第19話 またしても文化祭二日目二

               またしても文化祭二日目二


(将来に絶望した小学生が出ていった後、青戸と細野が教室に入ってくる)


                七海(二人を発見する)


『……!』


                細野(七海を見つける)


 七海ちゃん!


                七海(渋めなマスター風のまま)


 いらっしゃいませ。


                青戸(心の声を聞く耳を塞ぎ、七海のカウンターに近づきながら)


 何かが憑依しているな。


(二人が七海のカウンターに座る)


                七海


 お飲み物はいかがなさいますか?


                青戸


 じゃあ、甘酒で。


                細野(青戸を見ながら驚く)


 え?! ほんとに言ってる?


                七海


 申し訳ございませんが、そういったものはメニューにはありません。


                青戸


 それなら麦茶で。


                七海


 かしこまりました。

(細野を見て)お客様は。


                細野(嬉しそうに)


 じゃあ私も同じので!


                青戸


 正気か? ここはノンアルコールとはいえバーだぞ?


                七海


 甘酒野郎は黙っててくれるかしら、……失礼、静かにしていただけますか。


                青戸


甘酒野郎の方が失礼だろ。


                七海


 ではお二人とも麦茶で。


(シェイクしてから二人に麦茶を出す)


                細野(麦茶を少しだけ飲んで)


 美味しい~。

 七海ちゃん、すごく様になってるね!


                七海(小さめの紙コップを拭きながら)


 光栄です。

(三秒空けて)お二人はどういった経緯でこちらへ?


                細野(少し嬉しそうに)


 今日は二人とも当番じゃなかったから、じゃあ一緒に回ろっか、ってなったんだ~。

(青戸を見て)ね?!


                青戸


 ああ、そういうわけだ。


                七海


 そうでしたか。

 お二人仲がよろしいようで。


                細野


 そうだね~、二年生で一緒のクラスになってから、より仲良くなったって感じかな!


                青戸


 そうだな。つい最近二人で博物館に行ったところだ。


                七海(一瞬紙コップを拭く手が止まる)


 博物館に、二人で……。


                細野


 そうなんだよ! 最近って言っても、もう三か月ぐらい前のことだけどね~。


                七海(平静を装ってコップを拭き続ける)


 そうでしたか……。

『……』


(数秒の沈黙)


                細野


 そうだ! 七海ちゃんも、最近金城くんと二人でご飯行ったんだよね?

『やだ私、意地悪なことしてるかも……』


                青戸(手に力が入って紙コップが一瞬ほんの少しへこむ)


 そうだったのか。


                七海(紙コップで布を拭き始める)


 ……ええ。まあ最近と言っても三か月は前になりますが。


                細野


『青戸くんの方が反応した? もしかして、七海ちゃんのことが?』

 ……なんか私も時間の感覚おかしくなってる?


                七海


 それは青戸病ですね。近頃お客さんの間で結構流行っているみたいで。


                細野


 なにそれ! 罹ったらどうなるの?

『めっちゃ罹りたい! てゆうかもう罹ってるかも!』


                七海


 発症してしまうと、天然ボケの亜種、養殖ボケが進行していきます。


                青戸


 おい、俺がわざとボケてるみたいじゃないか。


                七海


 それが天然ならそれはそれで病気なのでは?


                青戸


 今日はなんだか当たりが強くないか?


                細野


 まあまあ二人とも喧嘩しないで~。せっかく久しぶりに集まれたんだから~。

『確かになんだか今日七海ちゃん様子が変だな~、って、あれ?』

 七海ちゃん?! さっきからコップで布を拭いてない?!


                七海(手元を見て気付く)


 ああ、これはこれは。パラダイムシフトが起きたのでしょうか。

(こぼれ落ちるように)『やっぱりおかしいわね私、二人が来てから。絶望が希望を覆い始めたわ』


                細野


 バーで聞くと思わなかったよ! パラダイムシフト。

『絶望が希望を? そんなに? 私と青戸くんを見て? それじゃあやっぱり?』


                青戸


 動物が人間を食べる時代の到来か?

『冗談で誤魔化しているということは、その必要がある何かが七海の中で起きているということだ。いつからそうなった。最初は普通に紙コップを拭いていた。……まあそれも異常だが……』


                細野


 能動と受動が入れ替わってる?!

『青戸くんが七海ちゃんのこと真剣に考えてる。それは好きだから? それとも優しさ? 青戸くんなら悩んでる人がいたら誰にでもそうするからわからないよ……』


                青戸


『変化はすぐには起こらない。長い時間少しずつ蓄積されたものが、ある時小さなきっかけによって瞬間的に爆発することで起こる。長期的な堆積の原因ときっかけは何かしら関係がある。そう考えると、原因は……俺?!』


                七海


『……』

 おやおや、お二人とも頭で別な何かを考えておられるようですね。ここは場末のバーですよ。何でも話してください。さあ、何を考えていたんですか?


                細野 青戸


『あんたのことだよ!』


                細野


 い、いや~、本当に七海ちゃんはよく人のことを見てるね~。

『どうしよう。七海ちゃんも青戸くんもどっちも失いたくない。かといってこのまま一人で抱えきれないよ……』


                青戸(最小限の動きでスマートフォンを一瞬見て)


 ちょっと国防省から電話が来たから一旦失礼する。

『もし原因が俺なら、ここにはいない方がいいだろう』

(返事も聞かずにスマートフォンを耳にあてながら教室を出ていく)


                細野


 本格的に動物たちが人間を食べ始めたんじゃ?

『気を遣ってくれた。私たちが一人で溜め込まないように』


                七海


 おそらくはそうでしょうな。

『そんなわけない。あれは嘘ね。彼のことだから、気を利かせてくれたんでしょう。なら私たちはその気遣いを無駄にしない責務があるわよね? 細野ちゃん』


                細野(驚いて七海の目を見る)


(ぎこちない笑顔で)そう、だね。

 もう気付いてるってことでいいかな? 私の気持ちも、七海ちゃん自身の気持ちも。


                七海


「心」が何か一つの色に染まることはない。でも、全体としてはお察しの通りかしら。


                細野


 そう、なんだね。

 七海ちゃんは、どうしたいのかな?


                七海(コップを拭く手は止めたまま)


 それがわからないの。自分がどうしたいのか。ぼんやりしていて。

 細野ちゃんはわかるの?


                細野(コップの水面を眺める)


 私は、付き合いたいと思ってるよ。


                七海(気持ちが波打つのを感じる)


 そう。じゃあこれからどうするつもりなの?


                細野


 それは、いつかは告白するつもりだよ。


                七海


 そうなのね。

 まあなんにせよ、私は諦めるつもりもないし、あなたとの友情を壊すつもりもない。お互い、悔いが残らないようにしましょう。


(約二時間後、戸崎のカウンターで酔い潰れる七海)


 じゃあどうふればいいっへ言うんれふか~。わはしには何もわありませんよ~。


                戸崎(困り顔で)


 そろそろ何があったか話してもらえませんか? 小一時間ずっと同じこと聞かされるのももう限界です。


                七海(机にだらんと上半身が倒れたまま)


 まふた~! いふものもういっはい!


                戸崎(コップに水を注ぎながら)


 いつものって、お客さん来たの初めてでしょ? それに、どうして天然水でそんなに酔ってるんですか?


                七海


 ほんなのわはりませんよ~。

(水を飲む)はぁ。

(顔を上げて戸崎の目を見て)ほれよりいいんれふか? 何があっはかひはなふて~。


                戸崎(赤くて蕩けそうな七海の顔を見てドキッとする)


 そ、そうでしたね。教えていただけるとこの上なく助かります。


                七海(ゆっくり上半身を起こし、両手でコップを持って両肘をついて)


 詳細は話へまへんから、比喩でいきまふよ……。

あれは、遠い夏のことでした。

……。

あ、これは違うな。


                戸崎


 そんな酔うくらいのことなのに間違えますか?!


                七海


 要は、自分がマラソンを走っていることに気付いたんです。一位しか生き残れないマラソンに。その上、同じゴールを目指して走るライバルはとんでもない強敵だった。私は上手な走り方もわからない素人だ。こんな状況で一体どうすればいいんでしょうか。


                戸崎


急に饒舌になりましたね。

(二拍空けて)そういうことがあったんですか。それは大変ですね……。

『一つだけの何かを誰かと取り合っている。……』


                七海


 私は、そのレースに勝利するだけでなく、そのライバルのことも救いたい。

 こんなの、どう考えても不可能じゃないですか。

 酔わないとやってられませんよ! (また上半身が倒れる)


                戸崎


 ああ~、また元に戻っちゃった。

 でも、あなたはほとんど自分を殺そうとしている相手をも救おうとしている。

(七海が見ていないのを承知で微笑みながら)優しい方ですね。


                七海(倒れたまま)


 まふた~こほね。あんははひっほいいまふた~りらる!


                戸崎(苦しさを隠しきれないまま微笑む)


 ありがとうございます。

 それで、どうすればいいかですね~。

 何か力になれたらとは思うんですが~。

(七海が全く動かないのを見て)あれ? お客さん?

 寝たな、これは。ほんと台風みたいな人だな。

(近くに置いてあったブレザーを七海の肩にかける)


(しばらくして、カウンターに楓がやってくる。ルイボスティーを出す)


                楓(普通に飲む)


 久しぶりだな。元気か?


                戸崎


 ほんの数時間前まではね。

(七海を指差す)


                楓


 こいつはどうしたんだ?


                戸崎(一瞬迷うが)


 ……なんか誰かと争奪戦を繰り返してるとかで。それが、一人しか生き残れないルールらしいんだけど、その相手が強敵みたいで。彼女はその勝負に勝つだけでなく、その相手も救いたいらしくて、どうしたらいいものかと。


                楓(大体何かは察する)


 なるほど。確かに難問だな。


                戸崎


 そうそう。だから僕もどうアドバイスしてあげたらいいのかわからなくてね。


                楓


 お前はどうしたいんだ?


                戸崎


 僕かい? どうして僕のことを?


                楓


 困難な立場にいるのはお前も一緒だろ?


                戸崎(微笑んで)


 楓さんに隠し事は無理みたいだね。

(一回ゆっくり呼吸して)その通りだよ。彼女がその戦いに勝つと、僕は負けることになる。


                楓


 それに加えて、その勝利のための手助けをしなければならない。

(かすかに優しい表情になって)一番手助けが必要なのはお前の方かもしれないな。


                戸崎(目を閉じて笑う)


 そうなのかもね。ハッピーエンドが全く想像できないよ。


                楓


 明るい未来が見えないのは辛いな。だが、その時こそ本当の希望を見つけられるチャンスだ。夜じゃないと星が見えないようにな。


                戸崎


 本当の希望、か。見つけられるのかな、この臆病者の僕に。


                楓


 本当の希望を見つけるまでは、臆病者でいい。自分の「心」と向き合い続けてさえいれば。希望を見つけられたら、漠然とした憂慮が勇気に変わるからな。


                戸崎


 そうなのか。


                楓


 自分を救えるのは自分だけだ。それまであきらめるなよ。たとえその前に例の戦いが決したとしても。


                戸崎


 君は目先の戦いでなく、僕の人生の勝利を見据えてくれているのか。ありがとう。

 お礼に、お代はいただかないよ。


                楓


 感謝するよ。

 あと、(七海を見て)起きたらこいつに一杯あげてくれ。もちろん料金はこいつ持ちで。


                戸崎(微笑んで)


 わかったよ。


(楓が教室を出ていく)


(しばらくして野山がカウンターにやってくる。緑茶を出す)


                野山(寝ている七海を見て戸崎に)


 どういう状況?


                戸崎


 酔ったみたいで、天然水で。


                野山(緑茶を飲んで)


 天然水で酔えるなら何でも酔えるね。

(二拍空けて)そうか。それで、戸崎くんの方はどうなのかな? マスターの仕事は。


                戸崎


 ご覧の通りだから、他のお客さんは遠慮してあんまり僕のカウンターには来ないね。


                野山


 なるほど。

(少し意地悪っぽい顔で)じゃあ戸崎くん自身としてはどうなのかな?


                戸崎(照れ苦そうな顔で)


 まいったな、周知の事実なのか。


                野山(優しい表情で)


 まあ、わかるよ。目からよだれみたいに好意が垂れてたからね。


                戸崎(照れ苦そうな顔のまま微笑む)


 せめてもうちょっと綺麗な表現にしてもらいたいな。

 てゆうか、それを言うなら君はどうなんだい? 君の目からも好意の唾液が滴っているように見えるけど。


                野山(口角を上げたまま目線を逸らす)


 俺はその、尊敬、だから。


                戸崎(優しい笑顔で)


 自分だけ格好良くいようとしてないか? 


                野山


 まあ何にしても、本人が寝てる隣で話すことじゃないのは確かだね。


                戸崎


 話を逸らしたね。

 まあ本人は気付いてるんじゃないかな?


                野山


 確かにそうだろうね。その上で、承認欲求を満たすためにどっちつかずの状態で弄んだり、都合良く利用したりすることもなく、人間として関わってくれているのはありがたいことだ。


                戸崎


 本当にね。だから僕たちも邪な気持ちではなく、人間の「心」によって関わっていかなくちゃね。

 話を戻すけど、結局のところ君は彼女のことをどう思っているんだい?


                野山(そそくさと立ち上がる)


 ごちそうさまでした。


                戸崎(残念そうに)


 ちょっと待ってくれよ。僕は正直に話したじゃないか。


                野山(扉の方に歩きながら)


 その話は次来た時にしよう。


                戸崎


 次はもうないんだよ……。


(日が暮れ、後夜祭が始まった頃、ちょうど七海が目覚める)


                七海(寝ぼけながら)


 あら? 私寝ていたのね。

(コップの中に水が注がれていることに気付く)私、新しく注文したかしら。


                戸崎


 よくご存じの方からです。料金は、(片手で七海を示して)お客様持ちということで。


                七海(頭だけずっこけて)


 それじゃあ私が普通に注文したのと変わらないじゃない。

 まあいいわ。(水を飲む)

 今は何時頃かしら?


                戸崎


 もう閉店の時間は過ぎていますよ。

 グラウンドでは後夜祭が始まっています。


                七海(少し目が覚める)


 それは悪かったわね。

 あなたも行ってよかったのに。


                戸崎


 お客様を放ってはおけませんよ。


                七海


 そのマスターももう閉業の時間でしょ?


                戸崎


 最後のお客様を見送るまでが私の仕事です。

『こうして何かを演じていた方が今は楽なんだ』


                七海(水を少し飲んで)


 じゃあ、もう少し頼むわね、マスター。

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