赤毛の男は我が身と琥珀の少女に飛んでくる矢を手で弾き、少女を睨む。


「えーだって聞いただけだしぜんぜん覚えてないんだもん」


義手の男も口を開く。


「気になるな。ほんとうに知らないのか?」


「だからもう覚えてないんだよね~あったかどうかも知らんし」


三の矢、長い光の尾を引く矢が放たれる。赤毛の男は琥珀の少女の表情を見て眉根の皺をより深めた。


「何が言いたい。おれらの知らないことをわたしは知ってると無駄情報ひけらかして悦に浸ってるんか」


“悦に浸る”という流浪の民の間では賢く聞こえる言い回し。しかしそれは誤用だ。


琥珀の少女は額に汗かくような笑みを作った。


「ナーシェさ、暇っていう話聞いてこっち来てるっていうか。実はイシュの返納祭全然知らないんだよね。何か法が破られたの?」


赤毛の男の目と拳には力がこもり、義手の男は琥珀の少女へ応える。


「そうだ。イシュの返納祭では“術陣によって操作された矢を流浪の民へ向けてはならない”と法で定められている」


琥珀の少女はとぼけた口で上を示す。


「じゃああれただの飾りじゃん」


地平線にまで広がる術陣は動きつづけている。


「確かめてみるか?お前にゃできねえよ」


赤毛の男は琥珀の少女へ、槍で突くように二度指差しをした。少女は余裕を感じさせる表情で顎を上げ、腕を組んだ。


「もう止まっちゃったのはしょうがない。ちょっと隠れながらじっとできる場所ないかな。三人だけになれる場所」


義手の男は頷く。


「穴を掘る」


「ええ……他ないの?生き埋めやなんだけど」


大鳥のさえずりが響き、矢の風切り音が膨れ、しりすぼむ。


「言ってる場合か」


「じゃあ―――」


義手の男は地面斜め方向へ手をかざす。鏡のようにきらめき始めた義手から、直線的なまりょくが放たれる。


人ひとり入り込める穴ができた。


「うーんだと思った」


その開いた穴は崩れた土により直ちに埋もれた。


「あなたたち手足の頭、ナーシェが知恵を授けよう」


琥珀の少女は言葉を飾り、胸を張るように声高らかにした。赤毛の男は、少女のあまりの命知らずさにかえって冷静にさせられた。


「鳥さんお耳を澄ませてくださーぁあい!」


琥珀の少女は肩に掛けた革の鞄から、耳栓、手の掌から指先までの大きさである木笛、それらを取り出す。栓を耳へ、笛を隠すように手の中へ収め息を吹きかける。


硝子がらす擦れるような甲高い音がその笛から出た。


3体の大鳥は頭を激しく横に振り、叫ぶ。大農地を縦横無尽に動いていた大鳥3体は地へ落ちた。滞空していた1体はまっすぐに落ち、滑空していた2体は、遠目で追っても頭が右から左に動くほどの勢いで衝突した。


つんざく笛の音。


義手の男、赤毛の男だけでなく、それを聞いた流浪の民たちは顔を歪めて耳を塞ぐ。


琥珀の少女は笛から口を離した。


「おいおいおいおいおい」


耳から脳を掻きだすような音が収まる。赤毛の男は目を大きく見開き、琥珀の少女の笛を取り上げた。


「頭切り落とすぞ!」


「あ何すんの返して!」


するりと笛を取り返す少女、取り出したものをすべて鞄に戻す。


「下手ありゃ裁判どころか即刻処刑あるかわかんねえんだぞ!」


「まあまあ。ナーシェには法律に強くて頼れるお友達いるからそこも任せてよ」


琥珀の少女は義手の男へにぎり拳を突き示す。


「ノアームの出番だよ。あいつら元気になる前にぶん殴って黙らせてください!」


義手の男は琥珀の少女へ迫る矢を叩き折る。


「だが………」


琥珀の少女は、義手の男へ、曲げた腕でも肩に触れられるまで距離を詰めてぷっくらとした赤い口を小さく動かす。


「頭の命令を信じてください。たぶんうやむやになりますよ」


義手の男は鼻筋に皺を作る。


「………わかった」


その様子に、赤毛の男は眉間を皺寄せ、義手の男は、もがく大鳥へまばたきひとつの間に接近する。


義手の男は、横たわってなお自らよりも何倍もある丈の大鳥の頭をその義手で小突いた。


1体、1体、また1体。


大鳥の動きが止まった。


「げんこつだけとかまじすご」


誰かの大声が響く。


「前方注意!」


流浪の民たちを狙いすました矢。


それらはすべての流浪の民に掴まれ、弾かれ、砕かれる。


3人は横たわる大鳥を盾に、その影へ潜んだ。


「御先祖様すごいね!ずるい矢がまるで脅威であるかのように禁止するなんて。この程度らくしょーらくしょー」


「お前見えてないだろ」


赤毛の男はゆるりと首を振りながら、折った矢を叩き捨てる。


少女はぐるりと最も近くにいる同僚るろうのたみの様子をうかがった。


大声でなければ声は届かない。


「あーそれで何というかー大事な話したいんだけどさ」


「何だ」


義手の男は尻を手で掻きながら口を開いた。それに非難の視線はなく、無関心さゆえ、とがめられることはない。


「うーんとね」


琥珀の少女は声を詰まらせる。


「なんていうの?」


溜めのある苛立つ声。


「はやく言え!」


少女はおちょぼ口を動かした。


「今から逃げよ?」


「こっちこいお前」


赤毛の男は腰帯に留めた短剣へ手を伸ばした。


「待って待って待って!ナーシェの話聞いて。あそこにいるのって共和派じゃん」


琥珀の少女は言葉で塀に立つ人間らを示した。


「そうだが[そうなのか……?]」


苛立たし気に赤毛の男は頷く。


「イシュの国以外の共和派が紛れてるみたいでさ。あとなんかおっかない兵器と強い人がこっそりあの塀超えてるらしいんだよね。2、3年前から少しずつ」


「だから?」


赤毛の男は下顎を前へずらし、下歯を剝きだした。


「だって契約も義理もないじゃん。イシュの王も口だけ―――――」

「お前あの契りを口約束扱いするのか」


義手の男は、片手で赤毛の男の肩を強く叩いた。赤毛の男は目を閉じて鼻から息を深く吐き、少女は言葉を続ける。


「さっきのはごめん。なかったことにして。でもさ、それにさ………」


琥珀の少女は天上の術陣を目で指す。


「やっぱりあれちゃんと動いてないよ」


「もう黙ってろ」


「確かにナーシェたちはこの数日の仲だけどさ………」


その術陣はただ動き続けている。


「おれたちのやることは変わらない」


「でもほら見てよあれ」


大勢の進行方向に対して反対の方向、琥珀の少女が顎をやったところ、数える程度、抉れた地面に身を隠し、街の塀へ向かう大きな人の流れに逆らって移動する者らがいた。


「何かがおかしいって。ほら勘付いた人たちだよあれ。ああいうのが長生きするんだ。すごいご先祖様だっていたけど、そんなすごい血は私たちに流れてない。あんな血だけが私たちに残ってる」


誰かが、声を発しようとする前の間が訪れる。


「でももうちょいお待ち!」


赤毛の男が不可解に目を細めたとき、琥珀の少女は胸を叩くように拳を作り、それを平行に左から右へ動かす。


赤毛の男は目の色を変えた。


義手の男はそれに応えて表情を変えず声を発す。


それらは儀式的な、古い流浪の民の言葉としぐさ。


「怖れ抱く者は滅ぶべし。力怖れ、命惜しむは流浪の者にあらず。我らが流浪の者たるを誇り、その流浪の者たるはこの力あればこそなり」


倒れる大鳥の体を這いあがって上から現れたのは四つ足の人外3体。それは3人めがけ牙を剝き落ちてくる。


琥珀の少女は人外を躱し腰に留めた短剣をその横腹へ刺す。赤毛の男は2体目と殺しきれていない少女のそれを蹴り叩き、義手の男は腕を振るいそれを殴った。


「理不尽を己が力にてねじ伏せる、それこそが流浪の者なり」


赤毛の男は胸を叩く。


「力こそすべて。我らは力を示さんためにこそ命を捨てる者なり」


琥珀の少女は笑みを作って頷いた。赤毛の男は表情を緩める。


「何だお前。ふざけた奴かと思ったが………」


「ふふ、自然な流れで“誓いの言葉”言えたでしょ。この瞬間詩になってもおかしくない、いや、詩になるのが当然」


「でも本当にそのままでいいのか?おまえだけだめだった[一撃で倒しきれなかった]ぞ」


「ねえぇぇえ![言わないで!]はあぁもう」


ひとりふっと笑みを作り、ふたりたははと笑みをこぼす。


琥珀の少女は笑いを隠すように手を口元にかざし、曲剣のような歪んだ笑みをうかべて小声でつぶやく。


「そしたら[詩になったら]お前たちの先祖と同じ道を辿るさ」


赤毛の男は、その口ごもった声に、穏やかな表情で片眉をあげる。


「んあ?なんつった」


「あ?(何も言ってないけど)どしたん」


義手の男は尻を掻く。


「もういくぞ」


「あ待ってまだ確かめたいことが」


「おい調子乗んなよ」


赤毛の男は眉を吊り上げる。


「まだあれちゃんとしてるか確かめられてないんだけど」


少女は空を埋め尽くす術陣を目で指す。


赤毛の男は琥珀の少女を丸太のように肩で抱える。


「え!ねえ触らないで」

「うるせえもう行くぞ!」


赤毛の男は琥珀の少女を、倒れる大鳥を飛び越すように投げ飛ばす。


「きもいよあほ死ねよ!」


罵声を上げる琥珀の少女は顔を青くした。追尾の矢が放たれており、着地点には粘土の人外4匹が歯を剝きだし口を開けている。


「びゃあああああ!」


琥珀の少女の前へ義手の男が現れ、矢を叩き払い、そのまま少女は落ちる。それを見た赤毛の男は罵るようなため息を吐いた。少女は声を荒げる。


「舐めんでよ(ロスアリグ)!」


琥珀の少女は腰帯から短剣を抜き取る。落ちる琥珀の少女の下に、丸呑みは容易い大口。その口から伸びるものは二対の角のような牙。


琥珀の少女はその人外の長い牙へ手を付き、身を翻し、落ちながら一体の人外を、玉ねぎを切るが如く短剣で縦に裂く。


着地。


その短剣から半透明の青いまりょくの剣身が伸び、琥珀の少女に振るわれたそれは周囲の3匹を横に裂いた。


琥珀の少女は走り来る赤毛の男へ薄い胸を張る。


「ほらこのとお―――――」


走る勢いそのままに、赤毛の男は琥珀の少女の首に、左肘窩ひだりちゅうか、腕の関節を鎌のようにひっかける。


「ぶえええ~!」


琥珀の少女はその腕で布のようにたなびく。


「いちいち足止めてばっかで何がしたい」


「お前臭い!」


琥珀の少女は赤毛の男を突き飛ばして走る。


「しゃべったら舌を抜く。これだから女ってのは」


「きもいきもい!」

「いい加減黙れんのか見損なったぞ」


義手の男はふたりの背後に周り、尻を掻く


「いつもの余裕はどうした。特にロス。らしくない」


義手の男はふたりの後頭を手で叩いた。


「いっ」

「うおお!驚かすなよ……」


琥珀の少女はきまり悪さを思わせる笑みを作り、赤毛の男は後頭をがりがりと掻く。


「もうすぐだ」


立ちはだかる塀の威容は大きくなっていく。


「おれたちが一番槍だな」


土の中から人外7体、丸い粘土の体に歯が付いただけのそれらは正面から3人へ迫る。


琥珀の少女は短剣の刃を半透明の青いまりょくで伸ばし、前へ突っ込みながらそれを長剣のように振るった。右へ払い、左斜め切り上げ。


まばたきの間に、刃は2体の人外を切り裂いた。


赤毛の男は前方へと強く跳び、地から足を離し、コマのように回る。その勢いで放たれた右回し蹴りは人外をコの字に折った。人外を横へ蹴り飛ばし、赤毛の男は勢いそのままに一度回ると左脚を槍のように突き出し、また1体の人外を貫く。


義手の男は人外を掴み、その掴んだ人外で残った2体を叩き潰した。


これらは、水面へ雫が落ちそれが平らに波打つまでのような数瞬に行われたこと。


3人は風を切って進む。


「登れええい!」


赤毛の男は手を叩いて叫ぶ。


三人の前方には、街の塀が見上げるほど迫っていた

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