僕はいつでもワンオブゼム

天川

不埒なるため息の対価

 読み終えて気が抜け、落としそうになったスマホを今度はしっかりと握り直す。顔に直撃するスマホというのは案外痛いものだ。寝落ちした時など、何度同じ愚を犯したことか。


「はぁ……」


 いつもの携帯小説投稿サイトに、またあの人の作品が投稿されていた。

 正直、レベルの違いを見せ付けられているようで最近では辛いことのほうが多いのだが、それでも読まずにはいられないのだから、改めて書き手としての力量に恐怖すら感じる。


 だが、今回の作品はこの間のものほどインパクトが有るようには感じなかった。所謂、よくわからない表現、言い回しを使用した「純文学」と呼ばれるもののテイストを感じる作りであった。こういう物も書けるんだなぁ……いや、これこそがこの人の本領なのかも知れない、そんな事を感じながら読み進め、やがて文末にたどり着く。


 ……どうしようか。


 いつもならスラスラと出てくるはずの感想が捗らない。たぶん、今回の作品は波長が合わなかったのだろう。決して嫌いな作風じゃない、むしろ好きな方だと思うのだけれど、はっきりこれと分かる感情が励起されない分、共感も没頭も出来なかったのかもしれない。

 シナリオは面白かった。パクった相手が直接相談めかして謝ってくるあたり、滑稽な社会風刺ですらある。だか、そこに漂う微妙すぎる主人公の感情や空気感が、自分とはかけ離れていてシンクロできなかったのだ。

 現に、添えられている感想コメントは、「面白かったです」という当たり障りの無いものばかり。まあ、そうだろう。こんな難解な表現に自分勝手な解釈を添えて思いっきり外した日には……界隈では恥ずかしくて顔見せできなくなるかも知れない。そんなリスクを負ってまで、無理に頭のいいふりをしなくたっていいのだ。ここは自分も、❤だけ押して立ち去るのが得策か……そう思っていた時に、が目に入って指が止まった。


 あの人の、コメントが踊っていた。


 ────同じサイトに投稿している人で、ひょんなことから交流が始まった男性。自分の好きな作品のコメント欄には、いつもその人が先回りしていた。趣味嗜好が近いのであろうその人の、作風や投稿しているコメントに、自分は知らず知らずのうちにひどく惹かれていった。少しずつ距離を詰めコメントでやり取りを交わし、企画で一緒になり、やがてサイト内では濃密と呼べるほどの付き合いが始まった。

 そのうち、リアルでも会う機会が舞い込んできた。

 ネットの向こうの人間に直接会うなんて無鉄砲も良いとこだと自分でも思ったが、それでも興味と情熱が勝り、オフ会の席で初めて会うことになった。

 僕の他にも何人か参加者がいた。彼は、思ったより歳上だったけど、ガタイが良く粗野に見えるのになぜか不思議と優しい。いや、の扱いに慣れている、という雰囲気が感じられた。グラスを片手に周りの人と楽しそうに談笑する姿を少し離れた席で見つめながら……彼はたぶん、自分と同じ……そんな淡い期待を持っていた。

 

 根拠はあった。


 彼の作品の中には、そういう行為を仄めかす(実際は仄めかすなんてものじゃなくBANされないのが不思議なほどあからさまだったが)表現がいくつも綴られていた。近況ノートや感想の返信欄には、過去に実際そう言うことをしていたという体験談も目にしたことがある。

 なるほど、そう思って見ると彼の姿は同性に対して一層扇情的だ。たぶん普通の人が観たら気付かない程度、そんな些細な部分から感じる匂いで僕らみたいな人間はを嗅ぎ分ける。


 性急かとも思ったが、自分の想いの昂ぶりに抑えが効かず2回目のオフ会で、思い切って声をかけた。あなたの書く作品が好きです……コメントも、感想も────ずっとあなたの言葉を欲していました。


 僕はついてた。


 彼は、喜んで僕の言葉に耳を傾けてくれた。サイト内での交流を重ねていたことも僕にとってはプラスに働いた。

 彼は僕を宿に誘ってくれた。

 誘われるままに部屋に入り、風呂を済ませ軽いアルコールで緊張を解す。いざ行為が始まったら、手順も所作も何ら不安がなかった。裸の身体の中央に、自分と同じものを持っていることが嬉しくてたまらなかった。茂みは意外と控えめで、外見とは少しギャップがあったが、そこがまた興奮を高めるのに役立ってくれた。

 彼は自分からするより、僕に奉仕させる方を好んだ。僕が口腔に含むと彼の手は僕の頭をまるで操るように優しく撫でて快感を僕に伝えてくる。お互いの昂ぶりを充分に感じ、しっかりと準備をしてそれから彼と僕は深く交わった。

 彼は、自分の中に受け入れるのは拒んだが挿入する方は躊躇がなかった。動物的と云うか、本能的と云うか、とにかく迷いなく自らの快感を引き出す術に長けていた。何度も突き込まれ、後ろからまるで押し出されるように、僕も何度も頂に達した。


 それから、僕らは時々会うようになった。


 彼は、ちゃんとしたパートナーがいる身であったが、身体だけの関係ならさほど罪悪感も無いらしく、わりと頻繁に僕の方にも声をかけてくれた。だが、その本命と言える人が、女性であったことには少なからず驚いた。彼は、どっちもいける人らしい、そのことは最初からなんとなく感じてはいた。だが、その心の配分と云うかどちらのほうがより好きかという点に関しては、正直な所……怖くて聞けなかった。

 もともと、大っぴらに開示できる関係ではない。仮に女のほうが好きで、男はお遊び程度だとしても僕には不満はなかった。だから、深追いするつもりも無かった。

 なにより、身体の関係は僕にとって謂わば降って湧いた幸運であって、僕の本命……本心は彼の言葉の方にこそあったのだ。


 彼の紡いだ作品と文字、そして彼を通した感想が僕に優先的に向けられるのなら、身体の方は他の男や女に譲ったってどうってことなかった。


 …………だから、僕の知らないところで、僕にわからないような言い回しで、二人だけの空気が公共のネットの上で醸成されているのだけは………


 我慢ならなかった。


 それも僕が……悔しいけれど認めていた書き手である───この女とこっそり裏でつながっていたなんて


 『──を読むのは二度目になるわけですが……』

 『──のときより……』

 『──雰囲気を含めて』


 先ほど読んだ作品のコメント欄に、彼の文字が踊っていた。


 僕の知らない、その指示詞の指し示す先に何があるのか、僕はその相手の作品を片っ端から読み漁った。いや、まるで浮気の証拠を探すような執拗さだったように思う。

 あの女の作品とコメントとを時系列順に並べて、パソコンでプリントアウトして床と壁に全部張り出して、書き手から彼に向けられたメッセージを炙り出していく。

 痕跡は、意外にもあっさりと見つかった。

 何のことはない。が使っている投稿サイトとは別なサイトで、彼と彼女はずっとやり取りがあったのだ。別に不思議なことじゃない。


 でも、彼は僕に嘘をついていた。


 他のサイトは使っていない。管理も煩雑になるから、そんな面倒なことはしたくないし、なにより俺の書いたものは伝わる人に伝わってくれれば……それでいい。数打って当たる、そんな作品の浪費の仕方は俺の好みじゃないんだ。


「────お前ほど、俺の作品を深く読み解いてくれるやつはいないよ。女には、無理だからな……俺の想いの深層まで理解するのは」

 

 その言葉が、僕の拠り所だった。

 自分で良作を書けなくたって、彼の作品を読み解くことなら他の誰にも負けない、そこは侵されることのない聖なる領域だったんだ。


 その、聖域が……あっさりとあの女に侵されていた。


 僕は、あの女の作品全てに目を通した。

 これまで敬遠していたジャンル、エッセイや詩、ホラーまでもくまなく。

 何がいいんだ、こんな女のこんな作品……そう思えば思うほど、彼のコメントは情熱の高ぶりとともに綴られている。あっちにも、こっちにも……。彼の紡いだ文字は僕だけのものなのに、ずっとそうだったはずなのに────


 僕は、彼にコメントを貰った作品以外を、全て消去した。

 僕の全ては彼だった、僕には彼が全てだったんだ。


 でも、僕はずっと彼の中では『その他大勢』の中のひとりだったんだ。


 その後………僕は決意を秘めて、定期的になりつつあったオフ会に、再び参加することにした。

 その事を知らせると、彼はいつもどおりに「楽しみにしている」と言い、そして「終わったら二人で二次会しようか?」と誘ってくれた。願ってもないことだった。


 僕は自室にて裸になり、彼に捧げるを終えた自分の身体をもう一度確認した。太ももの、彼にしか見せない部分に、小さく入れた『S』の入れ墨。彼が使う、ハンドルネームのイニシャルだった。

 僕は、それから準備をしてそのオフ会の会場に向かった。わざと遅れた時間に。

 本命は、彼との二次会の方だ。不愉快な一次会なんてホントは参加したくないけれど、変に思われてもいけないので申し訳程度に顔を出すことにした。


 一次会が終わり、参加者はそれぞれ思い思いの方向へと帰っていった。何人かは、この後二次会を計画していたらしくまとまって歩いていく姿も見えていた。そんな中、僕と彼は予定通りに、予約してあるちょっといいビジネスホテルに向かった。

 僕は安いシングルルーム。彼はちょっとお高いダブルルームだ。別に部屋を分けて予約する必要も無かったが、一応世間体を気にしてそうした。

 

 彼に先にお風呂に入ってもらい、僕はベッドでをしながら待っていた。

 支度が済むと僕は、彼がお風呂上がるのを待たず浴室に入り、驚いた彼の背中を流してあげた。

 彼が上がった後……僕は、彼を受け入れるために入念に準備をした。これが最期だ、そう思い一層奥深くまで綺麗に仕上げた。自分の腹部が空虚さに満ちていくのが分かった。


 風呂から上がると、彼は既に準備が出来上がっていたようだった。サイドテーブルに置いておいたお酒をちびちびと飲んでいた。彼の好きな銘柄をわざわざ買って持ち込んでおいた、それを彼は手酌で楽しんでいたのだ。

 あまり飲むと、できなくなっちゃうよ?

 そう言うと彼は笑って、これくらいなんでもないさと答えていた。


 彼はバスローブを脱ぎ捨てると、即座に僕の手を引いた。

 そして、いつもなら避妊具ゴムを装着するのだけれど、

「今日は無しで、してくれるかな?」

 僕は、そうお願いしてみた。

 ちゃんと綺麗にしてきたから、そう言って。


 彼は笑って、頷いて承諾してくれた。


 こんな時は、自分が女の体ではないことを恨めしくも思う。いくら彼の精を内側に受け止めようと、彼の子を宿すことは自分には出来ないのだ。その事が、たまらなく哀しかった。それでも、最後に彼のすべてを受け取っておきたかった。それが、自分の自己満足だとしても────


 激しく、身体を打ちつける音に混じって、彼の吐息はため息のように僕を包んでいた。彼の吐息、彼の体温……それらは全て僕のものだ。今このときから、すべて僕だけのものになるのだ。


 行為が終わると、彼はベッドに横になってまどろんでいたが、やがて体をくの字に曲げ悶えだしていた。苦しそうに呻く彼を、僕は優しく諭すように「大丈夫、すぐに楽になるよ」と声をかけながら、ずっと見守っていた。


 インターホンの線は抜いておいた。ドアには『Don't Disturb』の札も掛けてある。あとは、彼が安らかに眠るまでずっと傍で見守るだけだ。



 明朝、冷たくなった彼を部屋に残し、僕はそのままホテルを後にした。捜査の手が伸びるのは1日後か、もっと先か。別に、そこに興味はない。もう既に遣るべきことはやっておいた。

 彼にご執心だったあの女の作品の中に頻繁に出てきた、彼岸花。

 僕は、彼へのせめてもの手向けにその植物を選んだ。丁度季節も頃合いだったから。


 彼の死を世間に報じるニュースでは、僕の名が大々的に伝えられることだろう。関係性はあのサイトを辿ればすぐに分かることだ。そして、昨夜の事も。

 僕はその時に、ようやく彼の唯一特別な存在になれるのだ。

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